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Kapitel 05
奪還 03
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アキラとビシュラが軟禁されていた部屋。
ダァンッ。――ドアが豪快に蹴破られた。
部屋に到達したのはヴァルトラムだった。天尊と二手に分かれる際、ビシュラのネェベル反応が留まっていた位置を教えられた。
ヴァルトラムは蛻の殻の室内を見て、拍子抜けという顔で溜息を吐いた。
「……誰もいねェじゃねェか。アイツのほうがアタリかァ」
まず目に突いたのは天蓋付きのベッド。次に、花が飾りつけられた室内、華やかな紋様の絨毯、大きなクローゼット。部屋には窓があり、明かりも風も部屋に入れられる。成る程、年若い娘を軟禁するには丁度良さそうな部屋だ。
それから、床に転がった太い鎖を発見した。鎖の先端には鋼鉄製の輪っか。足枷だ。やはり此処は軟禁部屋で間違いなさそうだ。では、彼女らは此処から出されて何処へ行ったか。
ヴァルトラムはチッと舌打ちして踵を返し、部屋から出て行った。
ウルリヒは腕に抱えたアキラとビシュラを床に降ろした。アキラが床に足がついた途端に駆け出そうとし、その手を捕まえて引き戻した。
振り返ったアキラがウルリヒを見ると、彼は縋るような目をしていた。
「俺の傍にいると、約した。誓いを立てた」
違う、契約などで縛りたいのではない。アキラの意志で選択してほしい。自分が思っている半分でもよいから、傍にいたいと思ってほしい。口では無理強いしたくないと言いながら、契約を盾に縛りつけるなどなんとも無様だ。でかい図体をして年端もゆかない少女に縋りつくなどなんとも滑稽だ。頭では解っていても、心が離したくないと叫んでいる。
「ごめん」
アキラはウルリヒの目を真っ直ぐ見て直言した。
「ごめんねウルリヒくん。キミに嘘を、吐いた」
――ずっと嘘を吐いていた。だから、いつかは言わなければいけないと覚悟していた。キミは優しい王子さま。優しいキミを傷つけると分かっていながら、残酷な真実を告げる。
「俺の傍にいると約したことか。俺のようなものでもいつか愛することもあるかもしれないと……言ったことか」
アキラはウルリヒのことを憎んでも疎んでもいない。軟禁されたが、そもそも拉致を命じたのは彼ではない。手厚く待遇してくれた。王太子という身分に慢心することなく、品行方正な人柄だった。何より本気で愛してくれる。異なる種族の者を真摯に愛せられる彼なら、どのような姿をしていても真摯に愛し返してくれる者もいるはずだと、心からそう思う。
しかしながら、アキラには決して不可能だ。命懸けの、一生分の、生涯を捧げての、恋はもうした。
「ずっとキミの傍にはいられない。傍にいたとしても……わたしはもうティエン以上に誰かを好きになることなんて、ない」
ドクンッ。――一際大きな鼓動を鳴らした。
ウルリヒは心臓が停止したかと思った。末期の悲鳴のように。
アキラは、自分の手を捕まえているウルリヒの力が強まり、やや顔を顰めた。
その時、下から窺い見たウルリヒの表情は、アキラが初めて見るものだった。泣きそうな顔だと、思ってしまった。彼自身、どのような表情をしたか無自覚だろう。アキラが天尊と命懸けの恋をしたように、ウルリヒも生まれて初めて本当の恋をした。この恋は初めてのものなのだから、そのような顔をするのも生まれて初めてだったかもしれない。
見てはいけないものを見てしまったのではなかろうか。アキラは言葉を失してしまった。
「俺の女から手を離せ」
天尊はウルリヒを睨みつけて言い放った。
「俺の女、ではない」
ウルリヒからの返答に対し、天尊は「あァッ?」と悪態を吐いた。
「アキラは最早、貴様の婚約者ではない。俺のモノだ。生涯傍にいると、伴侶になると、誓いを立てたのだから」
「は?」
バチンッ! バチバチバチッ!
