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獅子宰相と呼ばれた男

強者の倫理07 「特区」八紘雑記

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 昭和 5年(1928年)北京にアメリカ軍駐留キャンプが建設される
 昭和 6年(1929年)アメリカ、株価の大暴落暗黒の木曜日始まる。
           アメリカと中華民国との間で、駐留軍について協定締結
 昭和 8年(1931年)イギリス金輸出禁止
 昭和 9年(1932年)アメリカ金輸出禁止
           ソ連軍撤退と中共停戦協定交渉開始
 昭和10年(1933年)アメリカ、国家資本として、上海に自動車工場建設
           中共停戦協定締結
           北京自治政府保安隊、アメリカ軍憲兵隊襲撃(公安門事件)
           北京国民革命軍、アメリカ軍キャンプ襲撃事件発生(北平事件)
 昭和11年(1934年)国民党と共産党の和解、国共合作
           北京アメリカ移民居留地区で、大量虐殺事件(通州事変)
           アメリカ軍による、北京占領
           リットン調査団派遣「国際連盟米支紛争調査委員会」
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 大陸の関東地方とは、山海関の東側を示す言葉で在り、清帝国の本拠地でもあった。満洲を含めた「特区」は、山海関の東で在り、関東地方とも呼ばれたのである。八紘とは、八つの方位であり、四方八方である全周囲を示すことから世界を意味する言葉として使われていた。晋の武帝が、蜀、呉を滅ぼした時、天下を統一することを、「八紘同軌」と表現したそうである。八紘一宇とは、世界は一家であり、人類は皆兄弟であるという発想である。

 日露戦争の結果として確保された、遼東半島は、日本の租借地であり、大連には、関東都督府が設置された。満洲鉄道がロシア帝国によって、建設が進められ、奉天から遼陽の鉄道まで接続されたことで、大連からサンクトペテルブルクまでを結ぶ路線が日露双方で完成したのである。相互乗り入れを前提としたため、ロシア帝国の5フィート広軌を標準軌道として、大連に関東工兵隊が編成された。工兵隊の業務は、鉄道の敷設、車両の組立維持管理を中心とした技術兵であった。技術兵を育てるため、大連に工務学校の前身となる工兵学校が建設された。読み書き算ができなければならないこともあり、工兵学校は尋常小学校相当の読み書き算に2年間、工兵教育に2年間の計4年間を期間としていた。尋常小学校を卒業している兵は、工兵教育から受けることができた。

 第一次世界大戦末期にロシア帝国が崩壊し、共産主義国家が建国されると、日本はイギリスやアメリカを引き込んで、満洲鉄道利権、シベリア鉄道利権の確保を求めた戦争を開始した。日本では、第二次日露戦争と表記されている。

 アメリカ軍がウラジオストクに上陸し、シベリア鉄道の利権を奪取しつつつ西進すると、イギリスは、ウラジオストクおよびニコラエフスクといった沿岸の港湾権益、アムール川の航行利権を確保していった。





 昭和10年(1933年)満洲鉄道都市警備局は、総延長1000キロを越え、沿線67駅(軽便鉄道を除く)を数えた。拡大する路線事業だけでなく、発電所の建設や治水工事、道路建設、インフラに関する整備事業は、すべて満洲鉄道都市警備局の仕事となっていた。満洲鉄道都市警備局の社員数は、67駅50万であり、工務隊が35万を占めていた。帝国陸軍が、大陸へ派遣した、シナ派遣軍は20万であったが、支援する兵站の確保は、満洲鉄道都市警備局の業務でもあった。
 新たな路線となった、山海関から天津までを建設するにあたって、満洲鉄道都市警備局は、「諸族共和」「八紘一宇」を呼びかけていった。皇泰島を含めハバロフスクのイギリス人やオーストラリア人を含めたイギリス連合王国人、大慶油田を中心としてイタリア人、沿海州のアメリカ人、安東省のフランス人、各地に旧ロシア帝国人や旧清帝国人が住んでいて、日本人を含めて様々な人々が「特区」には集まっていた。

