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Kapitel 05
蒼髪の姫君 03
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それほど長い時間を待つことなく、客人たちは姫付きの侍女によって客間へと通された。
ユリイーシャは客人たちを立って出迎えた。お待たせしてしまって申し訳ございませんわ、とお辞儀をしてにこやかな挨拶。
大きなテーブルを皆で囲んでティータイムの始まり。各人の前には、繊細な花の絵柄が施されたティーカップが置かれた。テーブルの中央には、手の平の大きさに膨らんだふわふわの菓子、赤や橙のドライフルーツの乗った焼き菓子、黄や緑のゼリー菓子が色とりどりに並ぶ。きっとどれもこれも、ビシュラのような庶民ではなかなか口にできない高級品だ。
ビシュラは正直、ずらりと並べられた高級菓子に正胸が躍った。甘いものは大好物だ。部屋に漂う甘い香りだけでうっとりしてしまう。
子どもみたいに夢中になって頬をほんのり桜色に染めたビシュラを、ヴァルトラムはジーッと観察した。
「食い物に釣られやすいヤツ」
ビシュラはその言葉でハッと我に返った。
「わたしはそんなにいじましくありません」
「嘘吐け。耳が出そうなくらい嬉しそうなツラしてたぞ」
「みッ、耳のことは仰有らないでくださいッ」
アキラは隣に座っているビシュラを見て、首を傾げた。
「耳?」
「いえッ、何でもございません。お気になさらないでください、アキラさん」
ビシュラは慌てて両手を左右にひらつかせた。
獣耳のことを知る人はできるだけ少数がよい。人間であるアキラにもできれば知られたくない。この耳の所為でせっかくの良好な関係が崩れてしまったら嫌だ。
「せっかくのお茶が冷めてしまいますからお早くどうぞ、歩兵長」
「俺ァ酒がいい」
「俺も茶を飲む気分じゃない」
――この人たちと来たら……。
天尊もヴァルトラムもお茶に手を付けたくないと言う。ティータイムに招待されておきながら大変失礼なことだ。
「ティエン」
アキラから注意の意を込めて促され、天尊は渋々ティーカップを持ち上げて口を付けた。
ユリイーシャはアキラに、よろしければお菓子もどうぞ、と勧めた。
アキラはビシュラのほうへと顔を向けた。勧められたから手を付けたいのだが、ここ数日、食べ物を口にする前には自分に害の無いものかどうかビシュラに確認するのが習慣だった。
ビシュラもアキラから向けられる視線を理解し、今度は吟味する意味で並べられた菓子を眺める。
「こちらの実は少々刺激があるのでお控えになって。何も付いてないほうは召し上がってよろしいかと思います」
「ありがとうございます、ビシュラさん」
ビシュラはアキラが食べられそうな菓子を小皿に取り分けてアキラの前に置いた。
ユリイーシャは頬に手を当て、あらあら、と零した。
「そちらのお菓子はお嫌いでしたかしら。別のものを用意させましょう」
そうじゃなくて、とアキラは慌ててぶんぶんっと首を左右に振った。
「好き嫌いじゃない。アキラは何でもかんでも食べられるわけではないんだ」
「まあ。食べ物に制限があるなんてお可哀想に。お身体があまり丈夫ではいらっしゃらないのね」
「そういうわけじゃないんです。身体は健康なんです。体質的に今は食べちゃいけないものがあるかもってくらいで」
「そう。お身体は壮健でいらっしゃるの。それはよろしいですわ。本当に、とても喜ばしいことですわ」
ユリイーシャはアキラから健康であると聞くと、ニッコリと微笑んで噛み締めるように何度もよかったよかったと言った。若い肉体が健康であることなど、それほど珍しくはないだろうに。
「お菓子、せっかく出してもらったのに……ごめんなさい」
アキラは申し訳なさでシュンと肩を落とした。天尊はアキラを慰めるように肩を抱いて頭を寄せた。
慰めようとしてくれるのはよいのだが、人前で纏わり付かれるのは恥ずかしい。アキラは、もー、と不満そうに天尊の身体を押し返したが、天尊は離れようとはしなかった。