天尊の周囲を電子が駆け巡り、ビシュラはハッとした。
天尊の額にはクッキリと青筋が浮き、眉間に深い皺を刻んだ形相は鬼のようだ。
「生涯の伴侶だと……? 寝言言ってんじゃねェぞこのクソ畜生野郎がァアアアッ‼」
天尊の怒声が廊下に響き渡り、空間を震撼させ、憤怒で制御を解かれた電流が無作為に迸った。
「ひいぃッ……!」
ビシュラは咄嗟に牆壁を張り、自身やアキラ、その傍にいるウルリヒに電流が及ぶことを防いだ。しかし、電流の直撃はなくとも身体はカタカタと震えた。
ビシュラはヴァルトラムのことを普段から恐ろしい恐ろしいと思っており、ほかの隊員たちも大隊で恐ろしい人物と言えば真っ先にヴァルトラムを挙げる。だから、天尊がこんなにも怒りで我を忘れる気質とは予想だにしていなかった。
(いつも冷静な大隊長があんなにお怒りになるなんて! 恐い恐い恐いッ)
天尊は一歩一歩踏み締めるようにウルリヒとの距離を詰める。床を踏み締める度に、その身に纏った怒気が電流となってバチンバチンッと耳障りな音を立てた。
ウルリヒはアキラから手を離し、自身の後方へとズイッと押し遣った。アキラを行かせる気は毛頭無いが、天尊との戦闘は一触即発。臨戦態勢をとらざるを得なかった。
「命令だビシュラァッ! 俺がこのクソ野郎をぶち殺すまでアキラを守れ!」
「はッ、はいぃ!」
天尊の呼号は獣人の咆哮と変わらず恐ろしかった。ビシュラは震え上がって背筋を伸ばした。
§ § § § §
ずる、ずる、ずる。
先ほどまでウルリヒがいた広間には、まだルディと一個小隊が待機していた。彼らは何かを引き摺るような物音に気づいた。もしくは、石造りの廊下をそれなりの重量のあるものが這いずり回るような奇妙な音。
ルディを含め、彼らは全員、物音のほうへと目を向けた。ひとりの男が何かを片手に引き摺りながら歩いてくるのを視認し、各自持ち場でバッと身構えた。
男の動作は緩慢であり、全員が充分にその男を観察できた。
浅黒い肌をしたヒトの男が、朱色の長髪を揺らして近づいてくる。その男が手にしているものの正体を知り、獣人の兵士たちは全身の毛がブワッと逆立った。
朱色の髪の男は、獣人の頭の天辺をむんずと掴んで廊下を引き摺ってやって来る。その獣人は意識を失っているだけなのか、すでに事切れたのか、ピクリとも動かない。廊下には一本の、蛇行した真っ赤な線が描かれていた。
「ホォー。ケモノ臭ェわけだぜ。集会中か?」
朱色の髪の男は白い歯を剥き出しにしてニィッと笑った。
獣人の小隊と対面したというのに、臆した様子は微塵も無い。むしろ、その様は強がりではなく歓喜の笑みのように見えた。
「オイ! 生きているのか! 返事をしろッ」
「ソイツから手を離せ! 両手を高く上げて跪け!」
「貴様たちは総員何名だ! 答えろ! 二名かッ」
獣人の小隊は喧しく言葉を投げかけた。
ヴァルトラムはそれを無視して広間をグルリと観察。彼らの言葉はすべて聞き取れるが、何匹もガヤガヤと五月蠅いことこの上ない。忙しくなく質問攻めにされては答える気も失せる。
「貴様も三本爪飛竜騎兵大隊か」
ヴァルトラムはその質問を発した者に目を留めた。
その者、ルディはひとりだけ随分と落ち着き払っていた。アーマーを身に付けず、ほかの兵士たちとは異なる装いであり、明らかに格が違う。何より質問が核心を突いていた。確信めいて三本爪飛竜騎兵大隊などと口にするのは、隣国の城から姫を拉致した件を知っているからだ。
