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Kapitel 12:悲恋
悲恋 02
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夕飯時。疋堂家。
予告通り、本日のメニューはハンバーグ。天尊と銀太は食卓テーブルに就き、ほんわかと湯気が上がるハンバーグを前にして、いただきますの号令待ち。白がスマートフォンを耳に当てて通話中であり、それが終わるのを待機していた。
「……そうですか、ハイ、ハイ。分かりました。いえ、ハイ」
通話を終了した白は、スマートフォンを食卓テーブルの端に置いた。
「誰だ?」
「ユェンさんから。ロン、今日も晩ゴハン要らないんだって」
天尊は驚かなかった。連日の耀龍の行動パターンと白の受け答えの態度からして内容は予想できた。
白が手を合わせ、天尊も銀太も同じように手を合わせた。いただきますの号令のあと、銀太はやや口を尖らせてのそのそとフォークを持ち上げた。
「きょうもロンとユェンはいないのか。オレ、サビシーぞ」
白はナイフとフォークで銀太のハンバーグを小さくしつつ、少々困った表情だった。
天尊や自分は聞き分けられても、銀太はそうはいかない。素直に言葉と態度で寂しいと表現する。
「用事があるから仕方ないよ。今夜はロンの好きなハンバーグだよって言っておいたんだけどな」
「いつだ」
「お昼、学校でロンに会ったときに」
天尊はハンバーグを口に放りこんで咀嚼した。
温かくてこんなに美味い食べ物を断るなど莫迦だ。我が弟ながら莫迦相手に、忙しい白の貴重な時間を割くことはない。
「もう龍のことは放っておけ。食費を入れないヤツがメシを食わないのは当然だ。道理に合っていて腹落ちする」
「またそんなこと言って」
「龍がいないとデカブツもいないからスペース的にもスッキリする」
「ティエンもデカイ」
銀太にそう言われ、天尊は少々ムッとした。
「俺をあの筋肉ダルマと一緒にするな」
「ボクから見たらティエンもユェンさんも充分大きくて筋肉質だよ。話すとき見上げなきゃいけないもん」
カシャン、と天尊の手からフォークが滑り落ちた。天尊は心外という表情だった。
「アキラの目には俺とアレが一緒に見えているのか……? 由々しき事態だ」
「そんなにショック受けること?」
「俺はアイツのように無駄にデカくない。愛想がある。社交性もある。何より断然、見目がいいッ」
天尊はギュッと拳を握って力説。
白はジョークと受け取って「あー、うん。分かった分かった」と聞き流した。
「ロンはいつかえってくる?」
天尊は嘆息を漏らした。
もう放っておけと言うのに。銀太の脳内は耀龍のことでいっぱいだ。
「ギンタがベッドに入ったあとだ」
「じゃあいつゴハンたべにくる?」
「さあな」
「あした? あさって? もっとさきか?」
「知らん」
天尊の返し方はつれなかった。銀太の欲しい答えでないことは明白だが、事実を正確に伝える。白が同じことを訊かれても、言い方を柔らかくしたとしても同じ内容を伝えるしかないから、天尊を責めなかった。
「ロンもユェンもいないとたのしくない」
銀太は完全に不機嫌だった。
姉としては、幼い弟が不機嫌になる心情も理解できる。白は眉を下げつつ優しく微笑みかけた。
「そうだね。最近はみんなでゴハン食べてたから、いないとちょっと寂しいね。前まではふたりが当たり前だったのにね」
「いまふたりじゃないだろ、俺もいる」
「そうだよ。ゴハン食べてティエンとゲームしよ。あ。ティエンとまた銭湯に行く? この前、父さんと一緒に行って楽しかったって言ってたもんね」
