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Kapitel 02:日常
日常 10
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放課後。
以祇は宣言のとおり、教室まで白を迎えに来た。甲斐以祇は、エスカレータとはいえ中等部と高等部とでは制服が異なる上、高等部生徒会副会長という学内では顔と名の知れた人物であり、注目を集めた。静かに穏やかに何事もなく学園生活を過ごしたいと願っている白としては、かなり居心地の悪い状況だった。
白と以祇が教室を去ったあと、虎子も帰途に就いた。送迎の黒塗りのリムジンに乗りこみ、車窓の流れる景色に視線を向けて黙りこんでいた。
彫刻のように端正な美少女の不機嫌な横顔、沈黙に耐えかねたのは従者のほうだった。
「僭越ではございますが……本日は御気分が優れない御様子ですね、虎子御嬢様」
「以祇の顔を見ましたから」
虎子は顔を車窓の向けたままキッパリと返答した。
「相変わらず甲斐の若様とは気が合われませんか」
虎子の長年の使用人かつ護衛である国頭氏は、言いにくそうに言葉にした。
「わたくしが一方的に嫌っているだけです。以祇はいつもわたくしに友好的に接します」
「虎子御嬢様は何故、甲斐の若様がお嫌いなのですか」
「何故? それはわたくしが考えなくてはいけないことかしら?」
これはとりつくしまもない。国頭は黙りこんでしまった。
虎子は上流階級の令嬢としてオブラートというものをよく習得している。殊、甲斐以祇に関してだけは明け透けだ。嫌っているという事実を隠そうともしない。
車窓を見るともなしに眺めていた虎子は、何かを見つけた。
「車を停めなさい」
キキィッ。――自動車のブレーキ音。
天尊は「ん?」と振り返った。
すぐ近くの路肩に黒塗りのリムジンが2台停車した。後方のリムジンのドアが開いて数人の男たちが下りてきた。彼らは天尊を取り囲んだ。
次に前方のリムジンの助手席のドアが開いて体格のよい男が姿を現した。彼は天尊に向かうではなく、後部座席のドアに手を掛けた。
そこから、黒尽くめの男たちには似つかわしくない可憐な少女が降り立った。
「国頭。あの方はわたくしの知人です」
国頭は虎子に「はっ」と返事をし、天尊を取り囲む男たちに離れるように指示した。男たちはゾロゾロと引き返して天尊から一定の距離を取った。
虎子は男たちの間を割って天尊の前まで進み出て小さく会釈した。
「御機嫌よう。白の親戚の御兄様」
「ああ。元気か、ココ」
天尊は虎子の挨拶に答えつつ、黒いスーツに身を包んだ男たちを眺めた。
どれもこれも一般人ではないと一目見て分かる。天尊から距離を取ったが、即座に行動できるよう気を張っている。
「お気になさらず。わたくしのガードです」
「だろうな。ギンタの幼稚園で会ったときも俺がガッコに行ったときもいた」
「気づいていらしたのですか」
「こんなゴツイ男の集団は目立つ。コイツら以外にもウジャウジャいたが」
「目立たないはずなのですけれどね」
久峩城ヶ嵜家のボディガードは、虎子の学園生活への影響を最小限に留めるために、学園内ではなるべく密かに行動する。それを見抜くなど、虎子が只者ではないと評価するに充分だ。
「御帰宅されるところでしたら、乗って行かれませんか? 白のお宅はお稽古に行く途中ですからお送りいたします」
「イヤ、俺は――」
「白のお家にお帰りになるのでしょう?」
――なんとなく嫌な予感がする。
虎子は綺麗な顔面に笑みを湛えているし、言葉遣いは丁寧で物腰も低い。しかし、天尊は確かなプレッシャーを感じ取った。
「遠慮しておく。パチンコ帰りだからヤニ臭くてな」
「そのようなことはお気になさらず」
「いやいや、車に臭いがつくと悪い」
「お気になさらず、どうぞ。御兄様とお話ししたいこともございます。これ以上断らないでくださると嬉しいですわ」
虎子は今まで以上にニッコリと微笑みかけた。それはプレッシャーが増したということを意味する。
