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人は、神か獣か
日本国民というのは、日本国籍を選ぶモノである
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日ノ本の国民と呼ばれるのは、自分自身を、日ノ本に住まうモノと覚悟したモノである。
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日本国籍の取得で、最も重要なことは、他の国籍を放棄し否定することにある。
つまり、日ノ本に住まうモノとなるためには、他国のNationでもEthnicであることを否定し、日ノ本のEthnicとなることを選びとるモノである。
これからの日本という意味では、世界のいかなる国の国籍ではなく、日本国籍を選び取るモノということになるだろう。
21世紀の日本は、Ethnicが支える世界へと移行し、もういちど「まつろわぬモノ」を排除していく、つまりは神話伝承の日本を繰り返す時代へと移行する。
おそらくは、その中で、非常に厄介な殺し合いすら発生するとは思いますし、リンチや内部抗争も頻発する時代に移行するとも思います。日本のグローバル化を求め、現在も突き進んでいる状況というのは、こういった内部抗争や虐め、虐殺もまた許容範囲と言い切ることなのです。
ラグビーワールドカップでは、国籍だけでなく、居住地主義という考え方をしています。非常に多くの海外の方が、ラグビーの日本代表として参加しています。現在のラグビーの規定では、一人の選手は、特定の一つの国でしか代表になれません。
つまり、ラグビー日本代表は、日本から出ると決めた選手たちによる、日本チームということになります。グローバルという考え方の根底は、このような居住地主義によって、達成されると判断されているようです。
日本政府が考えるグローバルに開かれた日本社会
一.人が、自分が住まう土地を、世界中の中から日本を選ぶ。
二.自分が所属してきた、すべての国籍を捨てて、日本国民であることを選ぶ。
三.日本国民としての自覚を持ち、日本国民として行動する。
まずは、この三つの条件を満たすことが、Ethnicとして日本国民への道を開くこととなります。
基本として、他国籍からは、Ethnicにはなれますが、Nationにはなれません。Nationと言われるのは、上方や江戸っ子という考え方からすれば、三世代過ぎた頃からと言われます。水道の産湯を使うことが、江戸っ子の始まりという考え方もありますから、まずは生まれた時から日本に住んでいるということから始まるということになります。
まぁ、お爺ぃとしては、少なくとも、義務教育を終える頃に、日本人として生きる自覚を持つことが、日本人の始まりなのだろうと思います。現在の日本人の多くは、自分が日本人であるという意識はあっても、自覚は少ないのではないでしょうか。日本に住んでいて、日本国籍があれば日本人であるというのは、これからは認識が乖離していくものと考えられます。
海外から日本に来て、日本を住まいと定め、日本国籍を取得し、日本人であることを選んだ人の方が、時には日本人よりも日本人らしく生きるように思います。今、日本の伝統文化は、多くを海外から来た職人さんに、存続そのものを委ねています。おそらく、今の日本人が、当たり前のように、日本文化と主張していることは、ビジネスにはなりませんし、国家も金を十分に出すことはできません。日本人の手では維持できず、給料が安い海外からの職人さんにしか維持できないのだと思います。
伝統工芸になりつつある、アニメーションもまた、ビジネスとしては成立し難い業界であり、人件費が安い方へ仕事が移動します。さらに産業界にしても、情報関係のプログラミング業界では、コーディングは海外発注がほとんどとなっています。
「総論賛成、各論反対」
日本人とは、困ったことに、世界で最も説得することができない民族です。方向性そのものは賛成しても、個別のケースについては、必ず横槍を入れて、妨害をおこないます。論理ではなく、感情を優先し、論理を捻じ曲げて、感情優先の論理構築を図る、これが日本人の感覚となります。
日本の組織や体制は、様々な駆け引きの結果、公約数の中からいつのまにか選ばれて、全体のシステムを支配していしまいます。つまり、結果としては、すべての人に不満が残る形で決着します。だから、日本の政府が提出する結論は、誰も幸せにならず、ちょっとづつ不幸を共有して、ちょっとづつ幸せも共有する形で決着することが多くなるのです。
日本では、或るグループだけが幸せで、みんなが不幸になるのは、全員で互いに足を引っ張って潰します。日本では、全員がちょっとづつ不幸で、ちょっとづつ幸せで、割合が異なる。つまりは、全員に不満が残る形で決着しないと、成立しないという困った組織体制なのです。
