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Kapitel 04
01:初任務 01
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イーダフェルトベース・トレーニングルーム。
トラジロは腕組みをして黙りこみ、とある人物に視線を注いでいた。
その人物とは、つい先日三本爪飛竜騎兵大隊に配属となったビシュラ。騎兵隊で引き取るとは言ったものの、ビシュラを注視するトラジロの表情は〝無〟だった。
ビシュラはトレーニングの最中だ。相手は騎兵隊のひとり、全身を爬虫の鱗に覆われ、長い尾を持つ亜人種。ビシュラより一回りは大きな上背をしている。
彼が長い棒状の武器で打ちこみ、ビシュラはそれをプログラムによって創出した不可視の遮蔽物《牆壁》によって阻む。隊員がかなり加減をしていることは誰の目にも明らかであるが、ビシュラはおっかなびっくり必死の形相だ。
トラジロはその光景をしばらく眺めたのち、小さく嘆息を漏らした。
「これは想像以上に……」
コツコツコツッ、という足音が聞こえてきて、トラジロは出入り口のほうを振り返った。其処には予想どおり、緋の姿。本日は天尊、ヴァルトラムと共に他隊との会議に出席する予定が入っていた。時間帯からしても会議終了後、その足でトレーニングルームにやって来たのだろう。
「お疲れ様です、緋姐。大隊長とヴァルトラムはどうしましたか」
「ふたりとも話があると引き留められていたぞ。じきに戻るだろ」
トラジロに応えつつ、緋はビシュラのほうへ視線をやる。
「ビシュラは何をやってるんだ?」
緋の目には、ちょこまかと動き回っているビシュラは、到底トレーニング中には見えなかった。それは他の隊員たちにとっても同じ。遊んでいる子どもを見守るように笑いながら眺めている。
「実力テストを少々」
「必要か? 異動の時に回ってきたプロフィールには目を通したんだろう」
「大凡プロフィールどおりだから困っています」
トラジロは肩を竦めて見せた。
「プログラムを扱えるのもデスクワーク慣れしているのもありがたいですが、運動能力のほうは多少難アリでしてね」
「あれくらいが平均値じゃないか? 〝ごく当たり前の非戦闘員〟だぞ」
「学院では実技の成績はよくなかったと自己申告していましたが、まさかこれほどとは」
「お前が普通じゃない環境だったんだよ。幼い頃からずっとズィルビーみたいなのが近くにいたんだからな」
アハハハハ、と緋は笑い飛ばした。
「ビシュラを実戦の戦力としては期待していません。戦闘に投入する予定もありません。ですが、上官としてどの程度動けるかくらいは把握しておく必要があります」
「鍛えて直ぐさまどうにかなるレベルじゃなさそうだな、アレは」
「とはいえまったく鍛えないというわけにもいきません。できるものなら生存確率は上げてあげたい」
「上官は大変だ」
緋が肩を揺らしてクックッと笑う隣で、トラジロは浮かない表情をしていた。ふたりはほぼ同時に人の気配に気づき、出入り口へと顔を向けた。
凛と背筋の通った長身で霜髪の男と、朱髪を揺らしてのっそりと歩く巨躯が並び立つ。飛竜の大隊の長・天尊と歩兵部隊隊長のヴァルトラムだ。
「もう戻ったか。話はそんなに時間がかからなかったんだな」
「時間はな」
緋が話しかけると、天尊は若干不機嫌そうに見えた。会議終了後に分かれた直後は普段どおりだったが。
「お疲れ様です大隊長殿、歩兵長殿!」
緋が不思議そうにしている最中、トレーニングルーム中から揃った声で挨拶。
その声によってビシュラは天尊とヴァルトラムがやって来たことに気づき、つい意識を取られてしまった。
「皆さん会議からお戻りになっ――」
「あッ! やばッ」
ビシュラのトレーニング相手の手は急には停まらなかった。これまでに何度もそう繰り返したように、ビシュラが《牆壁》によって弾くのだろうと思って棒を振ってしまった。完全に意識が逸れているビシュラの頭部に目掛けて一直線。
ボキィッ!