黒スーツたちが各々懐に手を差しこんだのを、天尊はチラリと見逃さなかった。まさか拳銃でも出てくるのではあるまいな。天下の往来で白昼堂々、そのような事件に巻きこまれるのは御免被る。天尊は気にしなくても、とかく静かに暮らしたい白はそうではないだろう。
天尊は虎子からの申し出を渋々了承した。
久峩城ヶ嵜家の送迎車車内。
虎子と天尊は後部座席に向き合って座していた。
長身の天尊が足を組んでも余裕がある、ゆったりした車内。シミひとつない内装、革張りのシートは高級感がある。若い娘が好みそうではあるが甘すぎないフレグランスはセンスがよい。
本来なら最高クラスに乗り心地のよい車内のはずだが、天尊はリラックスする気分ではなかった。天尊と虎子との間は沈黙だ。虎子は話があると言った癖に一向に口を開かなかった。
「言いたいことがあるなら言ったらどうだ。ジワジワ嬲るのは勘弁してくれ。腹の探り合いなんか御免だ。疲れることはしたくない」
「探られる心当たりでもおありですか」
「無いとは言い切れないな。何日か前に何枚か写真を撮っていったヤツらがいた。アレはココの差し金だろう」
「伺うべきかせざるべきか少々迷ってしまいまして、心を決める材料が欲しかったものですから」
この御令嬢は、盗撮したと自供しながら悪びれる素振りは微塵もない。天尊は内心、大したものだと思って肘置きに頬杖を突いた。
「どういうおつもりで白と一緒にお住まいなのかを伺いたいですわ」
天尊はそれきたとクッと笑みを零した。
初めて虎子の目を見たときから、敵意とはまた異なる鋭い視線を感じ取ったときから、この少女は避けて通れない予感がした。
「アキラは何と?」
「御兄様がほかに行くところが無いからと」
「アキラがそう言うならそれが事実だ」
「確かに白は必要のない嘘を吐くような人物ではありません。ですが、御兄様が仰ったという、ほかに行くところが無いとはどういう意味なのか推し量りかねます。それに、いくら親戚といえ男性と同居することを白の御父様が了承なさるとは思えません。失礼ですが正直、そもそも御兄様が疋堂家所縁の方だというのも……」
「アキラが何と言おうと、ココは俺のことなど一切信用していないワケだ」
虎子は「Yes」と明言しなかったが、目を見れば答には充分だった。
そもそも、最初から虎子の視線は突然出現した白髪の長躯を信用していなかった。白のお人好しすぎる部分を補うように、疑り深く観察していた。今この瞬間も天尊へ注がれる視線は嫌疑で満ちている。
信用していないと指摘されたというのに、天尊には余裕があった。白と天尊には気質も外見的特徴も、共通点は何ひとつもない。見破られて当然の嘘だ。
「そう恐い顔をするな。若い娘は笑ったほうが可愛い」
ガシャンッ。
天尊が虎子の顔面へ手を伸ばそうとした瞬間、前部座席から不穏な物音がした。
天尊は手を宙で停止させて音がしたほうをチラリと見た。助手席の国頭が天尊に銃口を向けていた。
「…………。此國はもっと銃器の使用が制限されていると思ったが」
天尊は手を引っこめて再び肘置きに頬杖を突いた。
虎子が国頭に向かってヒラリと手を振り、こちらも銃口を懐に引っこめた。
「わたくしは野蛮なやり方を好みません。白は御兄様を信用しているのですから、頭ごなしに排除するつもりなどございません。御兄様がどういうお心積もりなのかをご説明いただきたいだけですわ」
「説明と言われてもなあ、何を言っても却下という顔だ。散々時間をかけて言い訳をさせておいて解無しというオチなら付き合いたくはない」
「解はありますわ。白の幸福が、唯ただひとつの解です」
虎子はしっかりと言明した。
虎子が条件ともいえる〝解〟を提示したのは、天尊には少々意外だった。車内という密室に閉じこめられ、いつでも銃器を突きつけられる環境下、つまり半ば拉致されたのは、いつでもお前を監視しているぞという牽制、もしくは攻撃だと思っていた。
ハハハ、と天尊は笑って親指で額を掻いた。
