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WWⅡの太平洋戦争は、始まる前に負けていた戦争であった

大日本帝国から見た太平洋戦争

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 昭和16年夏、日本は敗戦した。

 これは、内閣総力戦研究所で模擬戦シミュレートした結果である。

 猪瀬直樹氏が描いた、「昭和16年夏の敗戦」に詳しく書かれている。

 当時の日本がおかれていた政治体制や状況等については、倉山満氏の「お役所仕事の大東亜戦争」「負けるはずがなかった太平洋戦争」に詳しく書かれています。





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 ① 太平洋戦争は、アメリカの仕掛けに、日本が乗った戦争である。
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 ② 日米は、双方ともに、昭和16年に戦争する、理由も必要も無かったのも事実である。
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 ③ 太平洋を東西に分ける覇権国家として、日米の未来予想図は、アメリカに不利である。
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 困ったことに、太平洋を東西に分ける覇権国家として、日米の未来予想図は、アメリカの凋落を示すものだったのです。欧州経済を破壊した第一次世界大戦以降、日本は、工業的にも経済的にも、アメリカに依存するようになっていました。

 欧米に黄色人種脅威論黄禍論を欧米人が肌に感じるのは、日露戦争からであろう。日露戦争に圧勝してしまった日本は、世界の大国になり、ドイツのヴィルヘルム2世のように、日本を危険だと論じるようになったのである。

 第一次世界大戦で、アメリカが大西洋を渡って欧州支援したように、日本は太平洋と大西洋を渡って、イギリスへの支援をおこない、ドイツ領であった青島の攻略、太平洋のドイツ領であった島嶼攻略を実行したのである。

 軍事費の拡大と財政圧迫から、金食い虫である、海軍軍縮条約が交渉されるようになった。

ワシントン海軍軍縮条約 1922年2月
 主力艦の総トン数比率を、米・英・日・仏・伊の間で、5:5:3:1.6:1.6とする。
ロンドン海軍軍縮条約 1930年1月
 主力艦の比率延長、補助艦艇の比率を米・英・日の間で、10:10:7(6.97)とする。





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 50年で、日本は世界大国となった。
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 1854年3月に日米和親条約を結び、1868年に明治元年となり、「富国強兵」を国是として、日本の総力戦が開始された。

 19世紀末、イギリスとロシアの間で争われた、シーパワーとランドパワーの争いは、1902年に日英同盟を組んだ結果、1904年に始まる日露戦争に日本が勝利したことで、イギリスの勝利となった。






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 50年で日本は、世界大国となった。大事なことなので、二度書きます。
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