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お爺ぃ、よもやま噺
グルーバル人材育成という名で作られる闇
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正直に言えば、Ittoh式Methodを描いた最大の理由は、グローバル人材を教育する本質が見失われているのではないと思ったからである。どうも、実用会話ができれば、グローバル人材が育成したことになるという発想があるが、それは、間違いだと考えているからである。
グローバル人材育成で、自国語も満足に理解できない状況で、異国語を教えることに意味は無いと考えるからである。
日本語を捨てて、最終的に英語を主言語として、日本語を伝統言語にするのであれば、日本語を捨てることを始めなければならない。それならば、実用会話を中心とした授業形態や、小学校から始めるんだということは、理解できる。しかしながら、主言語は日本語のままで、あたかも主言語と同じように英語が使えるようになれると良いというような発想は、現場の混乱だけでなく、授業を受ける側の子供達が可哀そうである。
日本語を主言語として使うとするならば、きちんと日本語を習得し、その上で、異国語の取得を図る。
琉球お爺ぃは、すでに実用英会話能力については、対応不可という判断をしている。なんせ、映画を見るときに日本語の字幕じゃなくて英語の字幕で映画を見るような人間である。本質として無理なのだ。
日本語との比較であれば、異国語について興味はあるし、映画を見て、相手がどのような言葉と音韻を使っているのかについては興味があるが、異国語で会話をすることには、まったく興味が無い。
まぁ、言語学は、本業でもないし、技術分野の人間であるが、正直に言って、現在のグローバル人材育成の論議は不毛でしかない。技術分野の人材育成で、議論が行われ参加することがあるが、正直に言って、ろくな結果にならない上に、なんら意味を感じない結果に終わる。
論述できない人間が、英会話ができるようになったからと言って、英会話で論述できるとでも思っているのだろうか、本当に不毛である。
単位日数あたりで、人間が理解できることに限界がある以上は、目標を過大に設定することに意味は無い。現在の論議は、あくまでも対象となる目標ひとつの議論でしかなく、子供の成長過程で可能な範囲についてまったく考慮されていない。正直に言えば、2020年以降の小中学校教育では、頭の切り替えが極めて速く、順応しやすく、すべての事柄に対して好きで対応できる人間以外は、落ちこぼれになる教育体制になりかねない危険性が高い。
議論でおこなわれている、0歳の子供から20歳までに、時間的に可能な事が考慮されていないまま、20歳くらいで、このくらいできるようになって欲しいということだけが押し付けられているように思えてならない。これは、昭和三十年代や四十年代に実施された「詰込み教育」や、最悪と呼ばれる「ゆとり教育」よりも酷い結果に向かっているような恐怖に、お爺ぃは怯えている。
そんな子供達へ、ちょっとした大人達へ反抗する道具としても、本稿が役に立てば良いなぁと思う次第である。
翻訳ソフトを用いれば、そこらの人間よりも、異国語ができるようになったフリは可能である。
実施が決定された以上、五年は変更が効きません。間違っていたと分かるのは後からでしかありません。教育が危険なのは、間違っていたからと言って、責任の取りようが無いことなのです。
テストが変われば、変わったテスト方式に対応しなければ、点数はとれません。それは、間違いありません。だからと言って、テストの点数を取ることそのものには、意味がありません。「ドラ〇ン桜」ではありませんが、最高学府に入学することを目標として、入学してからのことは後からで良いというのは、プロジェクトマネージャーとしては間違っていませんが、教育者としては間違った発言です。
お爺ぃは、「金持ち〇さんと貧乏〇さんを読んで、金持ち〇さんになる奴は、人間の心をドライにするモノだと認識しています。それが良いか悪いかという判断は、各個人のモノでしかありません。ドラ〇ガーの「マネ〇ジメント」を読んで、プロジェクトマネージャーを目指すことは、悪いことではありません。ただ、教育現場というものは、マネージメントする相手が人間なのです。
貧乏〇さんを目指す人生も、普通で平凡な人生ということしかできそうに無いのに、天才を目指せと言われて目指すのは、精神が壊れそうな人生となるでしょう。あまり気にせずに、自分のペースというものを優先した方が良いかと思います。
2020年以降に学校教育へ入る子供達、学校教育から抜けられない子供達へ、貴方の目の前で起きていることは、あまり気にしなくても良いことだと思います。面倒だと思えば、覚えた側から忘れていく方が良いかもしれません。ゆとり世代の方々は、覚えた側から忘れる技能に特化した持ち主が多くいましたので、可能だと思います。
ただし、すべて忘れるというのは悲劇です。また、目指すべき目標が無いというのも悲劇です。さらに言えば、無駄を嫌うというのも悲劇です。
自分が為したいことを中心に、できる限り多くのことを覚えてください。寄り道や回り道、立ち止まることを恐れないでください。一見して、現時点で無駄と思えることは、無駄では無いかもしれません。