「たったふたりで王城を襲撃するとは……いくらかの有名な三本爪飛竜騎兵大隊であろうともまったく以て不遜が過ぎる」
「賊だっつってんだろ」
ヴァルトラムは白い歯を見せてニヤニヤとし、ルディは目を細めて笑みを作った。正体を見抜いているし見抜かれているが、互いに不敵な笑みだった。
ルディは片手をスッと天井に向けた。
兵士たちはそれを合図に、横一列となってヴァルトラムと対峙した。グルグルグルと喉を鳴らし、腰を低くして前傾気味の姿勢で、ジリッジリッと床を爪で引っ掻く。
「排除しろ」
ルディが命じた次の瞬間、獣人の兵士たちは引き絞られた矢が放たれるように一斉にヴァルトラムに飛びかかった。よく研がれたナイフが如き鋭利な爪が、ヴァルトラムに襲いかかった。
パキィインッ。
浅黒い肌を引き裂くはずだった長い爪は、悉く中程から折れた。彼らの自慢の爪が、見開いた視界のなかでヒュンヒュンッと宙を舞った。眼前の男は何もしなかった。ただ待ち構えていただけだった。何をされることもなく、彼らの自負は脆くも砕け散った。
彼らは驚愕し、揃いも揃って一瞬呆けてしまった。岩をも砕く自慢の爪が、肉すら裂けないことなど想像もしなかった。血みどろの仲間を引き摺って現れた敵だとしても。
「つまんねえヤツらだ」
獣人の兵士たちはハッとしてヴァルトラムの顔を見た。その表情は先ほどの笑みとは打って変わって失望。あからさまにガッカリしたという、期待外れという、この場にはあまりにも不釣り合いな表情だった。
ヒュッ。――風を切った音。
次の瞬間、ヴァルトラムの面前、一番至近距離にいた兵士が真っ赤な血飛沫を噴き上げた。兵士は横一文字にぱっくりと開いた喉元を両手で押さえるが、鮮血の勢いを止めることはできなかった。裂けた気道からヒュッ、ヒューッ、と空気が漏れる度に夥しい量の血液が漏れ出てゆく。間もなく両膝を折った。
その後は、ヴァルトラムが片手に振り回すマチェットナイフに急所を突かれ、或いは腕を切断され、誰も彼もが同じように冷たい石造の床に倒れた。乳白色の表面に濃い紅が飛び散り、水溜まりが広がりそれを飲みこんでゆく。
紅の水溜まりが拡がってゆくにつれて、獣人の嗅覚にはいささか刺激的な鮮血の臭いがどんどんと充満してゆく。頑強で強靱であるはずの獣人の兵士が為す術も無く頽れてゆく様は、まるで悪夢のような光景だった。
ルディは、朱色の髪を靡かせて兵士たちを蹂躙する浅黒い肌をした男をまじまじと見ながら、ゾワッと身の毛が弥立つのを感じた。
「な、何だこれは……ッ、バケモノめ!」
ひとりの兵士が慄いて本音を吐露した。否、これは最早自身の意思では如何ともしがたい、醒めない悪夢への愚痴だ。
「三本爪飛竜騎兵大隊の朱髪、この圧倒的な戦闘力…………貴様、《朱い魔物》ヴァルトラムだな」
ルディは確信を得た。この目で見た実力と、何よりも自身の直感を信じた。
ドンッ、とヴァルトラムはマチェットナイフを兵士の太腿に突き刺した。ギャアギャアッと野太い悲鳴を浴びながらルディのほうを振り返り、口角を引き上げてニヤッと嗤った。
言葉での肯定は無かった。軍服も勲章も物理的な証拠は何も無かった。しかし、果敢な兵士たちが返り討ちに遭った無残な様が、証左として充分だった。
§ § § § §
グローセノルデン領・フローズヴィトニルソン王国境界付近。
三本爪飛竜騎兵大隊は、兵の一部と飛竜をヴィンテリヒブルク城に残し、国境ギリギリの林に人員と車輌の大部分を展開していた。
ザクッザクッ、と雪を踏み締めながらマクシミリアンが、緋とトラジロの許へやってきた。
