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第三章
第三十四話
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それから、時間にして数十分。ひとしきり泣き続けたセイランをルピナスはただ抱きしめていた。背中をさする手は子どもをあやすような手つきで、ルピナスのものだと分かっているのに本能的に安心してしまう。
こんなに泣いたのなんていつぶりだろう。そう思うと同時に、自分が情けなくなる感覚をセイランは覚えた。もうずっと前に、一人で生きていくと決意したはずなのに。どんなに痛くても、辛くても、それでも父の邪魔にだけはならないように、父に見捨てられないように、強くなろうと決めたのに。いつまで経っても弱いまま。守られてばっかりだ。
「セイラン、」
枯れるまで泣きつくしたセイランの息遣いがようやく落ち着き始めた時、ルピナスは静かに口を開いた。セイランはただ黙ってルピナスの声に耳を傾ける。揺れる荷台の中で、聞こえるのはセイランの深い息遣いと、ルピナスの言葉だけだった。
「ボク、本当はね? お前と初めて会った時に気付いてたんだ。お前が魔法を使えないってこと。……もう気づいていると思うけど、ボク、本当は魔法、得意なんだ。そこいらの大人の何十倍も魔力がある。だから、分かるんだ。魔力に色がついて見えて、誰が使った魔法かとか、目の前の人がどれだけ魔力を保有しているかとか、ね。……セイラン、お前は透明だった。だから、すぐ分かったよ。お前が魔力を持たない存在だってことくらい」
ぽつりぽつりと、一言一言をはっきり伝えようとしているルピナスの語りは緩やかなものだった。まるでセイランが理解できる速さを承知しているかのような語り方。ルピナスに言葉一つ一つを噛み砕き、セイランは自分の中に落とし込む。
人の精神に作用する強力な先天術を持ちながら、「魔法をうまく使えない」と語ったルピナスの矛盾。その理由が、そこにあった。
ルピナスはそっとセイランから身を離し、正面から真っ直ぐに向き合う。素直に視線を合わせたセイランの瞳が、ルピナスを見つめる。随分と泣いたせいで赤くなった頬と、熱に浮かされ濡れた瞳。ルピナスは、その幼い瞳に笑いかけた。それはいつもの貼り付けたような笑顔ではない。
「でもボクは魔力がなんだとか、魔法がなんだとか、正直どうでもいいんだよねぇ。むしろそんなものに頼って生きる人間の方が、よっぽど汚い。ボクはこの力が、……クソみたいな男から受け継いだこの力が憎くて仕方がない」
ルピナスの白く細い指先が、セイランの頬に添えられる。その指先に水の魔法が添えられているのか、ひんやりとした感触が火照った顔を冷やしてくれる。ルピナスの言葉は、すべて真実に聞こえた。ルピナスは、本気で魔の力に対して無関心なようだった。それどころか、自らの父親を「クソみたいな男」と称し、憎々しげに吐き捨てた。
「おれとは、真逆だな」
「……そうかもね」
ルピナスは、最初から強い魔力を持って生まれてきた。強い先天術を備え、強い魔法使いになった。だが、ルピナスはその力を好きにはなれなかった。大嫌いな父親から継いだ力を、使いたくもないと思うほどに。
逆に、セイランはほんの微かな魔力すら持たない存在だった。その上、破壊こそ正義である世界の中で、治す先天術を持っていた。「小さな火でも灯せたら」。セイランは、ルピナスが拒んだものを欲していた。大切な養父に捨てられないために。
「……だから、ね? 魔法に頼らず、身一つで地に立っていたお前が、ボクには何よりも美しく見えた」
「……?」
「セイラン。誰かを守ろうとすることに、理由なんて必要ある? お前はあの時、あの森の中で、ボクは守る価値がある人間だと思ったから助けたの? あの森の中でボクを傷つけたくないからなんて優しさで拒絶も抵抗もしなかったのは、ボクに同情したから? 茶化したから?」
「……違う」
ルピナスと初めて出会った日。まだそんなに時間は経っていないはずなのに、様々なことが起こり過ぎて、遠い日のようだ。でも、鮮明に思い出せる。あの日、ルピナスを守った理由。拒絶しなかった理由。
「……でも、言葉の重みが違う。あの時の守ることと、今の守るというのじゃ全然重さが違う。あんな魔物から守ることと国から守ることなんて同じ天秤じゃ釣り合わない。……それに、親切と優しさは違う。おれはあの時、あんたが望んでもいないおせっかいで拒絶しなかっただけで……!」
