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Kapitel 04
03:初任務 03
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「俺も行く」
大隊長執務室に現れるなりヴァルトラムの開口一番。経緯の説明も修飾も無しに端的な一言だけ浴びせる厚顔さに、天尊は半ば呆れた。デスクに就いたまま何も言わずにヴァルトラムの顔をジッと見詰める。
トラジロは驚いて目を大きくし、緋はどことなく得意気な表情でフッと笑みを零した。
「まさか本当に緋姐の言うとおりヴァルトラムが出ると言い出すとは……。どうして分かったのですか? 緋姐」
「女の勘」
緋は肩を竦めて「というか」と続ける。
「最近の歩兵長を見ていたら何となくこうなりそうな予感はするだろ」
「私には解りかねます」
トラジロは腕組みをして「う~ん」と唸った。
「こうなるといささかリソースを割きすぎのような気がしてきました」
「上手くいけば経費をかなり肩代わりしてもらえるんだろう? 悪いリターンじゃないんじゃないか。何よりビシュラ単独じゃあトラジロも腹のなかでは心配だったろう」
「マトモな上官なら心配して当然だろ、あのスコアじゃあな」
緋と天尊はハハッと笑い合う。トラジロは少々ムッとしたように口を開いた。
「過剰な心配などしておりません。私は騎兵隊の長として隊員の能力を冷静かつ公平に判断しているつもりです。ビシュラはヴァルトラムを行動停止にできるレベルの独自プログラムを組めるほど有能なのですから、作戦に充分耐えうると確信しております」
トラジロはゴホッと咳払いをしてスッと背筋を伸ばした。
「しかしながら、プログラムを扱える人材がウチにとってかなり貴重であることは事実。彼女にとって有意義かつ安全・迅速に任務を遂行する為に、ヴァルトラムの同行は有効であると判断します」
天尊、ヴァルトラム、緋、つまりは本人以外その場にいる全員がトラジロをジッと注視する。トラジロは不思議そうに片眉を引き上げた。
「……何です?」
「回りくどいヤツだ。要はアイツにケガさせるなってこったろ」
「上官として適性を見て公平に人選せざるを得なかったが正直心配でしょうがない。歩兵長が行くと言い出してくれて丁度良かったんだろ?」
「緋姐~~」
「お前は部下想いのイイ上官だよ。こっちの上官と違ってな」
緋はトラジロの頭をぐりぐりと撫でる。チラッとヴァルトラムを見たが、当の本人は何処吹く風。同等の立場にいる以上、トラジロの半分でも部下ひとりひとりを思い遣る心を持ってほしいものだが、この男にそのようなものを期待するだけ無駄であろう。
「ところでビシュラの例のプログラムを喰らった経験があるのは歩兵長だけだが……実際どんな感じなんだ?」
緋に問われ、ヴァルトラムは数秒宙を見詰めて思い出す。
「ガッて感じだったな」
トラジロの頬がヒクッと引き攣った。そして深い溜息を吐いて額を押さえる。
「成人男性の語彙力とは思えませんね。これが我が大隊の歩兵隊長など情けない」
「お前は歩兵長にまだ何か期待してるんだな」
トラジロは顔を上げて天尊を見る。
「ヴァルトラムの同行を、許可されますか? 大隊長」
天尊はデスクに頬杖をついた体勢で目だけを動かしヴァルトラムを見た。目が合っても勿論、互いに愛想笑いもしなかった。
「手の付けられない大猿が、自分のほうから〝金の輪っか〟にハマりたがるとはな」
「あ?」
天尊は「イヤ、何でもない」とクッと笑みを零した。そしてフラッと手を振った。
「行きたいというなら行かせてやれ。ヴァルトラムでなければどうにもならん任務がほかにあるわけでもない」
天尊たちが待ち構える大隊長執務室に、ズィルベルナーとビシュラのふたりが呼び出された。ヴァルトラムが参加すると聞かされた途端、顔色を変えたのはズィルベルナーだった。
「えッ! ええ⁉ はっ⁉ はあああああっ⁉ ヤダ、俺ヤダ! 歩兵長が行くなら絶対行かねェ~ッ!」
ビシュラの隣で大声を上げて大騒ぎ。上官に対して子どものようなこの態度、ビシュラのほうがハラハラしてしまうくらいだ。更にヴァルトラムと緋が不快そうに小声で「うるせー」と零しているものだからドキドキしてしまう。
「いいですよ。あなたは外すつもりでした」
「はあ⁉ ちょっ、言い方!」
トラジロになんてないことのように言い放たれ、ズィルベルナーはまた顔色を変える。
「ヴァルトラムが加わるならリソースは充分すぎます。あなたまで注ぎこむ必要はありません」
「俺、行く気満々だったんだぜ。ヤル気削ぐなよ~。最初は俺が行くんだったんだからさー、俺じゃなくて歩兵長が居残りすればいーじゃん」
ズィルベルナーが心の底から残念そうに言うから、トラジロは「はて」と首を傾げる。
「いつからそんなに働き者になりましたか」
「だってビシュラちゃんと一緒だっていうから楽しみにしてたのにぃ~。歩兵長が来るなら俺絶対こき使われっ……」
ゴキンッ!