「ティエンがいるけど、ティエンはロンじゃない」
銀太は眉を逆八の字にして口を尖らせた。
白と天尊は黙って顔を見合わせた。
白は弱ってしまった。銀太は姉の言うことだけはよく聞くが、生来我は強いから意固地になったら聞き分けさせるのは、なかなかに骨だ。
これは埒もない不機嫌ではない。銀太の寂しさの裏返しだ。銀太が白以外の人物にこだわるのは珍しい。虎子が白の変化を喜ばしく感じたように、白も銀太の変化をよい徴候だと思う。傍にいないことを聞き分けさせるのは忍びない。
「そうだ。俺もアイツの代わりをするつもりはない。アキラもギンタももう龍を気に懸けるな。侍従がいるんだ。放っておいても飢え死にはせん」
銀太は怒ったような顔を向けたが口を一文字に噤んだ。天尊に文句を言ってもどうにもならないことを、幼いながらに理解はしていた。
天尊は、ハーーッと長い溜息を吐いた。対面に座っている銀太の顔を指差した。
「そのスネた顔も已めろ。お前たちの望みは分かっているつもりだ」
「ティエン✨」
銀太は、ぱああっと顔を明るくして両手を挙げて万歳した。
天尊は現金なヤツだと思ったが、シンプルで分かりやすく可愛げがある。
「龍はいいとして、縁花を腕尽くで押さえるのは手間だが、まあどうとでもなる」
「力尽くはダメッ」と白が素早く注意。
「ロンがウチに来なきゃいけない義務こそないんだからね。ゴハンを一緒に食べたいのはボクたちのワガママ。ロンがイヤだって言うなら無理強いはしないで」
暴力に頼らず言葉を尽くして説得しろということだ。天尊にとっては、そちらのほうが何倍も手間だ。しかし、白がそう言うなら無碍にはできない。
天尊は「ああ、分かった」と了承した。
§ § § § §
瑠璃瑛学園より少し離れた場所に歓楽街はある。
通りの両側にネオンサインが所狭しと犇めき合って煌々と輝き、真夜中を過ぎた時分でも多くの人々が行き交う。時たま笑声や怒声が聞こえて賑やかだ。酔い潰れた若い男女が道端に転がっている。ここは歓楽街のなかでも、若者の割合が高いエリアだった。
天尊は或る雑居ビルを訪れた。窮屈に感じるほど小さなエレベータに乗って地階へと降りた。
地階フロアでは大音量のBGMが流れ、重低音がひっきりなしに鼓膜を叩く。照明が少ない薄暗い空間にスモークが充満して視界が悪い。サウンドとスモークのなかで男とも女ともつかぬ人影が人形劇のように蠢いている。
「喧しいところで遊んでやがる」
天尊からは嘲笑が漏れた。我が弟ながら、こちらに来て日が浅いくせに遊び場を見つけるのは早いと感心する。
狭い通路を進んで直角のコーナーを曲がると、縁花が立っていた。これ以上ないと言うほど分かりやすい目印。天尊の目的地は此処だ。縁花の後ろにはドアがあり、この個室にいる耀龍に話がある。
天尊は縁花の前で足を停めて身体の真正面を向けた。
「龍は」
「中にいらっしゃいます」
「お前はここで何をしている」
「大隊長がおいでになると御連絡をいただきましたので出迎えを」
「それがお前の役目か。何のために龍に仕えている」
天尊はズボンのポケットに両手を突っこんだ体勢で、やや顎を仰角にした。
「何遍も同じことを言わせるな。主人を諫めるのは侍従の務めだ。龍が遊び呆けているのに、お前がそれを諫められんでどうする。俺を出迎える暇があったら、あの道楽者の行動を正せ」
縁花は一切の反論をせず黙りこんだ。
縁花は自己弁護をする人物ではない。天尊からの戒飭を妥当であると受け止めた。
数秒後、ようやく口を開いた。
「耀龍様は現在少々拗けておられまして」
「付き合ってられん。あんな図体になった大の男がスネているから何だというんだ」
