愛され妻と嫌われ夫 〜「君を愛することはない」をサクッとお断りした件について〜

榊どら

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38-1 思い出づくり

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「これが噂のグラテナホテルの朝食かぁ」


 アデレードは部屋付きの侍女が下がるのを見計らって、わーいわーいと傍目で見てわかるくらいはしゃいだ。

 パンケーキに蜂蜜、焼き立てのクロワッサン、ブリオッシュ、ホットビスケット、色とりどりのコンフィチュール、厚切りベーコン、ハム、オムレツ、南瓜の温かいスープとジャガイモの冷製スープ、五種類のフレッシュジュース、山盛りのカットフルーツ。

 一つずつ選りすぐりの食材が使用されている。

 珍しい物はないが毎朝家でこれほどの品数が出るかと問われれば否。


「美味しそう!」


 アデレードはにこやかにテンション高く食べ始めた。

 一方、昨夜の会食の気疲れかペイトンはぼんやりしているように見える。


「食べないんですか」


「え、いや、食べるよ」


 とはいえ至って何事もなく終わった夕食会だったとアデレードは思う。

 特に質問責めにはされなかったし、和やかな雰囲気でつつがなく幕を閉じた。

 明日コリンズ邸でお茶会に、明後日商工会が主催する大規模な夜会に、夫婦顔見せを兼ねて参加することを、ほぼ強制的に決められたことを除けば。


「これアーモンドと胡桃が入っているみたい。チョコレートのコンフィチュールなんて初めて見る」


 アデレードはブリオッシュに黄味がかった薄茶色のコンフィチュールを載せて頬張った。


「君は本当にチョコが好きだな」


「はい」

 
 他に答えようもないので素直に頷く。


(これ購入できないのかしら?)


 秘蔵のレシピなので無理なのだけれども。だったら宿泊中は、毎朝食べよう、などとアデレードが黙々と食していると、


「そう言えば、君、なんとか言う店のチョコレートケーキが欲しいのだったな」


「え?」


 ペイトンは言ったが、アデレードは、チョコレートケーキならいつでも欲しいので全くピンとこなかった。


「半年待ちのケーキが欲しいんだろ。調べたらノイスタインにしかない店らしいじゃないか」


「……あぁ、ルグランですか?」


「そうだ。買いに行くか?」


「だから、半年待ちなんですよ」


「伝手を用意してきた」

 
 なんとかという店、と濁した割にちゃんと調べてくれているらしい。


(伝手って……)


 つまり金と権力に物を言わせて購入すると言うことだろう。

 ペイトンは割とそういうことは平気でやる。談合やら忖度やら、貴族社会ならば日常茶飯事にあることだが、こんな私的なことに流用するのはアデレードには抵抗がある。

 「侯爵家の娘だからって」と言われ続けてきたことが地味に精神を削っているから。


「ズルは駄目でしょ。それに黒魔術も掛けてないし」


 アデレードが返すとペイトンは笑った。


「君は変なところで真面目だな。黒魔術の対価を払うために言ったんじゃない。甘い物好きな君が指定する店だから、僕も食べてみたいと思っただけだよ」


 だったら今から予約して半年後に行きましょう、とアデレードは言い掛けて止めた。

 その頃には白い結婚は終わっている。

 わざわざバリバラから来るほど食べたいわけでもないだろう。

 第一、結婚期間が終了したら関係はなくなる。

 友達でもない。仮に仕事や旅行でノイスタインに来たとして、ペイトンと自分が再び会うことがあるだろうか。


「……旦那様は、ノイスタインに来るのは初めてですか?」


「いや、三度目だ」


「国外旅行ってよくするんですか?」


「学生の頃は見識を深める為に、長期休暇のたびに近隣諸国を回っていたな。どうして急にそんなことを聞くんだ?」


 アデレードは一瞬言葉に詰まったが、


「いえ、初めてのノイスタイン旅行なら、今日は観光案内しようかと思ったのですけど、三回目なら主要な観光地は既に回ってますよね。何処か行きたい所ってあります?」


 と尤もらしいことを適当に述べた。


「そうだな。君は休日にはどんな風に過ごしていたんだ?」


 難しいことを聞いてくる。

 大概家にいた。

 レイモンドが勉強漬けの毎日を送っている中で自分だけふらふら遊びに行くのは悪いと思っていたから、友達と出掛けたりはしなかった。


「えーと、姉達とカフェ巡りしたり観劇したりですかね」


 セシリアとディアナが、そんな自分を気遣って強制的に連れ出してくれていた。

 何も言わなかったけど、多分いろいろ察していたのだろう。


「旦那様って学生生活を謳歌してますよね。旅行とかクリケットとかボートとか。私ももっとやりたいことをやれば良かった」


 あの時は、それでよいと思っていたはずなのに、欲深い考えが頭をもたげてアデレードは、どっと後悔が押し寄せた。

 
「例えば?」


「え?」


「君のしたかったことってなんだ?」


「急に言われても困りますけど……制服着て下町を見物するとか。うちの学校は平民の子も通っているから制服着ていたら貴族ってバレにくいんです」


「従者もつけずか? 危ないだろ」


 ペイトンは露骨に顔を顰めた。正常な反応。だから、皆、親には内緒で出掛ける。友人と、或いは恋人と。


「一時めちゃくちゃ流行った小説の影響です。家族と折り合いが悪くて孤独な公爵令嬢が下町のパン屋の青年と恋に落ちる話」


「身分的にそんなの無理じゃないか」


 ペイトンが素気無く言うのでアデレードは笑った。


「架空の話なんで。それに青年は隣国の王子だったってオチなんですよ。王都の北側のブルーメ商業区をモデルにしているから、二人がデートした場所をまわるのが流行ったんです」


「主人公を真似てお忍びで出掛けるわけか。確かに、分別のある大人がすることではないな」

 
 ペイトンが皮肉げに言うので、アデレードはちょっとムッとした。が、


「まだ間に合うのじゃないか?」


 とペイトンの続けた言葉に気が削がれた。


「間に合うって?」


「君、後五日は学生じゃないか。やりたいことやったらどうだ?」


 分別のある大人がすることではないんじゃないですか? と嫌味な返答が浮かんできた。

 多分、そのまま言葉にしたら「いや、違うんだ」と言い訳するのに百万リラ賭けてもいい。


「制服着て?」


「着たかったら着るといい」


「いえ、それはいいです」


「……そうか」


 ペイトンが微妙な反応をする。


「制服着た方がいいですか?」


「だ、誰もそんなこと思ってない。君が着たければ着ればいいと言ったんだ。学生時代のやり残しをするんだろ」


 ペイトンがあわあわ言うので、アデレードは笑った。

 確かに、学園生活の思い出作りなら制服を着た方がよいのかもしれない。でも、


「やっぱり制服はいいです」


 やり直しの思い出づくりじゃなく、ペイトン・フォアードとの思い出を作りたいと思ったから。
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