「ぶはあっ!」
ズィルベルナーの鼻っ柱にヴァルトラムの裏拳が炸裂した。隣で目にも留まらぬ速度で拳が飛び、ビシュラは「ヒッ」と悲鳴を漏らしてしまった。文官は体罰の現場など見慣れていないのだ。
「そうやってスグ暴力に訴えるから嫌いなんだよ! マジで俺は行かねェからなッ!」
ズィルベルナーは鼻を押さえてヴァルトラムに噛みつく。しかし、微塵も罪悪感の無い男は目すら合わさない。
「だから行かなくていいと言っているでしょう。人の話は聞きなさい」
バタァンッ、とズィルベルナーは怒りに任せて乱暴にドアを閉め、部屋から出て行ってしまった。ビシュラは天尊とドアの間に視線を行ったり来たりさせながらオロオロする。だがこの場にいる誰も動揺している素振りは無い。
「出て行ってしまわれましたが、よろしいのですか?」
「よろしいんだ。今からの話にアイツは要らん」
キッパリと断言した緋。ビシュラはズィルベルナーがほんの少し可哀想になってしまった。
(ズィルベルナーさんの立場って……💧)
トラジロが「さて」と切り出し、話は本題に移る。
「先ほど話はしましたが、ビシュラ、あなたには三日後からフレーゲル領に行ってもらいます」
「はいっ」
ピン、と背中に棒をしているくらい筋を伸ばしているビシュラ。それを見て天尊は笑いが零れそうなのを、頬杖を突いて堪える。
「初任務らしく任務に交戦は含まれない、一応はな。それと」
天尊に視線を送られていることに気づいた緋は、片眉を引き上げた。
「ヴァルトラムと、緋を同行させる」
「アタシもか? アタシは構わないが」
チラリと横目で見るとやはりトラジロが眉間に皺を寄せている。その頭上に「リソース、リソース、リソース」という文字が浮かんで見えるようだ。
「今回の話、世間知らずの新入りと考え無しの腕自慢じゃやり損なうかもしれん」
天尊の一言により、ビシュラのなかに芽生えた少々の楽観は払拭された。
「この話を持ってきたのがマコックだというのが引っかかる」
緋はツカツカとトラジロに近づき、その手から半透明のプレートを抜き取った。そして依頼の内容が書かれた依頼書にじっくりと目を通す。
「あ、フレーゲル領か……。マコック少佐の領地とは隣接していて、確か領主同士代々懇意にしているはずだ」
「ああ。付き合いから考えればマコック指揮の部隊を送りこむのが筋だ。そもそも依頼はフレーゲル領主から直接マコックが受けたらしい。それをわざわざ経費を肩代わりしてまでウチに依頼してくるなど、何かあると勘繰って当然だろ」
「急に焦臭くなってきましたねえ」
トラジロはチラッとビシュラを見た。
書面どおりの内容でないとなると、文官上がりのルーキーでは心許ない。天尊がヴァルトラムと緋をつけると言い出すのも妥当だと納得せざるを得なかった。
「とはいえ依頼の内容は〝調査〟には違いない。できるな? ビシュラ」
「っ…………」
言葉に詰まったビシュラの背中を緋がパンッと叩いた。天尊が懸念を口にするのは、世間知らずの新人の不安を煽るには充分だ。
「緊張するな緊張するな。歩兵長とアタシが一緒なんだ。しくじるなんて有り得ないよ」
「はっ、はい……っ。拝命いたします!」
§ § §
フレーゲル領第一都市。
中央都市イーダフェルトから南に位置し、比較的温暖かつ安定した気候のフレーゲル領。此処はそのなかでも最も人口が多く賑わいを見せる街のひとつである。この街一番の高台の豪邸が領主の邸宅であり、人々や市場でいつも活気溢れる街を見下ろすように建っている。
当代の領主は人柄は温潤良玉の上に聡明で市井の動向に関心があり、領民からの評判も悪くはない。領主からエインヘリヤルへ早々に相談が持ちかけられたのも街の治安へ対する関心の高さ故だろう。
一見して平和で活発なこの街では最近、不可解な事件が続いているという――――。
露天商が犇めき合い快活な売り言葉が飛び交う市場を、ビシュラは颯爽とひとりで歩いていた。この活き活きとした雰囲気を楽しんでいるかといえば決してそうではない。顔の筋肉では笑顔を作っているが眼球は挙動不審なまでにキョロキョロとしており、ピンとした姿勢で歩いている割には右へ行ったり左へ行ったり目的地がハッキリとしない。時たま露天商で足を止めてはみるがフラリと視線をばらまくだけで何かを買うわけでもない。