「そうしておられる理由は、おそらくは大隊長に関することではないかと」
バタンッ。――突如、ドアが勢いよく開いた。
室内にいる者たちの目が一斉にドアに向いた。鴨居を避けるように頭を下げて入室した人物の風貌に、釘づけになった。
真っ黒のロングコートを羽織り、サングラスをかけた白髪の長躯。コートの上からでも肉体の屈強さが予想できる。白髪の長躯は、太い腕、太い首、闘士型の体型で堂々と立ち、室内を一瞥した。
個室のなかでは、数人の若い男女がテーブルを囲んでいた。天尊はその輪の中央に耀龍を発見した。
「龍」と呼ばれたが、耀龍は唖然として返事ができなかった。まさかこのようなところに天尊自ら足を運ぶなど思っていなかった。
「え。ちょっと誰。ヤオロンくん知り合い?」
「ヤダ……なんか雰囲気ヤバくない。コワイんだけど」
耀龍の両脇にいる女たちは、突然現れた屈強な男を怖がって身体を擦り寄せた。
天尊は耀龍に向かって「来い」と顎でクイッと指図した。
「天哥々……? わざわざ来ると思ってなかった」
「とっとと出てこい」
端的な命令を下す声は低音で冷然。耀龍はにわかにピリッと緊張した。
通路に出てきた耀龍は、壁に背中で凭りかかった。自分の正面に立った天尊と目も合わせず「何?」と投げかけた。
いつもと比較するとやや横柄な態度。確かに縁花の言うとおりに臍を曲げているらしい。
「遊ぶなとは言わんが節度を持て。お前のような者が毎晩毎晩、品のない場所で放蕩するのは褒められたことじゃない。縁花の言うことも聞き入れずどういう了見だ。侍従の進言を蔑ろにするのは愚かな主人だ」
「今までそんなこと言ったことないくせに」
耀龍は天尊から顔を背けたままツンと言い返した。
「あ?」
「今まではオレが何してたって関心なかったくせに、今さら注意? アスガルトでは好きにさせて、ミズガルズでは自重しろって? 何ソレ」
耀龍の反抗的な態度は、天尊の癇に障った。天哥々、天哥々、と慕ってくるのをうざったく感じるときもあったが、そのほうがマシに感じるくらいに苛つく。
ガッ! ――天尊が耀龍の顎を乱暴に掴んだ。
耀龍の顔を力尽くで無理矢理自分のほうへ向かせた。反論をするのも斜に構えているのも気に食わなかった。
耀龍が自分の顔面から天尊の手を引き剥がそうと抵抗したがビクともしなかった。
「いッたい! 痛いってッ」
「大隊長ッ」
「殴りはせん。人の話を聞く躾をするだけだ」
天尊は耀龍の顔面を固定したまま、その後頭部を壁に押しつけた。
「お前はもうあの家でメシを食うな。顔も出すな」
「……何で」
「アキラとギンタはお前に心を許した。それなのに気紛れに一喜一憂させるくらいなら、もう関わるな。お前の都合でふたりを振り回すな」
「振り回すつもりなんかない。ちゃんと連絡してる」
耀龍が口を開くと、天尊はその後頭部をガンッと壁に打ちつけて口答えを封じた。
「お前が遊び呆けようと家に帰らなかろうと、俺にはどうでもいいことだ。だが、アキラは案じる、ギンタは寂しがる。あのふたりを傷つけるようなことがあったら、いくら弟でもタダじゃおかん。肝に銘じておけ」
天尊は耀龍からゆっくりと手を離した。
耀龍は、イテテ……、と自分の顎を摩った。顎を外されたり砕かれたりするのではないかとヒヤヒヤした。兄弟喧嘩や忠言の範疇と静観する縁花も、流石にその直前には停めに入るだろうが。
耀龍は顎から離した手をぶらんとぶら下げて目線を足許に落とし、口を開く。
「天哥々はさ……アキラのためならオレの迎えに来てくれるんだね。オレのために来てくれたことなんか一度もないのに」
「何の話だ」
「天哥々はオレが子どもの頃から、オレが寂しいって言ったって、行かないでって言ったって、きいてくれたことなんか一度もない。いつだってオレのワガママより任務を優先した」