「それは俺にはどうにもできない話だ。アキラの幸福に俺は影響しない。アキラの幸福はギンタだけだ。あのふたりは、ただふたりでいられるだけで幸福という安上がりな姉弟だ。あの姉弟の世界はふたりで完結している」
天尊には白と銀太を覆う硬い殻が見える。狭くて小さな殻のなかにギュウギュウに押しこめられていることが、あの姉弟の幸福だ。ふたりがふたりとも、この殻を壊さないでと願っている。小さな世界だ。小さな幸福だ。しかし、眩い殻だ。
「御理解いただけているなら話は早いですわ。仰有るとおり、白は銀太くんと一緒にいることが幸福なのです。白の生活が、銀太くんとふたりで暮らしていることが、貴男と暮らしていることが、非常識だろうとわたくしにはどうでもよいのです。白が幸福ならばそれでよいのです。ですが理解の無い人たちは往々にしてふたりの邪魔をする。たとえ白のことを思っていても白の幸福を壊すことになりかねない。わたくしは白の幸福を壊す者は誰であっても、全力で排除するつもりです」
虎子の目には迷いがなかった。口にしたことは、否、口に出さずとも心に決めたことは、何があっても貫徹しようとする強い意志を感じる。そのような女が排除すると明言したのなら、何に替えてもそれを果たすに違いない。
「貴男は、白の幸福を守ってくださいますか」
「ココにとってアキラはそれほど特別な存在か」
「ええ。とても大切な存在です。貴男にとっては?」
天尊は眉間に皺を寄せてクッと笑った。
「大切さ。アキラに見捨てられたらほかに行く宛てがない」
行く宛てがない、そのような理由で得体の知れない化け物みたいな男を見捨てることができない。たった一度命を救われた縁を断ち切ることができない。
だからこそ、虎子は何物にも代えがたく白を守ろうとする。天尊もまたそれが稀有な存在であることを否定しようがない。
――嘘みたいに優しい女だ、アキラは。ああいう女は幸福になるべきだ。
「安心しろ。あの姉弟の幸福を、俺にできるすべてで守ってやる。俺があの家にいる間はな」
白のように柔らかな温度を分け隔てなく降らせることができる者はそうはいない。誰もが己の利益と保身を優先する世知辛い時代ならば尚更だ。そのような時代に在りながら、絶え間なく、優しく、あたたかく、温度を持って迎えてくれる者が不幸になってよいはずがない。世界中の幸せを掻き集めても、他人の幸せを奪い取ってでも、幸福になるべき存在なのだ。
しかし、そういう存在であることに無自覚であるからこそ、そういう存在たり得る。幸福になるべき人物が最も幸福に無欲であるとは、神様の取り決めは意地悪だ。
天尊の宣言は、一応は虎子を納得させられたらしい。談笑が弾んだり和気藹々としたわけではないが、針の筵のようなプレッシャーはなくなった。
だからといって揺るぎない信用を獲得したなどと、天尊は自惚れなかった。白と虎子は親友の間柄だが、両者の性質は根本的に異なる。白は分け隔てのないお人好しであり、虎子はなかなか懐に踏み入れさせない疑い深さを持つ。
虎子御嬢様、と前部座席から声をかけられた。
「前方に甲斐の若様のお車が」
虎子は天尊に目線を遣った。
「早速ですが、守っていただけますか」
「は? 何を?」
「前の車に白が乗っています。あの車から救い出してくださいまし」
救い出すとはどういう意味だ。天尊は虎子の発言の意味が分からなかった。
虎子は天尊に詳しい説明をすることなく、国頭に以祇へ通話を繋ぐように指示を出した。
甲斐家送迎車車内。
以祇は白を相手に一方的に楽しい会話を繰り広げている真っ最中。護衛から「若」と声をかけられたが無視した。電話如きのために白との時間を中断するなど勿体ない。しかし、通話相手が虎子とあれば無視をするわけにはいかなかった。
以祇は白に対してやや困ったようなお茶目な表情を作って見た。前部座席の護衛からスマートフォンを受け取った。
「どうしたんだい。虎子のほうから僕に連絡してくるなんて珍しいね。え、後ろ?」
以祇は虎子から電話口で言われたとおり、リアウィンドウを振り返った。
