悪魔の頁

kawa.kei

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第56話

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 男はキイキイと椅子を揺らしながらそろそろ終わりが見えている盤面を見つめる。
 残っているのは固まっている一団と少し離れたところを移動している一人のみ。
 勝者はほぼ決まったようなものだった。

 『44/72シャックス』が最後まで勝ち残るとはと男は予想外の結果に少しだけ驚きを露わにする。
 『64/72フラウロス』や『68/72ベリアル』辺りが勝ちあがるもと思っていたので、危険ではあるが戦闘能力がそこまで高くない『44/72シャックス』は早い段階で脱落するとさえ思っていた。

 だが、蓋を開けてみれば結果はこれだ。
 単純なスペックだけでは様々な要因が介在するこの世界で勝ち続けるのは難しい。
 勝率と結果は別なのだ。 そう考えた男は小さく笑う。

 自分よりも遥かに強い相手を喰らって成長する少女を見て、少しだけ救われた気持ちになったからだ。
 そう、生まれながらに弱者であったとしてもやり方次第で強者を屠れる。
 これから自分がやろうとしている事の成功例を示してくれたのだ。 見ていて気分が良かった。

 男はふと膝に置いた魔導書に視線を落とす。
 二体分の悪魔の力を宿した魔導書だ。 参加者に持たせたくなかった代物なので、自分の手元に置いておいたものだった。 魔導書を眺めているといつも考えてしまう。

 ――悪魔とは何なのだろうかと。

 『11/72グシオン』の能力を高位階で使用すればその謎にも手が届くだろう。
 だが、知る事は命と引き換えになる。 悪魔の成り立ちやこの世界の秘密には大いに興味はあるが、命と引き換えでは割に合わない。 この儀式が完了した後に試してみても良いかもしれないが、今の彼には知り得ない情報だった。 

 それでも興味がある事柄ではあったので考察だけは進めている。
 悪魔や天使、日本では妖怪などの方が馴染みが深いだろうか?
 祐平は悪魔や怪物をインターネットミームと表現したが、男の認識もそれに近かった。

 人々の恐れや祈りが形を成した空想の存在。 妄想が実体化するなどあり得ないと魔力の存在を知る前であるなら彼はそう断じただろうが今は違う。
 魔力の存在、そしてそれを操る魔術の実在。 この世にはあり得ないなんて事はないのだ。

 魔導書開発の切っ掛けとなったのは彼の異能だった。
 効果範囲内の空間で何が起こっているのかを完全に把握する能力。
 それを用いて魔術の研究を行った。 伝え聞く魔法陣は片端から試し、怪しいグッズにも手を出した。
 
 その過程で彼はある事に気が付いたのだ。 
 とある図形を刻むとそこに魔力が流れ込む事を。 それが魔導書開発の第一歩だった。
 彼は空いた時間の全てをその研究に注ぎ込んだ。 彼の能力さえあれば力の流れを感じ取れるので力が効率よく流れる形状を根気強く試し続けた。 本音を言えばフィクションと馬鹿にしていた部分もあった魔法陣はその一助となっており、彼の研究を大きく前進させる結果となる。

 円という形は非常に重要だ。 取り込んだ力を閉じ込めて循環させる。
 その機能に気が付けば後は早かった。 力を閉じ込め、用途に応じて加工する図形を探すだけだったからだ。 普通の人間には魔力の流れが見えず、雲を掴むような話ではあったが彼は本来なら数十年、下手をすれば数百年と何代にも渡って完成に近づける研究を僅か数年で成し遂げたのだ。

 ソロモン七十二柱と呼ばれる存在を引き当てたのは偶然だった。
 最初の一体を引き当てた時点で彼の研究は一先ずの完成となったからだ。
 その悪魔から得た知識は非常に有用で七十二柱に限定すれば安定かつ簡易的に呼び込めるツール――魔導書を生み出す最後のピースだった。

 内部の式を弄れば他の存在も呼び込む事は可能だが、完全に法則を理解した訳ではないので何が現れるのかが分からなくなってしまう。 悪魔のように料金を支払えば素直に言う事を聞いてくれる存在であるなら大きな問題は起こらないが、そうでなかった場合はとんでもない事になる。

 彼は自由になる為の力は欲しいが世界を滅ぼしたい訳ではないので、必要以上の混乱と人死にが出るような事態は可能な限り避けたいと考えていた。
 だから今回の儀式も必要最低限の人数で行う事にしたのだ。 七十という数は彼がしばらくの間、魔導書を安定して扱えるエネルギーを賄う為に必要な数だった。

 この大迷宮を俯瞰して眺める事が可能であるなら巨大な魔法陣を連想する形状をしており、ここで死亡すればその魂はエネルギーとしてこの迷宮が吸い上げ、中心――彼が居る場所へと集まる。
 怪物でも代用は利くが、何故か変換効率で大きく劣るのでこればかりは人間でなければならなかった。

 これは儀式でもあるので実質的な意味でも形式的な意味でも生贄は絶対に必要なのだ。 そしてもう一つ、彼には事を急ぐ理由があった。
 男の所属する組織が研究に気が付き始めていた。 正確にはまだ気付いていないが、何かしていると疑われており、調べられている気配があったのだ。

 力を得てからならば問題はないが、今の段階で襲われると返り討ちにするところまでは何とか可能ではあるが、第四位階以上の行使が必要になる。 その為、下手をすれば相打ちで終わってしまう。
 現状、彼以外にこの空間への侵入法を知っている者は居ないはずだが、同系統の能力者が居れば発見される恐れがある。 急がなければならない。

 大人数を一度に誘拐する必要があったので転移の魔法陣をあのフードコートに仕込み、範囲内に七十人が揃ったと同時に起動する仕掛けだ。 多すぎても少なすぎても発動はしない。
 本来ならもっと効率的な方法を探すつもりではあったが、もはや探している時間はない。

 ここまで派手に動いた以上、組織も調査を行うだろう。
 そうなればそう時間もかからず彼に辿り着くはずだ。 彼は自らの所属している組織を非常に高く評価している。 

 ――時間、時間さえあれば。

 言っても仕方のない事ではあるが、時間さえあればもっと安全な手段を取っていた。
 怪物を地道に仕留めてエネルギーを溜めるという手段でも良い。
 だが、仕留めるのにも魔導書が必要なのだ。 一人でやるにはどうしても効率が悪い。

 この迷宮に送り込まれた者達の役目は一体でも多くの怪物を仕留めてから死ぬ事だ。
 魔導書を使用すれば内蔵エネルギーは減少するが、怪物を仕留めただけ相殺される。
 この儀式の目的はエネルギーの回収だ。 流石に魔力を数値化できる技術はなかったので、悪魔に調べさせた結果、七十人分あれば減った分を差し引いても第五位階を戦闘で数回使用できる程度には溜まる。

 当面はそれだけあれば充分だ。 組織を滅ぼし、自由になる。
 彼は若干の焦りと目的の達成に興奮が混ざった事によって歪んだ笑みを浮かべた。
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