「配置は完了したぞ、フェイ」
「隊章をすべて剥がしたか再度確認」
「もう何度も確認したが」
「もう一度だ」
マクシミリアンはこれ見よがしに、はあ、と溜息を吐いた。爪先を反転し、頭をガリガリと掻きながら元いた場所へと戻っていった。
「苛立っていますね」
トラジロはマクシミリアンの後ろ姿を眺めながら緋に言った。
「お前に比べれば何ということはないさ。グローセノルデン大公の矢面御苦労」
「大公は不条理な方では在られません。むしろ大隊長よりも冷静なくらいです」
トラジロの言い草は普段よりも少々厭味っぽかった。緋はそれを見落とさなかった。
「女を取り返すのに単身敵地に乗りこむのは冷静とは言えないか」
「そうです。今の大隊長はお立場を失念なさる程度には冷静さを欠いておられる。もしも、その身に不測の事態が起きた場合、大隊はどうなるとお思いなのか。御寵愛のお嬢さんの身がご心配なのは解りますが、大隊を指揮するという責務は何よりも重たいものであるはずです」
「置いていかれたのが不服か?」
緋は腕組みをしてクッと笑った。随分と子どもっぽく変換したのは揶揄だ。トラジロの口振りを聞いていると苛立っているのはどちらか分からない。
トラジロはやや気を悪くしてジロリと緋を見た。トラジロが緋に対して反抗心のようなものを見せるのは珍しい。感情を抑えきれなかったのは図星を指されたからだ。
「往かせたのは貴女ではありませんか、緋姐。貴女だけは大隊長をとめてくれると思っていたのですよ。まったく、大隊には私の味方がいない」
「いいや、アタシはお前の味方だよ。ただ、アタシもお前ほど冷静じゃないだけさ」
ダァンッ。――ドアが豪快に蹴破られた。
部屋に到達したのはヴァルトラムだった。天尊と二手に分かれる際、ビシュラのネェベル反応が留まっていた位置を教えられた。
ヴァルトラムは蛻の殻の室内を見て、拍子抜けという顔で溜息を吐いた。
「……誰もいねェじゃねェか。アイツのほうがアタリかァ」
まず目に突いたのは天蓋付きのベッド。次に、花が飾りつけられた室内、華やかな紋様の絨毯、大きなクローゼット。部屋には窓があり、明かりも風も部屋に入れられる。成る程、年若い娘を軟禁するには丁度良さそうな部屋だ。
それから、床に転がった太い鎖を発見した。鎖の先端には鋼鉄製の輪っか。足枷だ。やはり此処は軟禁部屋で間違いなさそうだ。では、彼女らは此処から出されて何処へ行ったか。
ヴァルトラムはチッと舌打ちして踵を返し、部屋から出て行った。
ウルリヒは腕に抱えたアキラとビシュラを床に降ろした。アキラが床に足がついた途端に駆け出そうとし、その手を捕まえて引き戻した。
振り返ったアキラがウルリヒを見ると、彼は縋るような目をしていた。
「俺の傍にいると、約した。誓いを立てた」
違う、契約などで縛りたいのではない。アキラの意志で選択してほしい。自分が思っている半分でもよいから、傍にいたいと思ってほしい。口では無理強いしたくないと言いながら、契約を盾に縛りつけるなどなんとも無様だ。でかい図体をして年端もゆかない少女に縋りつくなどなんとも滑稽だ。頭では解っていても、心が離したくないと叫んでいる。
「ごめん」
アキラはウルリヒの目を真っ直ぐ見て直言した。
「ごめんねウルリヒくん。キミに嘘を、吐いた」
――ずっと嘘を吐いていた。だから、いつかは言わなければいけないと覚悟していた。キミは優しい王子さま。優しいキミを傷つけると分かっていながら、残酷な真実を告げる。