現在がとっても大変で時間が無いように思うでしょうが、できる限り、未来を見ながら、今を生きましょう。
このくらいが、これからを生きる子供達へお爺ぃが残せる言葉です。
グローバル人材育成で、自国語も満足に理解できない状況で、異国語を教えることに意味は無いと考えるからである。
日本語を捨てて、最終的に英語を主言語として、日本語を伝統言語にするのであれば、日本語を捨てることを始めなければならない。それならば、実用会話を中心とした授業形態や、小学校から始めるんだということは、理解できる。しかしながら、主言語は日本語のままで、あたかも主言語と同じように英語が使えるようになれると良いというような発想は、現場の混乱だけでなく、授業を受ける側の子供達が可哀そうである。
日本語を主言語として使うとするならば、きちんと日本語を習得し、その上で、異国語の取得を図る。
琉球お爺ぃは、すでに実用英会話能力については、対応不可という判断をしている。なんせ、映画を見るときに日本語の字幕じゃなくて英語の字幕で映画を見るような人間である。本質として無理なのだ。
日本語との比較であれば、異国語について興味はあるし、映画を見て、相手がどのような言葉と音韻を使っているのかについては興味があるが、異国語で会話をすることには、まったく興味が無い。
まぁ、言語学は、本業でもないし、技術分野の人間であるが、正直に言って、現在のグローバル人材育成の論議は不毛でしかない。技術分野の人材育成で、議論が行われ参加することがあるが、正直に言って、ろくな結果にならない上に、なんら意味を感じない結果に終わる。
論述できない人間が、英会話ができるようになったからと言って、英会話で論述できるとでも思っているのだろうか、本当に不毛である。
単位日数あたりで、人間が理解できることに限界がある以上は、目標を過大に設定することに意味は無い。現在の論議は、あくまでも対象となる目標ひとつの議論でしかなく、子供の成長過程で可能な範囲についてまったく考慮されていない。正直に言えば、2020年以降の小中学校教育では、頭の切り替えが極めて速く、順応しやすく、すべての事柄に対して好きで対応できる人間以外は、落ちこぼれになる教育体制になりかねない危険性が高い。
議論でおこなわれている、0歳の子供から20歳までに、時間的に可能な事が考慮されていないまま、20歳くらいで、このくらいできるようになって欲しいということだけが押し付けられているように思えてならない。これは、昭和三十年代や四十年代に実施された「詰込み教育」や、最悪と呼ばれる「ゆとり教育」よりも酷い結果に向かっているような恐怖に、お爺ぃは怯えている。
そんな子供達へ、ちょっとした大人達へ反抗する道具としても、本稿が役に立てば良いなぁと思う次第である。
翻訳ソフトを用いれば、そこらの人間よりも、異国語ができるようになったフリは可能である。
実施が決定された以上、五年は変更が効きません。間違っていたと分かるのは後からでしかありません。教育が危険なのは、間違っていたからと言って、責任の取りようが無いことなのです。
テストが変われば、変わったテスト方式に対応しなければ、点数はとれません。それは、間違いありません。だからと言って、テストの点数を取ることそのものには、意味がありません。「ドラ〇ン桜」ではありませんが、最高学府に入学することを目標として、入学してからのことは後からで良いというのは、プロジェクトマネージャーとしては間違っていませんが、教育者としては間違った発言です。
お爺ぃは、「金持ち〇さんと貧乏〇さんを読んで、金持ち〇さんになる奴は、人間の心をドライにするモノだと認識しています。それが良いか悪いかという判断は、各個人のモノでしかありません。ドラ〇ガーの「マネ〇ジメント」を読んで、プロジェクトマネージャーを目指すことは、悪いことではありません。ただ、教育現場というものは、マネージメントする相手が人間なのです。
貧乏〇さんを目指す人生も、普通で平凡な人生ということしかできそうに無いのに、天才を目指せと言われて目指すのは、精神が壊れそうな人生となるでしょう。あまり気にせずに、自分のペースというものを優先した方が良いかと思います。
2020年以降に学校教育へ入る子供達、学校教育から抜けられない子供達へ、貴方の目の前で起きていることは、あまり気にしなくても良いことだと思います。面倒だと思えば、覚えた側から忘れていく方が良いかもしれません。ゆとり世代の方々は、覚えた側から忘れる技能に特化した持ち主が多くいましたので、可能だと思います。
ただし、すべて忘れるというのは悲劇です。また、目指すべき目標が無いというのも悲劇です。さらに言えば、無駄を嫌うというのも悲劇です。
自分が為したいことを中心に、できる限り多くのことを覚えてください。寄り道や回り道、立ち止まることを恐れないでください。一見して、現時点で無駄と思えることは、無駄では無いかもしれません。
現在がとっても大変で時間が無いように思うでしょうが、できる限り、未来を見ながら、今を生きましょう。
このくらいが、これからを生きる子供達へお爺ぃが残せる言葉です。
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