そのようなビシュラを物陰から監視する人影がふたつ。褐色肌の屈強な大男と豊満な胸を持つ短髪の女――――ヴァルトラムと緋だ。目立たないように目に付くような武器は携行しておらず、一見して丸腰にしか見えない。
「ガチガチじゃねェか」
ビシュラの動作を眺めながらヴァルトラムは溜息を吐いた。普段のビシュラと比較できる上に、常人よりもいくらも視力の良いヴァルトラムには筋肉が強張っている情況さえも見て取れ、今のビシュラは不自然極まりない。
「初体験なんだ、仕方がないさ」
「へぇ。オメエの初体験はあんな感じにガチガチだったのか。今よりも随分と可愛げがあるもんだ」
「気持ちの悪い質問だ」
ヴァルトラムの軽口を聞いた途端、緋は突然死んだ魚のような目になった。今さらセクハラなどと口を尖らせても無意味であることは心得ているが、やはり気分の良いものではない。
「あんな様でできんのか、情報収集」
「難しいことを言いつけているわけじゃない。今日のところはまあ、情報収集は二の次だ。任務で行動するということ自体に慣れさせるのが先だろ」
緋は蟀谷に中指を当ててビシュラに呼びかける。彼らは事前に通信を繋げているかチャンネルを開放していればプログラムを使用して離れている者同士でも会話が可能である。ただし、プログラムの知識が一切無いヴァルトラムには、どれ程腕が立つとしても真似ができない芸当だ。
〈ビシュラ、ビシュラ。聞こえているか?〉
「はいっ」
〈莫迦。声に出して喋るんじゃない。何の為の通信だ〉
〈あ、ついうっかり。申し訳ございませんっ〉
緋はクスッと笑った。通信など文官でも使う機会はいくらでもあったろうにこのような初歩的なミスをするなんてやはり相当緊張しているようだ。
〈街の雰囲気はどうだ? 不自然なことはないか?〉
〈どうでしょう……。普通の市場だと思うのですが〉
〈そうか。無ければそれでいい。無理に炙り出そうとしなくていい。お前にはどこにいるかは分からないだろうが、アタシと歩兵長も傍にいるから安心してそのまま練り歩け〉
〈畏まりました〉
緋からの通信が切れ、ビシュラはふうと息を吐いた。
(大丈夫、大丈夫。フェイさんに最初に言われたとおり、わたしの仕事はごく普通の女性の振りをして街を見て歩くだけ。……振りというか本当に普通なのですが。そうです、ニブイニブイとよく言われますが、わたしは普通なのです。確かに学院で実技の成績は良くはありませんでしたがそこまで目立って酷くはなかったですもの。三本爪飛竜騎兵大隊にいると自分が特別ニブイのではないかという気分になりますが、皆さんのほうが異常なのです)
観測所と三本爪飛竜騎兵大隊はまったくの別世界。果たすべき役儀も掲揚する理念も優遇される人材も希求される能力も異なる。そしてそれ以上に、其処に属する人々の性質は異なる。そのようなことは分かって別世界へと飛びこんだつもりだったが、己の不甲斐なさに落胆ばかりしている。否、つもりだっただけだ。頭で言葉で理性で、表層を理解しているつもりになっているだけで、体の芯から――――つまりは心の奥底では受容していないのかもしれない。自分ひとり、相反する性質のまま無理矢理に溶けこもうとしているのかもしれない。
何も知らない。己がいま在る場所のことも、あの人のことも。
(早く……三本爪飛竜騎兵大隊の隊員らしくなりたいですねえ)
大隊長執務室に現れるなりヴァルトラムの開口一番。経緯の説明も修飾も無しに端的な一言だけ浴びせる厚顔さに、天尊は半ば呆れた。デスクに就いたまま何も言わずにヴァルトラムの顔をジッと見詰める。
トラジロは驚いて目を大きくし、緋はどことなく得意気な表情でフッと笑みを零した。
「まさか本当に緋姐の言うとおりヴァルトラムが出ると言い出すとは……。どうして分かったのですか? 緋姐」
「女の勘」
緋は肩を竦めて「というか」と続ける。
「最近の歩兵長を見ていたら何となくこうなりそうな予感はするだろ」
