愛され妻と嫌われ夫 〜「君を愛することはない」をサクッとお断りした件について〜

榊どら

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SIDE2-11 エイダンの疑問

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***
 エイダンが執務室に入ると、丁度メイドが紅茶を配膳しているところだった。
 レイモンドがすかさず立ち上がり、

「先触れもなく申し訳ありません」

 と告げる。
 顔色が悪い。いや、この青年の表情から血色がなくなったのはもう随分前だろう。

 庭先で転げ回り息を切らせて走っていた幼い頃と比較すれば「成長した」の一言で片付けられてしまうものだが。


「いや。構わないよ。座りなさい」


 エイダンは促して、自分も向かいのソファに腰を下ろした。

 時刻は、夕方五時を回っている。

 エイダンは今日は仕事を休んで、アデレードを駅まで見送りに行き、そのまま帰宅した。

 平日だからレイモンドは登校していたはずだ。

 姿勢を正し、両膝に拳を置いたきちんとした所作で座っている。

 しかし、右手の親指で人差し指を繰り返し引っ掻いている仕草から緊張が伝わった。

 さて、こちらから話を切り出した方がよいのか出方を待つか。

 アデレードは学園へ入学した頃から、レイモンドの話をあまり話さなくなった。

 年頃になった娘が、好きな異性の話を、父親に明け透けに喋る方が珍しい。

 だから、こちらからもあれこれ尋ねたりしなかった。

 姉のセシリアは、強引に話を聞き出していたようだが、恐らくそれも全てを把握していたわけではない。

 にも関わらず、セシリアは、アデレードとレイモンドとの仲を反対するようになった。

 セシリアから「お父様からも別れるように言い聞かせるべきよ」と説得されることが何度もあった。

 確かにセシリア経由で聞きかじる話は酷いものだった。

 しかし、自分の知るレイモンドとは乖離がありすぎて俄かに信じ難かった。

 自分には、侯爵家の当主として長年務めてきた自負がある。人を見る目はあるつもりだ。


「卒業するまでに独り立ちできる基盤を作り結果を出します。そしたらアデレードを妻に頂けますか」


 レイモンドのあの言葉に嘘偽りはなかった。バルモア家に取り入りたいから、という理由で近づいてくる人間を幾人も見てきたが、その手の輩とは明らかに異なった。

 それで結局、しばらく様子を見ようと、アデレードの好きにさせてきた。

 しかし、結果がこれなのだから、もっと積極的に介入しておけば良かったと後悔の念が拭えない。


「取り敢えず、お茶が冷める前に一息ついたらどうだね」


 メイドが退室したのを見計らい、ティーカップに視線を下げてエイダンは言った。

 しかし、レイモンドは微動だにしない。無理強いしたいわけでもないので、しつこく勧めることはしなかった。

 エイダンが、自分のカップに手を伸ばすと、正面ですうっと息を吸い込む音がした。


「アデレードが、結婚したと聞きました……」


 レイモンドが硬い声で言った。

 レイモンドの母であるポーラ夫人には、アデレードの口から、前もって直接話をしていたようだが、レイモンドが今日になって来訪してきたということは、情報源は母親からではないのだろう。

