マインハールⅡ

熒閂

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Kapitel 01

暉曄宮 03

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 パーティの当日。
 耀龍ヤオロンの館・客間。
 耀龍と麗祥リーシアンは、応接セットのソファに対面して座していた。
 ふたりともそれぞれの侍女たちによって正装に整えられ、いつにも増して名家の子息らしく気品を纏っていた。急なパーティとはいえ、着飾るのは慣れたものだった。
 アキラは別室にてドレスは勿論、髪や爪、メイクまで念入りに仕上げられていることだろう。本人は突然パーティと言われても何も勝手は分からないだろうが、侍女たちが完璧にこなす。
 耀龍と麗祥がソファに腰を下ろして程なくして、縁花ユェンファが入室した。

「お待たせして申し訳ございません」

 ガジャン、ガジャン。――縁花の身動きに合わせて金属音。
 今宵の縁花の出で立ちは特別だった。耀龍の侍従として恥ずかしくないよう日頃から身形には配慮を欠かないが、今宵は格別。磨き上げられた甲冑を身につけ腰には長刀をき、今すぐにでも戦場に馳せようかという物々しい英姿だった。
 縁花のあとに続いてふたりの男女が入室した。縁花とは意匠が異なるものの、こちらも戦装束だった。
 麗祥は彼らの人相に見覚えがあった。

「この者たちは……」

「丁度いいからアキラの護衛として呼んだ」

 耀龍はソファから立ち上がって縁花に近づいた。腕組みをして全身をまじまじと観察した。
 縁花は両手を腰の後ろで組んで背筋を伸ばして仁王立ちになり、主人からの視線を受け容れた。

「父様が急に言い出すから、今回は新たに装具を誂える時間がなくてごめんね」

「いいえ。もう充分すぎるほど立派なものを頂戴しております」

 それから、耀龍は男女のほうへ目線を向け、首を左右に傾けてジロジロと眺めた。
 彼らの装束は縁花のものとは異なり、男女ともに背中を守るものは何も無く素肌を晒していた。背中から攻撃を受けてはひとたまりもない。しかし、これこそが彼らの特性だ。
 彼らは、縁花ほど従順にその視線を受け容れはしなかった。特に女性のほうはその顔に不快感を在り在りと表出させた。

「へえー。様になるじゃない。せっかくキミたち用の装具を大急ぎで用意してあげたんだから、めいいっぱい役に立ってよ」

「勘違いするな。我らがアキラ殿をお守りするのはアキラ殿への恩義故。貴様の命令に従っているのではないわ」

「別に何でもいいよー。結果が同じなら」

 耀龍は、反抗的な女性に対して小首を傾げて見せた。

「ああ、でも、キミたちも勘違いしないでね。アキラの役に立ちたいって言ったのはキミたちのほう。オレはキミたちを許してないし、頼みこんだわけでもない。キミたちを信用してるのはアキラであってオレじゃない。オレたちの間にあるのは信頼関係じゃない。現状での利害の一致だけだよ」

 麗祥が見覚えがあった彼らは、少数であるが故の悲運の末路――滅びかけの一族の生き残り――有翼人種フォーゲルフェダル族の遺民の姉弟。すなわち、姉のルフトと弟のヴィントだった。
 耀龍はアキラを庇護下に置くと、すぐにミズガルズで彼らの居所を探した。天尊がアスガルトに帰還後も、彼らがミズガルズに留まったことはかなり妥当な想定だ。そして、見つけ出した彼らに提案した。アキラに恩を感じているのなら、その身を守ることで返せばよいと。