「当たり前だ。仕事はガキのワガママに優先する」
「その仕事よりアキラを選んだクセに」
天尊からジロッと睨まれ、耀龍は素早く話を続けた。
「いいんだよ別に。天哥々がオレより任務よりアキラを選んだって。オレが一番じゃなくたっていい。天哥々が幸せならそれでいい」
耀龍は天尊のコートをギュッと掴んだ。
「だけど、天哥々が選んだって、アキラは天哥々を選ばなかった。アキラは天哥々に応えてくれない。天哥々は幸せになれない。愛したって愛されないんじゃ……愛する意味なんかない……」
耀龍にとって天尊は、兄であり父であり、幼い頃からずっと、身体が大きく成長した今でも、憧れ続けている。逞しく雄々しく鋭く迅く剛く、比類なく美しい。憧憬の体現、理想型の最高峰。
そのような兄を否定するなんて許せない。兄から愛されて受け容れないなんて有り得ない。何の権利があってそのようなことができる。
――違う。本当は、怒っているんじゃなくて悲しいんだ。貴男が幸せを掴めないことが。
どうして貴男は幸せになれないの。大好きな人に幸せになってほしいなんて、誰もが願うような普通のことじゃないか。こんな有り触れたたったひとつの願いが、この世界では叶わない。
「お前が考えるべきことじゃない。決めるのは、俺だ」
天尊は自分の胸の上に手を置いた。
「どこまでアキラを愛していられるのか、已めるときが来るのか、愛することに意義があるのか、決めるのは俺だ」
耀龍はサングラス越しに天尊の瞳を見詰めた。
その双眸には、自信があった。どのような言葉で以てしても揺るがすことのできない自信にして、或る種、諦念にも似た強い意志。自分の心が破裂してしまっても構わないと、何もかもを捧げてしまえる決意。
「龍。お前は恵まれている。多くの者から愛されている。だからお前は知らんのだ。誰もがお前みたいに愛されるわけじゃない。愛だとか恋だとかを、お前の知っている型に当て嵌めようとするな。この世に愛し方なんかゴマンとある。俺とお前ですら違う」
耀龍は天尊のコートを引っ張った。
「天哥々はアキラが応えてくれなくてもいいってこと? この先ずっと、愛されないままアキラの傍にいて、いつかアキラが天哥々以外の人を愛して……。あっという間に老いて死んで……ッ、それで天哥々は満足なの。そんなの幸せって言えるッ?」
「ああ。幸せだ」
「ウソだ。そんなの幸せなハズない」
「正直、そうなったとして相手の男を殺さん自信はないがな」
天尊は冗談のようにハハハと笑った。
耀龍は悔しかった。子ども扱いされたように、蚊帳の外に放り出されたように、自分の必死な説得をすべて聞き流される。
「だがな、いま確かに俺は幸せだ。お前みたいなヤツには解らんだろう。愛した女の傍にいて、この手で護ることができるのは、幸せなことだ」
耀龍は、天尊が満ち足りた表情をするのが遣る瀬なかった。天尊の充足と安息、これを望んでいたはずなのに。
否、このような虚しい幸福を思い描いたのではない。このような悲しい結末を受け容れてしまわないで。歯痒くて堪らないのに、何か言ってやりたいのに、言葉が浮かんでこなかった。弟程度では、心を決めてしまった兄を動かすことはできないと分かり切っている。
耀龍は天尊の胸板に額を置き、悔しさを噛み殺した。
天尊は耀龍の背中をポンポンと叩いた。
「だから、俺に何があっても、お前がアキラを恨むな」
心が破れて砕けて血液の代わりに涙を流しきって、死んでしまっても構わない。そうだ、きっとそれでよいのだ。それこそが恋い焦がれるということだ。
恋の甘美や悲痛は誰しも訪うのに、誰もが報われる恋をするわけじゃない。