ビシュラは頭の近くで音がしてから、その場にいた彼らにとってはかなり遅れて、ハッとして振り向いた。
ふわっと宙に浮く朱色の髪、反射的に見上げたその先、自分がすっぽりと影のなかに入ってしまう大きな肉体――――それはヴァルトラムの背中だった。
ただし、今の今までトレーニングの相手をしてくれていた隊員の姿は無かった。
「余所見するな。弱っちいクセに」
「も、申し訳ございませんッ」
ビシュラはガバッと頭を下げた。それから顔を上げてキョロキョロと辺りを見回す。
「あれ? クシードさんは?」
ヴァルトラムが無言で指差す方向を見ると、クシード――――ビシュラのトレーニング相手だった爬虫の亜人は、半分に折れた棒を握り締めて床に転がっていた。
ヴァルトラムが棒を叩き折ったついでに殴り飛ばしたため、勢いよく吹っ飛んでしまったのだ。
「あっ、あー! クシードさん大丈夫ですか⁉」
彼に駆け寄ろうとしたビシュラの進行方向に、ヴァルトラムが足を伸ばした。行く手を阻まれ、ビシュラは不思議そうにヴァルトラムを見上げた。
「トレーニングの相手なら俺がしてやろうか?」
「え?」
上官に対して拒否権などはない。否、ビシュラがそのようなことを考えるよりも先に、ヴァルトラムの足は動き出していた。
――蹴られる!
そう気づいた瞬間、ビシュラは反射的に《牆壁》を発動した。
パッキィン! ――ヴァルトラムのブーツが接触するや否や《牆壁》はいとも容易く叩き割られてしまった。
ビシュラはギョッとして目を見開く。
「キックで《牆壁》を⁉」
相手は素人同然、もしくは素人以下。ヴァルトラムとしてもこれ以上無いというほど手加減して蹴り出したが、その強度は想定をかなり下回っていた。それでも通常ならば肉弾で突破できるような代物ではない。やはりこの男が規格外、異常なのだ。
「本気でやれ。ケガしたくなきゃあな」
(本気です!)
ビシュラは顔色を変えて脱兎の如く逃げ出した。
この男とはレベルが掛け離れすぎている。ついうっかりで殺されてしまうのは御免だ。
ヴァルトラムはビシュラを追った。
「逃げるな。トレーニングになんねェだろうが」
「歩兵長とトレーニングなんて無理ですー!」
ヴァルトラムに追いかけられ、ビシュラは全速力でトレーニングルーム内を走り回る。
「何をやっているんだか、あの男は」
「じゃれてるんだろ。まあ、歩兵長にとってはお遊びでもビシュラの逃げ足くらいは鍛えられるかもな」
トラジロと緋は助け船を出す気など毛頭無かった。傍観者の顔をしてビシュラとヴァルトラムの追いかけっこを眺める。ヴァルトラムがその気になればビシュラなど直ぐさま捕まえられるのに、走り回らせているのは遊んでいる証拠だ。
「きゃあきゃあきゃあっ!」
ビシュラは悲鳴を上げながらズィルベルナーの眼前へ逃げこんだ。トレーニングルームの壁際で給水中だった銀髪の彼は間抜けな顔をする。
「た、たたた、助けてくださいズィルベルナーさん!」
「へ?」
視界の端で黒いものが高速で地を這う。ズィルベルナーは咄嗟に腕を十字に交差してそれをガードした。
ガチィンッ! ――とかなり硬質なものが腕にぶち当たった。
ズィルベルナーは瞬時にそれがヴァルトラムの蹴りであると理解した。
「いきなり何してくれんだオッサン!」
「さすがはズィルベルナーさん! 歩兵長のキックを受け止められるのですね」
「まー。これくらいなら?」
ズィルベルナーはビシュラの賞賛の声に、ヘラッと表情を緩めた。
バキッ! ――唐突にヴァルトラムのパンチが鼻っ面にヒット。
