イレブン

九十九光

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♯3ー10

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 またこの人は何を言っているのか。それは福島の話だろ。高速道路は原発の近くを走ってないから、放射線を気にする必要もないし。

 なんてことを口にすればあとで何を言われるのか分からないので黙っていると、それに気圧されることなく信子さんが声を大きくして次のセリフを言い放つ。

「場所が違います! それは福島の話で宮城の話じゃありません! 余震だって、行先ではそこまで巨大なものは発生してませんし、こういう出来事が起きたからこそ、子供たちに震災の被害がどうだったかを知ってもらう機会になるんじゃありませんか!」

 まるで学校の先生みたいなことを言い出すな、この人。子供の興味に関係なく広島や沖縄を旅行先に選ぼうとする考えに通じるものがある。

 これに対して松田母は、しばらくその場で考えるように黙り込んだ。天井を見上げて目をしっかりと開けているその表情は、「まてよ、このおばさん、もしかして……」とか「面倒なおばさんだな。どう言えば引き下がるのか……」とか考えていそうな感じがしており、手詰まりになって最後のあがきをしようとしているようには見えなかった。

 そして十秒ほど黙り続けたところで、松田母は信子さんに視線を向けてこう質問した。

「あなた、もしかして三年二組の内田平治って生徒の保護者ですか?」

「え、ええ。そうですけど」

 信子さんが正直に答えた。

 そこからの松田母はすさまじかった。

「やっぱり! あなた、自分の親族が被災して、その悲しみを赤の他人にも理解して自分たちに同情してほしいなんてわがままな理由で、子供たちを危険な場所に送り込もうとしてるんですか! そんな個人の考えより子供の安全のほうが優先されるのは当たり前の話ですよね? なんて恐ろしいことを考えるんですか! それでも一人の子供の親ですか! 震災被災者なら何言ったって許されるとでも考えてるんですか! そんな横暴が通じるほど中学校は適当な場所じゃないんですよ!」

 まだ震災から一か月ちょっとしか経っていないというのに、なかなか豪快なことを言う人だ。今までの話は情報収集の適当さが丸見えだったのに、子供の安全というワードのおかげでここだけものすごく賢い言葉に聞こえる。

 そして、さすがにこのセリフの前には、信子さんも反撃する気力がなくなってしまったらしい。「別にそんなつもりで言ったわけじゃ……」と、力なく小石を投げつけるような言葉を彼女が言ったかと思うと、松田母は土石流のような言葉を口にして畳みかけてきた。
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