「私には解りかねます」
トラジロは腕組みをして「う~ん」と唸った。
「こうなるといささかリソースを割きすぎのような気がしてきました」
「上手くいけば経費をかなり肩代わりしてもらえるんだろう? 悪いリターンじゃないんじゃないか。何よりビシュラ単独じゃあトラジロも腹のなかでは心配だったろう」
「マトモな上官なら心配して当然だろ、あのスコアじゃあな」
緋と天尊はハハッと笑い合う。トラジロは少々ムッとしたように口を開いた。
「過剰な心配などしておりません。私は騎兵隊の長として隊員の能力を冷静かつ公平に判断しているつもりです。ビシュラはヴァルトラムを行動停止にできるレベルの独自プログラムを組めるほど有能なのですから、作戦に充分耐えうると確信しております」
トラジロはゴホッと咳払いをしてスッと背筋を伸ばした。
「しかしながら、プログラムを扱える人材がウチにとってかなり貴重であることは事実。彼女にとって有意義かつ安全・迅速に任務を遂行する為に、ヴァルトラムの同行は有効であると判断します」
天尊、ヴァルトラム、緋、つまりは本人以外その場にいる全員がトラジロをジッと注視する。トラジロは不思議そうに片眉を引き上げた。
「……何です?」
「回りくどいヤツだ。要はアイツにケガさせるなってこったろ」
「上官として適性を見て公平に人選せざるを得なかったが正直心配でしょうがない。歩兵長が行くと言い出してくれて丁度良かったんだろ?」
「緋姐~~」
「お前は部下想いのイイ上官だよ。こっちの上官と違ってな」
緋はトラジロの頭をぐりぐりと撫でる。チラッとヴァルトラムを見たが、当の本人は何処吹く風。同等の立場にいる以上、トラジロの半分でも部下ひとりひとりを思い遣る心を持ってほしいものだが、この男にそのようなものを期待するだけ無駄であろう。
「ところでビシュラの例のプログラムを喰らった経験があるのは歩兵長だけだが……実際どんな感じなんだ?」
緋に問われ、ヴァルトラムは数秒宙を見詰めて思い出す。
「ガッて感じだったな」
トラジロの頬がヒクッと引き攣った。そして深い溜息を吐いて額を押さえる。
「成人男性の語彙力とは思えませんね。これが我が大隊の歩兵隊長など情けない」
「お前は歩兵長にまだ何か期待してるんだな」
トラジロは顔を上げて天尊を見る。
「ヴァルトラムの同行を、許可されますか? 大隊長」
天尊はデスクに頬杖をついた体勢で目だけを動かしヴァルトラムを見た。目が合っても勿論、互いに愛想笑いもしなかった。
「手の付けられない大猿が、自分のほうから〝金の輪っか〟にハマりたがるとはな」
「あ?」
天尊は「イヤ、何でもない」とクッと笑みを零した。そしてフラッと手を振った。
「行きたいというなら行かせてやれ。ヴァルトラムでなければどうにもならん任務がほかにあるわけでもない」
天尊たちが待ち構える大隊長執務室に、ズィルベルナーとビシュラのふたりが呼び出された。ヴァルトラムが参加すると聞かされた途端、顔色を変えたのはズィルベルナーだった。
「えッ! ええ⁉ はっ⁉ はあああああっ⁉ ヤダ、俺ヤダ! 歩兵長が行くなら絶対行かねェ~ッ!」
ビシュラの隣で大声を上げて大騒ぎ。上官に対して子どものようなこの態度、ビシュラのほうがハラハラしてしまうくらいだ。更にヴァルトラムと緋が不快そうに小声で「うるせー」と零しているものだからドキドキしてしまう。
「いいですよ。あなたは外すつもりでした」
「はあ⁉ ちょっ、言い方!」
トラジロになんてないことのように言い放たれ、ズィルベルナーはまた顔色を変える。
「ヴァルトラムが加わるならリソースは充分すぎます。あなたまで注ぎこむ必要はありません」
「俺、行く気満々だったんだぜ。ヤル気削ぐなよ~。最初は俺が行くんだったんだからさー、俺じゃなくて歩兵長が居残りすればいーじゃん」
ズィルベルナーが心の底から残念そうに言うから、トラジロは「はて」と首を傾げる。
「いつからそんなに働き者になりましたか」
「だってビシュラちゃんと一緒だっていうから楽しみにしてたのにぃ~。歩兵長が来るなら俺絶対こき使われっ……」
ゴキンッ!