「俺の傍にいると約したことか。俺のようなものでもいつか愛することもあるかもしれないと……言ったことか」
アキラはウルリヒのことを憎んでも疎んでもいない。軟禁されたが、そもそも拉致を命じたのは彼ではない。手厚く待遇してくれた。王太子という身分に慢心することなく、品行方正な人柄だった。何より本気で愛してくれる。異なる種族の者を真摯に愛せられる彼なら、どのような姿をしていても真摯に愛し返してくれる者もいるはずだと、心からそう思う。
しかしながら、アキラには決して不可能だ。命懸けの、一生分の、生涯を捧げての、恋はもうした。
「ずっとキミの傍にはいられない。傍にいたとしても……わたしはもうティエン以上に誰かを好きになることなんて、ない」
ドクンッ。――一際大きな鼓動を鳴らした。
ウルリヒは心臓が停止したかと思った。末期の悲鳴のように。
アキラは、自分の手を捕まえているウルリヒの力が強まり、やや顔を顰めた。
その時、下から窺い見たウルリヒの表情は、アキラが初めて見るものだった。泣きそうな顔だと、思ってしまった。彼自身、どのような表情をしたか無自覚だろう。アキラが天尊と命懸けの恋をしたように、ウルリヒも生まれて初めて本当の恋をした。この恋は初めてのものなのだから、そのような顔をするのも生まれて初めてだったかもしれない。
見てはいけないものを見てしまったのではなかろうか。アキラは言葉を失してしまった。
「俺の女から手を離せ」
天尊はウルリヒを睨みつけて言い放った。
「俺の女、ではない」
ウルリヒからの返答に対し、天尊は「あァッ?」と悪態を吐いた。
「アキラは最早、貴様の婚約者ではない。俺のモノだ。生涯傍にいると、伴侶になると、誓いを立てたのだから」
「は?」
バチンッ! バチバチバチッ!
天尊の周囲を電子が駆け巡り、ビシュラはハッとした。
天尊の額にはクッキリと青筋が浮き、眉間に深い皺を刻んだ形相は鬼のようだ。
「生涯の伴侶だと……? 寝言言ってんじゃねェぞこのクソ畜生野郎がァアアアッ‼」
天尊の怒声が廊下に響き渡り、空間を震撼させ、憤怒で制御を解かれた電流が無作為に迸った。
「ひいぃッ……!」
ビシュラは咄嗟に牆壁を張り、自身やアキラ、その傍にいるウルリヒに電流が及ぶことを防いだ。しかし、電流の直撃はなくとも身体はカタカタと震えた。
ビシュラはヴァルトラムのことを普段から恐ろしい恐ろしいと思っており、ほかの隊員たちも大隊で恐ろしい人物と言えば真っ先にヴァルトラムを挙げる。だから、天尊がこんなにも怒りで我を忘れる気質とは予想だにしていなかった。
(いつも冷静な大隊長があんなにお怒りになるなんて! 恐い恐い恐いッ)
天尊は一歩一歩踏み締めるようにウルリヒとの距離を詰める。床を踏み締める度に、その身に纏った怒気が電流となってバチンバチンッと耳障りな音を立てた。
ウルリヒはアキラから手を離し、自身の後方へとズイッと押し遣った。アキラを行かせる気は毛頭無いが、天尊との戦闘は一触即発。臨戦態勢をとらざるを得なかった。
「命令だビシュラァッ! 俺がこのクソ野郎をぶち殺すまでアキラを守れ!」
「はッ、はいぃ!」
天尊の呼号は獣人の咆哮と変わらず恐ろしかった。ビシュラは震え上がって背筋を伸ばした。
§ § § § §
ずる、ずる、ずる。
先ほどまでウルリヒがいた広間には、まだルディと一個小隊が待機していた。彼らは何かを引き摺るような物音に気づいた。もしくは、石造りの廊下をそれなりの重量のあるものが這いずり回るような奇妙な音。