日ノ本の国民と呼ばれるのは、自分自身を、日ノ本に住まうモノと覚悟したモノである。
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日本国籍の取得で、最も重要なことは、他の国籍を放棄し否定することにある。
つまり、日ノ本に住まうモノとなるためには、他国のNationでもEthnicであることを否定し、日ノ本のEthnicとなることを選びとるモノである。
これからの日本という意味では、世界のいかなる国の国籍ではなく、日本国籍を選び取るモノということになるだろう。
21世紀の日本は、Ethnicが支える世界へと移行し、もういちど「まつろわぬモノ」を排除していく、つまりは神話伝承の日本を繰り返す時代へと移行する。
おそらくは、その中で、非常に厄介な殺し合いすら発生するとは思いますし、リンチや内部抗争も頻発する時代に移行するとも思います。日本のグローバル化を求め、現在も突き進んでいる状況というのは、こういった内部抗争や虐め、虐殺もまた許容範囲と言い切ることなのです。
ラグビーワールドカップでは、国籍だけでなく、居住地主義という考え方をしています。非常に多くの海外の方が、ラグビーの日本代表として参加しています。現在のラグビーの規定では、一人の選手は、特定の一つの国でしか代表になれません。
つまり、ラグビー日本代表は、日本から出ると決めた選手たちによる、日本チームということになります。グローバルという考え方の根底は、このような居住地主義によって、達成されると判断されているようです。
日本政府が考えるグローバルに開かれた日本社会
一.人が、自分が住まう土地を、世界中の中から日本を選ぶ。
二.自分が所属してきた、すべての国籍を捨てて、日本国民であることを選ぶ。
三.日本国民としての自覚を持ち、日本国民として行動する。
まずは、この三つの条件を満たすことが、Ethnicとして日本国民への道を開くこととなります。
基本として、他国籍からは、Ethnicにはなれますが、Nationにはなれません。Nationと言われるのは、上方や江戸っ子という考え方からすれば、三世代過ぎた頃からと言われます。水道の産湯を使うことが、江戸っ子の始まりという考え方もありますから、まずは生まれた時から日本に住んでいるということから始まるということになります。
まぁ、お爺ぃとしては、少なくとも、義務教育を終える頃に、日本人として生きる自覚を持つことが、日本人の始まりなのだろうと思います。現在の日本人の多くは、自分が日本人であるという意識はあっても、自覚は少ないのではないでしょうか。日本に住んでいて、日本国籍があれば日本人であるというのは、これからは認識が乖離していくものと考えられます。
海外から日本に来て、日本を住まいと定め、日本国籍を取得し、日本人であることを選んだ人の方が、時には日本人よりも日本人らしく生きるように思います。今、日本の伝統文化は、多くを海外から来た職人さんに、存続そのものを委ねています。おそらく、今の日本人が、当たり前のように、日本文化と主張していることは、ビジネスにはなりませんし、国家も金を十分に出すことはできません。日本人の手では維持できず、給料が安い海外からの職人さんにしか維持できないのだと思います。
伝統工芸になりつつある、アニメーションもまた、ビジネスとしては成立し難い業界であり、人件費が安い方へ仕事が移動します。さらに産業界にしても、情報関係のプログラミング業界では、コーディングは海外発注がほとんどとなっています。
「総論賛成、各論反対」
日本人とは、困ったことに、世界で最も説得することができない民族です。方向性そのものは賛成しても、個別のケースについては、必ず横槍を入れて、妨害をおこないます。論理ではなく、感情を優先し、論理を捻じ曲げて、感情優先の論理構築を図る、これが日本人の感覚となります。
日本の組織や体制は、様々な駆け引きの結果、公約数の中からいつのまにか選ばれて、全体のシステムを支配していしまいます。つまり、結果としては、すべての人に不満が残る形で決着します。だから、日本の政府が提出する結論は、誰も幸せにならず、ちょっとづつ不幸を共有して、ちょっとづつ幸せも共有する形で決着することが多くなるのです。
日本では、或るグループだけが幸せで、みんなが不幸になるのは、全員で互いに足を引っ張って潰します。日本では、全員がちょっとづつ不幸で、ちょっとづつ幸せで、割合が異なる。つまりは、全員に不満が残る形で決着しないと、成立しないという困った組織体制なのです。
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