悪魔の頁

kawa.kei

文字の大きさ
上 下
34 / 65

第34話

しおりを挟む
 子供のゾンビに気を取られて周囲の警戒が疎かになっていた事は否定しない。
 だが、それを差し引いても周囲に蠢く気配が現れたのは異常だった。
 闇から無数の怪物が黒河を取り囲むように現れる。 

 「……あぁ、畜生、そういう事かよ」

 怪物はどれもあちこちが欠損していたり、致命傷と思えるような傷を負っていた。
 どう見ても残らず死んでいるが、さっきの子供と同様に何らかの手段で動かされているのだ。
 生ける屍、ゾンビ。 そんな単語が脳裏を過ぎる。

 ――世の中はなんて不公平なんだ。
 
 黒河の胸中にはどうにもならないと諦めが満ちる。
 自分にもこんな便利な魔導書があればもっと楽に勝てただろうに。
 何せ、他の参加者が怪物を殺しているはずなので、歩き回るだけで死体を調達できるのだ。

 そして自分は安全な場所で高みの見物を決め込めばいい。
 自分と比べる事で黒河の胸に劣等感が湧き上がり、誰か知らないが楽して勝とうとしている者に対しての怒りが込み上げる。 せめて一矢報いるべく、魔導書の第五位階を開放しようとして――

 ――腐肉に群がる獣のように殺到した死骸の群れに呑み込まれた。


 帆士丘ほしおか 熊耳ゆうじはゆっくりと血溜まりに沈んだ魔導書を拾い上げる。
 二冊分もあったので、ついているなと内心で喜ぶ。
 やはり自分の魔導書は最強だ。 齧られ、潰された魔導書の持ち主――黒河の死体は原形をとどめていないような有様だったので魔導書の能力で死体を使役する事はできそうになかった。

 『04/72ガミジン』の能力は死体の使役だが、流石に自力で移動できないレベルまで破壊されると使い物にならない支配下に置く意味がない。
 これで魔導書が三冊。 病の治癒と水の操作の二種類だ。
 戦力は足りているのでこういった支援系の能力はありがたかった。 熊耳は運は自分に向いていると強く感じており、進めば進む程に自身の勝利を確信できる。

 ちらりと視線を黒河だった肉片から首から上が砕けた死体に移す。
 囮としては役に立ってくれたので、無駄にはならかったとは思うがこれ以上は使えなさそうだ。
 支配を解いてただの死体に戻す。 個々の戦闘能力は低いが、物量は全てを圧倒する。

 どれだけの強さだろうと『04/72ガミジン』の強さは無敵だ。
 熊耳は得意げに笑って奪ったばかりの魔導書の能力で水を生み出し、喉の渇きを潤す。
 自分の手を一切汚さずに殺人を行った彼に罪悪感の類は存在しない。

 あるのはゲーム感覚で獲物を仕留め、ドロップアイテムを手に入れた程度の感想だった。
 魔導書が増えればやれる事が増え、レベルが上がるように行動の幅が広がるのだ。
 この魔導書を持ちかえる事ができるなら自分は世界の支配者にすらなれるのではないか?

 そんな錯覚を抱けるほどに彼は万能感を抱いていた。
 
 「はは、魔導書ガチャに外れた奴は気の毒だよなぁ」

 嘲るようにそう呟き、自分の幸運と優位を誇る。
 わざわざ言葉にしたのは話し相手が居ない事による独り言だ。
 それでも孤独感は徐々にだが、無自覚に彼の精神を蝕む。 気が付かずに彼は気持ちが大きくなり、誰でもいいからかかって来いよと得意げに叫ぶ。

 答える声はなく、この広い空間に反響する。
 大抵の人間であるなら他に見つかるリスクと絶対にやらないであろう行為だが、今の自分は無敵だと信じ切っている彼は憚りもしない。

 ――だからこそ、使役している存在を通して新たな敵が現れた事にも手間が省けたとしか感じない。

 「ふっ、上手く隠しているつもりだろうが、闇そのものである俺には無意味」

 熊耳が率いる軍勢の前に現れたのは一人の少年だった。
 手で覆うように顔を隠しており、指の隙間から鋭い視線を眼前に向ける。
 
 「死者を操る、か。 差し詰め死者の王、死霊の主。 なるほど、俺と戦うに相応しい敵のようだ」

 誰に言うでもなく、少年はブツブツとそう呟く。
 
 「光と闇は相容れないが、闇と闇は惹かれ合う。 だが、俺はその闇すら喰らう真なる影、俺とお前は戦うしかない運命だ」

 一応、熊耳にもその声が聞こえていたが、言っている事はあまり理解できなかった。
 ただ一つ分かる事はある。 目の前で格好つけたポーズで突っ立っている男は厨二病を拗らせた馬鹿だという事だ。 共感できなくもないが、同じ共感でも共感性羞恥で見ていて恥ずかしい。

 殺す事は最初から決めていたが、さっさとしようと怪物の死骸の群れを嗾けた。
 さっきの男と同様圧倒的な物量の前にプチリと潰されて終わりだ。
 後は魔導書を回収して次に行けばいい。 熊耳は自分の勝利を欠片も疑っていなかった。

 ――次の瞬間までは。

 死骸が何かに斬り刻まれて周囲に散らばる。 
 手持ちの魔導書の能力は視界を確保してくれるものではなかったが、使役している死骸と多少の感覚は共有しているので嗾けた怪物が数体斬り刻まれた結果だけは分かった。

 「ふ、所詮は魂なき器。 俺の闇に引き寄せられる憐れな存在、か。 悪魔によって縛られし魂よ、我が力の前に消え去るがいい!」

 何が起こっているのかさっぱり分からないが、高速で移動して次々と死骸が斬り刻まれて行動不能されて行く。 さっさと押し潰せと指示を出すが、少年が何処にいるのかすら分からない。
 
 「死神の鎌は不可視にして必殺。 それは俺が死を体現した存在だからだ」

 声のしたであろう場所に攻撃を仕掛けさせるが、手応えが全くない。
 
 「闇は闇ゆえにそのかいなをすり抜け、誰にも捉える事はできない」

 ここに来て熊耳の胸に焦りが生まれる。
 一体何なんだこいつは。 痛々しいセリフを垂れ流しながら徐々にだが、確実にこちらに迫ってきている事だけははっきりしており、焦りと恐怖心で鼓動が速くなる。

 「闇は存在でありながら概念に近い。 そしてこの戦いは俺達が神へと至る為の試しの儀式。 死者の王よ、貴様もまた神に至る器の一つなのだろう」

 距離的にもう目視できるぐらいだ。 
 
 「だが、お前はその器ではない。 何故なら真に神に至るのは不正の器を従えしこの俺、疑神プセウドテイだからだ」
 「ふ、ふざけるなこの厨二野郎! 殺せ、そいつを殺せ!」

 死骸の群れは闇雲にいるであろう場所に攻撃を繰り返すが、その全てが空を切る。
 
 「ふっ、ここに来て馬脚を露したか。 死者の王よ、王たる貴様がその体たらくでは家臣が泣くぞ?」
 「うるさい! 死ね!」

 熊耳はついさっき奪った魔導書を使おうとして――

 「遅い。 闇に呑まれるがいい」

 ――首を何かが通り過ぎて、意識がぷっつりと途切れた。
しおりを挟む

処理中です...