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Kapitel 09:懸隔
忿懣 01
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白は帰宅して夕飯を用意した。弟と自分と、大人の男三人分も文句ひとつ言わず温かい食事を用意してくれた。それが務めであるかのように黙々と従事した。
食卓には朝食時のような賑やかさはなかった。キッチンのなかにいる間も、食事の間も、後片付けも、始終無言だった。銀太は白の異変を敏感に察知して妙に緊張していた。
付き合いの短い耀龍にも、常時の白ではないことは分かった。白は大学の同級生たちのようにお喋り好きで騒がしくはないが、コミュニケーションを厭う人物ではない。況してや、意味なく幼い弟を居心地を悪くさせる姉ではない。
「アキラの御飯は美味しいけど、暗い食事はヤダな。味が落ちちゃうよ」
耀龍は、キッチンで後片付けをする白に聞こえないように小声で言った。それからチラリと天尊に目配せした。
天尊は、耀龍が自分に何を望んでいるか察した。仕方がなさそうに椅子から立ち上がった。
天尊がキッチンの入口に立っても、白は気づかず洗い物を続けた。「話を」と声をかけ、ようやく視線が此方に向いた。
「話?」
「飯時まで暗い顔をするのは勘弁してくれ」
白はキュッと蛇口の栓を捻って閉じた。
白自身は少々深い考え事をしている程度で、暗い顔をしている自覚はなかった。確かに、考え事の内容は表情が明るくなるような楽しいものではなかった。
天尊が持ちかけてきた話も、おそらく自分の考え事につながる。そう考えると、やや憂鬱だ。
「ティエンがしたい話は、あの人たちとボクと銀太が襲われた化け物との違いの話?」
天尊は白から目を逸らし、キッチンの入口に肩から凭りかかった。
耀龍に責っ付かれて腰を持ち上げたが、その実、具体的な内容までは考えていなかった。白のほうからその話題を出したということは、この問答の決着を付けたいのは白だ。本音を言えば、天尊は狡い大人らしく、有耶無耶にしてしまいたかった。
生命の価値の軽重。価値の本質。その者の生命は、金貨何枚と相応か。
白は命に重さなどないと声高に訴えておきながら、天尊からの問いかけに即答できなかった。
自分と弟の生命が危機に晒されたあの時に、何を考えたかなど覚えていない。思考する暇などなく、ただただ本能に忠実だった。弟を死なさないでと、恐怖から助けてと、あの化け物を倒してと、願った。生命に優劣をつける天尊の非情さと何が違う。
「ボクが理想論を言ってるってことはよく分かった。でも、こうあるべきだっていう理想を捨てちゃダメだよ」
白は自分の信じたものが安全地帯で夢見る理想だと思い知った。天尊はその浅薄な信念を言い当てただけだ。非情で、飾らず、辛辣で、正直なだけだ。
しかしながら、信念を曲げるつもりはなかった。
「絶対にダメだ」
「俺はアキラの考えを否定したいわけじゃない。アキラにできないことを無理にやれとも言っていない。だが、腑に落ちなくても、どうしてもやる必要のある作業というものは存在する。アキラにできないことを俺がやる。それだけだ」
――作業? キミは人を傷つけたり殺したりすることを作業と言うのか。
白はたったいま天尊の人間性を理解した。天尊が暴力に頓着が無いのは、相手が人間だからではない。自分と同じ世界の住人に対してもそうだ。何者であれ敵対したものを、攻撃し、殲滅し、消滅せしめることに躊躇はしない。泣こうが喚こうが、懺悔しようが悔い改めようが、生命を刈り取ることに罪悪感などない。
白は身体の正面を天尊のほうへ向けた。天尊は白から目を逸らしたままだった。
「さっきのは、殺す必要があるなんて思えなかったよ」
「俺の判断が間違っていると? アキラは俺を快楽殺人者とでも思っているのか。俺は殺人に対して特別な感情はない。殺したくて殺しているわけじゃない」