見覚えのある黒塗りのリムジンがすぐ後ろにつけている。ナンバーは暗記している物と一致。
「えー。車を停めるのかい? 何故? 僕はいま白くんを目的地まで送り届けている途中でね。白くんの信用を損なわないためにもなるだけ正確かつ迅速に成し遂げたいのだよ」
とにかく停めなさい、と虎子に強い口調で言い切られ、以祇は仕方なさそうに肩を竦めた。運転手に停車するように命じ、スマートフォンでの通話を切った。
以祇は送迎車から降り立った。護衛の者に「いいから」と言って車の周りをぐるりとして後部座席の反対側のドアまで歩いた。お手ずから白のためにドアを開けた。
白が送迎車から降りて礼を言うと、以祇はどういたしましてとニッコリと笑った。不意に予定を邪魔されても不機嫌そうな素振りは露ほども見せない。こういう点だけは白も純粋に以祇に感心する。
白は虎子のリムジンのほうへ視線を向け、すぐに見覚えのある白髪頭を見つけた。
以祇も同じものを見つけて「フム」と漏らした。
(あれ? ココとティエンが一緒にいる)
「虎子が連れているの誰だろう、初めて見る顔だ。新しいガードかな。虎子のガードにしては随分目立つね。虎子は地味好みなのに」
同じ頃、天尊と虎子も車外へと出た。
天尊は、白の傍に立つ男をジーッと観察した。一組の男女が同じ車に乗り、ドアを開けてエスコートし、にこやかに会話を交わす、そのようなシーンを見る限り、幼馴染みのようなものだという戴星とはまた異なる関係のように見えた。率直に言えば、ティーンエイジャーのボーイフレンドのようだ。
しかしながら、白からそのような話は聞いていない。銀太が許すとも思えない。いくら白がお人好しでも、ボーイフレンドがいれば天尊と同居することを承諾しはしないだろう。
「アキラと一緒にいるヤツは誰だ?」
「χ-AUTO MOBILEという企業を御存知ですか」
「自動車会社だろう。此國の輸出最大手の」
「彼は甲斐以祇。そのχ-AUTO MOBILEを有する甲斐家の跡取りです」
「アレが世界のχの御曹司ということか」
χ-AUTO MOBILEは、戦前創業の甲斐自動車産業から始まった。現在では、海外において日本車と言えばイコールχ-AUTO MOBILEといっても過言ではない、圧倒的な知名度を誇る。海外輸出総額は恒常的に日本一を維持し、国内シェアにおいても大半を占める押しも押されもしない大企業である。
つまり、甲斐以祇は、瑠璃瑛学園の並み居る政財界の御子息・御令息のなかでもトップクラスの人物である。
「困ったことに、白に好意を持っています」
「ほお~。それはまた……」
「今日のところはここでさよならかな。虎子がすこぶるゴキゲンナナメみたいだからね」
以祇は腕組みをしてフフッと笑った。
こちらを睨んでくる虎子の表情を見れば胸中は何となく予想できる。白との時間を邪魔しないでくれと言いたいところだが、機嫌が最悪なときの虎子と敵対するのはさしもの甲斐の若様も分が悪い。
「甲斐先輩。用は? 今日一緒に帰ろうって言ったのは、ボクに何か用があったからじゃないんですか」
「僕はそんなことを言ったかな?」
白は一瞬考えこんだ。あれ、そういえば言われてないかな。
「僕が白くんと一緒に帰りたかっただけだよ」
以祇は白の手を取って顔を近づけ、ニッコリと微笑みかけた。
「また僕と一緒に帰ってくれるかい? 白くんのほうから誘ってくれることはなさそうだから、また僕が中等部に押しかけるしかないかな」
バチンッ。――以祇と白のつないだ手で電流が弾けた。
以祇は反射的に白から手を離して引っこめ、白も驚いて自分の手をまじまじと見た。
「……白くん。静電気がスゴイ体質なんだね」
「ボクも初めて知りました」
以祇は白に、ここからは虎子が送ってくれるそうだよ、と伝えた。
それじゃあ、と白は以祇に言って虎子と天尊のほうへ小走りに駆けていった。以祇は、自分のほうを一度も振り返りもしない背中に手を振った。
天尊は、こちらへ向かってくる白を見ながらガリガリと後頭部を掻いた。