ズィルベルナーは鼻っ柱を押さえてヴァルトラムをキッと睨んだ。
「何で急に殴んだよッ」
「オメエ、ビシュラの盾になるんだろ?」
「は?」
「盾になるから其処にボケッと突っ立ってんだろって言ってんだ。嫌なら逃げろ」
それはズィルベルナーのプライドを刺激する言葉だった。故意にやっているのか相性の悪さか、ヴァルトラムの発言はよくズィルベルナーの神経を逆撫でする。
「誰が逃げるかよ~~💢 オッサンが相手だからって俺が逃げるわけねェだろ!」
「逃げねェならサンドバッグだ」
「殴れるモンなら殴ってみろ! ノロマ~、バーカバーカ」
ビシュラはヴァルトラムの気が自分から逸れ、ふう、と息を吐いた。ズィルベルナーには悪いが、ヴァルトラムに追いかけられるのは訓練であることを忘れるくらいに恐ろしい。
ビシュラ、と緋から手招きされた。
「聞いたぞビシュラ。兵舎の前で歩兵長に張り手を喰らわしたんだって? やるじゃないか」
「どうしてそのことをご存知なのですか」
「噂になってる。あの三本爪飛竜騎兵大隊歩兵長が、白昼、若い女性兵士に顔面を引っ叩かれたとな。あの歩兵長がだぞ。あははははははッ」
緋は実に愉快そうに腹部を押さえて声を上げて笑った。ヴァルトラムと行動をともにする時間が長い分、フラストレーションも最も溜まっているのだろう。
天尊はヴァルトラムとズィルベルナーの遣り取りをしばらく黙って見ていた。その辺に置かれたダンベルを、無言でスッと拾い上げたかと思うと、何の躊躇もなく銀髪目掛けて放り投げた。
ゴィンッ! ――ズィルベルナーの後頭部に直撃。
「ぃだーッ!」
ズィルベルナーは、頭部を抱えてその場を翻筋斗打った。
「いい加減にしろ、騒がしい」
天尊の視線は、ダンベルを喰らったズィルベルナーではなくヴァルトラムに向いた。
「経理から施設の修繕費が嵩みすぎだとネチネチと厭味を言われてきたばかりだろうが。ズィルビーぶっ飛ばしついでにまた施設を壊すつもりか」
「知ったことか」
「大半はお前の所為だろうが。物覚えが悪いのか」
「小せぇこたァイチイチ覚えてねェんでな」
「じゃあウチへの請求書をよく見直すんだな」
「そうだそうだー!」
「お前もだ、この脳内未成年がッ」
息を吹き返したズィルベルナーに天尊の一撃。ズィルベルナーはがーんとショックを受けて床に突っ伏した。
天尊の怒声によりビシュラまでピッと背筋を伸ばした。
「大隊長は随分とご機嫌がお悪いですね」
「経理に引き留められていたからな。嫌な予感はしてた」
経理に話があると言われて良い相談であるはずがないことは予想の範疇だ。人手不足は慢性的でありながら安定した補充のアテはなく、致し方なしとはいえ破格の高給取りであり、更には待機中でも費用が嵩む部隊は自ずと経理からは嫌われる。文句を言われるのは大抵、隊の事務方仕事を引き受けている騎兵隊長かそれを率いている大隊長だ。
「俺が気に入らねェんだったら力尽くでどうにかしてみろ。久し振りに本気でやるか、あァ?」
「やるか、莫迦。俺の話を聞いていたか? これ以上モノを壊して金を使わせるなと言っているんだ。俺は莫迦の相手をしてやるほど暇じゃない。莫迦の所為でな!」
天尊はヴァルトラムに向かって罵ったあと、プレートのようなものをトラジロに押しつけた。
トラジロは天尊が持ち帰った半透明のプレートを受け取って目を落とした。指で2、3操作し、とある文書に行き着いた。それを脳内で読みこみ「ふむ」と一声。
「マコック少佐からの依頼ですか」
「引き受けたら、今期のウチの経費の一部をマコックが肩代わりする確約付きだ」