「そんなことは言ってない。ティエンがボクと銀太を守ろうとしてくれてるのは分かってる。でも、あの人たちよりティエンのほうがずっと強かった。殺さなきゃいけないほど危ないとは思えなかった。リスクが残るからなんて理由で人を殺すなんて間違ってる」
フーッ、と天尊はわざとらしいくらい大きめの溜息を吐いた。
「分かった。俺が間違った。アキラが正しい」
「分かってない。ボクたちを守る為だとしても、ティエンに人殺しなんかしてほしくない」
天尊としては最大限折れてやったつもりなのに、白からすぐさま否定されたのは、癇に障った。
「じゃあ死ぬか?」
「ッ……!」
「連中がアキラを連れ去ってどうするかも分からん以上、殺される可能性は充分に有り得るんだぞ。自分の命が危ういのに、悠長に相手の心配をしている場合か」
子ども相手に、大人ぶって振る舞う世間知らずの少女に、手加減を失した物言いをしている自覚はあった。しかし、もう停まらなかった。今さら取り繕ってどうなる。この善良な少女は、自分の価値観を崇高な理想とは相容れないものだと知ってしまったというのに。
「イヤ、アキラにならできるのかもしれんな。殺すくらいなら殺されてやるなんて莫迦げたことが。だが、俺に同じものを求められても無理だ。俺はアキラの期待に応えられるほど立派な男じゃないんでな!」
――人殺しなんか……か。アキラにとっては何であれ命は大切にすべきもので、それを奪う俺はとんでもない悪人なんだろう。
俺とアキラは決定的に違う。今さらこんなことにイラつくなんて。
ドタドタドタッ、と近づいてくる駆け足。
「アキラをイジメるなティエン!」
銀太は眉を吊り上げて天尊に怒鳴った。そして、仇敵のような眼光で睨みつけた。
「これじゃまるで俺が悪者だな」
天尊はハッと乾いた自嘲を漏らした。
「何をやっているんだ俺は……。少し外で頭を冷やしてくる」
言いすぎだと思っても已められなかった。冷静さを欠いている。
ガリガリと後頭部を掻き、クルリと白と銀太に背中を向けた。玄関のほうへスタスタと歩き出した。
天尊が玄関ドアのノブに手を掛けたとき、耀龍が背後に追いついた。
「オレは、天哥々は間違ってないと思う」
「お前の意見は聞いていない。お前は俺の肯定しかせんだろう」
天尊は耀龍のほうを振り返らずにそう言って、家の外へと出て行った。
確かに……、と耀龍はボソリと呟いた。
耀龍は玄関から戻ってきてキッチンを覗きこんだ。白は銀太の前にしゃがみこみ、興奮した銀太を宥めていた。
「アキラはさー、天哥々が軍人だって知ってるんだよね」
「うん。ティエンから聞いた」
「軍人の戦場でのお仕事って分かってる?」
白は、あ……、と零して耀龍を見上げた。
「人殺し、だよ」
§ § § § §
翌朝になっても天尊は戻らなかった。白と銀太が登校し、帰宅しても不在のままだった。天尊が共に生活をするようになってこんなにも長く家を空けるのは初めてだった。
だから、白には天尊が何処へ行ったのか見当はつかなかった。たとえ、心当たりがあって、誰かに銀太を預けられて、探しに行けたとしても、行かなかった。自分の意思で出て行った大人の男を連れ戻す方法など知らない。
白が夕飯の支度をしていると、チャイムが鳴った。
テレビの前にいた銀太が、バッと立ち上がった。
「ティエンかなっ?」
「たぶんロン。カギ開けていいよ。銀太」
白はそう言ったが、銀太は天尊が帰ってきたことを期待しつつ玄関に走った。
ドアを開けると其処にいたのは、白の言った通り耀龍と侍従・縁花。耀龍は銀太の表情がフッと暗くなったのを見て、首を傾げた。
「あれ? どうしたの? ちょっとゴキゲンナナメかな。ギンタ」
銀太はドアノブから手を離して首を左右に振った。
耀龍と縁花は、玄関の中に入ってドアを閉めて施錠をした。耀龍は銀太の天頂に目を落とした。
「でも元気がないみたい」
「ティエンがかえってこない」
「まだ戻ってないの。長い冷却期間だなー」
耀龍はひょこっとキッチンの中を覗きこんだ。
「今晩は。アキラ」
「ちょうどゴハンできたよ。お腹空いたでしょ」
耀龍は「うん」と返事をして食卓テーブルに近づいた。縁花が椅子を引き、それに腰を下ろした。