 この結婚は白い結婚であるため、周囲に公明正大に報告はしていないし、挙式も行われない。

 しかし、アデレードは親しい友人には話をしていたし、休学すればその原因について噂が広まるのは予測できる。


「あぁ、今朝嫁いで行ったよ」


 エイダンはなるべく軽い感じで言ったが、レイモンドの顔が強張る。

 キュッと一本に結ばれた唇が何度か開き掛けたが言葉は発しなかった。

 萎縮しているのが見て取れた。

 思い返せば、レイモンドは、昔からきちんと礼儀を弁える子供だった。

 アデレードと親しいからと言って、こちらにまで馴れ馴れしい態度は取らなかった。

 アデレードのことも、自分達の前では、許可するまで敬称を付けて呼んでいたくらいに。



「言いたいことがあるなら言いなさい。この部屋でのことは不問にしよう」


 ここにいるのがセシリアならば、問答無用で「今更なんの用?」とレイモンドを糾弾したに違いない。

 しかし、エイダンはそうは思わなかった。立場を重んじるレイモンドが、約束なしに来訪したことに強い思いが汲み取れた。

 言い分を聞いてみたい、という単純な好奇心もあった。
 

「何故ですか?」 


 漸く開いた声音は重い。


「え?」


 惚けるつもりはなかったが流石にざっくりしすぎで返答できない。


「アデレードを私の元へ嫁がせてくださる約束だったはずです」


「……そうだね。でもそれはアデレード次第とも伝えていたはずだよ」


 大体予測してるた内容にエイダンは用意していた答えを返すと、レイモンドは一瞬言葉を詰まらせた。忘れていたのだろうか。しかし、


「それ、は……アデレードが望んで結婚したと言うことですか?」


 と重たく続けた。

 なるほど、とエイダンは思った。レイモンドは、白い結婚であることに関して、事業提携の為に結ばれた婚儀であると疑っている。本人の意志があったのか、と。

 ちょっと心外だな、とエイダンは思った。


「この結婚は、アデレードが自分で決めたことだよ。君のことはもういい、とも言っていた。私は最初はただの喧嘩だと思って、結婚は承諾しなかった。あの子は、カッとなると激情のまま動いてしまうから、後になって先方にやはりなかったことにしてくれとは言えないからね。でも、そうではないと理解して話を進めた。この一月、アデレードは隣国へ向かう準備を自分でずっとしていたし、君とのコンタクトもまるでなかった。むしろ、何故、今更。君が訪ねて来たのか疑問に思っているよ。メイジー・フランツ嬢の勉強はいいのかい?」


 暗に結婚は覆らないことを告げると、レイモンドの顔が苦悶に歪んだ。


「……メイジー・フランツ嬢のことは、軽率でした」


 だが、レイモンドが反応したのは別の部分だった。

 メイジー・フランツ。リコッタ伯爵の遠縁の娘。アデレードは話さなかったが、ポーラ夫人から聞いている。曰く、随分と強かな娘らしい。


「軽率とはどういう意味だね?」

「……彼女の就職試験に集中するあまり、アデレードを蔑ろにしました。しかし、メイジー嬢に対してやましい気持ちはなく、私は彼女が男性でも同じように手助けをしたと断言できます。人の人生を左右する試験を優先させて何が悪いのか、と思ってしまっていました」


 ポーラの語った内容と一致する。

 ポーラは、レイモンドを見限った風ではいたが、誓って二人がやましい関係に陥ってはいないとも断言していた。

 馬車でも屋敷でも二人きりになることはなく常にメイドを傍に置いている、と。

 レイモンドの様子からも嘘ではないと思えた。しかし、事実はどうであれ、それをアデレードがどう思うかが問題だ。

 アデレードは善良な娘だ。人の人生が懸かった試験と言われれば、レイモンドがメイジーに協力することを邪魔したりしないだろう。嫉妬しないかどうかは別として。

 ただし、それは二人の間に信頼があっての前提だ。


「君は、本当に根本的な問題がフランツ嬢にあると思っているのか?」


「それは……」


 エイダンの言葉にレイモンドは奥歯を噛み締めた。そうだ、と言うなら帰るように告げていた。

 正直なところ、メイジーの話を聞いた時、ポーラは「申し訳ない、申し訳ない」と頭を下げたが、エイダンはそこまで不快感は抱かなかった。

 貴族の義務であるノブレス・オブリージュに則った行為であるし、手を貸してやったレイモンドを頭ごなしに責めるのは少し違う気がした。

 根本の問題は、アデレードがそれを許せない状況に既に陥っていたということなのだから。


「君とアデレードの仲が上手くいっていないのは知っている。その一方で君は私に宣言した通り成果を上げていた。しかし、自分の評価を上げるのは自分の為だからね。君の評判は社交界でも芳しくて、正式な婚約をしていない君とアデレードの関係に、探りをいれるような人間が幾人もいた。美しい令嬢を横に携えてね。だから、君がそういったご令嬢に心変わりしたのかと思っていたよ」


「ありえません。確かにアデレードを蔑ろにしてしまったことは認めます。自分のことで手一杯になって……俺は結婚するためにこんなに頑張っているんだから、黙って大人しく待っていてくれ、と思ってしまっていました」