ユリイーシャはアキラと天尊を見てクスクスと笑った。
「ティエンゾン様ととても仲睦まじくいらっしゃるのね」
天尊は「当たり前だ」とユリイーシャに返し、アキラを自分のほうへとグイッと引き寄せた。
「ティエンゾン様。お伺いしたいのですけれど、その仲睦まじい御嬢様とはどういう御関係なのです? 御父様もとてもお気になさっていらしてよ」
天尊は普段は見せないくらいの笑顔満面で、さらにアキラを力強く抱き寄せた。額に頬擦りされたアキラは、いたたた、と顔を顰めた。
「ヒゲが痛い、ティエンッ」
「俺の嫁だ」
アキラはグリッと天尊の腹に肘をめりこませた。
「何でそういう紹介するの」
「怒るな。嘘は言ってない」
「まだ結婚してないんだから嫁じゃない。現時点では嘘だよ」
「俺は今すぐにでもアキラを嫁にしたい」
天尊はアキラの頬にキスしようと顔を近づけた。アキラは天尊の唇を手の平で押し留めて阻止。初対面の人物の前でそのようなことできるものか。
ビシュラは口許に手を添えてヴァルトラムの耳許に小声で囁く。
「なんというか……性格が変わられましたね、大隊長」
ヴァルトラムはハッと鼻先で笑った。
ユリイーシャは嬉しそうに、ぱあああと顔を明るくした。
「まあまあ、ティエンゾン様がご結婚をお考えになるなんて。それでは私の妹になるのね。こんなに可愛らしい方が妹姫になるなんて嬉しいですわ」
「妹?」
アキラはユリイーシャの言っている意味が分からず鸚鵡返しした。
「ユリイーシャは兄貴の婚約者だ」
「じゃあティエンのお姉さん?」
「その内な」
天尊はあっけらかんと言い放った。
アキラは両手で顔を隠して「あああああ~」と呻った。未来の義姉になるかもしれない人の前で、密着してベタベタしている(されている)醜態を晒すなんて恥ずかしすぎる。
「アキラ様」とユリイーシャは呼びかけた。アキラが顔から手を退かすと、ユリイーシャは何故かキラキラした目を向けてきた。
「アキラ様に伺いたいことがあるのですけれど、よろしいかしら」
「……はい。何ですか」
「ティエンゾン様のお好きなものを御存知かしら」
「ティエンの好きなモノ?」
アキラは何故そのような質問をされるのか分からなかったが、とりあえず天尊のほうへと顔を向けた。
「握り飯」と天尊。
「ここにあるものを答えないと意味なくない」
ユリイーシャは「ニ・ギ・リ・メ・シ」と一音ずつ確かめるように発音し、キョトンとして首を傾げた。ほら、伝わっていない。
「では、お嫌いなものも御存知かしら」
「ティエンは何でも食べるからなあ。嫌いなもの、ある? ティエン」
「アキラの作るモンは何でも美味い」
――それもそういう意味ではないと思うのだけれど。
アキラでも分かることを天尊が分からないはずがない。ユリイーシャからの問いに答えたくないという意思表示だろうなと、アキラは察した。
アキラはユリイーシャのほうへと顔を引き戻した。
「どうしてティエンに直接訊かないんですか?」
未来の姉と弟。何に遠慮することなく会話して質問すればよいだけなのに、何故わざわざアキラを経由するのか。しかも、質問の内容も今さら過ぎる。まるで初対面の人物に対するそれのようだ。
アキラの質問は、少々ユリイーシャを困らせてしまったようだ。彼女は眉尻をやや引き下げて苦笑した。
「ティエンゾン様は私が伺っても答えてはくださいませんもの」
アキラと同じような疑問をビシュラも抱いた。
なんとなくヴァルトラムのほうを見てみた。ヴァルトラムはティーカップを持ち上げ、鼻先を近づけてスンスンと匂いを嗅いでいる。茶葉にうるさいわけでもない。その行動は野生動物が口にしても大丈夫なものかどうか確認するのと大差なかった。
「歩兵長は御存知ですか? 大隊長のお嫌いなもの」
「とろくせー女、ソイツみてぇな」
「歩兵長ッ💦💦」
ビシュラは努めて小声で尋ねたのに、ヴァルトラムは何も気にせず普段の音量で答えた。
ユリイーシャは穏やかに「よいのですよ」と一言。ティーカップを持ち上げて一口飲んだ。それから茶色の水面に目を落とした。
