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狭間にて

閑話休題:宵闇地理事情 その2

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  伊豆大島周辺は、昔から知られたこともあり、御蔵島までは、史実通りの名称を用いています。

  女護島は、史実では八丈島の小島のことであり、女ばかりの島ということではなく、ミヅチ衆の夫婦やミヅチの妻が住む島という意味合いとなります。女護島は、賀茂斎宮に寄進されていますが、伊豆国府に知られていなかったこともあり、伊豆国には入っていませんでした。

  鬼ヶ島は、史実では青ヶ島のこととなります。鬼ヶ島は、坂東の鬼衆が逃亡先として、難波には知られていましたが、京洛には知らされていませんでした。噴火が起きたことで、住吉大社を中心として渡辺党の支援を受けて、再建に努めたこととなります。

 女護島と鬼ヶ島という名称は、滝沢馬琴先生の椿説弓張月からのインスパイアされた作品を明記する上でも、表記に使用しています。

 嵯峨諸島は、史実上の位置について、小笠原諸島をイメージしています。宋ヶ島が父島で、母島が嵯峨女護島となります。





 南方嵯峨諸島は、トラック環礁をイメージしています。ちょうど、西暦で1000年ぐらいから、ある程度の大型カヌーの製造能力が上がって行って、航海能力が上昇した時期と考えられている。結果として、スターナビゲーションと呼ばれる、伝承航海技術が、太平洋の広大な領域を巡回するような航路を開拓していったのである。イースター島のモアイ像を造ったポリネシア人は、西暦で800年くらいから移住して、西暦で900年くらいから祭壇だけでなく、モアイが造られるようになった。
 ミクロネシアのナン・マトールも同じく、11世紀から15世紀に築かれた巨石建築物であり、為朝達は、ナンマトール島という呼び方をしている。強大な権力が無ければ、強大な建造物を造ることはできない。

 南太平洋を、押し渡るように広がったラピタ人が、紀元前千年くらいから、広がって行ったと考えられる。当時の遠洋航海は、始まりが華南や台湾であったと推定されることから、ラピタ人を含めたオーストロネシア語族の拡がりは、紀元前の大航海時代と呼べるものであったと推定される。
 華南、台湾、琉球といった地域から大航海時代が生まれて、太平洋、インド洋を押し渡るように広がって行った。西は、マダカスカル、北にハワイ諸島、南にニュージーランド、東がカナダとチリという流れを生み出している。

 時代の流れの中で、世界史からは忘れられたような雰囲気があっても、膨大なエネルギーを持って、大海原を駆け抜けた民族があったことは間違いない。

 こういった太平洋の貿易圏を、ひとつの経済圏として形成していくのも、宵闇物語のひとつであります。



 海鳥島が、ミッドウェー環礁で、ハワイキはハワイ島をイメージしています。


 竜胆は、最初の開拓地が、バンクーバー島の南、Esquimaltで、Victoriaに向かって開拓が進んでいくイメージとしています。竜胆愛宕山がMt.Frommeをイメージして、竜胆稲荷山はOlympic Peak山系がイメージとなります。



 西洋世界から、ヴァイキングが、最初の開拓地としてのヴィンランドは、史実上では、ニューファーランドとなっていますが、その地だと北過ぎることもあって、最初の開拓地をボストンの北にあるNahantとしています。Nahantが手狭になったことで、南に開拓地を移転させてLong Islandに移っていくという感じです。



 この時に分かれて五大湖に向かっていく時に遡上した川が、レイフ・エリクソン川が史実上では、セントローレンス川となっています。



 部族衆が集まって、協議をおこなっていく場所として、ロングハウスが建設されたのは、現在のミシガン湖西岸地区で、Milwaukeeをイメージしています。山々から東へ進んだ、愛宕衆とミヅチ衆がスペリオル湖西側Duluthへ辿り着いたとイメージしています。
 ここからミズチ衆は、五大湖周辺から大西洋へ進出します。
 五大湖を中心とした沿岸部族連合体による衆議体制の構築が、史実で言うイロコイ連邦の始まりとイメージしています。



 南方ヴィンランドは、史実イメージではキューバで、ベネゼエラのマラカイボが百雷のイメージとなっています。



 水滸伝の英傑李俊が築く南の王国は、ミンダナオ島のダバオをイメージとしています。



 琉球は、そのまま沖縄のイメージとなります。



 後に出てくる、北インカの地域は、San Franciscoに避難民の町を造る形となります。疫病の影響もあるため、竜胆からは、かなり遠く離れた地に建設されます。
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