琉球お爺いの綺談

Ittoh

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正義の殺人と言う話をした

戦争は、犯罪ですか? 戦争は、国家の決闘ですか?

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 正義の殺人と言う話をした。
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 正義の殺人と言う話をした。

 ウェストファリア体制から生まれる戦争は、戦争が犯罪であるかどうかではなく、戦争の行き過ぎを制約するモノである。ウッドロウ・ウィルソンを含めて、19世紀後半から20世紀初頭にアメリカが描いた、平和な世界は、戦争そのものを「悪」として、理想を掲げた世界であった。でなければ、禁酒法などという、理想を描き、理想を追い求めるような法律は成立しない。

 国際連盟が目指そうとする世界には、理想と現実が横たわって、世界の在り様そのものへの問いかけのようなモノであった。史実の日本にとって、国際連盟は、参加するけれど、それほど価値を見出してはいなかった。

 シベリア出兵で躓き、大陸における利権分配に失敗した、史実の日本にとって、アメリカを敵とする方向で動くこととなる。陸軍がソビエトを仮想敵として、海軍はアメリカを仮想敵として、予算を獲得し軍備を整えていくこととなる。さらには、国家体制そのものを、国家総動員体制へと変質させていく形になっていくのは、日本の残念な政治の結果であり、国民が負けることを受け入れられなくなった結果である。

 日露戦争に勝てたことは、日本にとっては、僥倖である。しかしながら、日露戦争に勝ち過ぎたことは、日本の現実にとっては、あまり良いことではないとお爺ぃは判断している。それが、if昭和史を描く結果となり、原敬と濱口雄幸を、暗殺から生かす結果となった。

 WWⅡで敗戦した日本は、教育を含めて敗戦国となった、これは負けた結果である。敗者の教育を変質させることは、WWⅠからの基本となっている。

 敗戦国は、すべて野蛮な国であり、上等な戦勝国が、導くことを前提として、教育制度を変更する。平和を維持するためには、上等な戦勝国に逆らう様な、野蛮な国は、教育から直さなければならない。それが、まぁ、日本の戦後教育なのは、間違いないのだろう。

 しかしながら、困ったことに、戦後教育からの逸脱と言うのを、国民が望んでいるのかというと、それはそれで望まれていないとも言えるのである。

 現状維持、おそらくは、この勢力が、現在の日本では最も大きい勢力となっている。

 変化を望まないし、戦に巻き込まれるのも望まない、さらには戦を起こすのも望まない。

 危なそうな状況については、見て見ぬふりをして、他人ごとにしてしまって、自分の立場を局外とする。逃避という流れが、現在の日本が進んでいる状況となっていて、逃避以外の行動には、制約がかかるような形となっている。

 日本人がケンシロウを好むのは、起きた状況に対して、手続きに関係なく、勝手に動くからである。成功すれば、「ありがたい」と受けて、失敗すれば、「勝手にやった」という言い訳が出来る形で活動する。それが、ケンシロウに救われる、周囲の反応である。数人の助けるべき人間以外は、救われても結果は変わらず、何時までも救世主を追い求めるクズとなる。つまりは、ケンシロウは歴史を変革することも無く、ひたすらに弱肉強食を繰り返す世界を維持管理するだけの存在となっている。日本人というのは、困ったことに、誰かがなんとかしてくれるという発想で在る。

 御上政治がすることは、別世界の出来事であり、身近に起きると怒りをぶつけて、八つ当たりをしても、自分から動くのは嫌うのが、ほとんどの日本人なのである。これは、別段、戦後教育の結果ではなく、遥か昔からの伝統的に、日本人の行動形態である。時に少数が暴走して、変革が起きて、結果が良かったら、勝ち馬に乗り、結果が悪かったら、暴走した少数を切り捨てる。

 気を見るに聡く、変化への適応は早く、「御上政治が悪い」と政治家に結果責任を押し付けて、自分を局外に置くのが、日本人の本質でもある。巻き込まれてしまえば、仕方なく行動し、行動結果が良ければ、勝ち馬に乗って適応する。行動結果が悪ければ、運が悪かったと、諦観して自己の破滅に笑う。非常に厄介な行動原理が、世間様一般の動きであり、行動しようする者の動きにとっては、行動の縛りとなってしまう。

