イレブン

九十九光

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プロローグ1

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 神様がこの世界を作ったとすれば、神様はわざとこの世界をつまらないものにしたのだろう。小学四年生になる頃には、私はそんなひねくれた考えを持つようになっていた。

 いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じような朝食を食べて、いつもと同じような服を着て、いつもと同じ赤いランドセルを背負って、いつもと同じルートで学校に行って、いつもと同じような勉強をして、いつもと同じような給食を食べて、いつもと同じ人といつもと同じようなおしゃべりをして、いつもと同じ道を通っていつもと同じ時間に家に帰って、いつもと同じような晩ご飯を食べて、いつもと同じお風呂に入って、いつもと同じパジャマを着て、いつもと同じ時間にいつもと同じ布団で眠る。そしてまた『いつもと同じ時間に起きて』以降の行動を繰り返す。私の生活は何年経ってもこの繰り返しだった。そこに父もいつもと同じような生活を繰り返す様を見せられると、大人になったら面白いことが待っているとは思えなくなった。

 そして一度そういう考えに取りつかれると、もう何に触れても面白くないと感じてしまう。十万ボルトの電撃を食らって空のかなたに飛んでいく悪役を見ても、『普通そうはならないだろ』とか、『毎回どこかへ飛ばさないで警察に突き出せばいいのに』とか、無粋で現実的な感想ばかりが出てきてストーリーを楽しめなくなった。それどころか、これを作った大人が、「どうせ子供はバカだから、こういうアホみたいなアニメを適当に流しとけば面白がるだろ」とでも考えているのではないかと、非常に憎たらしい感想を持つようになっていた。その考えは限度を知らず、私の周囲から親しかった友達が一人残らずいなくなるほどひどかった。

そしてこういう話をすると、例の戦争を本土空襲とかの形で経験したお年寄りたちの多くは、「その退屈こそ、今の日本が平和ないい国だっていう証拠だよ」と言ってくるものだ。その言い分は理解できなくもない。自衛隊が実戦で忙しい一年より日常的な訓練しかしない一年のほうが、防衛省としてはありがたい話だ。だが、それとこれは切り離して考えないといけない別問題であるはずだ。戦争や災害でみんながピンチの時に、日曜朝のスーパーヒーローのように颯爽と現れて大活躍したいという願望は、生まれつき退屈な平和を与えられている人なら一度くらい頭に思い浮かべたことがあるだろう(本当にそうなったとして、自分にそういう活躍ができるかは別の話だが)。医者や消防士など、他人が不幸な目に遭って初めて機能することが多い職業に憧れる人というのは、どこかにそういう心理を持って
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