「それは……実に断りづらい」
「莫迦どものツケは自分で払わせろ」
「ズィルベルナーたちにですか……はあ」
「何で俺ェ⁉」
§ § §
大隊長執務室。
天尊はデスクに就き、そのデスクの天板には半透明のディスプレイが浮かび上がっていた。ディスプレイに記された数字の羅列やグラフに目を落としす。
デスクの前にはトラジロと緋。天尊が目を通し終わるのを待っている風だ。
「ビシュラを使う、ねえ」
天尊は独り言のように零した。
「何かご懸念がございますか、大隊長」
「実力を見る限り懸念しかない」
天尊の口からフッと半分呆れ気味の笑みが零れ、緋は内心「だろうな」と思った。
先ほどの体力測定や軽度のトレーニングでビシュラが叩き出した数値は、逆の意味で彼らの見たことのないものだった。緋にとっては然程驚くようなものではなかったが、天尊やトラジロにとっては看過できないものだ。腕に覚えのある荒くれ者が集まる隊なのだからそれも当然。隊員は人格や社会性にある程度の問題は散見されるものの、皆一様に数値上は優秀だ。そのなかに於いて、ビシュラの運動及び戦闘能力は著しく低いと言わざるを得ない。
「しかし本件では我が大隊内で最も適任であることは事実です。多少の不安はありますが」
「多少か?」
「…………。戦闘の予定はない比較的安全な事案です。問題は無いかと。〝壁〟はかなり使えるようですし、何かあっても自衛程度なら可能です」
「常駐プログラムが大の得意、というならまだ救いようがあるが。この反応速度では実戦で〝壁〟が間に合うか疑わしい」
「あのニブさだと何かあったと気づいたときには御陀仏かもな」
天尊と緋が冗談のように笑い合うなか、トラジロはゴホッと咳払いをした。
「私としてもこんなにも尚早に彼女を使うつもりなど毛頭ありませんでした。主たる業務はデスクワークとし、そのうち新兵初期教育カリキュラムに参加させて最低限の経験を積ませる算段でおりました」
トラジロは眉間に細かな皺を刻んでいる。彼としても悩んだ末に出した結論なのだろう。ヴァルトラムと口論の末ビシュラを引き取った以上、能力が想定を下回っているくらいで放り出すような無責任ではない。
「しかし着任直後のこのタイミングで、適任と思われる任務が降って湧いてしまいました。ならば逆にこれは好機と考えます。我が大隊では危険の少ない任務のほうが珍しいのですから、今回のような任務で実績とすることができるのは、大隊の為にも彼女の為にもよい。率直に申し上げて、莫迦どもが経費を湯水が如く使うので、人員を遊ばせておく余裕は我が大隊にはございません」
天尊は頬杖を突いてクックッと笑う。
「ウチがよっぽどカラッケツだと罵られてる気分だ。で、当の本人の意思は?」
「あの性格です。命令ならば承服するでしょう」
「殊勝な心懸けだ」
勤勉さや従順さならばビシュラはこの隊では指折りの聖人だろう。天尊は革張りの椅子の背もたれに体重を任せ、緋のほうに顔を向ける。
「緋。お前はどう思う? 俺よりはビシュラに詳しいだろ」
「正直、ビシュラを参加させること自体はかなり不安だが、トラジロの考えは理解できる」
「お前も賛成か。お前はビシュラにもう少し甘いと思っていたぞ」
天尊が少々意外そうな表情をすると、緋は腕組みをしてフフッと笑った。
「ビシュラを参加させることによって、得られるものもあるかもしれないと思ってね」
トラジロは腕組みをして黙りこみ、とある人物に視線を注いでいた。