ルディを含め、彼らは全員、物音のほうへと目を向けた。ひとりの男が何かを片手に引き摺りながら歩いてくるのを視認し、各自持ち場でバッと身構えた。
男の動作は緩慢であり、全員が充分にその男を観察できた。
浅黒い肌をしたヒトの男が、朱色の長髪を揺らして近づいてくる。その男が手にしているものの正体を知り、獣人の兵士たちは全身の毛がブワッと逆立った。
朱色の髪の男は、獣人の頭の天辺をむんずと掴んで廊下を引き摺ってやって来る。その獣人は意識を失っているだけなのか、すでに事切れたのか、ピクリとも動かない。廊下には一本の、蛇行した真っ赤な線が描かれていた。
「ホォー。ケモノ臭ェわけだぜ。集会中か?」
朱色の髪の男は白い歯を剥き出しにしてニィッと笑った。
獣人の小隊と対面したというのに、臆した様子は微塵も無い。むしろ、その様は強がりではなく歓喜の笑みのように見えた。
「オイ! 生きているのか! 返事をしろッ」
「ソイツから手を離せ! 両手を高く上げて跪け!」
「貴様たちは総員何名だ! 答えろ! 二名かッ」
獣人の小隊は喧しく言葉を投げかけた。
ヴァルトラムはそれを無視して広間をグルリと観察。彼らの言葉はすべて聞き取れるが、何匹もガヤガヤと五月蠅いことこの上ない。忙しくなく質問攻めにされては答える気も失せる。
「貴様も三本爪飛竜騎兵大隊か」
ヴァルトラムはその質問を発した者に目を留めた。
その者、ルディはひとりだけ随分と落ち着き払っていた。アーマーを身に付けず、ほかの兵士たちとは異なる装いであり、明らかに格が違う。何より質問が核心を突いていた。確信めいて三本爪飛竜騎兵大隊などと口にするのは、隣国の城から姫を拉致した件を知っているからだ。
「たったふたりで王城を襲撃するとは……いくらかの有名な三本爪飛竜騎兵大隊であろうともまったく以て不遜が過ぎる」
「賊だっつってんだろ」
ヴァルトラムは白い歯を見せてニヤニヤとし、ルディは目を細めて笑みを作った。正体を見抜いているし見抜かれているが、互いに不敵な笑みだった。
ルディは片手をスッと天井に向けた。
兵士たちはそれを合図に、横一列となってヴァルトラムと対峙した。グルグルグルと喉を鳴らし、腰を低くして前傾気味の姿勢で、ジリッジリッと床を爪で引っ掻く。
「排除しろ」
ルディが命じた次の瞬間、獣人の兵士たちは引き絞られた矢が放たれるように一斉にヴァルトラムに飛びかかった。よく研がれたナイフが如き鋭利な爪が、ヴァルトラムに襲いかかった。
パキィインッ。
浅黒い肌を引き裂くはずだった長い爪は、悉く中程から折れた。彼らの自慢の爪が、見開いた視界のなかでヒュンヒュンッと宙を舞った。眼前の男は何もしなかった。ただ待ち構えていただけだった。何をされることもなく、彼らの自負は脆くも砕け散った。
彼らは驚愕し、揃いも揃って一瞬呆けてしまった。岩をも砕く自慢の爪が、肉すら裂けないことなど想像もしなかった。血みどろの仲間を引き摺って現れた敵だとしても。
「つまんねえヤツらだ」
獣人の兵士たちはハッとしてヴァルトラムの顔を見た。その表情は先ほどの笑みとは打って変わって失望。あからさまにガッカリしたという、期待外れという、この場にはあまりにも不釣り合いな表情だった。
ヒュッ。――風を切った音。
次の瞬間、ヴァルトラムの面前、一番至近距離にいた兵士が真っ赤な血飛沫を噴き上げた。兵士は横一文字にぱっくりと開いた喉元を両手で押さえるが、鮮血の勢いを止めることはできなかった。裂けた気道からヒュッ、ヒューッ、と空気が漏れる度に夥しい量の血液が漏れ出てゆく。間もなく両膝を折った。
