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第八話
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「おいしいかい?」
「あ、はい。ありがとうございます。」
「それはよかった。」
そう言って、オードはセロに皿に盛ったサラダや数種類のパンといった食べ物を勧めた。
「君は半分、人間だ。弱った体には、こういったものでエネルギーを採ることも大事だよ。ここは妖精王の結界が薄いからね。」
「…はい。ありがとうございます。」
それまで『食事』というものをしたことがなかったセロではあるが、そうは言えない状況にきているということを、オードはセロに告げた。
セロが旅立った妖精の草原や、その途中、通りかかった王都にはまだ妖精王の強い結界と、王都を支える妖精術士の術がかかっていたため、セロのようないわゆる『混ざり者』でも普通の妖精と同じく食事を採る必要はなかった。だが、結界が薄れた時点で、セロは身にある人間の部分で辛うじて生きていたのだ。その人間の部分で生きるには、人間に近い生き方をする必要があり、つまり。
「寝るだけでは身体が持たないから。君が倒れた要因の一つは空腹だろうからね。」
「はい。」
妖精には睡眠も食事も必要がない。唯一必要なのは、日光と水分だけだ。
そのような中で、半分人間の血を引くセロが唯一見せていた人間らしい行動は眠ることだった。だが、ここでの生活を続けたいならば、それに加えて食事も必要となる。
「何度も言うけれど、君がこうして生きていられるのは、君に流れる人間の血のおかげなんだよ。混血であるからこそ生きられるんだ。誇ってもいいことだと思うけれど?」
手にとったパンを片手に、うつむき加減になっていると、お茶を口にしながらオードが言った。
「……。」
「食べてごらん。結構美味しいと思うよ。」
セロはその言葉に黙って頷き、手で小さく千切ると、口に運んだ。
何かを食べる、という行為は、初めての経験だ。今回は、他人事めいていたその行為を行わなければならない。激しい違和感がある。口の中に物を入れ、それを噛み、飲み込む行動。初めてづくしで、どちらかというと不快感のほうが強かった。
水とは違う、流動物が喉を押し開いて通りすぎていく感覚が、痛い上に気持ち悪い。人間はこれほど大変な思いを毎日しているのかと思うと、とてつもなく気の毒だ。
「まぁ、慣れるまでは仕方ないね。」
涙目になっているセロを見て、オードは苦笑した。
「すみません…。」
「謝ることはないよ。でも、早く慣れることだ。ここにいたいならね。」
「そうよ。人間は日光浴だけで栄養が採れる種族じゃないからね。しっかり食べないと死んでしまうわよ。」
師匠の優しい言葉は予想の範囲内だが、意外と優しい師匠補佐の口調には驚いた。
そういえば、この下級妖精は、決して好意的ではないが、セロを混血だからと差別の対象として見ることはなかった。
セロが旅立った草原でも、普通に接してくれる妖精もいたが、九割は避難的であったため、どちらかといえば友好的な妖精はめずらしい。その珍しい一割の妖精に、この下級妖精も入っているようである。
「あぁ、そうだ。スリナ。君、自己紹介をしていなかっただろう?しっかりあいさつしておいたらどう?」
「嫌よ。私、この子の事、好きじゃないもの。」
あからさまに顔を背けられ、セロは思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「ごめん…。」
「いえ。私、本当に駄目な奴ですから、ほとんど草原では無視されることのほうが多かったですし…。話してくれるだけで嬉しいです。よろしくお願いします、スリナさん。」
嫌われるにしても、まだ話をしてくれ、関わりを持ってくれているだけ、これまでの最悪な付き合いよりましだ。もちろん、嫌いだと言われて辛くないわけではないが、もっと辛いことを知っているから、この反応はむしろ嬉しいくらいだ。
「…うん。いい子だねぇ。」
「え?」
不意にオードの手がセロの髪をくしゃくしゃとなでた。驚いて顔を上げると、オードの優しい笑顔がとびこんでくる。人とは思えぬ美しさに、セロは思わず顔を背けてしまった。突然、鼓動が大きく早鐘を打ち始め、全身が熱くなる。
真っ赤になって顔を背けているセロを、オードは笑顔のまま見つめていた。
セロの運命は、生まれた時点でかなり過酷なものになることは間違いなかっただろう。『混ざり者』であることは、もはや平穏な一生を送れないということ。偏見ではなく、そうなる社会なのだ。だからこそ、落ちぶれ、救いようのなくなった『混ざり者』は最悪の形で死んでいく…。
だが、その運命の流れにセロは流されていないようだ。少なくとも、彼自身はまだ自分の運命に希望を持ち、懸命に生きようとしている。
「早く妖精術をマスターして、草原に帰らなければね。…スリナ、協力してくれるだろう?」
笑顔の奥に、何らかの含みを持たせてオードが尋ねると、スリナは一瞬躊躇したが、深い溜め息の後、首を縦に振った。
「いつまでもいびっていたって、意味がないわね。この調子だと、どんなに言っても辞めなさそうだし。…いいわ、力になってあげましょ。」
「そう言ってくれると思ったよ。」
スリナとオードの間で交わされる会話を、目を瞬かせ、不思議そうに見つめているセロ。その様子にオードは笑顔を向けた。
…妖精術を学ぶ上での重要事項。それは妖精の協力を得られるかどうか。
どうやらそれには、オードの手助け付きではあるが、スリナの根負けによるセロの勝利となったようだ。これでセロは次の段階に進める。
「じゃあ、そろそろ君の資質を見る時だね。」
「え?」
「昼食後から特訓開始だ。」
パンを手にとりながら、オードはどこか楽しげな口調でそう言い、スリナは「仕方ないわね。」と呟いた。ただ一人、状況についていけていないセロは、疑問符を頭に大量に浮かべて首をかしげていた。