その人物とは、つい先日三本爪飛竜騎兵大隊に配属となったビシュラ。騎兵隊で引き取るとは言ったものの、ビシュラを注視するトラジロの表情は〝無〟だった。
ビシュラはトレーニングの最中だ。相手は騎兵隊のひとり、全身を爬虫の鱗に覆われ、長い尾を持つ亜人種。ビシュラより一回りは大きな上背をしている。
彼が長い棒状の武器で打ちこみ、ビシュラはそれをプログラムによって創出した不可視の遮蔽物《牆壁》によって阻む。隊員がかなり加減をしていることは誰の目にも明らかであるが、ビシュラはおっかなびっくり必死の形相だ。
トラジロはその光景をしばらく眺めたのち、小さく嘆息を漏らした。
「これは想像以上に……」
コツコツコツッ、という足音が聞こえてきて、トラジロは出入り口のほうを振り返った。其処には予想どおり、緋の姿。本日は天尊、ヴァルトラムと共に他隊との会議に出席する予定が入っていた。時間帯からしても会議終了後、その足でトレーニングルームにやって来たのだろう。
「お疲れ様です、緋姐。大隊長とヴァルトラムはどうしましたか」
「ふたりとも話があると引き留められていたぞ。じきに戻るだろ」
トラジロに応えつつ、緋はビシュラのほうへ視線をやる。
「ビシュラは何をやってるんだ?」
緋の目には、ちょこまかと動き回っているビシュラは、到底トレーニング中には見えなかった。それは他の隊員たちにとっても同じ。遊んでいる子どもを見守るように笑いながら眺めている。
「実力テストを少々」
「必要か? 異動の時に回ってきたプロフィールには目を通したんだろう」
「大凡プロフィールどおりだから困っています」
トラジロは肩を竦めて見せた。
「プログラムを扱えるのもデスクワーク慣れしているのもありがたいですが、運動能力のほうは多少難アリでしてね」
「あれくらいが平均値じゃないか? 〝ごく当たり前の非戦闘員〟だぞ」
「学院では実技の成績はよくなかったと自己申告していましたが、まさかこれほどとは」
「お前が普通じゃない環境だったんだよ。幼い頃からずっとズィルビーみたいなのが近くにいたんだからな」
アハハハハ、と緋は笑い飛ばした。
「ビシュラを実戦の戦力としては期待していません。戦闘に投入する予定もありません。ですが、上官としてどの程度動けるかくらいは把握しておく必要があります」
「鍛えて直ぐさまどうにかなるレベルじゃなさそうだな、アレは」
「とはいえまったく鍛えないというわけにもいきません。できるものなら生存確率は上げてあげたい」
「上官は大変だ」
緋が肩を揺らしてクックッと笑う隣で、トラジロは浮かない表情をしていた。ふたりはほぼ同時に人の気配に気づき、出入り口へと顔を向けた。
凛と背筋の通った長身で霜髪の男と、朱髪を揺らしてのっそりと歩く巨躯が並び立つ。飛竜の大隊の長・天尊と歩兵部隊隊長のヴァルトラムだ。
「もう戻ったか。話はそんなに時間がかからなかったんだな」
「時間はな」
緋が話しかけると、天尊は若干不機嫌そうに見えた。会議終了後に分かれた直後は普段どおりだったが。
「お疲れ様です大隊長殿、歩兵長殿!」
緋が不思議そうにしている最中、トレーニングルーム中から揃った声で挨拶。
その声によってビシュラは天尊とヴァルトラムがやって来たことに気づき、つい意識を取られてしまった。
「皆さん会議からお戻りになっ――」
「あッ! やばッ」
ビシュラのトレーニング相手の手は急には停まらなかった。これまでに何度もそう繰り返したように、ビシュラが《牆壁》によって弾くのだろうと思って棒を振ってしまった。完全に意識が逸れているビシュラの頭部に目掛けて一直線。
ボキィッ!