予告通り、本日のメニューはハンバーグ。天尊と銀太は食卓テーブルに就き、ほんわかと湯気が上がるハンバーグを前にして、いただきますの号令待ち。白がスマートフォンを耳に当てて通話中であり、それが終わるのを待機していた。
「……そうですか、ハイ、ハイ。分かりました。いえ、ハイ」
通話を終了した白は、スマートフォンを食卓テーブルの端に置いた。
「誰だ?」
「ユェンさんから。ロン、今日も晩ゴハン要らないんだって」
天尊は驚かなかった。連日の耀龍の行動パターンと白の受け答えの態度からして内容は予想できた。
白が手を合わせ、天尊も銀太も同じように手を合わせた。いただきますの号令のあと、銀太はやや口を尖らせてのそのそとフォークを持ち上げた。
「きょうもロンとユェンはいないのか。オレ、サビシーぞ」
白はナイフとフォークで銀太のハンバーグを小さくしつつ、少々困った表情だった。
天尊や自分は聞き分けられても、銀太はそうはいかない。素直に言葉と態度で寂しいと表現する。
「用事があるから仕方ないよ。今夜はロンの好きなハンバーグだよって言っておいたんだけどな」
「いつだ」
「お昼、学校でロンに会ったときに」
天尊はハンバーグを口に放りこんで咀嚼した。
温かくてこんなに美味い食べ物を断るなど莫迦だ。我が弟ながら莫迦相手に、忙しい白の貴重な時間を割くことはない。
「もう龍のことは放っておけ。食費を入れないヤツがメシを食わないのは当然だ。道理に合っていて腹落ちする」
「またそんなこと言って」
「龍がいないとデカブツもいないからスペース的にもスッキリする」
「ティエンもデカイ」
銀太にそう言われ、天尊は少々ムッとした。
「俺をあの筋肉ダルマと一緒にするな」
「ボクから見たらティエンもユェンさんも充分大きくて筋肉質だよ。話すとき見上げなきゃいけないもん」
カシャン、と天尊の手からフォークが滑り落ちた。天尊は心外という表情だった。
「アキラの目には俺とアレが一緒に見えているのか……? 由々しき事態だ」
「そんなにショック受けること?」
「俺はアイツのように無駄にデカくない。愛想がある。社交性もある。何より断然、見目がいいッ」
天尊はギュッと拳を握って力説。
白はジョークと受け取って「あー、うん。分かった分かった」と聞き流した。
「ロンはいつかえってくる?」
天尊は嘆息を漏らした。
もう放っておけと言うのに。銀太の脳内は耀龍のことでいっぱいだ。
「ギンタがベッドに入ったあとだ」
「じゃあいつゴハンたべにくる?」
「さあな」
「あした? あさって? もっとさきか?」
「知らん」
天尊の返し方はつれなかった。銀太の欲しい答えでないことは明白だが、事実を正確に伝える。白が同じことを訊かれても、言い方を柔らかくしたとしても同じ内容を伝えるしかないから、天尊を責めなかった。
「ロンもユェンもいないとたのしくない」
銀太は完全に不機嫌だった。
姉としては、幼い弟が不機嫌になる心情も理解できる。白は眉を下げつつ優しく微笑みかけた。
「そうだね。最近はみんなでゴハン食べてたから、いないとちょっと寂しいね。前まではふたりが当たり前だったのにね」
「いまふたりじゃないだろ、俺もいる」
「そうだよ。ゴハン食べてティエンとゲームしよ。あ。ティエンとまた銭湯に行く? この前、父さんと一緒に行って楽しかったって言ってたもんね」
「ティエンがいるけど、ティエンはロンじゃない」
銀太は眉を逆八の字にして口を尖らせた。
白と天尊は黙って顔を見合わせた。
白は弱ってしまった。銀太は姉の言うことだけはよく聞くが、生来我は強いから意固地になったら聞き分けさせるのは、なかなかに骨だ。
