イレブン

九十九光

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♯9ー3

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 名簿表と告知プリント、一時間目の社会の授業のための教材を持って室内から出ようとした私に声をかけたのは、今そこそこ大きな問題を起こしている山田先生だった。

 私が「はい」と返事をしたあとで放たれた山田先生の言葉は、その問題とはまったく関係のない話だった。

「今日の五時間目なんですけど……、先生の予定って……」

「何もありませんよ」

「じゃあプールに来ていただけませんか? 二組がこの時間にやりますので」

 別におかしな話じゃないだろうと言いたげな山田先生に、私は当初頭に『?』が浮かんだ。担任の仕事としてプールの授業の監督に行くなど聞いたことがなかったからだ。

 そんな私の気持ちを察して、山田先生が補足の説明をしてくれた。

「内田君、津波で人が流されてるところを見たはずじゃないですか。だから実際に水の中に入ったら、その時のトラウマを思い出して溺れるんじゃないかって思ってて……。本人は事前の確認で、大丈夫だって言ってるんですけども……」

 ああ。そういうことか。

 私は話の全容をつかみ、「分かりました。五時間目ですね」と言いながらうなずいた。

 そういう事例があったという話は聞く機会がなかったが、万単位で人が死に、いまだにその爪痕が尾を引くほどの巨大地震だ。揺れや水に対して恐怖を抱いている可能性は否定できない。

 ただ私は心の中で、内田に限ってそんなことはないだろうと軽く考えていた。

 二か月近く彼の面倒を見てきたが、ちょっとした揺れに敏感に反応するというような素振りは一度も見たことがないし聞いたこともなかった。自分のテリトリーに踏み込まれようと前の学校で受けたことと同じことをされようと顔色一つ変えずに生活するあの生徒が、今さら膝より高い位置にある水面に恐怖するとも思えなかったのである。

 だが事情の正当性が強いだけに、そんないい加減な本心は口が裂けても言えたものではない。だから私は山田先生の指示を素直に聞いたのである。

 そして八時半。私は改めて名簿表と告知プリント、一時間目の社会の授業のための教材を持って、二組の教室に足を運んだ。

 急きょ入った予定に深い考えを持っていない以上、私の中では原田の進言と文化祭の文句の予想、石井と松田の無断欠席問題の、計三つの面倒ごとだけがかき回されていた。なんとかしてくれという生徒からの苦情は私にだけ向けられるが、周りの大人は誰もまとも
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