ビシュラは頭の近くで音がしてから、その場にいた彼らにとってはかなり遅れて、ハッとして振り向いた。
ふわっと宙に浮く朱色の髪、反射的に見上げたその先、自分がすっぽりと影のなかに入ってしまう大きな肉体――――それはヴァルトラムの背中だった。
ただし、今の今までトレーニングの相手をしてくれていた隊員の姿は無かった。
「余所見するな。弱っちいクセに」
「も、申し訳ございませんッ」
ビシュラはガバッと頭を下げた。それから顔を上げてキョロキョロと辺りを見回す。
「あれ? クシードさんは?」
ヴァルトラムが無言で指差す方向を見ると、クシード――――ビシュラのトレーニング相手だった爬虫の亜人は、半分に折れた棒を握り締めて床に転がっていた。
ヴァルトラムが棒を叩き折ったついでに殴り飛ばしたため、勢いよく吹っ飛んでしまったのだ。
「あっ、あー! クシードさん大丈夫ですか⁉」
彼に駆け寄ろうとしたビシュラの進行方向に、ヴァルトラムが足を伸ばした。行く手を阻まれ、ビシュラは不思議そうにヴァルトラムを見上げた。
「トレーニングの相手なら俺がしてやろうか?」
「え?」
上官に対して拒否権などはない。否、ビシュラがそのようなことを考えるよりも先に、ヴァルトラムの足は動き出していた。
――蹴られる!
そう気づいた瞬間、ビシュラは反射的に《牆壁》を発動した。
パッキィン! ――ヴァルトラムのブーツが接触するや否や《牆壁》はいとも容易く叩き割られてしまった。
ビシュラはギョッとして目を見開く。
「キックで《牆壁》を⁉」
相手は素人同然、もしくは素人以下。ヴァルトラムとしてもこれ以上無いというほど手加減して蹴り出したが、その強度は想定をかなり下回っていた。それでも通常ならば肉弾で突破できるような代物ではない。やはりこの男が規格外、異常なのだ。
「本気でやれ。ケガしたくなきゃあな」
(本気です!)
ビシュラは顔色を変えて脱兎の如く逃げ出した。
この男とはレベルが掛け離れすぎている。ついうっかりで殺されてしまうのは御免だ。
ヴァルトラムはビシュラを追った。
「逃げるな。トレーニングになんねェだろうが」
「歩兵長とトレーニングなんて無理ですー!」
ヴァルトラムに追いかけられ、ビシュラは全速力でトレーニングルーム内を走り回る。
「何をやっているんだか、あの男は」
「じゃれてるんだろ。まあ、歩兵長にとってはお遊びでもビシュラの逃げ足くらいは鍛えられるかもな」
トラジロと緋は助け船を出す気など毛頭無かった。傍観者の顔をしてビシュラとヴァルトラムの追いかけっこを眺める。ヴァルトラムがその気になればビシュラなど直ぐさま捕まえられるのに、走り回らせているのは遊んでいる証拠だ。
「きゃあきゃあきゃあっ!」
ビシュラは悲鳴を上げながらズィルベルナーの眼前へ逃げこんだ。トレーニングルームの壁際で給水中だった銀髪の彼は間抜けな顔をする。
「た、たたた、助けてくださいズィルベルナーさん!」
「へ?」
視界の端で黒いものが高速で地を這う。ズィルベルナーは咄嗟に腕を十字に交差してそれをガードした。
ガチィンッ! ――とかなり硬質なものが腕にぶち当たった。
ズィルベルナーは瞬時にそれがヴァルトラムの蹴りであると理解した。
「いきなり何してくれんだオッサン!」
「さすがはズィルベルナーさん! 歩兵長のキックを受け止められるのですね」
「まー。これくらいなら?」
ズィルベルナーはビシュラの賞賛の声に、ヘラッと表情を緩めた。
バキッ! ――唐突にヴァルトラムのパンチが鼻っ面にヒット。