これは埒もない不機嫌ではない。銀太の寂しさの裏返しだ。銀太が白以外の人物にこだわるのは珍しい。虎子が白の変化を喜ばしく感じたように、白も銀太の変化をよい徴候だと思う。傍にいないことを聞き分けさせるのは忍びない。
「そうだ。俺もアイツの代わりをするつもりはない。アキラもギンタももう龍を気に懸けるな。侍従がいるんだ。放っておいても飢え死にはせん」
銀太は怒ったような顔を向けたが口を一文字に噤んだ。天尊に文句を言ってもどうにもならないことを、幼いながらに理解はしていた。
天尊は、ハーーッと長い溜息を吐いた。対面に座っている銀太の顔を指差した。
「そのスネた顔も已めろ。お前たちの望みは分かっているつもりだ」
「ティエン✨」
銀太は、ぱああっと顔を明るくして両手を挙げて万歳した。
天尊は現金なヤツだと思ったが、シンプルで分かりやすく可愛げがある。
「龍はいいとして、縁花を腕尽くで押さえるのは手間だが、まあどうとでもなる」
「力尽くはダメッ」と白が素早く注意。
「ロンがウチに来なきゃいけない義務こそないんだからね。ゴハンを一緒に食べたいのはボクたちのワガママ。ロンがイヤだって言うなら無理強いはしないで」
暴力に頼らず言葉を尽くして説得しろということだ。天尊にとっては、そちらのほうが何倍も手間だ。しかし、白がそう言うなら無碍にはできない。
天尊は「ああ、分かった」と了承した。
§ § § § §
瑠璃瑛学園より少し離れた場所に歓楽街はある。
通りの両側にネオンサインが所狭しと犇めき合って煌々と輝き、真夜中を過ぎた時分でも多くの人々が行き交う。時たま笑声や怒声が聞こえて賑やかだ。酔い潰れた若い男女が道端に転がっている。ここは歓楽街のなかでも、若者の割合が高いエリアだった。
天尊は或る雑居ビルを訪れた。窮屈に感じるほど小さなエレベータに乗って地階へと降りた。
地階フロアでは大音量のBGMが流れ、重低音がひっきりなしに鼓膜を叩く。照明が少ない薄暗い空間にスモークが充満して視界が悪い。サウンドとスモークのなかで男とも女ともつかぬ人影が人形劇のように蠢いている。
「喧しいところで遊んでやがる」
天尊からは嘲笑が漏れた。我が弟ながら、こちらに来て日が浅いくせに遊び場を見つけるのは早いと感心する。
狭い通路を進んで直角のコーナーを曲がると、縁花が立っていた。これ以上ないと言うほど分かりやすい目印。天尊の目的地は此処だ。縁花の後ろにはドアがあり、この個室にいる耀龍に話がある。
天尊は縁花の前で足を停めて身体の真正面を向けた。
「龍は」
「中にいらっしゃいます」
「お前はここで何をしている」
「大隊長がおいでになると御連絡をいただきましたので出迎えを」
「それがお前の役目か。何のために龍に仕えている」
天尊はズボンのポケットに両手を突っこんだ体勢で、やや顎を仰角にした。
「何遍も同じことを言わせるな。主人を諫めるのは侍従の務めだ。龍が遊び呆けているのに、お前がそれを諫められんでどうする。俺を出迎える暇があったら、あの道楽者の行動を正せ」
縁花は一切の反論をせず黙りこんだ。
縁花は自己弁護をする人物ではない。天尊からの戒飭を妥当であると受け止めた。
数秒後、ようやく口を開いた。
「耀龍様は現在少々拗けておられまして」
「付き合ってられん。あんな図体になった大の男がスネているから何だというんだ」
「そうしておられる理由は、おそらくは大隊長に関することではないかと」
バタンッ。――突如、ドアが勢いよく開いた。
室内にいる者たちの目が一斉にドアに向いた。鴨居を避けるように頭を下げて入室した人物の風貌に、釘づけになった。