「天哥々、まだ戻ってないんだってね。頭冷やすって言ったってどこまで行ったんだか。ギンタが寂しがってるんだから早く戻ってきてあげればいいのに。アキラも寂しいでしょ」
耀龍は白に気取られないようにその表情を観察した。
銀太は分かりやすくてよい。素直で感情的で、表情にも態度にもそれを隠そうとしない。しかし、白は年齢に不相応なほど巧みに感情を隠す。
「よっぽど臍を曲げちゃったんだろうなー。昨日、落雷すごかったし」
「あれって、ティエン関係あるの?」
「多分、天哥々だよ。あんまり感情が昂ぶるとコントロールできなくなって処構わず雷落としちゃうんだって。……って言っても昔の話で、最近では滅多になかったんだけど」
白は昨夜、夜中に落雷の音で目を覚ました。天気予報ではそのようなことを言っていなかったはずなのにおかしいとは思っていたが、まさか天尊が関わっているとは。
「天哥々を怒らせると稲妻の雨が降るって、みんな恐がってるよ。そうでなくとも大隊長殿だもん。隊員には恐れられてる。機嫌の悪い天哥々に面と向かって言い返せるのなんてアキラくらいなんじゃない」
白はおかずを盛り付けた皿を持ってキッチンから出て来た。耀龍の軽口に苦笑しながら皿をテーブルの中央に置いた。
「機嫌悪いときの天哥々はオレも近づきたくない」
「弟なのに?」
「天哥々は弟だからって容赦してくれないからね。アキラとギンタにはそういう面を見せたことないってことは、居候の身だから一応、ネコをかぶってるのかな」
耀龍はテーブルに頬杖を突いた。この食卓テーブルで一緒に食事を摂った兄の姿を思い浮かべた。
(イヤ、アキラの前だと天哥々が変わるのかも。大隊長や軍人として振る舞ってるときとは、ちょっと違うカンジがする。昨日の天哥々はまるで――……)
ピンポーン。――チャイムが鳴った。
耀龍は縁花を振り返って「出て」と指先で指図した。
白は縁花にペコッとお辞儀した。夕飯の準備で手がいっぱいだから、代わりに応対してくれるのは助かる。
「姑娘」
縁花は玄関に行き、すぐに戻ってきた。その手には箱を抱えていた。白はすぐさま思い当たる差出人はなかったが、何処かから荷物が届いたのだなと思った。問題は、それが一度ではなかったことだ。
それからひっきりなしにチャイムが鳴り、いくつもの荷物が届いた。縁花がすべて運び入れ、花や菓子、豪奢な包装紙に包まれた中身の分からない箱などでリビングのテーブルの上は見る見るうちに埋め尽くされた。縁花がいてくれて助かった。これだけの荷物を白一人で運ぶのは骨だ。
白はリビングに立ち尽くして首を45度に傾げた。
「これは……何事?」
耀龍は自分の顎に触れながら白の隣に並んだ。
「天哥々なりのご機嫌取り、かな」
「ご機嫌取り?」
「プレゼントが嫌いな女性はいないからね。露骨でも通用するんだよねー」
「これがご機嫌取り……。ティエンはこれでボクの機嫌を取ろうとしてるってこと?」
「そういうこと」
耀龍は首を縮めた。
白は耀龍から贈り物の山へと目線を引き戻して数秒間眺めたあと、口を開いた。
「ロンはティエンに連絡を取ること、できる?」
「できなくはないケド」
「呼んでくれる?」
耀龍はギクッと表情を変えた。
「うーん……。機嫌が悪い天哥々には関わりたくないんだよなー。どうしても?」
「ロンでもそんなにイヤなの?」
「アキラは本気で怒ったときの天哥々を知らないから」
「おねがい、できない? ティエンに家に戻ってくるように伝えてほしい」
「アキラにそこまで言われると断りづらいなあ」
耀龍は眉間に皺を寄せて仕方がなさそうに笑った。その顔には、かなり渋々、乗り気ではないと書いてあった。天尊を敬愛する耀龍がここまで渋るとは、腹を立てた天尊に近づきたくないと言ったのはオーバーな表現ではないらしい。
「まあ、贈り物してくるくらいだから、だいぶ落ち着いたかな。アキラもギンタもいるから手当たり次第に当たり散らかすってこともないだろうし……。いいよ、アキラのお願いだからやってあげる」
耀龍は、申し訳なさそうにする白の隣からソファへと移動した。ソファに腰を下ろして足を肩幅に開いた。両腿の上に肘を置いて手の平を合わせ、その合わせた指先に額をピタリとつけて瞼を閉じた。