ズィルベルナーは鼻っ柱を押さえてヴァルトラムをキッと睨んだ。
「何で急に殴んだよッ」
「オメエ、ビシュラの盾になるんだろ?」
「は?」
「盾になるから其処にボケッと突っ立ってんだろって言ってんだ。嫌なら逃げろ」
それはズィルベルナーのプライドを刺激する言葉だった。故意にやっているのか相性の悪さか、ヴァルトラムの発言はよくズィルベルナーの神経を逆撫でする。
「誰が逃げるかよ~~💢 オッサンが相手だからって俺が逃げるわけねェだろ!」
「逃げねェならサンドバッグだ」
「殴れるモンなら殴ってみろ! ノロマ~、バーカバーカ」
ビシュラはヴァルトラムの気が自分から逸れ、ふう、と息を吐いた。ズィルベルナーには悪いが、ヴァルトラムに追いかけられるのは訓練であることを忘れるくらいに恐ろしい。
ビシュラ、と緋から手招きされた。
「聞いたぞビシュラ。兵舎の前で歩兵長に張り手を喰らわしたんだって? やるじゃないか」
「どうしてそのことをご存知なのですか」
「噂になってる。あの三本爪飛竜騎兵大隊歩兵長が、白昼、若い女性兵士に顔面を引っ叩かれたとな。あの歩兵長がだぞ。あははははははッ」
緋は実に愉快そうに腹部を押さえて声を上げて笑った。ヴァルトラムと行動をともにする時間が長い分、フラストレーションも最も溜まっているのだろう。
天尊はヴァルトラムとズィルベルナーの遣り取りをしばらく黙って見ていた。その辺に置かれたダンベルを、無言でスッと拾い上げたかと思うと、何の躊躇もなく銀髪目掛けて放り投げた。
ゴィンッ! ――ズィルベルナーの後頭部に直撃。
「ぃだーッ!」
ズィルベルナーは、頭部を抱えてその場を翻筋斗打った。
「いい加減にしろ、騒がしい」
天尊の視線は、ダンベルを喰らったズィルベルナーではなくヴァルトラムに向いた。
「経理から施設の修繕費が嵩みすぎだとネチネチと厭味を言われてきたばかりだろうが。ズィルビーぶっ飛ばしついでにまた施設を壊すつもりか」
「知ったことか」
「大半はお前の所為だろうが。物覚えが悪いのか」
「小せぇこたァイチイチ覚えてねェんでな」
「じゃあウチへの請求書をよく見直すんだな」
「そうだそうだー!」
「お前もだ、この脳内未成年がッ」
息を吹き返したズィルベルナーに天尊の一撃。ズィルベルナーはがーんとショックを受けて床に突っ伏した。
天尊の怒声によりビシュラまでピッと背筋を伸ばした。
「大隊長は随分とご機嫌がお悪いですね」
「経理に引き留められていたからな。嫌な予感はしてた」
経理に話があると言われて良い相談であるはずがないことは予想の範疇だ。人手不足は慢性的でありながら安定した補充のアテはなく、致し方なしとはいえ破格の高給取りであり、更には待機中でも費用が嵩む部隊は自ずと経理からは嫌われる。文句を言われるのは大抵、隊の事務方仕事を引き受けている騎兵隊長かそれを率いている大隊長だ。
「俺が気に入らねェんだったら力尽くでどうにかしてみろ。久し振りに本気でやるか、あァ?」
「やるか、莫迦。俺の話を聞いていたか? これ以上モノを壊して金を使わせるなと言っているんだ。俺は莫迦の相手をしてやるほど暇じゃない。莫迦の所為でな!」
天尊はヴァルトラムに向かって罵ったあと、プレートのようなものをトラジロに押しつけた。
トラジロは天尊が持ち帰った半透明のプレートを受け取って目を落とした。指で2、3操作し、とある文書に行き着いた。それを脳内で読みこみ「ふむ」と一声。
「マコック少佐からの依頼ですか」
「引き受けたら、今期のウチの経費の一部をマコックが肩代わりする確約付きだ」