真っ黒のロングコートを羽織り、サングラスをかけた白髪の長躯。コートの上からでも肉体の屈強さが予想できる。白髪の長躯は、太い腕、太い首、闘士型の体型で堂々と立ち、室内を一瞥した。
個室のなかでは、数人の若い男女がテーブルを囲んでいた。天尊はその輪の中央に耀龍を発見した。
「龍」と呼ばれたが、耀龍は唖然として返事ができなかった。まさかこのようなところに天尊自ら足を運ぶなど思っていなかった。
「え。ちょっと誰。ヤオロンくん知り合い?」
「ヤダ……なんか雰囲気ヤバくない。コワイんだけど」
耀龍の両脇にいる女たちは、突然現れた屈強な男を怖がって身体を擦り寄せた。
天尊は耀龍に向かって「来い」と顎でクイッと指図した。
「天哥々……? わざわざ来ると思ってなかった」
「とっとと出てこい」
端的な命令を下す声は低音で冷然。耀龍はにわかにピリッと緊張した。
通路に出てきた耀龍は、壁に背中で凭りかかった。自分の正面に立った天尊と目も合わせず「何?」と投げかけた。
いつもと比較するとやや横柄な態度。確かに縁花の言うとおりに臍を曲げているらしい。
「遊ぶなとは言わんが節度を持て。お前のような者が毎晩毎晩、品のない場所で放蕩するのは褒められたことじゃない。縁花の言うことも聞き入れずどういう了見だ。侍従の進言を蔑ろにするのは愚かな主人だ」
「今までそんなこと言ったことないくせに」
耀龍は天尊から顔を背けたままツンと言い返した。
「あ?」
「今まではオレが何してたって関心なかったくせに、今さら注意? アスガルトでは好きにさせて、ミズガルズでは自重しろって? 何ソレ」
耀龍の反抗的な態度は、天尊の癇に障った。天哥々、天哥々、と慕ってくるのをうざったく感じるときもあったが、そのほうがマシに感じるくらいに苛つく。
ガッ! ――天尊が耀龍の顎を乱暴に掴んだ。
耀龍の顔を力尽くで無理矢理自分のほうへ向かせた。反論をするのも斜に構えているのも気に食わなかった。
耀龍が自分の顔面から天尊の手を引き剥がそうと抵抗したがビクともしなかった。
「いッたい! 痛いってッ」
「大隊長ッ」
「殴りはせん。人の話を聞く躾をするだけだ」
天尊は耀龍の顔面を固定したまま、その後頭部を壁に押しつけた。
「お前はもうあの家でメシを食うな。顔も出すな」
「……何で」
「アキラとギンタはお前に心を許した。それなのに気紛れに一喜一憂させるくらいなら、もう関わるな。お前の都合でふたりを振り回すな」
「振り回すつもりなんかない。ちゃんと連絡してる」
耀龍が口を開くと、天尊はその後頭部をガンッと壁に打ちつけて口答えを封じた。
「お前が遊び呆けようと家に帰らなかろうと、俺にはどうでもいいことだ。だが、アキラは案じる、ギンタは寂しがる。あのふたりを傷つけるようなことがあったら、いくら弟でもタダじゃおかん。肝に銘じておけ」
天尊は耀龍からゆっくりと手を離した。
耀龍は、イテテ……、と自分の顎を摩った。顎を外されたり砕かれたりするのではないかとヒヤヒヤした。兄弟喧嘩や忠言の範疇と静観する縁花も、流石にその直前には停めに入るだろうが。
耀龍は顎から離した手をぶらんとぶら下げて目線を足許に落とし、口を開く。
「天哥々はさ……アキラのためならオレの迎えに来てくれるんだね。オレのために来てくれたことなんか一度もないのに」
「何の話だ」
「天哥々はオレが子どもの頃から、オレが寂しいって言ったって、行かないでって言ったって、きいてくれたことなんか一度もない。いつだってオレのワガママより任務を優先した」
「当たり前だ。仕事はガキのワガママに優先する」
「その仕事よりアキラを選んだクセに」
天尊からジロッと睨まれ、耀龍は素早く話を続けた。