「ティエンゾン様が私のことをどうお思いか、自分でも分かっておりますもの。ティエンゾン様はリーン様の弟君ですから、仲良くしていただけたらと思っているのですけれど、昔から私のことはあまりお好きではいらっしゃらないみたい」
天尊は何も反論しなかった。不機嫌ではないが愛嬌もない。ここは建前だけでも、いいえそうではないと言うべき場面ではないのか。
「ティエンゾン様の御兄様のリーン様と私は、生まれる前からの婚約者。幼い頃はよくリーン様の許へ遊びに参りました。その折、ティエンゾン様はいつも私のことを無視なさいましたから」
「ユリイーシャ」と天尊は改まった声を出した。
「俺は別にお前のことを嫌っていない。そんなに好きじゃないし関心もないだけだ」
大領主の姫君に対してあまりにも歯に衣着せない発言。ビシュラはギョッとした。
アキラは天尊に向かって腕を振り上げた。
「こらあ! 何でそんな意地悪言うの」
「意地悪ではなく事実を述べただけだ」
「わざわざ言う必要ないでしょ。意地悪しないで」
「俺が兄貴の女に優しくしなければならない義理はない」
「ティエン~~」
アキラは眉を逆八の字にして天尊に非難の目を向ける。
どれほど叱っても怒鳴っても憎まれるわけではないと分かっている。天尊にとってはむくれた表情も可愛らしいものだった。
「あらあら、ケンカはいけませんわ」
ユリイーシャはのんびりした口調で暢気なことを言った。天尊に無視されても邪険にされてもまったく気にしない寛容さは純粋にすごい、とアキラは思う。
ユリイーシャがこれほどおっとりした人物でなければ、天尊が明け透けに厭味を言うこともないだろうけれど。
「俺もお前のことなどでアキラとケンカしたくない」
「明日お出かけでもなさったら如何です? 仲直りも兼ねて」
「まだケンカしていない。お前のことなんかで俺とアキラはケンカしないと言っている」
「だいぶ吹雪が弱まってますの。明日には雪が已むそうでしてよ。晴れ間が見えればきっとアキラ様のお心も穏やかになりますわ」
「だからケンカしていないと言っているんだ。勝手にケンカしたことにするな」
「ずっと城に篭もりっぱなしでは退屈でしょう。街へいらっしゃって、賑やかにお過ごしになればきっと楽しい気分になれますわ」
「お前のそういう俺の話を聞かんところも好きになれんのだが聞いているか?」
ユリイーシャも或る意味では見事に天尊を無視している、とアキラは気づいた。天尊とユリイーシャは噛み合わない。好き嫌い以前に決定的に相性が悪い。
「街かあ……」
アキラとビシュラはほぼ同時にぽろりと零した。
ヴィンテリヒブルク城へやってきて数日、城外へは一歩も出ていない。アキラの体調が安定していないこともあったが、何よりユリイーシャの言うとおり吹き荒ぶ雪に門を閉ざさざるを得なかった。遊びに来たわけではないとはいえ、行動を制限されてばかりでは飽きもする。初めての土地への興味も募る。不意に外へ出られると聞いてわずかに胸が弾んだ。
「行くか? アキラ」
「行くかってティエン、お仕事は?」
「別に構わん」
「そんなこともないんだがな」
緋はカチン、とわざと大きめの音が出るようにカップを置いた。そういう態度をとった緋の胸中を、アキラは目敏く察した。
「ティエン、わたしに付いてた間ずっとお仕事してないんでしょう? ティエンがお仕事しないと困る人がいるんでしょ。人に迷惑をかけるのはダメ。お仕事ばっかりしてるのも良くないけど、遊んでばっかりも良くないよ。ティエンはきっとお仕事自体はできるんだろうから、ちゃんとオンとオフを切り替えて――」
「分かった、する。仕事するからそのトーンの説教はやめてくれ」
天尊はアキラに本気で叱られるのが大の苦手だった。だから、すぐさま降参する。ここまですんなりと天尊を説き伏せて苦笑させられる人物はそうはいない。
「そうですよね、アキラさん。お仕事はちゃんとしないといけないですよねッ」
ビシュラはパシッとアキラの手を取った。
「歩兵長があまりにも真面目にお仕事してくださらないから、最近わたしのほうが非常識なのかと不安でした~~」
ビシュラは涙目になって訴える。天尊にとってのアキラの説教ほど効果覿面とはゆかずとも、少しは薬になればよいのだが。