(咄嗟に電撃が出た……。何をやっているんだ俺は)
以祇は宣言のとおり、教室まで白を迎えに来た。甲斐以祇は、エスカレータとはいえ中等部と高等部とでは制服が異なる上、高等部生徒会副会長という学内では顔と名の知れた人物であり、注目を集めた。静かに穏やかに何事もなく学園生活を過ごしたいと願っている白としては、かなり居心地の悪い状況だった。
白と以祇が教室を去ったあと、虎子も帰途に就いた。送迎の黒塗りのリムジンに乗りこみ、車窓の流れる景色に視線を向けて黙りこんでいた。
彫刻のように端正な美少女の不機嫌な横顔、沈黙に耐えかねたのは従者のほうだった。
「僭越ではございますが……本日は御気分が優れない御様子ですね、虎子御嬢様」
「以祇の顔を見ましたから」
虎子は顔を車窓の向けたままキッパリと返答した。
「相変わらず甲斐の若様とは気が合われませんか」
虎子の長年の使用人かつ護衛である国頭氏は、言いにくそうに言葉にした。
「わたくしが一方的に嫌っているだけです。以祇はいつもわたくしに友好的に接します」
「虎子御嬢様は何故、甲斐の若様がお嫌いなのですか」
「何故? それはわたくしが考えなくてはいけないことかしら?」
これはとりつくしまもない。国頭は黙りこんでしまった。
虎子は上流階級の令嬢としてオブラートというものをよく習得している。殊、甲斐以祇に関してだけは明け透けだ。嫌っているという事実を隠そうともしない。
車窓を見るともなしに眺めていた虎子は、何かを見つけた。
「車を停めなさい」
キキィッ。――自動車のブレーキ音。
天尊は「ん?」と振り返った。
すぐ近くの路肩に黒塗りのリムジンが2台停車した。後方のリムジンのドアが開いて数人の男たちが下りてきた。彼らは天尊を取り囲んだ。
次に前方のリムジンの助手席のドアが開いて体格のよい男が姿を現した。彼は天尊に向かうではなく、後部座席のドアに手を掛けた。
そこから、黒尽くめの男たちには似つかわしくない可憐な少女が降り立った。
「国頭。あの方はわたくしの知人です」
国頭は虎子に「はっ」と返事をし、天尊を取り囲む男たちに離れるように指示した。男たちはゾロゾロと引き返して天尊から一定の距離を取った。
虎子は男たちの間を割って天尊の前まで進み出て小さく会釈した。
「御機嫌よう。白の親戚の御兄様」
「ああ。元気か、ココ」
天尊は虎子の挨拶に答えつつ、黒いスーツに身を包んだ男たちを眺めた。
どれもこれも一般人ではないと一目見て分かる。天尊から距離を取ったが、即座に行動できるよう気を張っている。
「お気になさらず。わたくしのガードです」
「だろうな。ギンタの幼稚園で会ったときも俺がガッコに行ったときもいた」
「気づいていらしたのですか」
「こんなゴツイ男の集団は目立つ。コイツら以外にもウジャウジャいたが」
「目立たないはずなのですけれどね」
久峩城ヶ嵜家のボディガードは、虎子の学園生活への影響を最小限に留めるために、学園内ではなるべく密かに行動する。それを見抜くなど、虎子が只者ではないと評価するに充分だ。
「御帰宅されるところでしたら、乗って行かれませんか? 白のお宅はお稽古に行く途中ですからお送りいたします」
「イヤ、俺は――」
「白のお家にお帰りになるのでしょう?」
――なんとなく嫌な予感がする。
虎子は綺麗な顔面に笑みを湛えているし、言葉遣いは丁寧で物腰も低い。しかし、天尊は確かなプレッシャーを感じ取った。
「遠慮しておく。パチンコ帰りだからヤニ臭くてな」
「そのようなことはお気になさらず」
「いやいや、車に臭いがつくと悪い」
「お気になさらず、どうぞ。御兄様とお話ししたいこともございます。これ以上断らないでくださると嬉しいですわ」
虎子は今まで以上にニッコリと微笑みかけた。それはプレッシャーが増したということを意味する。
黒スーツたちが各々懐に手を差しこんだのを、天尊はチラリと見逃さなかった。まさか拳銃でも出てくるのではあるまいな。天下の往来で白昼堂々、そのような事件に巻きこまれるのは御免被る。天尊は気にしなくても、とかく静かに暮らしたい白はそうではないだろう。