「まあ、オレはキミたちじゃなくても全然構わないけど、キミたちはできるならアキラへの恩を返したいでしょ」

「利害の一致か。それもそうだな。しかし、信用できない者を居城に招き入れるのは不用心ではないか」

「だからだよ。ここは暉曄宮きようきゅうファの族長の居城。エインヘリヤルに並ぶ武力を誇る牙城。完全なるファのテリトリー内で、キミたち如きが何かできるわけがない」

「ッ……」

 ルフトは耀龍を睨んだ。口惜しいが、このいけ好かない貴族の若者の言を否定する材料を持ち合わせなかった。

「あ。オレに何かするのもやめたほうがいい。今夜の縁花ユェンファは武装してる。ミズガルズのときの比じゃないよ」


小姐シャオヂエの御支度整いましてございます……」

 主人と気性の荒い有翼人種との対峙に怯えた侍女が、震える声で伝えた。
 ルフトはチッと舌打ちして耀龍から目線を外した。
 程なくして、侍女に先導されたアキラが部屋に入ってきた。
 赤と橙の中間色の衣で仕立てたドレス。足元がすっぽり隠れるほど長いその裾をひきずって現れた。黒髪には、ドレスの色に合わせて黄金色の髪留め。その細工は精緻な小花。侍女たちによって薄い化粧を施されたかんばせは、いつもより少しだけ大人びた。
 アキラはフォーゲルフェダル族の姉弟を見た瞬間、驚いて表情を変えた。

「え⁉ ルフトさんとヴィントさんが何で?」

姑娘クーニャン。上品でとても愛らしい装いだ」

「ホントよく似合ってる。アキラは黒髪だから何色の衣でも合うね」

 麗祥も耀龍もアキラの反応を無視して口々に褒め称えた。由緒正しい貴族の子息として教育された彼らにとって、それはこの場で何よりも優先すべき事柄だ。
 麗祥は何も言わず突っ立っているヴィントを横目で見た。

「君は姑娘クーニャンを褒めないのか? せっかく見事に着飾っているというのに」

 ヴィントはギクッとして固まった。一瞬遅れて口を開いた。

「あ……。キ、キレイ、です……」

「これ、ヴィント。貴族のようにとは言わんが、もっと気の利いたことが言えんのか」

 ヴィントは姉から叱られて困った表情で俯いた。
 貴族の男のような華美な賛美の台詞までは求められないにしても、咄嗟に上手い台詞は出てこなかった。不慣れなことをそつなくこなせるほど器用な男ではなかった。

「無理しないでください、ヴィントさん」

「無理などございません。今宵は格別に麗しゅうございます、アキラ殿」

 ルフトはヴィントの耳を捻り上げ、アキラに向かって微笑みかけた。彼女のほうがヴィントよりもずっと流暢に堂々としていた。
 じゃなくて、とアキラは耀龍のほうへ顔を向けた。

「コラ、ロン。何でルフトさんたちを巻きこむの」

「だって必要なんだもん」

 アキラに「めっ」と叱りつけるような表情をされ、耀龍はチロッと舌を出して見せた。
 ハハハハッ、とルフトは破顔した。

「ニーズヘクルメギルの子息を叱りつけるとは、流石はアキラ殿。アキラ殿は何もお気になさらず。これは我ら姉弟が望んだことです」

「驚いたよ。まさか、アキラがこの姉弟とつながってるなんて」

 耀龍の表情に言葉ほどの驚きはなかった。
 復讐を果たすためだけに、天尊の抹殺だけを目的として、ミズガルズに降臨した彼らがアスガルトに戻らないであろうことは、耀龍には容易に想定できた。
 アスガルトとミズガルズ、異界の往来は管理されており自由にはできない。しかし、何事にも裏道や便宜は存在する。〝管理者〟に特別なコネクションがあったり、無視しがたい強力な権力があったり、手段はさまざまだが、正当な理由がなくとも彼岸へ渡ることは決して不可能ではない。
 フォーゲルフェダルの彼らが取りうる手段は、金銭の授受によって便宜を図らせるもの、所謂〝密入国〟。ミズガルズへ行きたがる者は多くはない。関心のない者にとっては無価値だ。しかし、便宜を図ることは管理者にしかできないのだから、決して安価なものではない。往復の料金を工面するのが難しくとも、目的が復讐であれば片道切符で充分だ。
 アキラは天尊と耀龍が去ったあと、天尊と別れた山へ行ってみた。そこにはフォーゲルフェダルの三人がいた。彼らからアキラに対しても、アキラから彼らに対しても、敵意や悪意はなかった。彼らの原動力は、天尊への怨恨にして大昔の悲劇なのだから、それは当然だった。
 彼らは元の世界へ戻れないという。自ずとこの世界で余生を過ごすしかない。しかし、彼らはこの世界では異端者であり、寄る辺もない。耀龍のように関心や知識があるわけでもない。事情を知ったアキラは、彼らを見捨てられなかった。できる限りの助力をし、救いの手を惜しみなく差し伸べた。それこそが、彼らがアキラに感じている恩義だ。