緋が横目で見てみると、当の本人のヴァルトラムはハッと鼻で笑っただけだった。ビシュラの苦労はまだまだ尽きそうにない。
ユリイーシャは客人たちを立って出迎えた。お待たせしてしまって申し訳ございませんわ、とお辞儀をしてにこやかな挨拶。
大きなテーブルを皆で囲んでティータイムの始まり。各人の前には、繊細な花の絵柄が施されたティーカップが置かれた。テーブルの中央には、手の平の大きさに膨らんだふわふわの菓子、赤や橙のドライフルーツの乗った焼き菓子、黄や緑のゼリー菓子が色とりどりに並ぶ。きっとどれもこれも、ビシュラのような庶民ではなかなか口にできない高級品だ。
ビシュラは正直、ずらりと並べられた高級菓子に正胸が躍った。甘いものは大好物だ。部屋に漂う甘い香りだけでうっとりしてしまう。
子どもみたいに夢中になって頬をほんのり桜色に染めたビシュラを、ヴァルトラムはジーッと観察した。
「食い物に釣られやすいヤツ」
ビシュラはその言葉でハッと我に返った。
「わたしはそんなにいじましくありません」
「嘘吐け。耳が出そうなくらい嬉しそうなツラしてたぞ」
「みッ、耳のことは仰有らないでくださいッ」
アキラは隣に座っているビシュラを見て、首を傾げた。
「耳?」
「いえッ、何でもございません。お気になさらないでください、アキラさん」
ビシュラは慌てて両手を左右にひらつかせた。
獣耳のことを知る人はできるだけ少数がよい。人間であるアキラにもできれば知られたくない。この耳の所為でせっかくの良好な関係が崩れてしまったら嫌だ。
「せっかくのお茶が冷めてしまいますからお早くどうぞ、歩兵長」
「俺ァ酒がいい」
「俺も茶を飲む気分じゃない」
――この人たちと来たら……。
天尊もヴァルトラムもお茶に手を付けたくないと言う。ティータイムに招待されておきながら大変失礼なことだ。
「ティエン」
アキラから注意の意を込めて促され、天尊は渋々ティーカップを持ち上げて口を付けた。
ユリイーシャはアキラに、よろしければお菓子もどうぞ、と勧めた。
アキラはビシュラのほうへと顔を向けた。勧められたから手を付けたいのだが、ここ数日、食べ物を口にする前には自分に害の無いものかどうかビシュラに確認するのが習慣だった。
ビシュラもアキラから向けられる視線を理解し、今度は吟味する意味で並べられた菓子を眺める。
「こちらの実は少々刺激があるのでお控えになって。何も付いてないほうは召し上がってよろしいかと思います」
「ありがとうございます、ビシュラさん」
ビシュラはアキラが食べられそうな菓子を小皿に取り分けてアキラの前に置いた。
ユリイーシャは頬に手を当て、あらあら、と零した。
「そちらのお菓子はお嫌いでしたかしら。別のものを用意させましょう」
そうじゃなくて、とアキラは慌ててぶんぶんっと首を左右に振った。
「好き嫌いじゃない。アキラは何でもかんでも食べられるわけではないんだ」
「まあ。食べ物に制限があるなんてお可哀想に。お身体があまり丈夫ではいらっしゃらないのね」
「そういうわけじゃないんです。身体は健康なんです。体質的に今は食べちゃいけないものがあるかもってくらいで」
「そう。お身体は壮健でいらっしゃるの。それはよろしいですわ。本当に、とても喜ばしいことですわ」
ユリイーシャはアキラから健康であると聞くと、ニッコリと微笑んで噛み締めるように何度もよかったよかったと言った。若い肉体が健康であることなど、それほど珍しくはないだろうに。
「お菓子、せっかく出してもらったのに……ごめんなさい」
アキラは申し訳なさでシュンと肩を落とした。天尊はアキラを慰めるように肩を抱いて頭を寄せた。
慰めようとしてくれるのはよいのだが、人前で纏わり付かれるのは恥ずかしい。アキラは、もー、と不満そうに天尊の身体を押し返したが、天尊は離れようとはしなかった。
ユリイーシャはアキラと天尊を見てクスクスと笑った。
「ティエンゾン様ととても仲睦まじくいらっしゃるのね」
天尊は「当たり前だ」とユリイーシャに返し、アキラを自分のほうへとグイッと引き寄せた。