天尊は虎子からの申し出を渋々了承した。
久峩城ヶ嵜家の送迎車車内。
虎子と天尊は後部座席に向き合って座していた。
長身の天尊が足を組んでも余裕がある、ゆったりした車内。シミひとつない内装、革張りのシートは高級感がある。若い娘が好みそうではあるが甘すぎないフレグランスはセンスがよい。
本来なら最高クラスに乗り心地のよい車内のはずだが、天尊はリラックスする気分ではなかった。天尊と虎子との間は沈黙だ。虎子は話があると言った癖に一向に口を開かなかった。
「言いたいことがあるなら言ったらどうだ。ジワジワ嬲るのは勘弁してくれ。腹の探り合いなんか御免だ。疲れることはしたくない」
「探られる心当たりでもおありですか」
「無いとは言い切れないな。何日か前に何枚か写真を撮っていったヤツらがいた。アレはココの差し金だろう」
「伺うべきかせざるべきか少々迷ってしまいまして、心を決める材料が欲しかったものですから」
この御令嬢は、盗撮したと自供しながら悪びれる素振りは微塵もない。天尊は内心、大したものだと思って肘置きに頬杖を突いた。
「どういうおつもりで白と一緒にお住まいなのかを伺いたいですわ」
天尊はそれきたとクッと笑みを零した。
初めて虎子の目を見たときから、敵意とはまた異なる鋭い視線を感じ取ったときから、この少女は避けて通れない予感がした。
「アキラは何と?」
「御兄様がほかに行くところが無いからと」
「アキラがそう言うならそれが事実だ」
「確かに白は必要のない嘘を吐くような人物ではありません。ですが、御兄様が仰ったという、ほかに行くところが無いとはどういう意味なのか推し量りかねます。それに、いくら親戚といえ男性と同居することを白の御父様が了承なさるとは思えません。失礼ですが正直、そもそも御兄様が疋堂家所縁の方だというのも……」
「アキラが何と言おうと、ココは俺のことなど一切信用していないワケだ」
虎子は「Yes」と明言しなかったが、目を見れば答には充分だった。
そもそも、最初から虎子の視線は突然出現した白髪の長躯を信用していなかった。白のお人好しすぎる部分を補うように、疑り深く観察していた。今この瞬間も天尊へ注がれる視線は嫌疑で満ちている。
信用していないと指摘されたというのに、天尊には余裕があった。白と天尊には気質も外見的特徴も、共通点は何ひとつもない。見破られて当然の嘘だ。
「そう恐い顔をするな。若い娘は笑ったほうが可愛い」
ガシャンッ。
天尊が虎子の顔面へ手を伸ばそうとした瞬間、前部座席から不穏な物音がした。
天尊は手を宙で停止させて音がしたほうをチラリと見た。助手席の国頭が天尊に銃口を向けていた。
「…………。此國はもっと銃器の使用が制限されていると思ったが」
天尊は手を引っこめて再び肘置きに頬杖を突いた。
虎子が国頭に向かってヒラリと手を振り、こちらも銃口を懐に引っこめた。
「わたくしは野蛮なやり方を好みません。白は御兄様を信用しているのですから、頭ごなしに排除するつもりなどございません。御兄様がどういうお心積もりなのかをご説明いただきたいだけですわ」
「説明と言われてもなあ、何を言っても却下という顔だ。散々時間をかけて言い訳をさせておいて解無しというオチなら付き合いたくはない」
「解はありますわ。白の幸福が、唯ただひとつの解です」
虎子はしっかりと言明した。
虎子が条件ともいえる〝解〟を提示したのは、天尊には少々意外だった。車内という密室に閉じこめられ、いつでも銃器を突きつけられる環境下、つまり半ば拉致されたのは、いつでもお前を監視しているぞという牽制、もしくは攻撃だと思っていた。
ハハハ、と天尊は笑って親指で額を掻いた。
「それは俺にはどうにもできない話だ。アキラの幸福に俺は影響しない。アキラの幸福はギンタだけだ。あのふたりは、ただふたりでいられるだけで幸福という安上がりな姉弟だ。あの姉弟の世界はふたりで完結している」