 上に向かうことは、清濁併せ呑むというが、これは、世間様一般の行動原理から、超越して活動するということになる。史実のまま21世紀の時間が経過すれば、おそらくは、現状維持のまま、幾度かの暴走が国内に生じて、結果として勝ち馬が決まれば、勝ち馬の方向へと進むこととなる。勝ち馬を決めるのは、日本ではなく、他国の事情と結果であり、「○○が悪い」と言い訳のできる状況が、日本人好みの状況となる。

 戦争は、「人殺し」であり、「犯罪」です。これが、日本人の感覚として、理解しやすい感覚と判断できます。

 武士や侍という存在は、「人殺し」を仕事として、一家一門の存続と隆盛を図る。国家が戦争をすることは、合法であるけれど、「人殺し」を命令し、実行していることに変わりは無い。

 困ったことに、日本人が戦争するというのは、国家による「人殺し」を許容することである。「人殺し」を犯罪と認識するのが、日本人にとっての「普通」であり、戦争に反対する以外に、選択肢は日本人には無い。

 だからこそ、日本人が、戦争を選択する「時」というのは、非常に困ったことに、もっとも戦争をしてはいけない「時」なのである。追い詰められた時、追い詰められたと感じた「時」に、日本人は戦争を選択する。

 計算した結果勝利確実の時、戦争を実行するのは、日本人の行動原理からすれば、もっとも戦争をしなくても良い「時」と判断してしまう。何故なら、日本人は、勝てる相手に勝つと判断している「時」ほど、相手の立場で考え、なんとか相手を戦争せずに活かそうと行動するからである。






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 日本人が戦争にむかないのは、勝てる時には戦争をせずに、相手を活かそうとして、負けると解っているのに、死に物狂いで全てを賭けて戦うという民族と、お爺ぃは判断しているからである。
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 死に物狂いで戦い、すべてを賭けて戦う、そんな民族が日本人だとすると、困ったことにこれほど軍人に向いている民族は無い。ただ、戦い方そのものは、個人個人の特徴が現れる。かつて、会津の兵隊は強く、浪速の兵隊は弱いと謡われた。これは、都市型の兵隊と、農村型の兵隊が持つ、特徴の違いである。

 都市型の兵隊は、弱卒と言われた、尾張兵に代表される、織田信長が率いる軍団は、都市型の兵隊で、すぐ逃げる弱卒として知られていた。これに対し、徳川家康率いる三河武士団は、強兵として知られていた。

 どこの国でも似たような形になるが、「一所懸命」という言葉があるように、自分の土地を護るため、自分の家族を守るために戦う兵は強くてしぶとい。これが、武田や上杉に代表される、生産拠点である「土地」に根付いた軍団兵である。彼らの強さが、信玄と謙信という名称を得て、戦国最強の名を築き上げたのである。

 尾張や京洛は、消費する都市であり、商業地域であり、商売を基準とした人々である。気を見るに敏で、転換が早いから、敗勢となれば真っ先に逃げ出し、勝馬となれば欲を出す、都市型の兵隊の特徴である。弱卒として知られ、率いて戦うのに、これほど面倒な兵隊はいない。しかしながら、勝馬に乗るのは上手く、気を見るに敏いから、偵察に向き、状況判断には一定の信頼性がある。つまり、弱卒と言う前提で、勝てる戦をする限り、これほど信頼のできる兵隊は居ない。

 日本は、強兵と弱卒が両立する軍団構成ができる、非常に戦争に向いた軍隊として編成できる国家である。まぁ、戦後も長く、令和となった以上は、日本のほとんどの地域が弱卒になりつつあるが、弱卒を前提とすれば、今も戦争に向いた国家ということになる。

 日本人は、誰かが決めたルールではなく、自らが定めた規律に従うのを、行動原理としている。行動原理は人によって、千差万別に異なり、その時々で変化していく規律は、最近は自己都合による変遷によって甘くも厳しくもなる。

 教育によって、一定の方向性が生まれる者の、戦後の令和となれば、行動原理そのものを強制することは、ほとんど不可能になりつつある。





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 お爺ぃは、世界中で日本人の説得が、一番難しいと考えているが、その思いは年々強くなっている。
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