「ティエンゾン様。お伺いしたいのですけれど、その仲睦まじい御嬢様とはどういう御関係なのです? 御父様もとてもお気になさっていらしてよ」
天尊は普段は見せないくらいの笑顔満面で、さらにアキラを力強く抱き寄せた。額に頬擦りされたアキラは、いたたた、と顔を顰めた。
「ヒゲが痛い、ティエンッ」
「俺の嫁だ」
アキラはグリッと天尊の腹に肘をめりこませた。
「何でそういう紹介するの」
「怒るな。嘘は言ってない」
「まだ結婚してないんだから嫁じゃない。現時点では嘘だよ」
「俺は今すぐにでもアキラを嫁にしたい」
天尊はアキラの頬にキスしようと顔を近づけた。アキラは天尊の唇を手の平で押し留めて阻止。初対面の人物の前でそのようなことできるものか。
ビシュラは口許に手を添えてヴァルトラムの耳許に小声で囁く。
「なんというか……性格が変わられましたね、大隊長」
ヴァルトラムはハッと鼻先で笑った。
ユリイーシャは嬉しそうに、ぱあああと顔を明るくした。
「まあまあ、ティエンゾン様がご結婚をお考えになるなんて。それでは私の妹になるのね。こんなに可愛らしい方が妹姫になるなんて嬉しいですわ」
「妹?」
アキラはユリイーシャの言っている意味が分からず鸚鵡返しした。
「ユリイーシャは兄貴の婚約者だ」
「じゃあティエンのお姉さん?」
「その内な」
天尊はあっけらかんと言い放った。
アキラは両手で顔を隠して「あああああ~」と呻った。未来の義姉になるかもしれない人の前で、密着してベタベタしている(されている)醜態を晒すなんて恥ずかしすぎる。
「アキラ様」とユリイーシャは呼びかけた。アキラが顔から手を退かすと、ユリイーシャは何故かキラキラした目を向けてきた。
「アキラ様に伺いたいことがあるのですけれど、よろしいかしら」
「……はい。何ですか」
「ティエンゾン様のお好きなものを御存知かしら」
「ティエンの好きなモノ?」
アキラは何故そのような質問をされるのか分からなかったが、とりあえず天尊のほうへと顔を向けた。
「握り飯」と天尊。
「ここにあるものを答えないと意味なくない」
ユリイーシャは「ニ・ギ・リ・メ・シ」と一音ずつ確かめるように発音し、キョトンとして首を傾げた。ほら、伝わっていない。
「では、お嫌いなものも御存知かしら」
「ティエンは何でも食べるからなあ。嫌いなもの、ある? ティエン」
「アキラの作るモンは何でも美味い」
――それもそういう意味ではないと思うのだけれど。
アキラでも分かることを天尊が分からないはずがない。ユリイーシャからの問いに答えたくないという意思表示だろうなと、アキラは察した。
アキラはユリイーシャのほうへと顔を引き戻した。
「どうしてティエンに直接訊かないんですか?」
未来の姉と弟。何に遠慮することなく会話して質問すればよいだけなのに、何故わざわざアキラを経由するのか。しかも、質問の内容も今さら過ぎる。まるで初対面の人物に対するそれのようだ。
アキラの質問は、少々ユリイーシャを困らせてしまったようだ。彼女は眉尻をやや引き下げて苦笑した。
「ティエンゾン様は私が伺っても答えてはくださいませんもの」
アキラと同じような疑問をビシュラも抱いた。
なんとなくヴァルトラムのほうを見てみた。ヴァルトラムはティーカップを持ち上げ、鼻先を近づけてスンスンと匂いを嗅いでいる。茶葉にうるさいわけでもない。その行動は野生動物が口にしても大丈夫なものかどうか確認するのと大差なかった。
「歩兵長は御存知ですか? 大隊長のお嫌いなもの」
「とろくせー女、ソイツみてぇな」
「歩兵長ッ💦💦」
ビシュラは努めて小声で尋ねたのに、ヴァルトラムは何も気にせず普段の音量で答えた。
ユリイーシャは穏やかに「よいのですよ」と一言。ティーカップを持ち上げて一口飲んだ。それから茶色の水面に目を落とした。
「ティエンゾン様が私のことをどうお思いか、自分でも分かっておりますもの。ティエンゾン様はリーン様の弟君ですから、仲良くしていただけたらと思っているのですけれど、昔から私のことはあまりお好きではいらっしゃらないみたい」