天尊には白と銀太を覆う硬い殻が見える。狭くて小さな殻のなかにギュウギュウに押しこめられていることが、あの姉弟の幸福だ。ふたりがふたりとも、この殻を壊さないでと願っている。小さな世界だ。小さな幸福だ。しかし、眩い殻だ。
「御理解いただけているなら話は早いですわ。仰有るとおり、白は銀太くんと一緒にいることが幸福なのです。白の生活が、銀太くんとふたりで暮らしていることが、貴男と暮らしていることが、非常識だろうとわたくしにはどうでもよいのです。白が幸福ならばそれでよいのです。ですが理解の無い人たちは往々にしてふたりの邪魔をする。たとえ白のことを思っていても白の幸福を壊すことになりかねない。わたくしは白の幸福を壊す者は誰であっても、全力で排除するつもりです」
虎子の目には迷いがなかった。口にしたことは、否、口に出さずとも心に決めたことは、何があっても貫徹しようとする強い意志を感じる。そのような女が排除すると明言したのなら、何に替えてもそれを果たすに違いない。
「貴男は、白の幸福を守ってくださいますか」
「ココにとってアキラはそれほど特別な存在か」
「ええ。とても大切な存在です。貴男にとっては?」
天尊は眉間に皺を寄せてクッと笑った。
「大切さ。アキラに見捨てられたらほかに行く宛てがない」
行く宛てがない、そのような理由で得体の知れない化け物みたいな男を見捨てることができない。たった一度命を救われた縁を断ち切ることができない。
だからこそ、虎子は何物にも代えがたく白を守ろうとする。天尊もまたそれが稀有な存在であることを否定しようがない。
――嘘みたいに優しい女だ、アキラは。ああいう女は幸福になるべきだ。
「安心しろ。あの姉弟の幸福を、俺にできるすべてで守ってやる。俺があの家にいる間はな」
白のように柔らかな温度を分け隔てなく降らせることができる者はそうはいない。誰もが己の利益と保身を優先する世知辛い時代ならば尚更だ。そのような時代に在りながら、絶え間なく、優しく、あたたかく、温度を持って迎えてくれる者が不幸になってよいはずがない。世界中の幸せを掻き集めても、他人の幸せを奪い取ってでも、幸福になるべき存在なのだ。
しかし、そういう存在であることに無自覚であるからこそ、そういう存在たり得る。幸福になるべき人物が最も幸福に無欲であるとは、神様の取り決めは意地悪だ。
天尊の宣言は、一応は虎子を納得させられたらしい。談笑が弾んだり和気藹々としたわけではないが、針の筵のようなプレッシャーはなくなった。
だからといって揺るぎない信用を獲得したなどと、天尊は自惚れなかった。白と虎子は親友の間柄だが、両者の性質は根本的に異なる。白は分け隔てのないお人好しであり、虎子はなかなか懐に踏み入れさせない疑い深さを持つ。
虎子御嬢様、と前部座席から声をかけられた。
「前方に甲斐の若様のお車が」
虎子は天尊に目線を遣った。
「早速ですが、守っていただけますか」
「は? 何を?」
「前の車に白が乗っています。あの車から救い出してくださいまし」
救い出すとはどういう意味だ。天尊は虎子の発言の意味が分からなかった。
虎子は天尊に詳しい説明をすることなく、国頭に以祇へ通話を繋ぐように指示を出した。
甲斐家送迎車車内。
以祇は白を相手に一方的に楽しい会話を繰り広げている真っ最中。護衛から「若」と声をかけられたが無視した。電話如きのために白との時間を中断するなど勿体ない。しかし、通話相手が虎子とあれば無視をするわけにはいかなかった。
以祇は白に対してやや困ったようなお茶目な表情を作って見た。前部座席の護衛からスマートフォンを受け取った。
「どうしたんだい。虎子のほうから僕に連絡してくるなんて珍しいね。え、後ろ?」
以祇は虎子から電話口で言われたとおり、リアウィンドウを振り返った。
見覚えのある黒塗りのリムジンがすぐ後ろにつけている。ナンバーは暗記している物と一致。
