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翌朝。
校門をくぐると、途端に人だかりにぶつかった。輪の中心からは怒声が聞こえる。誰かが喧嘩をしているらしい。取り囲む野次馬の中からは、無責任にはやし立てる声も上がっていた。
こんな時間にこんな派手な喧嘩を繰り広げる人間といえば、この学校には一組しかいない。わたしは人波をかき分け、輪の真ん中に入って行った。
「今日っちゅう今日は決着をつけてやるぜ、木野!」
「望む所だ、どっからでも来いや、戸田!」
……やはりこの二人だ。
木野友則と戸田基樹。星風学園演劇部の部長と副部長。この星風学園でも五本の指に入る成績を誇りながら、同時に一、二を争う問題児でもある。聞く所によると三歳の頃からの幼馴染だそうだが、出会った初日に喧嘩を始め、それ以来十五年間この調子で続けているらしい。わたしを含め彼らを知る者達にとって、彼らの喧嘩は日課のようなものである。いや、これは彼らなりのコミュニケーションなのかも知れない。
「朝子さん!」
人だかりの中から、誰かがわたしを呼んだ。綺麗に整った顔立ちをした少年。演劇部の後輩の大江賢治だった。
「やってるわねえ」
「やってますねえ」
原因は訊かなかった。いずれくだらないことに決まっているからだ。賢治の方も言おうとはしなかった。
「何処まで本気でやってんだか」
賢治は溜め息混じりに言った。確かに、朝から校門の正面で大立ち回りをしている高校三年生の男二人の図、というのはなかなかに冗談じみている。
わたしは二人に近寄った。
「またやってるのね、木野君、戸田君」
わたしが声をかけた途端、二人の動きはぴたりと止まった。
「やあ、いい朝だねえ、朝子さん。お元気?」
木野友則はにこやかに言った。釣り気味の眼が人懐こく細められている。子供のように邪気のない笑顔は、賢治ほどの美貌ではないが恐ろしく魅力的だ。
「『お元気?』じゃねーだろ阿呆!」
すかさず戸田基樹がツッコミを入れた。金髪に近い色の髪をしているが、これは生まれつき色素が薄いせいである。
「誰が阿呆だ誰が」
「おまえだド阿呆」
「はいはい、そこまでにしてね。ただでさえ大渋滞を起こしてるのよ」
校門は人だかりですっかりふさがっている。二人はそれに今初めて気付いたようだった。ありゃ、と小さく友則は呟き、続いて声を張り上げた。
「はーい、もうおしまーい! 解散!」
舞台で鍛えているだけあって、友則の声はよく通る。校門前の人だかりの隅々まで、その声は響き渡った。野次馬達は三々五々散って行き、人波は少しずつ引いて行った。そう言えば、そろそろホームルームも始まろうかという時間だ。
友則はわたしを振り返った。
「そうそう、冬季公演の脚本、賢がきばって書いてくれたよ。目ェ通しといてくれ」
賢治は我が演劇部の看板役者の一人でもあるが、同時に座付き作家でもある。本人は「座付き作家」の方に重点を置いていたいらしいが、彼自身の容姿と演技力がそれを許さないでいる。賢治はカバンの中からプリントアウトした脚本を取り出すと、はい、とわたしに手渡した。
「今回は朝子さんが主役だからって、ベタなラブストーリー書いてやんの。こーのロマンチストが」
「いいじゃないですか。第一、結末とかまだ出来てない未定稿なんですからね、これ。ラブストーリーにならないかも知れないでしょ」
「それ以外の何になるってんだよ、賢。無駄なテーコーはよしなって」
二人の会話を聞き流しながら、わたしはパラパラとそれをめくった。
「……大江君、これって……」
「え、何ですか?」
「──ううん。何でもない」
偶然、だろう。賢治が知っている筈はないのだから。星風演劇部座付き作家の新作は、出征して行った恋人を待ち続ける女の物語だったのである。
──恋人を待ち続ける女の気持ちとは、どういうものか。
正直、わたしには判らないでいる。女性だから女性の気持ちが判るだろうと言うのは大いなる誤解で、女性であろうが男性であろうが判らないものは判らない。自分自身の気持ちさえ、はっきり判るものではないのに。
そういうことを友人に言うと、
「朝子ってクールだねぇ」
とか言われて一笑に付されるのが落ちなのだけど。
実際、わたしはクールなのだろう。恋愛が方程式できっちり割り切れるものではないと頭では判っていても、どうしても納得出来ない。それどころか、いつまでも待ち続けるという行為に妄念に近いものさえ感じて、薄ら寒くなってしまう。
わたしに、この役を演じることは出来るだろうか。
「……さん。河村さん」
ふと気付くと、二十代後半の長身の青年がにこやかにわたしを見下ろしている。古文教師で演劇部顧問の芦田風太郎だ。黒縁の眼鏡をかけた物腰の柔らかな青年で、女子からの人気も高い。だが、わたしは知っている。この一見虫も殺さない風の青年が、たまに友則と酒を飲んでいたりすることを。
「あ、先生……」
「考えごともいいですけど、あまり心をお留守にしていると、危ないですよ?」
「……すみません」
「──冬季公演のことですか?」
この先生は、にこやかな表情で人の急所をついて来る。
「主役でしたよね、確か。僕も大江君の脚本を読ませてもらいましたよ。……プレッシャー、感じてるんですか?」
「はい、……いえ、大丈夫です」
