弓張月異聞 リアルチートは大海原を往く

Ittoh

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南洋紀行

南洋紀行 2. 錯綜する思惑

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大船の屋形で、扈成がからかうように、李俊へ言った。
「竜姫は、見事な女であったろう、李俊」
「扈成殿が忘れられぬと言ったのが解る、綺麗な姫であった」
「そうであろう、そうであろう」
そう言って、扈成は、女達の部屋へと入っていった。洗衣院から逃がした女達の内で何人かは、結果としては、扈成の側室となっていた。
 そんな様子を苦々しげに見ながら、李俊は、
「傍の男は、凄かったな、倭国きっての丈夫であろうな」
 身の丈で七丈となれば、梁山泊でも巨躯で通る。あの丈夫は、黒旋風のような力強さと、林教導(豹子頭)のような凄みを持っていた。
「しかし、梁山泊を知っておった、かなり詳しいようじゃ。油断はならぬ」
 李俊は、出洞蛟や翻江蜃のことまで知っていたことに警戒していたが、倭国の者達にとっては、まぁ御伽噺で聞いていた、梁山泊の英雄達が実在して、様々な英雄譚を金国から逃げてきた者達に話を聞いて、集めた本や舞曲が白拍子や版元によって、様々な形で捌かれているとは、知る由もなかった。
「ほぉ、梁山泊とは懐かしいな」
燕青と子供を抱いた師師が、岳飛の子供達と一緒にやってきた。起きた事の確認に来たようだ。
「燕青。倭国の海まで来ておったようじゃ、すまぬな」
「ははは、李俊、あの嵐を生き残ったのだ構わんさ。俺は、師師や子等と一緒ならば良い。それに」
燕青は、師師が抱く子等を撫でながら、言い繋いだ。
「扈成殿には悪いが、倭国に来て良かったとも思っている。金国となった土地で暮らすのも嫌だが、岳飛殿を謀殺する様な宋国にも行きたくは無いからな」
「ま、それは、俺も賛成だな、燕青」
二人がそんな意思を交わしていると、
「李俊殿、燕青殿。俺は、父や兄の無実を晴らしたいのです」
岳霖が必死で縋るように叫ぶ、それを抑えるように李俊は、
「岳霖殿、宋国へ戻れば、無実を晴らせぬまま殺されるのは、その方達だぞ」
「そんなッ。扈成将軍は、甥の趙成式殿下と玉璽があれば、立太子となって父の無念を晴らせると」
詰め寄る岳霖へ、冷や水をあびせてきた娘がいた。
「趙成式殿が、誠に立太子されればですわね、兄様」
「安娘。将軍の言葉だぞ」
「はッ。父様も将軍でしたよ。兄様。悪臣の秦檜が、そのようなことを許すとは思いませぬが、どうやって秦檜を倒すのです」
あれやこれやとかしましく騒ぎが続くのでありました。議が議を呼んで、評定は百家迷走し、議決できずというのは、このことでございます。
 あれやこれや、言い合いを始める兄妹を置いて、李俊は、甲板へと出て行った。
 甲板に出ると、倭船を見張っていた出洞蛟からの報告が入ります。
大兄貴だぁにぃ。造るに手間がかかる、白漆喰が、倭国では量を造れます。あの船は、白漆喰で造られた船と見ました。近寄ってこんのは、あまり知られたく無いようです」
「見事よな。白漆喰が大量に使えるなら、この李俊も造ってみたい船よな。近寄ってこないのも判る。だが、帆が小さいな」
「奴等が乗ってたのは、話に聞いた本物のミヅチだぜ、大兄貴だぁにぃ。船を曳いているのもミヅチじゃねぇかって思う」
「ミヅチか、凄いものだ。大量に使うことができるなら、海の戦は根本が変わるぞ」
「乗ってみてぇなぁ、大兄貴だぁにぃ
「俺もだよ。出洞蛟童威」
そこへ、女官が一人やってきた。
「こちらでしたか。李俊様」
「閻月媚か、どうした」
「いえ、そろそろ、夕餉の支度をせねばと、李俊殿へ聞いて参れと」
本来は、一年分の食料を積んで出たはずだが、扈成が洗衣院から助け出した女達と毎日のように宴となり、食料が半年分がなくなっていた。そのことから宴を取りやめたのは、李俊の指示であった。閻月媚は、元は、皇帝の妃嬪であったが、金国に拉致されて、洗衣院から助け出された際に、李俊に惚れこんでいた。