ルピナスは強い魔法使いだった。だから、最悪あの時セイランが守らずとも自分でなんとかできていた。でも、セイランのこの状況はそれとは違う。ルピナスがいたとしても、どうにもならないかもしれない。セイランの敵は雑魚魔物ではなく、国であり、世界だ。
「欲張りだねぇ、これでも足りないんだ」
「……は?」
穏やかだったルピナスの目の色が変わる。目元を冷やしていた指を引いたルピナスは、大きく深呼吸をした。ポカンとするセイランを尻目に、次の瞬間ルピナスは勢いよくセイランの顔の両隣に手をついて、顔を突き合わせる。驚いたセイランがびくと肩を跳ねさせ、微かな怯えを宿した目で恐る恐るルピナスを見上げた。ルピナスの真剣な目は真っ直ぐにセイランを見据えていた。
「よく聞けセイラン。お前がこれまでどう生きてきたかなんてどうだっていい! 魔法が使えない? それでもお前は強くなろうと努力して、剣を振るえるようにまでなった。癒しの先天術が使える? そんなの誰よりも優しいセイランらしい素敵な術だ、馬鹿にする必要なんてどこにもない。読み書きができない? そんなの出来る誰かが補えばいい、教えればいい。好きでもない相手を慰めていた? そうでもしないとお前はあのクソみたいな環境で生きられなかった」
矢継ぎ早に投げられる言葉が、セイランを射抜いていく。これ以上誰かに嫌われたりしないように隠すことを選んだ自分の弱さ。この弱さを知らない人は、自分のことを嫌わなかった。だから、誰にも話せなかった。
ーー本当は、こんな言葉が欲しかった。それでもいいって、言われたかった。
ルピナスの力強い声が、塞ぎ込んでいたセイランの胸の奥を強く叩く。ずっと影がさしていたセイランの青紫に微かな光が差し込むのをルピナスは見逃さなかった。もう一押しというように、ルピナスは細く息を吸い、静かに言葉を受け止めているセイランの頭にポンと優しく手を置く。続けられたルピナスの声に先ほどの勢いはなかった。
「お前がどこで生まれた誰だろうと関係ない。ボクは今ここにいるお前を、独りでも生きようとしたお前を、守りたいって思った。……それでもまだ、どうして優しくするのか理由が欲しいなら、教えてあげるよ」
ルピナスは、そこでもう一度息を吸う。頭を撫でていた手が、するり髪を撫でて頬に添えられる。ルピナスの桃色から目が逸らせない。
こんなに泣いたのなんていつぶりだろう。そう思うと同時に、自分が情けなくなる感覚をセイランは覚えた。もうずっと前に、一人で生きていくと決意したはずなのに。どんなに痛くても、辛くても、それでも父の邪魔にだけはならないように、父に見捨てられないように、強くなろうと決めたのに。いつまで経っても弱いまま。守られてばっかりだ。
「セイラン、」
枯れるまで泣きつくしたセイランの息遣いがようやく落ち着き始めた時、ルピナスは静かに口を開いた。セイランはただ黙ってルピナスの声に耳を傾ける。揺れる荷台の中で、聞こえるのはセイランの深い息遣いと、ルピナスの言葉だけだった。
「ボク、本当はね? お前と初めて会った時に気付いてたんだ。お前が魔法を使えないってこと。……もう気づいていると思うけど、ボク、本当は魔法、得意なんだ。そこいらの大人の何十倍も魔力がある。だから、分かるんだ。魔力に色がついて見えて、誰が使った魔法かとか、目の前の人がどれだけ魔力を保有しているかとか、ね。……セイラン、お前は透明だった。だから、すぐ分かったよ。お前が魔力を持たない存在だってことくらい」
ぽつりぽつりと、一言一言をはっきり伝えようとしているルピナスの語りは緩やかなものだった。まるでセイランが理解できる速さを承知しているかのような語り方。ルピナスに言葉一つ一つを噛み砕き、セイランは自分の中に落とし込む。
人の精神に作用する強力な先天術を持ちながら、「魔法をうまく使えない」と語ったルピナスの矛盾。その理由が、そこにあった。
ルピナスはそっとセイランから身を離し、正面から真っ直ぐに向き合う。素直に視線を合わせたセイランの瞳が、ルピナスを見つめる。随分と泣いたせいで赤くなった頬と、熱に浮かされ濡れた瞳。ルピナスは、その幼い瞳に笑いかけた。それはいつもの貼り付けたような笑顔ではない。
「でもボクは魔力がなんだとか、魔法がなんだとか、正直どうでもいいんだよねぇ。むしろそんなものに頼って生きる人間の方が、よっぽど汚い。ボクはこの力が、……クソみたいな男から受け継いだこの力が憎くて仕方がない」
