ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

熒閂

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Kapitel 05

奪還 06

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 天尊ティエンゾンが放った一撃による眩い閃光が消え失せ、周辺の状態が目視できるようになった頃、ビシュラは絶句した。
 ヴァルトラムもビシュラの修復プログラムの手がとまったことに気づいた。壁に凭れて座りこんだまま首から上だけを動かしてビシュラのほうを見ると、血色の悪い顔で天尊のほうを見たまま愕然として、カタカタと小刻みに震えていた。

「まさか大隊長……先ほどは、セーブして……」

「したに決まってんだろ。オメエや嬢ちゃんがいたからな。アイツのパワーならあんな床くれぇぶち破るはずだ」

「そ、そんな……ッ、プログラムを使わずに単身でこれほどの破壊力を実現することが、可能なんて……⁉」

 ヴァルトラムは当たり前のことのように放言したが、ビシュラはまさにこの世のものとは思えないものを見た、という表情だった。そうか、この人にとっては当たり前のことなのだと考え至り、改めて血の気が引いて額からブワッと汗が噴き出した。

(自分自身が武器そのもの。これこそが、大隊長が《雷鎚ミョルニル》と呼ばれる本当の理由――――! ネームドと呼ばれる方たちが皆このような破壊力を有するのだとしたら、歩兵長も……?)

 ヴァルトラムはビシュラの視線が自分へと向いていることに気づき、フンッと鼻で笑った。

「どうした、バケモンを見るようなツラして。今さら三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターに来たことを後悔か?」

 後悔は、おそらくずっとしている。観測所最高権力の所長イヴァンに命じられたという事実で本音を覆い隠している。逃げ出したいのも本音、役に立ちたいのも本音。役に立つどころか足を引っ張ってばかりの自分に嫌気が差す。

(わたしなんかが三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターの隊員として相応しくなる日が来ることなんて、あるのでしょうか……)


 ウルリヒは地面に俯せに伏していた。天尊の拳撃の余波が背中から煙のように立ち上る。
 天尊はウルリヒのほうへゆっくりと足を出した。一歩ずつ踏み締めるように近づきつつ、その間も一瞬たりともウルリヒから目を離さなかった。
 ウルリヒの身体がピクッと撥ねた。そのあと、久方振りの呼吸をするように背が一度大きく盛り上がり、どうにか顔を上げた。

「貴様……あの、強烈な一撃さえも……ブラフだったか……」

 ウルリヒは地面に伏したまま口惜しそうに拳を握り締めた。しかし、最早立ち上がる力さえないであろうことは天尊には分かっている。

「まだ息があるか。テメエら獣人はすばしっこくしぶとく……手間ばかり掛かって嫌ンなるぜ」

 天尊は、はあ、と溜息を吐いた。それから、ヴァルトラムへチョイチョイと手招きするような仕草をした。
 ヴァルトラムは天尊の意を汲んだ。近くに転がっていた剣を拾い、天尊に向かって投げた。
 ヒュンッヒュンッ、と回転しながら飛んできた剣、天尊はその柄を器用に掴み取った。
 アキラはハッとした。天尊の声音が、先ほどまでの怒号とは比較にならないほど重たく感じたからだ。こういうときの天尊にはとても嫌な予感がする。そしておそらく、この予感は当たってしまうのだ。

「離してください」

 アキラは真剣な顔をして言ったのに、ヴァルトラムはまるでその声が聞こえなかったかのように、視線すらそちらに向けなかった。
 ウルリヒの前に立った天尊が剣を高く翳し、アキラはギクッとした。一刻の猶予もないと悟ったアキラは「離してください!」と声を大きくしたが、ヴァルトラムの態度は一向に変わらなかった。
 懸命に手を振り払おうとしてもビクともしない。とりつく島もない。この男はアキラの意志を完全に無視するつもりなのだ。それが天尊の命令によるものなのか、アキラが取るに足らない存在だからなのか、その真意は分からない。しかし、アキラにもヴァルトラムを説得している余裕は無かった。
 アキラは現状自分にできる限りの実力行使、つまりは噛みついてやろうと口をあんぐと開けた。
 トン、とヴァルトラムはアキラの額を指で押さえた。