「それは……実に断りづらい」
「莫迦どものツケは自分で払わせろ」
「ズィルベルナーたちにですか……はあ」
「何で俺ェ⁉」
§ § §
大隊長執務室。
天尊はデスクに就き、そのデスクの天板には半透明のディスプレイが浮かび上がっていた。ディスプレイに記された数字の羅列やグラフに目を落としす。
デスクの前にはトラジロと緋。天尊が目を通し終わるのを待っている風だ。
「ビシュラを使う、ねえ」
天尊は独り言のように零した。
「何かご懸念がございますか、大隊長」
「実力を見る限り懸念しかない」
天尊の口からフッと半分呆れ気味の笑みが零れ、緋は内心「だろうな」と思った。
先ほどの体力測定や軽度のトレーニングでビシュラが叩き出した数値は、逆の意味で彼らの見たことのないものだった。緋にとっては然程驚くようなものではなかったが、天尊やトラジロにとっては看過できないものだ。腕に覚えのある荒くれ者が集まる隊なのだからそれも当然。隊員は人格や社会性にある程度の問題は散見されるものの、皆一様に数値上は優秀だ。そのなかに於いて、ビシュラの運動及び戦闘能力は著しく低いと言わざるを得ない。
「しかし本件では我が大隊内で最も適任であることは事実です。多少の不安はありますが」
「多少か?」
「…………。戦闘の予定はない比較的安全な事案です。問題は無いかと。〝壁〟はかなり使えるようですし、何かあっても自衛程度なら可能です」
「常駐プログラムが大の得意、というならまだ救いようがあるが。この反応速度では実戦で〝壁〟が間に合うか疑わしい」
「あのニブさだと何かあったと気づいたときには御陀仏かもな」
天尊と緋が冗談のように笑い合うなか、トラジロはゴホッと咳払いをした。
「私としてもこんなにも尚早に彼女を使うつもりなど毛頭ありませんでした。主たる業務はデスクワークとし、そのうち新兵初期教育カリキュラムに参加させて最低限の経験を積ませる算段でおりました」
トラジロは眉間に細かな皺を刻んでいる。彼としても悩んだ末に出した結論なのだろう。ヴァルトラムと口論の末ビシュラを引き取った以上、能力が想定を下回っているくらいで放り出すような無責任ではない。
「しかし着任直後のこのタイミングで、適任と思われる任務が降って湧いてしまいました。ならば逆にこれは好機と考えます。我が大隊では危険の少ない任務のほうが珍しいのですから、今回のような任務で実績とすることができるのは、大隊の為にも彼女の為にもよい。率直に申し上げて、莫迦どもが経費を湯水が如く使うので、人員を遊ばせておく余裕は我が大隊にはございません」
天尊は頬杖を突いてクックッと笑う。
「ウチがよっぽどカラッケツだと罵られてる気分だ。で、当の本人の意思は?」
「あの性格です。命令ならば承服するでしょう」
「殊勝な心懸けだ」
勤勉さや従順さならばビシュラはこの隊では指折りの聖人だろう。天尊は革張りの椅子の背もたれに体重を任せ、緋のほうに顔を向ける。
「緋。お前はどう思う? 俺よりはビシュラに詳しいだろ」
「正直、ビシュラを参加させること自体はかなり不安だが、トラジロの考えは理解できる」
「お前も賛成か。お前はビシュラにもう少し甘いと思っていたぞ」
天尊が少々意外そうな表情をすると、緋は腕組みをしてフフッと笑った。
「ビシュラを参加させることによって、得られるものもあるかもしれないと思ってね」
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