ルピナスの白く細い指先が、セイランの頬に添えられる。その指先に水の魔法が添えられているのか、ひんやりとした感触が火照った顔を冷やしてくれる。ルピナスの言葉は、すべて真実に聞こえた。ルピナスは、本気で魔の力に対して無関心なようだった。それどころか、自らの父親を「クソみたいな男」と称し、憎々しげに吐き捨てた。
「おれとは、真逆だな」
「……そうかもね」
ルピナスは、最初から強い魔力を持って生まれてきた。強い先天術を備え、強い魔法使いになった。だが、ルピナスはその力を好きにはなれなかった。大嫌いな父親から継いだ力を、使いたくもないと思うほどに。
逆に、セイランはほんの微かな魔力すら持たない存在だった。その上、破壊こそ正義である世界の中で、治す先天術を持っていた。「小さな火でも灯せたら」。セイランは、ルピナスが拒んだものを欲していた。大切な養父に捨てられないために。
「……だから、ね? 魔法に頼らず、身一つで地に立っていたお前が、ボクには何よりも美しく見えた」
「……?」
「セイラン。誰かを守ろうとすることに、理由なんて必要ある? お前はあの時、あの森の中で、ボクは守る価値がある人間だと思ったから助けたの? あの森の中でボクを傷つけたくないからなんて優しさで拒絶も抵抗もしなかったのは、ボクに同情したから? 茶化したから?」
「……違う」
ルピナスと初めて出会った日。まだそんなに時間は経っていないはずなのに、様々なことが起こり過ぎて、遠い日のようだ。でも、鮮明に思い出せる。あの日、ルピナスを守った理由。拒絶しなかった理由。
「……でも、言葉の重みが違う。あの時の守ることと、今の守るというのじゃ全然重さが違う。あんな魔物から守ることと国から守ることなんて同じ天秤じゃ釣り合わない。……それに、親切と優しさは違う。おれはあの時、あんたが望んでもいないおせっかいで拒絶しなかっただけで……!」
ルピナスは強い魔法使いだった。だから、最悪あの時セイランが守らずとも自分でなんとかできていた。でも、セイランのこの状況はそれとは違う。ルピナスがいたとしても、どうにもならないかもしれない。セイランの敵は雑魚魔物ではなく、国であり、世界だ。
「欲張りだねぇ、これでも足りないんだ」
「……は?」
穏やかだったルピナスの目の色が変わる。目元を冷やしていた指を引いたルピナスは、大きく深呼吸をした。ポカンとするセイランを尻目に、次の瞬間ルピナスは勢いよくセイランの顔の両隣に手をついて、顔を突き合わせる。驚いたセイランがびくと肩を跳ねさせ、微かな怯えを宿した目で恐る恐るルピナスを見上げた。ルピナスの真剣な目は真っ直ぐにセイランを見据えていた。
「よく聞けセイラン。お前がこれまでどう生きてきたかなんてどうだっていい! 魔法が使えない? それでもお前は強くなろうと努力して、剣を振るえるようにまでなった。癒しの先天術が使える? そんなの誰よりも優しいセイランらしい素敵な術だ、馬鹿にする必要なんてどこにもない。読み書きができない? そんなの出来る誰かが補えばいい、教えればいい。好きでもない相手を慰めていた? そうでもしないとお前はあのクソみたいな環境で生きられなかった」
矢継ぎ早に投げられる言葉が、セイランを射抜いていく。これ以上誰かに嫌われたりしないように隠すことを選んだ自分の弱さ。この弱さを知らない人は、自分のことを嫌わなかった。だから、誰にも話せなかった。
ーー本当は、こんな言葉が欲しかった。それでもいいって、言われたかった。
ルピナスの力強い声が、塞ぎ込んでいたセイランの胸の奥を強く叩く。ずっと影がさしていたセイランの青紫に微かな光が差し込むのをルピナスは見逃さなかった。もう一押しというように、ルピナスは細く息を吸い、静かに言葉を受け止めているセイランの頭にポンと優しく手を置く。続けられたルピナスの声に先ほどの勢いはなかった。
「お前がどこで生まれた誰だろうと関係ない。ボクは今ここにいるお前を、独りでも生きようとしたお前を、守りたいって思った。……それでもまだ、どうして優しくするのか理由が欲しいなら、教えてあげるよ」
ルピナスは、そこでもう一度息を吸う。頭を撫でていた手が、するり髪を撫でて頬に添えられる。ルピナスの桃色から目が逸らせない。
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