「嬢ちゃん。やめとけ。オメエの歯のほうが保たねェ」

「手を離してください」

「何をするつもりだ?」

 アキラは一刻の猶予もない真剣な顔付きなのに、ヴァルトラムは何ということはないように淡々と問いかけた。

「ティエンをとめます。あのままじゃウルリヒくんをッ……」

「今さらだ。俺らの仕事を分かってんのか、嬢ちゃん」

 アキラはキュッと唇を噛み、キッと毅然とした目をヴァルトラムに向けた。

「今さらだろうと何だろうと、ティエンがそんなことするところッ……わたしが見たくないんです!」

 ようやくヴァルトラムの目がアキラのほうを向いた。ヴァルトラムと目が合い、アキラはその翠玉スマラークトから目を離すことはなかった。
 アキラはヴァルトラムが恐ろしく強いということを認識している。彼にとって自分は何の価値もないことも理解している。彼に対して交渉材料たり得るものは一切有していないが、目を離してしまったらこの手を離してくれる可能性はゼロになると思った。
 目を合わせるということはきっと、ヴァルトラムがアキラに対して一瞬でも興味を持ったということ、少しでも耳を傾ける心持ちになったということ、アキラには何の力も無いからこそこの機会をみすみす見逃すような真似はできない。
 アキラはもう祈るような気持ちでヴァルトラムの目を見詰めた。何の気紛れか、ヴァルトラムはするりとアキラから手を離した。アキラは「ありがとうございます」と口早に告げて駆け出した。
 ビシュラは驚いてまじまじとヴァルトラムを見た。この男は、少女が懇願したからといってそう易々と聞き入れるような性情では無いと思っていた。ましてや、大隊長の恋人などという肩書きを恐れるような人物でもない。

「アキラさんを行かせてしまってよろしいのですか歩兵長。大隊長は武器を手にしていらっしゃいます。ウルリヒ殿下にもまだ意識があります。危険なのでは……」

「さあな」とヴァルトラムは軽く顎を揺すった。

「あの嬢ちゃんには覚悟があるみてぇだからよォ」

「覚悟?」

「アイツのためならどうなっちまってもいいってツラしてらァ」

 ビシュラはその言葉を聞いて「あ」と小さな声で零した。フェイも似たようなことを言ったのを思い出した。

 ――「その時になったら惚れた男のために命を捨てられる女だってことだ、アキラは」

「能力に見合わない行動をするヤツは厄介だ。たとえ誰かのためだとしてもな。弱いヤツ、戦えないヤツは初めから戦線に立つべきじゃない」――

 あれは決して賛美ではない。莫迦にしたのでもない。きっと、憐れんでいたのだ。己の身の程も知らず盲目になり命を散らす行為を。
 つまり、緋はそれをアキラに見出したのだ。あんなにも脆弱な身でありながら、あんなにも無力でありながら、あんなにもうら若くありながら、己を顧みず天尊を守ろうとする愚行。それはビシュラには信じられないくらいに愚かしい悲劇。

「ダメです……アキラさんは人間エンブラなのに……そのようなことをなさっては、ダメです……」

「黙って見てろ」

「どうしてですかッ」

 ビシュラは勢いよく言い返したが、ヴァルトラムの視線が自分のほうへ向くとギクッとして押し黙った。

「もう腹ァ決めちまったヤツをとめるには、同じように腹ァ決めなきゃなんねェ。だが、オメエには覚悟がねェだろ」


「ティエン! ダメッ」

 アキラの声が耳に届き、天尊の手はピタリと停止した。剣の切っ先や、殺意の籠もった視線はウルリヒに向けたまま。
 アキラはウルリヒを背にして天尊の前に滑りこんだ。アキラは追い詰められたような必死の形相で天尊を見た。

「こ、殺さないで……」

「何故」

 アキラの声は震えてしまったのに、天尊は冷淡に簡潔に、揺るぎない。寒気がするくらい冥く冷たい目だった。

「ボクとビシュラさんを攫ったのはウルリヒくんの意思じゃないの! ここに連れてこられて、ウルリヒくんはボクたちにひどいことしなかった。ちゃんと部屋もゴハンも用意してくれた。いつも優しくしてくれた。ウルリヒくんは悪い人じゃないよ」

「関係ない。アキラを攫った。俺からアキラを奪った。アキラを愛した。殺す理由に充分だ」

 アキラはドスッと胸を刺し貫かれた気分だった。
 ――ティエンは、わたしのために容赦なく命を奪う。わたしを愛しているが故にあなたが誰かを殺す。それに耐えられるほど、わたしは強くはない。

「め、目の前で誰かが死ぬなんてイヤだ……。ティエンが誰かを殺すところなんて見たくない……ッ」

「こんな畜生野郎のためにアキラが心を痛めることはない」

 アキラがウルリヒを庇おうとすればするほど天尊の視線は冷めてゆく。天尊の心が動かないことはアキラにも伝わっていた。ひとたび天尊が動き出せば、アキラにはそれを停める手立てはない。

「ティエンもウルリヒくんもおんなじように生きてる! 殺すなんて絶対ダメ!」

 天尊の眉尻がピクッと撥ねた。

「同じようにだと? その畜生野郎と俺の命が同等かッ⁉」

「同じだよ! ボクにとっては!」

 天尊の怒号に、離れているビシュラでさえビクッと身体を撥ねさせたのに、アキラはすぐさま言い返した。それからふたりは正面から睨み合うようにして沈黙した。
 苛立っている天尊には大隊の誰も口答えなどしない。トラジロや緋でさえ反論はしない。しても無駄だからだ。天尊が黒と言えば黒に、是と言えばそうなるのだ。アキラが天尊に同調せず食い下がってみせたのは流石だが、それがよい情況とは言えなかった。天尊は異を唱える者に対して決して寛容ではない。

