イレブン

九十九光

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プロローグ2

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いるのかもしれない(あくまで私個人の持論だが)。

 私はきっと、子供の時からそういう世界に憧れを持っていたのだろう。もっと非日常的な光景を見てみたい。代り映えしない退屈な現実から、平和とは真逆の世界に行ってみたい。そこで自分に何ができるかはともかくとして、とにかく荒れ果てて殺伐とした、そこで生きているのが奇跡に思えるような空間へと飛んでいきたい。私は昔からずっと、そんな考えを持っていたのかもしれない。

 だが結果として、私はその理想を捨てることになる。二〇〇九年、私は(数え年で)二十三歳の時に、愛知県で中学校の社会科教師になった。理由は二つあり、父の圧力と私自身の自分への無自覚だった。

 私の父は山口県の高校教師であり、教師という仕事の安定性と偉大さを、ジル・ド・レから見たジャンヌ・ダルクのように神格化し、その理想を私に押しつけてきた。母が早くに死んだことでブレーキをかけてくれる人がいなかったのが大きいだろう。

 そしてもう一つ、私自身の自分への無自覚というのは、さっき書いた私の憧れを、大学時代の私が気づけなかったという意味だ。当時の私は、ただこの世界がつまらないと感じるだけで、災害の現場や発展途上国の貧しい村に行ってみようとは微塵も考えなかった。教員試験の勉強が忙しく、当時のブームだった自分探しをする暇がなかったのだ。私が先述した考えに行き着いたのは、教員になって半年くらいしてからだった。当然、サービス残業が当たり前のこの世界で自分は何者なのだろうという哲学を考える時間は生まれなかった。

 以上の理由により、私は自分の思いを押し殺して、複雑な子供の心理とその保護者の要望と上司からの指示を汲み上げていくだけの、面白くもない仕事を続けているのである。

 そして、面白くないと考えながら仕事をしていると、その本心が表に出てしまうらしい。PTAからの私の評価は、『あまり親身になってくれない冷たい先生』という感じになっている。小学校の頃から周囲の同級生が面白いと言っていたコンテンツをあまのじゃくに批判していた私がどうやってうまく人とつき合えというのだ。ましてや世代が違う先輩教師や生徒と。このひねくれた考えによって、私は学校の先生という多くの人(主に年配の人)が憧れを持ちそうな職業についておきながら、明らかにその仕事に向いていないことを自他ともに認めることになったのだ。

 そして今までこんな風に生きてきたからこそ、私にとってあの一年は、絶対に忘れようがない年になったのである。
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