「ぶはあっ!」
ズィルベルナーの鼻っ柱にヴァルトラムの裏拳が炸裂した。隣で目にも留まらぬ速度で拳が飛び、ビシュラは「ヒッ」と悲鳴を漏らしてしまった。文官は体罰の現場など見慣れていないのだ。
「そうやってスグ暴力に訴えるから嫌いなんだよ! マジで俺は行かねェからなッ!」
ズィルベルナーは鼻を押さえてヴァルトラムに噛みつく。しかし、微塵も罪悪感の無い男は目すら合わさない。
「だから行かなくていいと言っているでしょう。人の話は聞きなさい」
バタァンッ、とズィルベルナーは怒りに任せて乱暴にドアを閉め、部屋から出て行ってしまった。ビシュラは天尊とドアの間に視線を行ったり来たりさせながらオロオロする。だがこの場にいる誰も動揺している素振りは無い。
「出て行ってしまわれましたが、よろしいのですか?」
「よろしいんだ。今からの話にアイツは要らん」
キッパリと断言した緋。ビシュラはズィルベルナーがほんの少し可哀想になってしまった。
(ズィルベルナーさんの立場って……💧)
トラジロが「さて」と切り出し、話は本題に移る。
「先ほど話はしましたが、ビシュラ、あなたには三日後からフレーゲル領に行ってもらいます」
「はいっ」
ピン、と背中に棒をしているくらい筋を伸ばしているビシュラ。それを見て天尊は笑いが零れそうなのを、頬杖を突いて堪える。
「初任務らしく任務に交戦は含まれない、一応はな。それと」
天尊に視線を送られていることに気づいた緋は、片眉を引き上げた。
「ヴァルトラムと、緋を同行させる」
「アタシもか? アタシは構わないが」
チラリと横目で見るとやはりトラジロが眉間に皺を寄せている。その頭上に「リソース、リソース、リソース」という文字が浮かんで見えるようだ。
「今回の話、世間知らずの新入りと考え無しの腕自慢じゃやり損なうかもしれん」
天尊の一言により、ビシュラのなかに芽生えた少々の楽観は払拭された。
「この話を持ってきたのがマコックだというのが引っかかる」
緋はツカツカとトラジロに近づき、その手から半透明のプレートを抜き取った。そして依頼の内容が書かれた依頼書にじっくりと目を通す。
「あ、フレーゲル領か……。マコック少佐の領地とは隣接していて、確か領主同士代々懇意にしているはずだ」
「ああ。付き合いから考えればマコック指揮の部隊を送りこむのが筋だ。そもそも依頼はフレーゲル領主から直接マコックが受けたらしい。それをわざわざ経費を肩代わりしてまでウチに依頼してくるなど、何かあると勘繰って当然だろ」
「急に焦臭くなってきましたねえ」
トラジロはチラッとビシュラを見た。
書面どおりの内容でないとなると、文官上がりのルーキーでは心許ない。天尊がヴァルトラムと緋をつけると言い出すのも妥当だと納得せざるを得なかった。
「とはいえ依頼の内容は〝調査〟には違いない。できるな? ビシュラ」
「っ…………」
言葉に詰まったビシュラの背中を緋がパンッと叩いた。天尊が懸念を口にするのは、世間知らずの新人の不安を煽るには充分だ。
「緊張するな緊張するな。歩兵長とアタシが一緒なんだ。しくじるなんて有り得ないよ」
「はっ、はい……っ。拝命いたします!」
§ § §
フレーゲル領第一都市。
中央都市イーダフェルトから南に位置し、比較的温暖かつ安定した気候のフレーゲル領。此処はそのなかでも最も人口が多く賑わいを見せる街のひとつである。この街一番の高台の豪邸が領主の邸宅であり、人々や市場でいつも活気溢れる街を見下ろすように建っている。
当代の領主は人柄は温潤良玉の上に聡明で市井の動向に関心があり、領民からの評判も悪くはない。領主からエインヘリヤルへ早々に相談が持ちかけられたのも街の治安へ対する関心の高さ故だろう。
一見して平和で活発なこの街では最近、不可解な事件が続いているという――――。