「今のは流石によくねェなァー。またキレるぞ、アイツ」

 ヴァルトラムは天尊たちを眺めながら他人事のように放言した。
 バチッ、パチパチ……。――案の定、天尊の周囲の空気がにわかに騒がしくなる。苛立ちによってネェベルが沸き立ち、また苛立ちによって制御を離れた電流が溢れ出る。

「ほ、歩兵長! 大隊長をおとめください!」

 ビシュラに懇願され、ヴァルトラムは何で俺がという面倒臭そうな表情を見せた。しかし、断ってビシュラにしつこく批難されるのはさらに面倒臭い。

「オイ。カミナリどうにかしろ。嬢ちゃんが黒焦げになっちまうぞ」

「うるせえ黙ってろ!」

 バチィンッ。――怒鳴った拍子に不意にアキラの近くに雷を落としてしまった。
 天尊はチッと舌打ちした。しかし、それが天尊の頭を少々冷やした。
 天尊はアキラに向かって笑顔を作りつつ、その二の腕を捕まえてウルリヒの前から退かせた。

「あまりソイツを庇うな、アキラ。余計に惨く殺したくなる」

「ッ! ティエンお願いだからやめて!」

 アキラは天尊の腰回りに抱きついて必死に切願した。その目にはうっすらと涙が浮いた。
 天尊は剣を振り上げた。
 ――――ガチィインッ。
 突然、心臓が〝何か〟に縛り上げられた。
 天尊は目に見えない〝何か〟に心臓を握り締められているかのような感覚に襲われた。視界に敵は認識できない。プログラムによる攻撃でもない。筋肉の壁を音もなくスルリと分け入って、肉体の中心にある心臓を易々と掴み取るなど、まるで神々の見えない手の所業。
 心臓が破裂しそうにギチギチと軋む。天尊は剣の切っ先を地面に突き刺し、その場に片膝を突いた。

「グッ……クソッ」

 アキラは天尊の急変に驚いた。地面に両膝を突き、心配そうに天尊の顔を下から覗きこんだ。

(アキラは本気で、ヤツを殺すなと願っているということか……!)

 天尊は己の身に起きていることを刹那で理解した。
 人智を超えた所業――命を懸けた神々との約束――誓約ゲシュ。決して破らぬ誓いを立てたのは自分自身だ。この愛しい少女のために。この愛しい少女をどのような脅威からも護り、愛し続けるために。

 天尊はアキラの頬にそっと手を宛がった。

「俺とソイツ、どっちが大事だいじだ。アキラは、俺とその獣人のどっちを愛している?」

 アキラは咄嗟に目を大きくし、やや頬を染めた。
 たったいま言うべきことは分かっている。天尊が言ってほしい言葉は頭に浮かんでいる。天尊は息をするようにそれができるが、アキラにとっては少々の覚悟が必要な言葉だ。
 ――だけど、好きって言うべき相手が目の前に、こんなに傍にいてくれることは幸福なこと。何度も遠くに引き離されたから、大切なことだって分かる。

「ボクが好きなのはティエンだよ。ティエンだけだよ」

 アキラは自分の頬に宛がわれた、天尊の手の甲に手を添えた。

「全然知らないところに連れてこられたけど……絶対ティエンが来てくれるって、信じてた。ティエンはいつだってボクを助けてくれるって」

「来るに決まっている、アキラのいるところなら何処でも」

 天尊はようやく剣から手を離した。それから、両手を広げてアキラを抱き締めた。好きという一言だけで満たされる自尊心。なんと他愛もないのだろうと自嘲が漏れる。

 ザンッ!
 アキラの背後で突然気配が生まれた。否、正確には起き上がった。蛇が首を擡げるように床から這い上がり、鉄紺てつこん色の腕がアキラへ向かった。
 ウルリヒは必死だった。今アキラを逃してしまったら、二度と捕らえることはできないと直感していた。
 ドスンッ!
 ウルリヒの指がもう少しでアキラの衣に届こうかというところ、剣の切っ先が手の甲を貫通した。
 天尊は容赦なく剣をさらに押し進め、手の甲からブジュッと血が噴き出した。

「アキラ――……ッ」

 ウルリヒが名を呼ぶと、アキラは振り返った。その瞳は変わらず慈しみ深かった。この期に及んでまだ自分の身を案じていることが伝わってくる。しかし、天尊へ向けるそれとはまったく異なっていた。あのように恋い焦がれてはくれない。
 天尊はアキラを片腕にしっかりと抱いていた。二度と掠め取られてしまわぬように。

「アキラは俺のものだ。もう一度でも触れたら、殺す」
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