琉球お爺いの綺談

Ittoh

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はじめての世界大戦

ifはじめての世界大戦後 「特区」の開発資金は、定額手形で

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 if日本経済の要、兌換紙幣と定額手形
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 国際商取引の基本として、金本位の兌換紙幣がビジネスで必須となるのは、自国の都合で金取引の禁止再開を決定できる欧米諸国家である。金融恐慌が波及する中で、イギリスの金取引相場の禁止再開のダメージを受けたのは、アメリカと日本である。

 日本円そのものに価値は無く、商取引決済の基本が、外貨であったことは、はじめての世界大戦で最も日本にとってビジネスし難い状況を生み出していた。日本は、外貨を獲得しなければ、海外との取引ができないのである。

 外貨獲得のため、政府は横浜正金銀行等に出資して、外貨獲得のために奔走したのである。しかしながら、日本経済が輸入超過に傾いていたため、横浜正金銀行の活動は厳しく、ハイリスクーローリターンであることが多かったのである。

 世界経済を相手に、四苦八苦する中で、金を集めることは、難しいものであった。

 外貨を獲得できなければ、国際商取引はできず、大正12年(1923年)関東大震災による被害は、さらに海外へ富が流出し、大きな経済的な打撃となる。

 震災の復興は、国債を海外に売却することで対応を図ったが、寄付金を含め復興資金を潤沢に用意することは難しかった。民心の一新を図り、新たな時代を築くという意味でも、大正13年を生前退位と共に、改元の年とすることを決定した。これは、昭和元年を大喪で迎えるのではなく、長期療養をおこなうための改元、新帝即位の年としたのである。


 関東大震災は、帝都を焼け野原にした大災害であり、周辺地域にも大きく影響を与えていた。震災復興は、再開発と共に、明治4年(1871年)、太政官達による県治条例中の「窮民一時救助規則」で、米の支給(15日分)や家屋建築費貸与、農具代種籾の貸与が規定されて、復興支援の基本となっていた。また、明治10年(1877年)、租税の減免や徴収猶予を定めた「凶歳租税延納規則」等が作られていた。江戸期の御救い小屋に相当する形で、各地の復興は、政府の後押しもあって進行したのである。

 問題は、税が入らないのに、政府資金が失われるという課題である。

 国債を海外で売却するには、利子が嵩み、さらに大きな借りを海外から受ける。それに、日本は震災国家であり、毎年来る台風を始めとして、日本各地で被害が生じることに備える必要があった。つまり、どこかで金を造り出さなければならない、これが至上命題となる。

 高橋是清大蔵大臣に登場してもらい、公務員俸給を原資として、無利子無期限の定額手形へ変換する手法をとった。つまり国家予算から、公務員俸給を原資に、政府発行の手形を振り出したのである。政府発行の手形は、税収が減額することへの対応し、国内での商取引について定額手形流通対応を必要とした。当初、金融機関では、定額手形を八割程度の割引が行われた。震災のニュースが国内で浸透する中で、地域の小売店での取引は、定額での取引が行われるようになったのである。また、税金や都市インフラの支払いといった公共料金等も、定額定形で支払えることが浸透すると、定額手形は記載価格で流通するようになったのである。

 「特区」の経済成長は、満洲鉄道都市警備局工兵隊の俸給も、定額手形で支払いが実行されたが、「特区」では、鉄道利益や都市インフラ費用で回収が可能であった。インフラ費用のほとんどを、満洲鉄道都市警備局に頼っていた「特区」では、無利子無期限の定額手形は、「特区」内で流通する紙幣として受け入れられたのである。

 震災復興の中で、海外に背負った、莫大な借金についても、公務員俸給を担保とした定額手形発行で回収することが可能となった。

 海外の日本統治地域では、定額手形が紙幣として流通する形がとれ、「特区」では、満洲鉄道都市警備局の予算そのものを定額手形発行で賄うことを可能としたのである。定額手形の発行は、当初、公務員俸給という発行制限が、外地開発資金そのものを賄うことができるようになったのである。

 遼東半島の関東都督府、台湾都督府、朝鮮都督府、南洋庁を含めて、定額手形を流通浸透させることで、開発予算確保を可能とした。樺太庁は、北洋庁と改名し、樺太だけでなく、沿海州への資本投下も開始できるようになった。北樺太オハ油田の開発が進み、if昭和4年(1927年)には、160万トンの生産を始められるようになった。これは、日本国内の原油消費量の30[%]から60[%]を賄う量であった。

 イタリアが発見した大慶油田、イギリスが発見した満洲里油田の開発も始まり、資本を投下していた日本は、国内で必要以上の原油を確保することが可能となり、大陸への石油製品輸出まで、可能となったのである。イタリアおよびイギリスとの商取引は、外貨を必要としたが、「特区」での商取引では、鉄道都市警備局の輸送費用と交換が可能であった。さらに、奉天でガソリンや灯油等への精製を開始することで、大陸での購入と販売は、定額手形で可能となったのである。

 if史では、地方開発も定額手形による決済が可能となり、外貨獲得をハイリスクで実行せず、ローリスクローリターンで可能となっていくのである。
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