その後は、ヴァルトラムが片手に振り回すマチェットナイフに急所を突かれ、或いは腕を切断され、誰も彼もが同じように冷たい石造の床に倒れた。乳白色の表面に濃い紅が飛び散り、水溜まりが広がりそれを飲みこんでゆく。
紅の水溜まりが拡がってゆくにつれて、獣人の嗅覚にはいささか刺激的な鮮血の臭いがどんどんと充満してゆく。頑強で強靱であるはずの獣人の兵士が為す術も無く頽れてゆく様は、まるで悪夢のような光景だった。
ルディは、朱色の髪を靡かせて兵士たちを蹂躙する浅黒い肌をした男をまじまじと見ながら、ゾワッと身の毛が弥立つのを感じた。
「な、何だこれは……ッ、バケモノめ!」
ひとりの兵士が慄いて本音を吐露した。否、これは最早自身の意思では如何ともしがたい、醒めない悪夢への愚痴だ。
「三本爪飛竜騎兵大隊の朱髪、この圧倒的な戦闘力…………貴様、《朱い魔物》ヴァルトラムだな」
ルディは確信を得た。この目で見た実力と、何よりも自身の直感を信じた。
ドンッ、とヴァルトラムはマチェットナイフを兵士の太腿に突き刺した。ギャアギャアッと野太い悲鳴を浴びながらルディのほうを振り返り、口角を引き上げてニヤッと嗤った。
言葉での肯定は無かった。軍服も勲章も物理的な証拠は何も無かった。しかし、果敢な兵士たちが返り討ちに遭った無残な様が、証左として充分だった。
§ § § § §
グローセノルデン領・フローズヴィトニルソン王国境界付近。
三本爪飛竜騎兵大隊は、兵の一部と飛竜をヴィンテリヒブルク城に残し、国境ギリギリの林に人員と車輌の大部分を展開していた。
ザクッザクッ、と雪を踏み締めながらマクシミリアンが、緋とトラジロの許へやってきた。
「配置は完了したぞ、フェイ」
「隊章をすべて剥がしたか再度確認」
「もう何度も確認したが」
「もう一度だ」
マクシミリアンはこれ見よがしに、はあ、と溜息を吐いた。爪先を反転し、頭をガリガリと掻きながら元いた場所へと戻っていった。
「苛立っていますね」
トラジロはマクシミリアンの後ろ姿を眺めながら緋に言った。
「お前に比べれば何ということはないさ。グローセノルデン大公の矢面御苦労」
「大公は不条理な方では在られません。むしろ大隊長よりも冷静なくらいです」
トラジロの言い草は普段よりも少々厭味っぽかった。緋はそれを見落とさなかった。
「女を取り返すのに単身敵地に乗りこむのは冷静とは言えないか」
「そうです。今の大隊長はお立場を失念なさる程度には冷静さを欠いておられる。もしも、その身に不測の事態が起きた場合、大隊はどうなるとお思いなのか。御寵愛のお嬢さんの身がご心配なのは解りますが、大隊を指揮するという責務は何よりも重たいものであるはずです」
「置いていかれたのが不服か?」
緋は腕組みをしてクッと笑った。随分と子どもっぽく変換したのは揶揄だ。トラジロの口振りを聞いていると苛立っているのはどちらか分からない。
トラジロはやや気を悪くしてジロリと緋を見た。トラジロが緋に対して反抗心のようなものを見せるのは珍しい。感情を抑えきれなかったのは図星を指されたからだ。
「往かせたのは貴女ではありませんか、緋姐。貴女だけは大隊長をとめてくれると思っていたのですよ。まったく、大隊には私の味方がいない」
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