「今日は、いつも通りだ。贅沢は許さん。後、銅銭と金の用意をしておけ、食料が買えるやも知れぬ」
「それは、ありがとうございます。太皇后孔令則様に申し上げて参ります」
「太皇后?」
「はい。扈成様が、そうお呼びするようにと」
「面倒だな。閻月媚、お前は、先に着いた島で俺と暮らすでも良いか」
「あの島は、何もありませんでしたが、平穏で暖かな島でございます。わたしには十分でございます」
「他の者は、どうか」
「半数は、島での暮らしで満足しましょう、開封へは戻れず、故郷も金国の領土なれば帰る家もありませぬ。南の宋へ戻っても、洗衣院で男に身体を開いてきた暮らしが、この身体から消えることはありませぬ」
哀しそうな、閻月媚を抱いてギュっとすると、李俊は、
「わかった。おそらくは、分れることになろう。女達には、選ぶように伝えておくが良い」
大兄貴だぁにぃッ」
「ここで、分かれるぞ。扈成に付き合うのはゴメンだ」
「わかりました。女達には伝えてまいります。あたしは、お傍にいてもよろしいのでしょうか」
「あぁ、月媚は、誰にも渡さん」
李俊とキスを交わして、閻月媚は、屋形へと戻っていった。それを確認して、出洞蛟は、
「しかし、大兄貴だぁにぃ。あいつらは船がありやせんぜ」
「あいつらには、倭国の船に乗せて湊に送ってもらえば良いさ、倭国の船には俺も乗って見たいが、どうかな」
 そこへ、燕青が一人やってきて言った。
「扈成に、この船をやれば良いのではないかな。李俊」
「燕青。お前も島で良いのか」
「子供もいるからな、あまり無茶をしたくない」
「俺の手下が五十、扈成の手下百か。無理に付き合うのは、厳しいな」
「あまり、無理をするなよ李俊。岳飛殿は、良き好漢であったからな、せめて娘御達は助けてやりたい」
「それは、まぁな」
 李俊とて、岳飛が良き好漢であったことは、わかっていた。故にこそ、岳飛が子の願いと、金国への意趣返しとして、此度の作戦に参加したのである。宋江の兄貴からは、逃げるだけで助けることができなかった。宋江の兄貴が、皇帝に心酔し死ぬだろうことも、理解できた。だからこそ、行きたいと願う者、逃げたいと願う者を助けたい。
 それは、梁山泊に集い闘った者達すべての思いだったように思う。「替天行道」「忠義双全」を掲げた思いは、李俊にとっても熱き想い滾らせる言葉だった。皇帝のためにではなく、虐げられた者、困っている者を助けるためならば、俺は命を賭けて戦える。
 梁山泊に集った者としての意地と誇りこそが、李俊を支えていた。俺に従って、梁山泊に集ってくれた、出洞蛟、翻江蜃、彼らを護るためにも、俺は宋江に従って、死が待っている開封へ行くことはできなかった。俺たちは、海賊だ。兄貴達ならばともかく、小奇麗なだけの官僚共や奸臣に従うなんぞ反吐がでる。
 扈成は、悪い奴じゃないが、自分が偉くなったような気分になっているのが気に入らねぇ。俺は、扈成てめぇの子分じゃねぇ。

 一羽の鷺が、舞い降りてきた。
「どうした。ん、これは」
足に文が結ばれていた。文を解くと、鷺は飛び去って行った。
『替天行道 忠義双全』
『凌振、流亡者倭国、倭国的貴族』
倭国へ凌振が、亡命して、貴族となった旨が描かれていた。
李俊は、出洞蛟に向かって、
「凌振が倭国へ亡命したそうだ」
「大砲屋かぁ、元気だと良いな、無事だったんだ大兄貴だぁにぃ
「兄弟が生きてたんだ。めでたいな。童猛に行って、酒一樽追加して来い。呑むぞ」
「判った。行ってくる」
童猛は、李俊の命令で、手下を率いて、倉庫の警備にあたっていた。
「ありがとうよ」
その言葉が、理解できたように、飛び立っていった。
「倭国の鷺は、言葉を理解できるのかもしれんな」
そんなことを思いながら、飛び去って船に向かう鷺の姿を追っかけていた。
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