背中からゆっくりと両翼が立ち上がった。耀龍のそれは、天尊の持ち物と同じように半透明であり、それでいてやや黄金がかっていた。
食卓には朝食時のような賑やかさはなかった。キッチンのなかにいる間も、食事の間も、後片付けも、始終無言だった。銀太は白の異変を敏感に察知して妙に緊張していた。
付き合いの短い耀龍にも、常時の白ではないことは分かった。白は大学の同級生たちのようにお喋り好きで騒がしくはないが、コミュニケーションを厭う人物ではない。況してや、意味なく幼い弟を居心地を悪くさせる姉ではない。
「アキラの御飯は美味しいけど、暗い食事はヤダな。味が落ちちゃうよ」
耀龍は、キッチンで後片付けをする白に聞こえないように小声で言った。それからチラリと天尊に目配せした。
天尊は、耀龍が自分に何を望んでいるか察した。仕方がなさそうに椅子から立ち上がった。
天尊がキッチンの入口に立っても、白は気づかず洗い物を続けた。「話を」と声をかけ、ようやく視線が此方に向いた。
「話?」
「飯時まで暗い顔をするのは勘弁してくれ」
白はキュッと蛇口の栓を捻って閉じた。
白自身は少々深い考え事をしている程度で、暗い顔をしている自覚はなかった。確かに、考え事の内容は表情が明るくなるような楽しいものではなかった。
天尊が持ちかけてきた話も、おそらく自分の考え事につながる。そう考えると、やや憂鬱だ。
「ティエンがしたい話は、あの人たちとボクと銀太が襲われた化け物との違いの話?」
天尊は白から目を逸らし、キッチンの入口に肩から凭りかかった。
耀龍に責っ付かれて腰を持ち上げたが、その実、具体的な内容までは考えていなかった。白のほうからその話題を出したということは、この問答の決着を付けたいのは白だ。本音を言えば、天尊は狡い大人らしく、有耶無耶にしてしまいたかった。
生命の価値の軽重。価値の本質。その者の生命は、金貨何枚と相応か。
白は命に重さなどないと声高に訴えておきながら、天尊からの問いかけに即答できなかった。
自分と弟の生命が危機に晒されたあの時に、何を考えたかなど覚えていない。思考する暇などなく、ただただ本能に忠実だった。弟を死なさないでと、恐怖から助けてと、あの化け物を倒してと、願った。生命に優劣をつける天尊の非情さと何が違う。
「ボクが理想論を言ってるってことはよく分かった。でも、こうあるべきだっていう理想を捨てちゃダメだよ」
白は自分の信じたものが安全地帯で夢見る理想だと思い知った。天尊はその浅薄な信念を言い当てただけだ。非情で、飾らず、辛辣で、正直なだけだ。
しかしながら、信念を曲げるつもりはなかった。
「絶対にダメだ」
「俺はアキラの考えを否定したいわけじゃない。アキラにできないことを無理にやれとも言っていない。だが、腑に落ちなくても、どうしてもやる必要のある作業というものは存在する。アキラにできないことを俺がやる。それだけだ」
――作業? キミは人を傷つけたり殺したりすることを作業と言うのか。
白はたったいま天尊の人間性を理解した。天尊が暴力に頓着が無いのは、相手が人間だからではない。自分と同じ世界の住人に対してもそうだ。何者であれ敵対したものを、攻撃し、殲滅し、消滅せしめることに躊躇はしない。泣こうが喚こうが、懺悔しようが悔い改めようが、生命を刈り取ることに罪悪感などない。
白は身体の正面を天尊のほうへ向けた。天尊は白から目を逸らしたままだった。
「さっきのは、殺す必要があるなんて思えなかったよ」
「俺の判断が間違っていると? アキラは俺を快楽殺人者とでも思っているのか。俺は殺人に対して特別な感情はない。殺したくて殺しているわけじゃない」
「そんなことは言ってない。ティエンがボクと銀太を守ろうとしてくれてるのは分かってる。でも、あの人たちよりティエンのほうがずっと強かった。殺さなきゃいけないほど危ないとは思えなかった。リスクが残るからなんて理由で人を殺すなんて間違ってる」
フーッ、と天尊はわざとらしいくらい大きめの溜息を吐いた。