「そうですか? だったらいいんですけど」
わたしは芦田先生に一礼して、小走りにその場から立ち去った。この人の視線は柔らかいけれど、何もかも見透かされているようで、時々恐ろしい。
校門をくぐると、途端に人だかりにぶつかった。輪の中心からは怒声が聞こえる。誰かが喧嘩をしているらしい。取り囲む野次馬の中からは、無責任にはやし立てる声も上がっていた。
こんな時間にこんな派手な喧嘩を繰り広げる人間といえば、この学校には一組しかいない。わたしは人波をかき分け、輪の真ん中に入って行った。
「今日っちゅう今日は決着をつけてやるぜ、木野!」
「望む所だ、どっからでも来いや、戸田!」
……やはりこの二人だ。
木野友則と戸田基樹。星風学園演劇部の部長と副部長。この星風学園でも五本の指に入る成績を誇りながら、同時に一、二を争う問題児でもある。聞く所によると三歳の頃からの幼馴染だそうだが、出会った初日に喧嘩を始め、それ以来十五年間この調子で続けているらしい。わたしを含め彼らを知る者達にとって、彼らの喧嘩は日課のようなものである。いや、これは彼らなりのコミュニケーションなのかも知れない。
「朝子さん!」
人だかりの中から、誰かがわたしを呼んだ。綺麗に整った顔立ちをした少年。演劇部の後輩の大江賢治だった。
「やってるわねえ」
「やってますねえ」
原因は訊かなかった。いずれくだらないことに決まっているからだ。賢治の方も言おうとはしなかった。
「何処まで本気でやってんだか」
賢治は溜め息混じりに言った。確かに、朝から校門の正面で大立ち回りをしている高校三年生の男二人の図、というのはなかなかに冗談じみている。
わたしは二人に近寄った。
「またやってるのね、木野君、戸田君」
わたしが声をかけた途端、二人の動きはぴたりと止まった。
「やあ、いい朝だねえ、朝子さん。お元気?」
木野友則はにこやかに言った。釣り気味の眼が人懐こく細められている。子供のように邪気のない笑顔は、賢治ほどの美貌ではないが恐ろしく魅力的だ。
「『お元気?』じゃねーだろ阿呆!」
すかさず戸田基樹がツッコミを入れた。金髪に近い色の髪をしているが、これは生まれつき色素が薄いせいである。
「誰が阿呆だ誰が」
「おまえだド阿呆」
「はいはい、そこまでにしてね。ただでさえ大渋滞を起こしてるのよ」
校門は人だかりですっかりふさがっている。二人はそれに今初めて気付いたようだった。ありゃ、と小さく友則は呟き、続いて声を張り上げた。
「はーい、もうおしまーい! 解散!」
舞台で鍛えているだけあって、友則の声はよく通る。校門前の人だかりの隅々まで、その声は響き渡った。野次馬達は三々五々散って行き、人波は少しずつ引いて行った。そう言えば、そろそろホームルームも始まろうかという時間だ。
友則はわたしを振り返った。
「そうそう、冬季公演の脚本、賢がきばって書いてくれたよ。目ェ通しといてくれ」
賢治は我が演劇部の看板役者の一人でもあるが、同時に座付き作家でもある。本人は「座付き作家」の方に重点を置いていたいらしいが、彼自身の容姿と演技力がそれを許さないでいる。賢治はカバンの中からプリントアウトした脚本を取り出すと、はい、とわたしに手渡した。
「今回は朝子さんが主役だからって、ベタなラブストーリー書いてやんの。こーのロマンチストが」
「いいじゃないですか。第一、結末とかまだ出来てない未定稿なんですからね、これ。ラブストーリーにならないかも知れないでしょ」
「それ以外の何になるってんだよ、賢。無駄なテーコーはよしなって」
二人の会話を聞き流しながら、わたしはパラパラとそれをめくった。
「……大江君、これって……」
「え、何ですか?」
「──ううん。何でもない」
偶然、だろう。賢治が知っている筈はないのだから。星風演劇部座付き作家の新作は、出征して行った恋人を待ち続ける女の物語だったのである。
──恋人を待ち続ける女の気持ちとは、どういうものか。
正直、わたしには判らないでいる。女性だから女性の気持ちが判るだろうと言うのは大いなる誤解で、女性であろうが男性であろうが判らないものは判らない。自分自身の気持ちさえ、はっきり判るものではないのに。
そういうことを友人に言うと、
「朝子ってクールだねぇ」
とか言われて一笑に付されるのが落ちなのだけど。
実際、わたしはクールなのだろう。恋愛が方程式できっちり割り切れるものではないと頭では判っていても、どうしても納得出来ない。それどころか、いつまでも待ち続けるという行為に妄念に近いものさえ感じて、薄ら寒くなってしまう。
わたしに、この役を演じることは出来るだろうか。
「……さん。河村さん」
ふと気付くと、二十代後半の長身の青年がにこやかにわたしを見下ろしている。古文教師で演劇部顧問の芦田風太郎だ。黒縁の眼鏡をかけた物腰の柔らかな青年で、女子からの人気も高い。だが、わたしは知っている。この一見虫も殺さない風の青年が、たまに友則と酒を飲んでいたりすることを。
「あ、先生……」
「考えごともいいですけど、あまり心をお留守にしていると、危ないですよ?」
「……すみません」
「──冬季公演のことですか?」
この先生は、にこやかな表情で人の急所をついて来る。
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