「えー。車を停めるのかい? 何故? 僕はいま白くんを目的地まで送り届けている途中でね。白くんの信用を損なわないためにもなるだけ正確かつ迅速に成し遂げたいのだよ」
とにかく停めなさい、と虎子に強い口調で言い切られ、以祇は仕方なさそうに肩を竦めた。運転手に停車するように命じ、スマートフォンでの通話を切った。
以祇は送迎車から降り立った。護衛の者に「いいから」と言って車の周りをぐるりとして後部座席の反対側のドアまで歩いた。お手ずから白のためにドアを開けた。
白が送迎車から降りて礼を言うと、以祇はどういたしましてとニッコリと笑った。不意に予定を邪魔されても不機嫌そうな素振りは露ほども見せない。こういう点だけは白も純粋に以祇に感心する。
白は虎子のリムジンのほうへ視線を向け、すぐに見覚えのある白髪頭を見つけた。
以祇も同じものを見つけて「フム」と漏らした。
(あれ? ココとティエンが一緒にいる)
「虎子が連れているの誰だろう、初めて見る顔だ。新しいガードかな。虎子のガードにしては随分目立つね。虎子は地味好みなのに」
同じ頃、天尊と虎子も車外へと出た。
天尊は、白の傍に立つ男をジーッと観察した。一組の男女が同じ車に乗り、ドアを開けてエスコートし、にこやかに会話を交わす、そのようなシーンを見る限り、幼馴染みのようなものだという戴星とはまた異なる関係のように見えた。率直に言えば、ティーンエイジャーのボーイフレンドのようだ。
しかしながら、白からそのような話は聞いていない。銀太が許すとも思えない。いくら白がお人好しでも、ボーイフレンドがいれば天尊と同居することを承諾しはしないだろう。
「アキラと一緒にいるヤツは誰だ?」
「χ-AUTO MOBILEという企業を御存知ですか」
「自動車会社だろう。此國の輸出最大手の」
「彼は甲斐以祇。そのχ-AUTO MOBILEを有する甲斐家の跡取りです」
「アレが世界のχの御曹司ということか」
χ-AUTO MOBILEは、戦前創業の甲斐自動車産業から始まった。現在では、海外において日本車と言えばイコールχ-AUTO MOBILEといっても過言ではない、圧倒的な知名度を誇る。海外輸出総額は恒常的に日本一を維持し、国内シェアにおいても大半を占める押しも押されもしない大企業である。
つまり、甲斐以祇は、瑠璃瑛学園の並み居る政財界の御子息・御令息のなかでもトップクラスの人物である。
「困ったことに、白に好意を持っています」
「ほお~。それはまた……」
「今日のところはここでさよならかな。虎子がすこぶるゴキゲンナナメみたいだからね」
以祇は腕組みをしてフフッと笑った。
こちらを睨んでくる虎子の表情を見れば胸中は何となく予想できる。白との時間を邪魔しないでくれと言いたいところだが、機嫌が最悪なときの虎子と敵対するのはさしもの甲斐の若様も分が悪い。
「甲斐先輩。用は? 今日一緒に帰ろうって言ったのは、ボクに何か用があったからじゃないんですか」
「僕はそんなことを言ったかな?」
白は一瞬考えこんだ。あれ、そういえば言われてないかな。
「僕が白くんと一緒に帰りたかっただけだよ」
以祇は白の手を取って顔を近づけ、ニッコリと微笑みかけた。
「また僕と一緒に帰ってくれるかい? 白くんのほうから誘ってくれることはなさそうだから、また僕が中等部に押しかけるしかないかな」
バチンッ。――以祇と白のつないだ手で電流が弾けた。
以祇は反射的に白から手を離して引っこめ、白も驚いて自分の手をまじまじと見た。
「……白くん。静電気がスゴイ体質なんだね」
「ボクも初めて知りました」
以祇は白に、ここからは虎子が送ってくれるそうだよ、と伝えた。
それじゃあ、と白は以祇に言って虎子と天尊のほうへ小走りに駆けていった。以祇は、自分のほうを一度も振り返りもしない背中に手を振った。
天尊は、こちらへ向かってくる白を見ながらガリガリと後頭部を掻いた。
(咄嗟に電撃が出た……。何をやっているんだ俺は)
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