「分かった。俺が間違った。アキラが正しい」
「分かってない。ボクたちを守る為だとしても、ティエンに人殺しなんかしてほしくない」
天尊としては最大限折れてやったつもりなのに、白からすぐさま否定されたのは、癇に障った。
「じゃあ死ぬか?」
「ッ……!」
「連中がアキラを連れ去ってどうするかも分からん以上、殺される可能性は充分に有り得るんだぞ。自分の命が危ういのに、悠長に相手の心配をしている場合か」
子ども相手に、大人ぶって振る舞う世間知らずの少女に、手加減を失した物言いをしている自覚はあった。しかし、もう停まらなかった。今さら取り繕ってどうなる。この善良な少女は、自分の価値観を崇高な理想とは相容れないものだと知ってしまったというのに。
「イヤ、アキラにならできるのかもしれんな。殺すくらいなら殺されてやるなんて莫迦げたことが。だが、俺に同じものを求められても無理だ。俺はアキラの期待に応えられるほど立派な男じゃないんでな!」
――人殺しなんか……か。アキラにとっては何であれ命は大切にすべきもので、それを奪う俺はとんでもない悪人なんだろう。
俺とアキラは決定的に違う。今さらこんなことにイラつくなんて。
ドタドタドタッ、と近づいてくる駆け足。
「アキラをイジメるなティエン!」
銀太は眉を吊り上げて天尊に怒鳴った。そして、仇敵のような眼光で睨みつけた。
「これじゃまるで俺が悪者だな」
天尊はハッと乾いた自嘲を漏らした。
「何をやっているんだ俺は……。少し外で頭を冷やしてくる」
言いすぎだと思っても已められなかった。冷静さを欠いている。
ガリガリと後頭部を掻き、クルリと白と銀太に背中を向けた。玄関のほうへスタスタと歩き出した。
天尊が玄関ドアのノブに手を掛けたとき、耀龍が背後に追いついた。
「オレは、天哥々は間違ってないと思う」
「お前の意見は聞いていない。お前は俺の肯定しかせんだろう」
天尊は耀龍のほうを振り返らずにそう言って、家の外へと出て行った。
確かに……、と耀龍はボソリと呟いた。
耀龍は玄関から戻ってきてキッチンを覗きこんだ。白は銀太の前にしゃがみこみ、興奮した銀太を宥めていた。
「アキラはさー、天哥々が軍人だって知ってるんだよね」
「うん。ティエンから聞いた」
「軍人の戦場でのお仕事って分かってる?」
白は、あ……、と零して耀龍を見上げた。
「人殺し、だよ」
§ § § § §
翌朝になっても天尊は戻らなかった。白と銀太が登校し、帰宅しても不在のままだった。天尊が共に生活をするようになってこんなにも長く家を空けるのは初めてだった。
だから、白には天尊が何処へ行ったのか見当はつかなかった。たとえ、心当たりがあって、誰かに銀太を預けられて、探しに行けたとしても、行かなかった。自分の意思で出て行った大人の男を連れ戻す方法など知らない。
白が夕飯の支度をしていると、チャイムが鳴った。
テレビの前にいた銀太が、バッと立ち上がった。
「ティエンかなっ?」
「たぶんロン。カギ開けていいよ。銀太」
白はそう言ったが、銀太は天尊が帰ってきたことを期待しつつ玄関に走った。
ドアを開けると其処にいたのは、白の言った通り耀龍と侍従・縁花。耀龍は銀太の表情がフッと暗くなったのを見て、首を傾げた。
「あれ? どうしたの? ちょっとゴキゲンナナメかな。ギンタ」
銀太はドアノブから手を離して首を左右に振った。
耀龍と縁花は、玄関の中に入ってドアを閉めて施錠をした。耀龍は銀太の天頂に目を落とした。
「でも元気がないみたい」
「ティエンがかえってこない」
「まだ戻ってないの。長い冷却期間だなー」
耀龍はひょこっとキッチンの中を覗きこんだ。
「今晩は。アキラ」
「ちょうどゴハンできたよ。お腹空いたでしょ」
耀龍は「うん」と返事をして食卓テーブルに近づいた。縁花が椅子を引き、それに腰を下ろした。
「天哥々、まだ戻ってないんだってね。頭冷やすって言ったってどこまで行ったんだか。ギンタが寂しがってるんだから早く戻ってきてあげればいいのに。アキラも寂しいでしょ」
耀龍は白に気取られないようにその表情を観察した。