「いいんだよ別に。天哥々がオレより任務よりアキラを選んだって。オレが一番じゃなくたっていい。天哥々が幸せならそれでいい」
耀龍は天尊のコートをギュッと掴んだ。
「だけど、天哥々が選んだって、アキラは天哥々を選ばなかった。アキラは天哥々に応えてくれない。天哥々は幸せになれない。愛したって愛されないんじゃ……愛する意味なんかない……」
耀龍にとって天尊は、兄であり父であり、幼い頃からずっと、身体が大きく成長した今でも、憧れ続けている。逞しく雄々しく鋭く迅く剛く、比類なく美しい。憧憬の体現、理想型の最高峰。
そのような兄を否定するなんて許せない。兄から愛されて受け容れないなんて有り得ない。何の権利があってそのようなことができる。
――違う。本当は、怒っているんじゃなくて悲しいんだ。貴男が幸せを掴めないことが。
どうして貴男は幸せになれないの。大好きな人に幸せになってほしいなんて、誰もが願うような普通のことじゃないか。こんな有り触れたたったひとつの願いが、この世界では叶わない。
「お前が考えるべきことじゃない。決めるのは、俺だ」
天尊は自分の胸の上に手を置いた。
「どこまでアキラを愛していられるのか、已めるときが来るのか、愛することに意義があるのか、決めるのは俺だ」
耀龍はサングラス越しに天尊の瞳を見詰めた。
その双眸には、自信があった。どのような言葉で以てしても揺るがすことのできない自信にして、或る種、諦念にも似た強い意志。自分の心が破裂してしまっても構わないと、何もかもを捧げてしまえる決意。
「龍。お前は恵まれている。多くの者から愛されている。だからお前は知らんのだ。誰もがお前みたいに愛されるわけじゃない。愛だとか恋だとかを、お前の知っている型に当て嵌めようとするな。この世に愛し方なんかゴマンとある。俺とお前ですら違う」
耀龍は天尊のコートを引っ張った。
「天哥々はアキラが応えてくれなくてもいいってこと? この先ずっと、愛されないままアキラの傍にいて、いつかアキラが天哥々以外の人を愛して……。あっという間に老いて死んで……ッ、それで天哥々は満足なの。そんなの幸せって言えるッ?」
「ああ。幸せだ」
「ウソだ。そんなの幸せなハズない」
「正直、そうなったとして相手の男を殺さん自信はないがな」
天尊は冗談のようにハハハと笑った。
耀龍は悔しかった。子ども扱いされたように、蚊帳の外に放り出されたように、自分の必死な説得をすべて聞き流される。
「だがな、いま確かに俺は幸せだ。お前みたいなヤツには解らんだろう。愛した女の傍にいて、この手で護ることができるのは、幸せなことだ」
耀龍は、天尊が満ち足りた表情をするのが遣る瀬なかった。天尊の充足と安息、これを望んでいたはずなのに。
否、このような虚しい幸福を思い描いたのではない。このような悲しい結末を受け容れてしまわないで。歯痒くて堪らないのに、何か言ってやりたいのに、言葉が浮かんでこなかった。弟程度では、心を決めてしまった兄を動かすことはできないと分かり切っている。
耀龍は天尊の胸板に額を置き、悔しさを噛み殺した。
天尊は耀龍の背中をポンポンと叩いた。
「だから、俺に何があっても、お前がアキラを恨むな」
心が破れて砕けて血液の代わりに涙を流しきって、死んでしまっても構わない。そうだ、きっとそれでよいのだ。それこそが恋い焦がれるということだ。
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女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
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