天尊は何も反論しなかった。不機嫌ではないが愛嬌もない。ここは建前だけでも、いいえそうではないと言うべき場面ではないのか。
「ティエンゾン様の御兄様のリーン様と私は、生まれる前からの婚約者。幼い頃はよくリーン様の許へ遊びに参りました。その折、ティエンゾン様はいつも私のことを無視なさいましたから」
「ユリイーシャ」と天尊は改まった声を出した。
「俺は別にお前のことを嫌っていない。そんなに好きじゃないし関心もないだけだ」
大領主の姫君に対してあまりにも歯に衣着せない発言。ビシュラはギョッとした。
アキラは天尊に向かって腕を振り上げた。
「こらあ! 何でそんな意地悪言うの」
「意地悪ではなく事実を述べただけだ」
「わざわざ言う必要ないでしょ。意地悪しないで」
「俺が兄貴の女に優しくしなければならない義理はない」
「ティエン~~」
アキラは眉を逆八の字にして天尊に非難の目を向ける。
どれほど叱っても怒鳴っても憎まれるわけではないと分かっている。天尊にとってはむくれた表情も可愛らしいものだった。
「あらあら、ケンカはいけませんわ」
ユリイーシャはのんびりした口調で暢気なことを言った。天尊に無視されても邪険にされてもまったく気にしない寛容さは純粋にすごい、とアキラは思う。
ユリイーシャがこれほどおっとりした人物でなければ、天尊が明け透けに厭味を言うこともないだろうけれど。
「俺もお前のことなどでアキラとケンカしたくない」
「明日お出かけでもなさったら如何です? 仲直りも兼ねて」
「まだケンカしていない。お前のことなんかで俺とアキラはケンカしないと言っている」
「だいぶ吹雪が弱まってますの。明日には雪が已むそうでしてよ。晴れ間が見えればきっとアキラ様のお心も穏やかになりますわ」
「だからケンカしていないと言っているんだ。勝手にケンカしたことにするな」
「ずっと城に篭もりっぱなしでは退屈でしょう。街へいらっしゃって、賑やかにお過ごしになればきっと楽しい気分になれますわ」
「お前のそういう俺の話を聞かんところも好きになれんのだが聞いているか?」
ユリイーシャも或る意味では見事に天尊を無視している、とアキラは気づいた。天尊とユリイーシャは噛み合わない。好き嫌い以前に決定的に相性が悪い。
「街かあ……」
アキラとビシュラはほぼ同時にぽろりと零した。
ヴィンテリヒブルク城へやってきて数日、城外へは一歩も出ていない。アキラの体調が安定していないこともあったが、何よりユリイーシャの言うとおり吹き荒ぶ雪に門を閉ざさざるを得なかった。遊びに来たわけではないとはいえ、行動を制限されてばかりでは飽きもする。初めての土地への興味も募る。不意に外へ出られると聞いてわずかに胸が弾んだ。
「行くか? アキラ」
「行くかってティエン、お仕事は?」
「別に構わん」
「そんなこともないんだがな」
緋はカチン、とわざと大きめの音が出るようにカップを置いた。そういう態度をとった緋の胸中を、アキラは目敏く察した。
「ティエン、わたしに付いてた間ずっとお仕事してないんでしょう? ティエンがお仕事しないと困る人がいるんでしょ。人に迷惑をかけるのはダメ。お仕事ばっかりしてるのも良くないけど、遊んでばっかりも良くないよ。ティエンはきっとお仕事自体はできるんだろうから、ちゃんとオンとオフを切り替えて――」
「分かった、する。仕事するからそのトーンの説教はやめてくれ」
天尊はアキラに本気で叱られるのが大の苦手だった。だから、すぐさま降参する。ここまですんなりと天尊を説き伏せて苦笑させられる人物はそうはいない。
「そうですよね、アキラさん。お仕事はちゃんとしないといけないですよねッ」
ビシュラはパシッとアキラの手を取った。
「歩兵長があまりにも真面目にお仕事してくださらないから、最近わたしのほうが非常識なのかと不安でした~~」
ビシュラは涙目になって訴える。天尊にとってのアキラの説教ほど効果覿面とはゆかずとも、少しは薬になればよいのだが。
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