ある魔法使いのヒメゴト

月宮くるは

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第五章

第五十二話

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 男はセイランが口にした言葉を聞くと、冷ややかだった目つきがさらに鋭利になり、見下すようにセイランを見ると、冷笑を浮かべた。背筋が凍っていくようだった。まるで家畜を見るような、塵芥を踏むような表情。少なくとも、人に向ける顔ではない。

「私にお前のような子はいない」

「……ぇ、……?」

「セイラン、聞くな」

「分を弁えよ。魔力を持たず、勉学もままならない、愚図で間抜けな者が私の子を名乗れると思っているのか?」

 冷水を浴びせられたかのような冷たさが体を飲み込んでいく。寒くて、身体が震えてしまう。魔法が使えなくても、勉強が出来なくても、それでもセイランはたった一人の役に立つためにいつか褒めてもらうために、剣を覚えた。それらが、セイランの生きてきた理由が全て否定されていく。

「私の嫡子は、お前の目の前に立つ、その素晴らしい魔力を持つ優秀な子、ただ一人だ」

「……目の前、って、……」

 男の視線が少し上がる。その目が見つめる先にいるのは、その言葉が指すのは、セイランの前から動かないルピナスに間違いなかった。セイランは青白い顔でそっとルピナスを見上げる。

「……」

「ん、お前……? チッ、おい!」

「させるか!」

 ルピナスはただ無言で前を見つめていた。その目が自分を見ていないことに、男は気付き咄嗟に後ろに控えていた魔法使いに声を張り上げた。だが、男に返ってきたのは複数の炎の塊だった。男の背後にいた魔法使いのうちの数人が、我を失って男に向けてがむしゃらに魔法を放ち始める。

 その隙にルピナスは振り返り、セイランを立ち上がらせ固まっていたミハネの手を引いて来た道を戻ろうと足を踏み出した。だが急なことにルピナスについていけなかったミハネの足が絡まる。そのミハネの背中に風を集めて使った衝撃の気功弾が迫るのがセイランの目に映る。
 踏み出した一歩はもう止まらなかった。

「――ッ、……う、」

「セイランくん!」

「ッ! セイラン! 逃げろ!」

 背中で受けた衝撃はセイランの体を吹き飛ばし、そのまま数メートル先に叩きつけられる。頭まで揺らしたその重みは、脳裏に白をチラつかせた。なんとか意識を飛ばすことを堪えたセイランに、ルピナスの指示が飛ぶ。しかしどうにか膝をついて立ち上がろうとしていたセイランに、その速度での追撃への対応は間に合わなかった。何かが空を切る音に気づいて顔をそちらに向けた時には、それはもうセイランの眼前にまで迫っていた。

「くっ、そ……!」

 植物の蔓のようなロープ状のものがセイランの腕に巻きつく。それはそのままセイランの体を無理矢理に引きずりだし、セイランは勢いよく床を転がされる。蔓はセイランを資料棚や机にわざとぶつけながらセイランを引き寄せていく。武器を持たない状態でその蔓を断ち切ることも出来ないセイランは、ただ頭を丸めて庇いながら痛みに耐えることしか出来なかった。

 セイランを解放しようとしたルピナスとミハネが蔓に向けて放った風や火がこちらに向かって飛んでくる。だが蔓はそれを器用に避けるどころか、セイランの体を操り、むしろセイラン自身にぶつけその身を焦がし、頬を切り裂いた。

「くそッ、どいつの術だ! 今すぐセイランを離せ!」

「だそうだ。離してやれ」

 男はルピナスが焦って声を荒らげるのを面白そうに笑いながら、どこかに指示を送る。我を失っていた魔法使いたちは、あっという間に鎮圧されていた。男が連れてきた魔法使いの数が多すぎるのである。セイランに結ばれた蔓の出所は後ろに控えた魔法使いの術であり、ルピナスが把握しきれていない魔法使いが使用しているものだった。

 蔓は不意に大きくしなり脈打つ。すると、先端のセイランの体は宙に持ち上げられる。セイランは霞む視界で、こちらを見上げて何かを叫ぶルピナスの姿を捉えた。直後、セイランの体はしなった蔓によって床に叩きつけられる。そしてセイランは男の隣でようやく蔓から解放される。その体は、もうピクリとも動かなかった。

「はは、ボロ雑巾とはまさしくこれのことだな」

 男は笑いながらセイランを見下ろしていた。ほとんど白んだ視界でセイランは自分を見下げる男の顔をもう一度見つめる。

 ――あぁ、やっぱり、夢じゃない。

 それは、間違いなく養父の顔だった。頬を伝っているのは、血か、それとも涙か。セイランにはもう、分からなかった。

「……と、さん……」

「……まだ言うか。馬鹿もここまでいくと滑稽だな」

 冷たい感情がセイランを包んでいく。まだ信じられない。信じたくない。誰か嘘だと言って欲しい。夢なら早く覚めて欲しい。

「……ミハネ、逃げて」

「嫌です。逃げるのは坊ちゃんの方です」

「ボクは、ダメだよ。セイランを一人に出来ない。……お願い、ミハネ。お前の術なら逃げられる」

 セイランが絶望の淵にいる一方で、ルピナスとミハネは小さく言葉を交わす。ミハネが黙ってルピナスの願いを受け入れたのを見ると、ルピナスは音もなく一言、「ごめんね」と言葉を残した。ルピナスは男に向かって視線をあげる。男の足元では傷だらけのセイランが横たわっていた。それだけで、ルピナスは怒りでどうにかなってしまいそうだった。

「さぁ、家出はここまでだ。お前も城に戻れ」

「家出? ふざけるなよ、あんな場所、ボクの家じゃない」

「分からない子だ。やはり世話役を間違えたか」

「貴様を父とは認めない。ボクはセイランとこの国を出る。貴様の思い通りになんて、させないッ!」

 ルピナスは背中に風を纏って走り出す。ルピナスは炎を撒き散らし、水で足場を奪い、魔法使いたちを片っ端から蹂躙していく。勝算なんて当然なかった。ルピナスがどれだけ優秀な魔力を持っていたとしても、これだけの人数の魔法使いが束になっていたら、勝てるはずはない。それでも今のルピナスにとっては、それでよかった。

 せめてミハネを逃がせたら。ルピナスはただその一身で魔力をフルに放出する。ただ、弱っているセイランにだけは届かないように。

 ルピナスがセイランを狙えないことを理解している男は、ルピナスが暴れまわる最中、手の空いた者にすでに意識のないセイランを運ばせる。

 森一つ焼き尽くすほどの火力がゴォッと駆け抜け、自分に向かって放たれる魔法はすべて風で弾き返す。物理的に近づいてくる者には水を噴射し、水圧で吹き飛ばす。ルピナスが当たり散らす様を、男はただ何もせずに眺めていた。そして、ルピナスの魔力を見ると満足そうに笑った。

「……っ、ふ、はぁ、はぁ……」

「素晴らしい、あれがお前の魔力をより引き出したのか? 興味深い」

「黙れ、セイランは、物じゃない……」

 ルピナスの魔力が底を尽くとき、その場に立っているのは男とルピナスの二人だけだった。ふらついて膝を折るルピナスは、それでも強い瞳で男を睨みつけた。自らの実の父である男、ストリキ・ラピュア。ルピナスがこの世で最も憎んでいる男を前に、ルピナスはそのまま床に倒れ込む。今すぐに連れていかれたセイランの元へ行かなければいけないというのに。もう、体が重くて動かない。

 どうか、無事でいてくれ。

 ルピナスはついに目を離してしまったセイランの無事を願いながら、ふつりと意識を手放した。
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