 
 言葉尻に被せてレイモンドが言った。

 今にも噛みついてきそうな勢いだ。

 余程、心外だったらしい。

 尤も、エイダンが本気でレイモンドの心変わりを疑ったわけじゃない。

 レイモンドがリコッタ商会で働き始めた年、下世話な話だがアデレードへの誕生日プレゼントのグレードが格段に落ちたことがあった。

 人を雇う立場のエイダンから見て、それは見習い社員の給料のおおよそ一月分。

 レイモンドが商会で働き出して二月と経っていない頃だったから、自分の稼ぎを丸ごとアデレードに充てくれたのだな、と理解した。

 自立云々と口にするだけある。

 そういう部分を非常に評価した。

 そして、それは毎年続いていて今はかなり高額な贈り物を贈ってくれている。

 レイモンドは何も言わなかったし、アデレードは、そんなことを察することもなくレイモンドからのプレゼントということに素直に喜んでいたのだが。

 いずれにせよ、そういう男が他の令嬢とどうのこうのとは思えないし、第一に特進科の授業と仕事を両立させた上に女遊びまでするのは物理的に無理がある。

 しかし、アデレードに辛く当たっていることも事実だ。この矛盾は何処からくるのか。


「君は一体、アデレードをどう思っているのかね?」


 エイダンは素朴な質問をぶつけた。

 アデレードを貰い受けたいと言った言葉は本当だったのだろう。

 だから、アデレードが隣国へ嫁いだと知って飛んできた。敵意を向けてくるのは、約束を反故にしたと怒っているから。

 しかし、こちらもちゃんとアデレード次第だと伝えていたはずだ。だからそれを遂行したまでのこと。

 アデレードを引き留められなかったのは自業自得の結果なのではないか。


「……どうって、そんなの、」


 レイモンドが簡単に答えようとするので、エイダンは遮るように立ち上がった。

 え、という反応をするレイモンドを置いて窓際の執務机に向かった。

 愛しているとか、好きだとか、そんな言葉を引き出したいわけではなかったから、敢えて言わせなかった。

 エイダンは一度執務椅子に腰掛けて、中央の引き出しを開いた。

 机の右奥にある三つに束ねられた紙束を取り出して内容を確認する。

 そして、そのうち一つを手にして再びソファに戻った。

 レイモンドは訳がわからない様子でじっとこちらの動きを追っている。

 質問しておいて遮ったのだから当然の反応なのたが。

 エイダンは、徐ろに座り直すと、紙束を縛っている紐を解いて、紙片をレイモンドに見せるように順番に並べていった。

 最初の一枚は四角く折られた画用紙。開くとクレヨンで何重にもカラフルな丸が描かれてある。

 その次に取り出したのは、大きな丸に目と口が描かれた笑った人の顔に見える絵。幼児の文字で「パパ」と添えられある。

 二枚目、三枚目と続き、四枚目は栗色のくるくるした髪が描かれていて、はっきりエイダンの絵であることが分かるもの。「お誕生日おめでとう」と字もはっきり読める。


「これは毎年アデレードがくれる誕生日カードだ」 


 そう告げるとレイモンドは、「それが一体どうだというのか。質問の答えを聞かずに今見せるようなものか」と言いたげな表情をした。

 しかし、エイダンは構わずカードを見つめた。

 レイモンドも困惑したままテーブルの上に視線を下げた。

 幼い頃は「パパ、だいすき」といった可愛らしい一文だったのが、ここ数年は「お誕生日おめでとうございます。今年も素敵な一年になりますように。後、長生きして」というような文になっている。

 アデレードらしい、とエイダンは思いながら、


「この年からだな」


 と一枚のカードを指差した。


「え?」


 とレイモンドは声を漏らした。

 が、「この年から」ということはここより前と後では違うということを、直ぐに理解して、指差したカードの前後を見比べ始めた。

 尤も凝視するまでもなく明らかに違うのだが。
 

「字ですか?」


 幼少期は仕方ないとして、字を覚えて以後からエイダンが指し示したカードまでは、非常に癖のある文字だ。

 しかし、差したカードより後の年からは癖が緩和されている。去年のカードなどはまるで印字されたような美しさがある。


「結婚したら折々に招待状や礼状をしたためる必要があるから、と必死で練習していたよ。たかが、字の練習くらいと君は思うかもしれないが」


「……そんなことは……」


 淑女の嗜みとして常識的なことだ。

 こんなことを褒めるのは只の親馬鹿かもしれない。

 だが、世の中には代筆屋という職業があるように、招待状を自分で書かない貴族は多くいる。

 或いは執事や侍女に任せることも往々にある。

 そんな中で、アデレードの字はとても美しい。あの癖字からよくぞここまで矯正したなと思う。


「君に比べて、確かにアデレードは周囲から評価されるほどの成果をだしていない。けれど、何もしていなかったわけじゃない。君は、大人しく待っていてくれればいいと言ったがアデレードも君の頑張りに見合うために自分を磨く努力はしていた。君は、フランツ嬢に勉強を教えていると言ったが、アデレードに教えてやったことはあったか? あの子は試験勉強は、自分でしていた。わからなければ教師か友人、或いは私に尋ねることもあった。毎朝一緒に登校している優秀な君に手伝って貰うのが、一番早かっただろうけどね。君の邪魔をしないようにしていたのだろう。普通科のただの定期考査だ。成績が悪くても進級できるし、就職試験とは重大さが全く違う。でも、フランツ嬢を教える君を、あの子はどう思って見ていただろうね」
 

 レイモンドは黙ったままでいた。

 見ているこちらが不安になるような表情。今更言うのは酷だろうか、とエイダンは思った。

 アデレードはもういないのだから、諦めて帰ってくれと追い返した方がよっぽど優しい気がしてきた。

 でも、エイダンはどうしても聞かずにはいられなかった。

 レイモンドは、アデレードに対して「自分が迎えに行くのを待っていてくれればいい、大人しく待っていて欲しい」と言うがそれは本心か。

 エイダンは、その発言の奥に、他人を貶めて自分だけが上に上がりたいような感情が潜んでいる気がしてならない。

 だから、ずっと聞きたかったのだ。


「君は本当はアデレードをどう思っていたんだ?」
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