「あ、はい。ありがとうございます。」
「それはよかった。」
そう言って、オードはセロに皿に盛ったサラダや数種類のパンといった食べ物を勧めた。
「君は半分、人間だ。弱った体には、こういったものでエネルギーを採ることも大事だよ。ここは妖精王の結界が薄いからね。」
「…はい。ありがとうございます。」
それまで『食事』というものをしたことがなかったセロではあるが、そうは言えない状況にきているということを、オードはセロに告げた。
セロが旅立った妖精の草原や、その途中、通りかかった王都にはまだ妖精王の強い結界と、王都を支える妖精術士の術がかかっていたため、セロのようないわゆる『混ざり者』でも普通の妖精と同じく食事を採る必要はなかった。だが、結界が薄れた時点で、セロは身にある人間の部分で辛うじて生きていたのだ。その人間の部分で生きるには、人間に近い生き方をする必要があり、つまり。
「寝るだけでは身体が持たないから。君が倒れた要因の一つは空腹だろうからね。」
「はい。」
妖精には睡眠も食事も必要がない。唯一必要なのは、日光と水分だけだ。
そのような中で、半分人間の血を引くセロが唯一見せていた人間らしい行動は眠ることだった。だが、ここでの生活を続けたいならば、それに加えて食事も必要となる。
「何度も言うけれど、君がこうして生きていられるのは、君に流れる人間の血のおかげなんだよ。混血であるからこそ生きられるんだ。誇ってもいいことだと思うけれど?」
手にとったパンを片手に、うつむき加減になっていると、お茶を口にしながらオードが言った。
「……。」
「食べてごらん。結構美味しいと思うよ。」
セロはその言葉に黙って頷き、手で小さく千切ると、口に運んだ。
何かを食べる、という行為は、初めての経験だ。今回は、他人事めいていたその行為を行わなければならない。激しい違和感がある。口の中に物を入れ、それを噛み、飲み込む行動。初めてづくしで、どちらかというと不快感のほうが強かった。
水とは違う、流動物が喉を押し開いて通りすぎていく感覚が、痛い上に気持ち悪い。人間はこれほど大変な思いを毎日しているのかと思うと、とてつもなく気の毒だ。
「まぁ、慣れるまでは仕方ないね。」
涙目になっているセロを見て、オードは苦笑した。
「すみません…。」
「謝ることはないよ。でも、早く慣れることだ。ここにいたいならね。」
「そうよ。人間は日光浴だけで栄養が採れる種族じゃないからね。しっかり食べないと死んでしまうわよ。」
師匠の優しい言葉は予想の範囲内だが、意外と優しい師匠補佐の口調には驚いた。
そういえば、この下級妖精は、決して好意的ではないが、セロを混血だからと差別の対象として見ることはなかった。
セロが旅立った草原でも、普通に接してくれる妖精もいたが、九割は避難的であったため、どちらかといえば友好的な妖精はめずらしい。その珍しい一割の妖精に、この下級妖精も入っているようである。
「あぁ、そうだ。スリナ。君、自己紹介をしていなかっただろう?しっかりあいさつしておいたらどう?」
「嫌よ。私、この子の事、好きじゃないもの。」
あからさまに顔を背けられ、セロは思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「ごめん…。」
「いえ。私、本当に駄目な奴ですから、ほとんど草原では無視されることのほうが多かったですし…。話してくれるだけで嬉しいです。よろしくお願いします、スリナさん。」
嫌われるにしても、まだ話をしてくれ、関わりを持ってくれているだけ、これまでの最悪な付き合いよりましだ。もちろん、嫌いだと言われて辛くないわけではないが、もっと辛いことを知っているから、この反応はむしろ嬉しいくらいだ。
「…うん。いい子だねぇ。」
「え?」
不意にオードの手がセロの髪をくしゃくしゃとなでた。驚いて顔を上げると、オードの優しい笑顔がとびこんでくる。人とは思えぬ美しさに、セロは思わず顔を背けてしまった。突然、鼓動が大きく早鐘を打ち始め、全身が熱くなる。
真っ赤になって顔を背けているセロを、オードは笑顔のまま見つめていた。
セロの運命は、生まれた時点でかなり過酷なものになることは間違いなかっただろう。『混ざり者』であることは、もはや平穏な一生を送れないということ。偏見ではなく、そうなる社会なのだ。だからこそ、落ちぶれ、救いようのなくなった『混ざり者』は最悪の形で死んでいく…。
だが、その運命の流れにセロは流されていないようだ。少なくとも、彼自身はまだ自分の運命に希望を持ち、懸命に生きようとしている。
「早く妖精術をマスターして、草原に帰らなければね。…スリナ、協力してくれるだろう?」
笑顔の奥に、何らかの含みを持たせてオードが尋ねると、スリナは一瞬躊躇したが、深い溜め息の後、首を縦に振った。
「いつまでもいびっていたって、意味がないわね。この調子だと、どんなに言っても辞めなさそうだし。…いいわ、力になってあげましょ。」
「そう言ってくれると思ったよ。」
スリナとオードの間で交わされる会話を、目を瞬かせ、不思議そうに見つめているセロ。その様子にオードは笑顔を向けた。
…妖精術を学ぶ上での重要事項。それは妖精の協力を得られるかどうか。
どうやらそれには、オードの手助け付きではあるが、スリナの根負けによるセロの勝利となったようだ。これでセロは次の段階に進める。
「じゃあ、そろそろ君の資質を見る時だね。」
「え?」
「昼食後から特訓開始だ。」
パンを手にとりながら、オードはどこか楽しげな口調でそう言い、スリナは「仕方ないわね。」と呟いた。ただ一人、状況についていけていないセロは、疑問符を頭に大量に浮かべて首をかしげていた。
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