「アキラ殿は行く当てのない我らに衣食住の世話をしてくださいました。我ら姉弟が今日こんにち健やかに過ごせているのは、すべてアキラ殿のお力添えあってこそ。その恩義に少しでも報いたいのです」

「そんな大層なことは……。わたしはお仕事を紹介しただけで、そしたら運良く衣食住がついてきたっていうか」

 アキラはルフトたちを知り合いの異邦人ということにして、常連の商店街のツテを頼って求人中の店を探し、雇ってくれと口を利いた。雇用先の店長が大層人柄のよい人物で、ルフトたちに住むところを世話してくれた。
 いくら店長が善人でも、アキラが一所懸命に頼まなければ、縁も所縁もない、知識も常識も心許ない異邦人を信用することは難しい。アキラがいくら否定しても、その尽力の甲斐であることを、フォーゲルフェダルの三人は重々理解していた。
 ルフトはアキラに向かって目尻を下げて微笑んだ。

「ええ。アキラ殿は大層なことはなさっていないとお思いください。我ら姉弟が勝手にしていることです」

 これは何と遠慮しても引き下がってくれそうにない、と察したアキラはヴィントのほうへ目線を移した。

「ヒンメルさんは一緒じゃないんですか?」

「三人揃って仕事を抜けるわけにはいかなかったもので……」

 異界の住人であるヴィントから普通の社会人のような台詞が出てきて、アキラはアハッと笑った。随分とあちらでの生活に慣れたようでよかった。幸か不幸かは分からないが、これから先の生涯をそこで過ごすと決めたのなら、過ごしやすいほうがよいに決まっている。
 アキラは麗祥と耀龍のほうへ目線を移した。

「ユェンさんたちはパーティーなのに鎧? こっちのパーティーってこういうもの?」

「いいや、少々変わった趣向と言える。父様主催だとこうなることが多い」

「武具や装具の誂えの出来とか、どれだけ腕の立つ従者がいるかとか、要は自慢大会。だからアキラの従者として彼らに来てもらったってワケ」

「わたしにもユェンさんみたいな人が必要ってこと?」

 アキラは小首を傾げた。
 耀龍と麗祥はコクンと頷いた。

「アキラは天哥々ティエンガコ恋人リィエンレンだ。貴族や名家の令嬢リンジャンじゃないとしても、決して誰にもアキラを侮らせない」

 耀龍はアキラの両肩に手を置き、額にチュッと軽く口づけた。

「だから、そういうのしないでってばっ」

「えー。額もダメなの?」

 彼らの言う庇護するとはそういうことだ。生命の危機を遠ざけ、衣食住を与え、日々の身の回りの瑣事から解放することのみならず、悪意や不利益からも守ることを意味する。
 耀龍はルフトのほうへと顔を向けてウインクして見せた。

「勿論、護衛も兼ねてるよ。役に立ってね」

「無論」と姉弟はコクンと頷いた。
 アキラは耀龍から説明されても釈然としない表情だった。

「それって、そんなに大事だいじなことかなあ」

「貴族とは何より面子が重要な生き物なのです。《雷鎚ミョルニル》の弟は、実に貴族らしい男です」

「そ・う・だ・よ。だからキミたちもちゃんと貴人の従者として振る舞うんだよ。それがアキラのためになる」

 耀龍はルフトをビシッと指差した。

「……畏まった。〝ヤオロン殿〟」

 ルフトはフンッとそっぽを向いた。
 アキラは申し訳なさそうに眉を八の字にした。天尊への怨恨が晴れたとはいえ、ルフトは貴族を快く思っていない様子。礼節を強要されるのは不本意に違いない。

「無理させてごめんなさい、ルフトさん」

「ご心配には及びません」

 ルフトとヴィントは慌てて取り繕った。
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