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第三十三章 鍵の音
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家を出るとき、鍵の音が思ったより大きく響いた。振り返らない。振り返ったら、全部が崩れると分かっている。ここを出ること自体が、もう選択だ。
夜風が、頬に当たる。冷たい。現実の温度。それでも、足は止まらない。
ポケットの中の、スマートフォンが重い。連絡先は、分からない。
それでも、居場所は知っている。
あの人は、大人で、自分の立場をわきまえている。だけど…だらしなくて、情を残してしまうとこがある。
奥さんと、悠と、過ごした家。性格からして、そこを去れない。いなくなったように演出しているだけだ。直感でしかないが、確信がある。
情を知ってるから、それを認めているからこその孤独。僕はそこに惹き付けられたのだから、間違いない。
怖い。けれど、会える、会えない。行っていい、行ってはいけない。そんな二択は、もう存在しない。行く。それだけが、答え。
電車に乗る。窓に映る自分の顔は、落ち着いている。
決めた顔。涙は、出ない。迷いもない。その時期は、通り過ぎた。駅を降りる。夜の住宅街。灯りはまばらだ。木製の玄関扉の前で、一度だけ立ち止まる。深く息を吸う。そのときだった。
鍵の音。向こうから。気づいている。それが、分かる。
ドアが開く。秋頼が立っている。表情は、穏やかだ。驚いていない。待っていた顔。
「……絢聖君」
名前を呼ばれる。敬称が、残っている。最後の境界。僕は、何も言わない。言葉は、もう要らない。ここに来たことが、全部だ。
秋頼は、一歩退く。道を空ける。入るという選択肢しか与えてこない。来訪を拒まない。
部屋に入る。灯りは、控えめだ。相変わらず、部屋は静かで時計の針の音が響く。
靴を脱ぐ。揃える。最後まで丁寧な自分。それが、滑稽で、少し安心する。
秋頼は、何も聞かない。理由も、事情も。聞かないという選択。
だが、その行為は秋頼がすると、肯定になる。
「……ソファーに座りなさい」
低い声。命令ではない。居場所の指定。そこに、腰を下ろす。
距離は、近い。触れない。触れないことが、ここでは正しい。
沈黙が落ちる。重くない。預けられる沈黙。それに、懐かしさが込み上げる。
悠は、追ってきた。必死に触れようとした。現実に留めようとした。
それが、愛だと分かっている。だから、それに応えるのは不誠実だと思った。
僕は、自分の意志で秋頼を選び、悠を捨てた。
「……ここに来たら」
秋頼が言う。声は、静かだ。
「戻れなくなる」
警告。それでも、選ばせる言葉。僕は、うなずく。
もう、戻る前提で生きていない。生きられない。
秋頼が見つめてくる。目を、外さない。そこには、預かる覚悟の視線がある。
「……それでも、ここじゃないと、僕は呼吸できない」
声は震えない。熱さだけがそこにある。
秋頼は、目を閉じる。いつも彼は、越えないためにそれをする。
そして、開く。越えるために。
「……分かった」
短い返事。肯定でも否定でもない。預かるという決断。
その瞬間、はっきり分かる。僕は、秋頼を選んだ。正しさじゃない。救いでもない。愛だけではない。生き方を選んだ。
外では、夜が静かに続いている。けれど、胸の中には激しさがある。生きる炎。それが、広がる。揺れて、生きている感覚。それを確かに取り戻していた。
夜風が、頬に当たる。冷たい。現実の温度。それでも、足は止まらない。
ポケットの中の、スマートフォンが重い。連絡先は、分からない。
それでも、居場所は知っている。
あの人は、大人で、自分の立場をわきまえている。だけど…だらしなくて、情を残してしまうとこがある。
奥さんと、悠と、過ごした家。性格からして、そこを去れない。いなくなったように演出しているだけだ。直感でしかないが、確信がある。
情を知ってるから、それを認めているからこその孤独。僕はそこに惹き付けられたのだから、間違いない。
怖い。けれど、会える、会えない。行っていい、行ってはいけない。そんな二択は、もう存在しない。行く。それだけが、答え。
電車に乗る。窓に映る自分の顔は、落ち着いている。
決めた顔。涙は、出ない。迷いもない。その時期は、通り過ぎた。駅を降りる。夜の住宅街。灯りはまばらだ。木製の玄関扉の前で、一度だけ立ち止まる。深く息を吸う。そのときだった。
鍵の音。向こうから。気づいている。それが、分かる。
ドアが開く。秋頼が立っている。表情は、穏やかだ。驚いていない。待っていた顔。
「……絢聖君」
名前を呼ばれる。敬称が、残っている。最後の境界。僕は、何も言わない。言葉は、もう要らない。ここに来たことが、全部だ。
秋頼は、一歩退く。道を空ける。入るという選択肢しか与えてこない。来訪を拒まない。
部屋に入る。灯りは、控えめだ。相変わらず、部屋は静かで時計の針の音が響く。
靴を脱ぐ。揃える。最後まで丁寧な自分。それが、滑稽で、少し安心する。
秋頼は、何も聞かない。理由も、事情も。聞かないという選択。
だが、その行為は秋頼がすると、肯定になる。
「……ソファーに座りなさい」
低い声。命令ではない。居場所の指定。そこに、腰を下ろす。
距離は、近い。触れない。触れないことが、ここでは正しい。
沈黙が落ちる。重くない。預けられる沈黙。それに、懐かしさが込み上げる。
悠は、追ってきた。必死に触れようとした。現実に留めようとした。
それが、愛だと分かっている。だから、それに応えるのは不誠実だと思った。
僕は、自分の意志で秋頼を選び、悠を捨てた。
「……ここに来たら」
秋頼が言う。声は、静かだ。
「戻れなくなる」
警告。それでも、選ばせる言葉。僕は、うなずく。
もう、戻る前提で生きていない。生きられない。
秋頼が見つめてくる。目を、外さない。そこには、預かる覚悟の視線がある。
「……それでも、ここじゃないと、僕は呼吸できない」
声は震えない。熱さだけがそこにある。
秋頼は、目を閉じる。いつも彼は、越えないためにそれをする。
そして、開く。越えるために。
「……分かった」
短い返事。肯定でも否定でもない。預かるという決断。
その瞬間、はっきり分かる。僕は、秋頼を選んだ。正しさじゃない。救いでもない。愛だけではない。生き方を選んだ。
外では、夜が静かに続いている。けれど、胸の中には激しさがある。生きる炎。それが、広がる。揺れて、生きている感覚。それを確かに取り戻していた。
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