イレブン

九十九光

文字の大きさ
上 下
72 / 214

♯6ー2

しおりを挟む
島で被ばくしたなんて保護者が考えて、家庭の事情をちらつかせて学校でのいじめを強要したなんて、日本どころか世界中からバッシングを受けるに決まってます。中学生という多感な時期に、自分の通う学校がそうやって悪く言われたという経験をさせるわけにはいかないでしょう」

 なるほど、生徒の健やかな心の成長のために、特定の生徒のいじめ問題を公表しないというわけか。学園ドラマの主人公の教師が聞いたら、「そんなバカな話があってたまるか!」と言いながら校長の机を叩きそうだ。

 そんなことができるほど人ができていない私は「はい……」と返事を返した。

 二十年以上住んでいると、日本という国はイエス以外の返事が許されない国家だということにさして疑問を抱かなくなる。この国は人口の大多数がイエスマンで占められていることで成立している国家だ。下っ端が経営方針にとやかく言わないおかげで会社の経営がぶれないし、不謹慎な話をすれば、自分も死ぬかもしれないから嫌だと言い張る軍人がいなかったおかげで太平洋戦争はあんなに長く続いたのだ。この国の歴史や社会、特に近現代を考えるにあたっては、この名もないイエスマンの存在は適当な偉人よりずっと高い影響力を持っているだろう。そして私も、そんなイエスマンの道を順調に歩んでいる。組織の人間としては優等生だろうが、ノーを突きつけないと解決の兆しさえ見えない問題と向き合う者としては落第点だ。

 そんなネガティブなイメージがしそうな話をしたが、この時の私はそこまで精神的な疲れを感じていなかった。むしろ重荷から解放されてハッピーな気分にさえなっていた。

 理由はもちろん、松田母と石井母が結託して仕組んだという原因が分かり、佐久間校長の指示で次の行動が示されたおかげで、自分であれこれ考えて行動する必要がなくなったからだった。上からの圧力で行動を起こせないのであれば、六月にある家庭訪問で各家庭の話を聞き、その間石井たちが親の言いつけを真面目に守って内田をいじめないようにすればいい。廊下を歩いて二組の教室に向かう私は、内心そんな風に考えていた。苦手な対人を要求されているが、原因不明のいじめのあとだと大した難題に感じられなかった(なんて単純な性格なのだろう)。

 私が二組の教室に戻った時には、小林先生の監督の下、すでに給食の配膳は終わっていた。白米にサバの南蛮漬け一切れ、豚のホルモンのどて煮(赤味噌で味つけした、この地域特有のメニュー)、デザートのオレンジ四分の一に牛乳と、学校外の給食センターから運ばれてきた一般的な給食が、私の席と各生徒の座席に用意されている(数年後のテレビニュースで
しおりを挟む

処理中です...