 「特区」の住民は、直接に国際連盟に税を納める、国際連盟市民であった。実態としては、張作霖を中心とする北洋軍閥、旧清帝国王族を中心とする愛新覚羅一族、蒙古馬賊や旧ロシア帝国軍といった有力者が勢力争いを行っていた。「特区」からの税収は、国際連盟の運営費であり、徴税を代行して行っていたのが、満洲鉄道都市警備局であった。
 満洲鉄道都市警備局は、各駅を市の中心地として、各地の有力者を市長として、有力者の許諾した市民を徴税対象としたのである。市民が選ぶのが、市長で在り、市長が市民に対して市民権を許可するのである。

 市長の座を巡る争いが、満洲の内戦であった。各駅および都市機能を維持するために駐留する、満洲鉄道都市警備局工務隊は、ゴミ処理や上下水処理、診療施設等を担当と共に、市街地での警備を実施していた。有力者の私兵も、ゴミ処理を含めた都市の基盤整備事業を行っている工務隊には手を出さなかった。これは、基盤整備を重視していただけでなく、工務隊が攻撃された場合、帝国陸軍シナ派遣軍20万が即時展開して、殲滅したのである。

 「特区」における、大日本帝国は、ロシア帝国を敗北に追い込み、最終的には、ロマノフ家を亡命させて無地領主Landless Lordとし、ロシア帝国そのものを地図から消しさった国とイメージされていた。日本からの支援で、「特区」での地位を確立した、有力者にとって、満洲鉄道都市警備局は、最大のスポンサーでもあったのである。

 こうした事情もあって、満洲での内戦は、有力者間の抗争となっていた。各地で殺人や暗殺、喧嘩が発生していたが、大規模な内戦が「特区」で生じなかったのは、内戦による被害が権益の減少となったからである。

 市長の業務は、市民権を発行することと、市民から税を徴収することにありました。市民一人あたり年6円が「国際連盟」への税収であり、税金の金額は市長に決定権がありました。一人あたり年10円前後であったと推定されています。工業の中心が、奉天から哈爾濱の工業地帯とすれば、黒竜江水系を基盤とする、農林畜産業の中心が斉斉哈爾であった。ドイツのジャガイモ生産技術やイギリスの畜産技術を導入し、遊牧生活から定住生活への移行も進んでいた。特に、中華から避難してきた難民は、工務隊による治水事業で拡大した農地が市長に売却され、難民への支援に充てられていた。大陸からの難民が増加すると、治水事業は拡大する一方となっていた。

 遼東半島を含めて、有力者が緩衝地区とした駅では、満洲鉄道都市警備局の駅長が市長を兼務していたた。関東都督府は、日本からの移民受け入れを、各地に工務学校を建設することで、対応していたのである。日本からの移民は、工務隊に所属し、工務学校に入学した。工務隊で働く傍らで、工務学校で機械・電気・建設といった科に分かれて技術・技能・科学を修得し、都市基盤の維持に努めたのである。
 遼陽を中心に19駅で20万の日本移民を受け入れていた。彼らを労働力とした、治水工事事業の開始と墾田開発から、20万人のために水田を建設したのである。流民の増加から、熱河省についても、治水工事と墾田開発が進められ、20万人のために、治水工事が開始され、土木建設工事を公共事業として、人手を集めて遂行したのであった。

 関東都督府の管轄地域は、遼東半島だけで在り、関東地方は「特区」であって、都督府の管轄地域外であった。関東工兵隊は再編され、エリート将校は、内地もしくは関東都督府に戻された。鉄道および都市の基盤を維持するために必要な、技術兵を中心とした工務隊として編成されたのである。

 工兵隊は、泥臭い、下水処理やごみ処理を含めた、インフラ工事に対応して、業務を遂行していた。エリート将校は、戦闘や無線や電信などの先端技術には興味を示すが、下水処理やごみ処理等を、作業として嫌っていた。結果的に、エリート将校が、下水処理やごみ処理をしてくれないのであれば、工兵隊に所属される方が、問題が大きくなる。結果として、エリート将校は、内地や関東都督府に戻すことで、責任処理を継続的に遂行していった。下水処理等の泥臭い仕事は、大連工兵学校の卒業生を中心とした構成員の業務となった。
 後には、郵便配達、電信・電話といった、物流と通信のインフラすべてが、工務隊の業務となっていった。
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