露天商が犇めき合い快活な売り言葉が飛び交う市場を、ビシュラは颯爽とひとりで歩いていた。この活き活きとした雰囲気を楽しんでいるかといえば決してそうではない。顔の筋肉では笑顔を作っているが眼球は挙動不審なまでにキョロキョロとしており、ピンとした姿勢で歩いている割には右へ行ったり左へ行ったり目的地がハッキリとしない。時たま露天商で足を止めてはみるがフラリと視線をばらまくだけで何かを買うわけでもない。
そのようなビシュラを物陰から監視する人影がふたつ。褐色肌の屈強な大男と豊満な胸を持つ短髪の女――――ヴァルトラムと緋だ。目立たないように目に付くような武器は携行しておらず、一見して丸腰にしか見えない。
「ガチガチじゃねェか」
ビシュラの動作を眺めながらヴァルトラムは溜息を吐いた。普段のビシュラと比較できる上に、常人よりもいくらも視力の良いヴァルトラムには筋肉が強張っている情況さえも見て取れ、今のビシュラは不自然極まりない。
「初体験なんだ、仕方がないさ」
「へぇ。オメエの初体験はあんな感じにガチガチだったのか。今よりも随分と可愛げがあるもんだ」
「気持ちの悪い質問だ」
ヴァルトラムの軽口を聞いた途端、緋は突然死んだ魚のような目になった。今さらセクハラなどと口を尖らせても無意味であることは心得ているが、やはり気分の良いものではない。
「あんな様でできんのか、情報収集」
「難しいことを言いつけているわけじゃない。今日のところはまあ、情報収集は二の次だ。任務で行動するということ自体に慣れさせるのが先だろ」
緋は蟀谷に中指を当ててビシュラに呼びかける。彼らは事前に通信を繋げているかチャンネルを開放していればプログラムを使用して離れている者同士でも会話が可能である。ただし、プログラムの知識が一切無いヴァルトラムには、どれ程腕が立つとしても真似ができない芸当だ。
〈ビシュラ、ビシュラ。聞こえているか?〉
「はいっ」
〈莫迦。声に出して喋るんじゃない。何の為の通信だ〉
〈あ、ついうっかり。申し訳ございませんっ〉
緋はクスッと笑った。通信など文官でも使う機会はいくらでもあったろうにこのような初歩的なミスをするなんてやはり相当緊張しているようだ。
〈街の雰囲気はどうだ? 不自然なことはないか?〉
〈どうでしょう……。普通の市場だと思うのですが〉
〈そうか。無ければそれでいい。無理に炙り出そうとしなくていい。お前にはどこにいるかは分からないだろうが、アタシと歩兵長も傍にいるから安心してそのまま練り歩け〉
〈畏まりました〉
緋からの通信が切れ、ビシュラはふうと息を吐いた。
(大丈夫、大丈夫。フェイさんに最初に言われたとおり、わたしの仕事はごく普通の女性の振りをして街を見て歩くだけ。……振りというか本当に普通なのですが。そうです、ニブイニブイとよく言われますが、わたしは普通なのです。確かに学院で実技の成績は良くはありませんでしたがそこまで目立って酷くはなかったですもの。三本爪飛竜騎兵大隊にいると自分が特別ニブイのではないかという気分になりますが、皆さんのほうが異常なのです)
観測所と三本爪飛竜騎兵大隊はまったくの別世界。果たすべき役儀も掲揚する理念も優遇される人材も希求される能力も異なる。そしてそれ以上に、其処に属する人々の性質は異なる。そのようなことは分かって別世界へと飛びこんだつもりだったが、己の不甲斐なさに落胆ばかりしている。否、つもりだっただけだ。頭で言葉で理性で、表層を理解しているつもりになっているだけで、体の芯から――――つまりは心の奥底では受容していないのかもしれない。自分ひとり、相反する性質のまま無理矢理に溶けこもうとしているのかもしれない。
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