銀太は分かりやすくてよい。素直で感情的で、表情にも態度にもそれを隠そうとしない。しかし、白は年齢に不相応なほど巧みに感情を隠す。
「よっぽど臍を曲げちゃったんだろうなー。昨日、落雷すごかったし」
「あれって、ティエン関係あるの?」
「多分、天哥々だよ。あんまり感情が昂ぶるとコントロールできなくなって処構わず雷落としちゃうんだって。……って言っても昔の話で、最近では滅多になかったんだけど」
白は昨夜、夜中に落雷の音で目を覚ました。天気予報ではそのようなことを言っていなかったはずなのにおかしいとは思っていたが、まさか天尊が関わっているとは。
「天哥々を怒らせると稲妻の雨が降るって、みんな恐がってるよ。そうでなくとも大隊長殿だもん。隊員には恐れられてる。機嫌の悪い天哥々に面と向かって言い返せるのなんてアキラくらいなんじゃない」
白はおかずを盛り付けた皿を持ってキッチンから出て来た。耀龍の軽口に苦笑しながら皿をテーブルの中央に置いた。
「機嫌悪いときの天哥々はオレも近づきたくない」
「弟なのに?」
「天哥々は弟だからって容赦してくれないからね。アキラとギンタにはそういう面を見せたことないってことは、居候の身だから一応、ネコをかぶってるのかな」
耀龍はテーブルに頬杖を突いた。この食卓テーブルで一緒に食事を摂った兄の姿を思い浮かべた。
(イヤ、アキラの前だと天哥々が変わるのかも。大隊長や軍人として振る舞ってるときとは、ちょっと違うカンジがする。昨日の天哥々はまるで――……)
ピンポーン。――チャイムが鳴った。
耀龍は縁花を振り返って「出て」と指先で指図した。
白は縁花にペコッとお辞儀した。夕飯の準備で手がいっぱいだから、代わりに応対してくれるのは助かる。
「姑娘」
縁花は玄関に行き、すぐに戻ってきた。その手には箱を抱えていた。白はすぐさま思い当たる差出人はなかったが、何処かから荷物が届いたのだなと思った。問題は、それが一度ではなかったことだ。
それからひっきりなしにチャイムが鳴り、いくつもの荷物が届いた。縁花がすべて運び入れ、花や菓子、豪奢な包装紙に包まれた中身の分からない箱などでリビングのテーブルの上は見る見るうちに埋め尽くされた。縁花がいてくれて助かった。これだけの荷物を白一人で運ぶのは骨だ。
白はリビングに立ち尽くして首を45度に傾げた。
「これは……何事?」
耀龍は自分の顎に触れながら白の隣に並んだ。
「天哥々なりのご機嫌取り、かな」
「ご機嫌取り?」
「プレゼントが嫌いな女性はいないからね。露骨でも通用するんだよねー」
「これがご機嫌取り……。ティエンはこれでボクの機嫌を取ろうとしてるってこと?」
「そういうこと」
耀龍は首を縮めた。
白は耀龍から贈り物の山へと目線を引き戻して数秒間眺めたあと、口を開いた。
「ロンはティエンに連絡を取ること、できる?」
「できなくはないケド」
「呼んでくれる?」
耀龍はギクッと表情を変えた。
「うーん……。機嫌が悪い天哥々には関わりたくないんだよなー。どうしても?」
「ロンでもそんなにイヤなの?」
「アキラは本気で怒ったときの天哥々を知らないから」
「おねがい、できない? ティエンに家に戻ってくるように伝えてほしい」
「アキラにそこまで言われると断りづらいなあ」
耀龍は眉間に皺を寄せて仕方がなさそうに笑った。その顔には、かなり渋々、乗り気ではないと書いてあった。天尊を敬愛する耀龍がここまで渋るとは、腹を立てた天尊に近づきたくないと言ったのはオーバーな表現ではないらしい。
「まあ、贈り物してくるくらいだから、だいぶ落ち着いたかな。アキラもギンタもいるから手当たり次第に当たり散らかすってこともないだろうし……。いいよ、アキラのお願いだからやってあげる」
耀龍は、申し訳なさそうにする白の隣からソファへと移動した。ソファに腰を下ろして足を肩幅に開いた。両腿の上に肘を置いて手の平を合わせ、その合わせた指先に額をピタリとつけて瞼を閉じた。
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