ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

熒閂

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Kapitel 07

初期教育カリキュラム 01

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 シュヴューリンゲン演習場。
 イーダフェルトより数百キロ南方に位置する大規模演習場。主に学院ビルスキルニルでの前段階教育、所謂武科コースを経ていない新兵が派遣され、此処で兵士としての実戦的な訓練や心得を修得し、各地へと配属される。実地への配備を想定した訓練となるため、厳しさは学院のそれとは比較にならない。
 トラジロにより送りこまれたビシュラは、到着して間もなく此処で最上位の将校から呼び出された。どうやら新兵の通例というわけではないらしい。呼び出された新兵はビシュラだけだった。
 室内にはビシュラと、白い髭を蓄えた恰幅のよい将校ともうひとり、軍装の若い男性がいた。軍服を着慣れている風情であり、顔付きや所作も軍人であることに違和感がない。新兵ではなさそうだ。

「紹介しよう。ロスワルト曹長だ」

 髭の将校はビシュラの挨拶もそこそこに、軍装の若者を指し示した。
 若者はビシュラに向かって会釈した。ビシュラも深々と頭を下げた。

「君の護衛として曹長をつける」

「わたしに護衛、ですか?」

「名目は専属教官だ。実を理解していたほうが君も何かと行動しやすかろう」

 ビシュラはキョトンとした。訓練の為に派遣された新兵である自分にそのような大層なものがつく理由が分からなかった。

「あの、質問が許されるのであれば」

「許可する」

「なぜわたしに護衛を?」

「君に関しては所属部隊隊長、つまりニーズヘクルメギル少佐より〝呉々も頼む〟との通達だ。こちらとしてもの方に睨まれたくはないのでね」

(大隊長の影響力はすごいのですね)

 ビシュラからそれ以上の質問はなく、無論、反抗の素振りもなかった。まるで従順な新兵の模範、ご命令であれば仰せのままにという態度だった。
 髭の将校はビシュラに退室を命じた。ビシュラが退室し、ドアが閉まったあと、ロスワルトへ目配せした。

「ビシュラ准尉は見てのとおりだ。しかも今次のカリキュラムでは唯一の女性ときている。訓練中以外も……その、注意してくれたまえよ。分かっているな?」

「ええ。心得ております」

「はあ~……。何だって三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターから新兵が送られてきたりするのだ。あの部隊はベテラン揃いとばかり思っていたが」

 髭の将校は完全に厄介事を抱えこんだという表情だった。彼は野心家ではなく、内部での軋轢に回避的な性情だった。令名が高い飛竜の大隊の大隊長にして、アスガルト最古の大貴族に名を連ね、稀代の猛将として知られる霜髪の少佐殿に睨まれたくないというのは明け透けな本心だった。軍人たる教育を躾けていない、ややもすると腕に覚えのある素人と大差ない、そのような新兵のなかに恐ろしい後ろ盾のある若い女性兵士を置くなど爆弾にも等しいからだ。




 ビシュラはこの演習場で自室として割り当てられた部屋で荷解きをしていた。
 小さなひとり用のクローゼットと簡素なパイプベッドが6セットあるだけの、質素そのもの、飾り気などまったくない部屋。花や絵画は無くともカーテンやシーツが清潔そうなので特に不満は無かった。6人用の大部屋に相違ないだろうが、室内にはビシュラ以外に誰もいなかった。荷物が運びこまれた様子もない。ベッドに乱れもない。つまり部屋に誰かがいた形跡がない。
 コンコン、とノック音が聞こえ、ビシュラは入り口を振り返った。ドアは開け放っており、先ほど将校より紹介された若い曹長がドアから顔を出していた。

「少しよろしいですか、准尉」

「ロスワルト教官。勿論です」

 ロスワルトは、一番奥のベッドで荷物を整理中だったビシュラに近づいた。ビシュラはロスワルトに対して体の正面を向け、下腹部の上辺りに手と手を重ねて背筋を伸ばして立った。
 ロスワルトはアホ毛から足の爪先までじっとビシュラを観察した。観察されていることはビシュラ自身にも伝わっている。飛竜の大隊に所属してからの期間は短いが、自分のような者が奇異であることは重々身に染みた。警戒するのは至極当然であり、かつ相手は教官という立場にあり、多少不躾な視線に晒されたところで、やめてくださいとは言い出しにくい。ビシュラは次にかけられる言葉を待つことしかできなかった。

「准尉は学院ビルスキルニル卒の優秀な方と伺っております。小官などが指導教官では力不足ですが、護衛の任を兼ねております。どうかご辛抱ください」

「とんでもございませんッ」

 ビシュラは慌てて頭を下げた。専属の指導教官兼護衛をつけられた上にご辛抱くださいとは恐縮してしまう。大隊長直々の通達が余程効いているのだが、一新兵に過ぎない自分には身に余る。しかも、優秀というのは盛りすぎです大隊長。
 ところで、とビシュラは口を開いた。

「この部屋を使用するのはわたしだけでしょうか。他の方は相部屋かと思います。これも特別にご配慮いただいたのでは……」

「男女は元々別棟です。今次カリキュラムでは女性兵士は准尉だけですので必然的にひとり部屋に」

 そうでしたか、とビシュラはホッと息を吐いた。それから自分よりも背が高いロスワルトに向かってにっこりと微笑んだ。

「わたしなどの為にわざわざ人を割いていただいて申し訳ございません。これ以上お手を煩わせることがないよう努めます。どうぞよろしくお願いいたします、ロスワルト教官」

 ロスワルトから見るに、ビシュラは充分に部下として完成されていた。従順、遵守、礼節に於いて、他の新兵よりも格段に弁えていた。姿形こそ他の新兵たちと然程変わらない年頃の娘だが、これがアスガルト最高峰の教育機関であるイーダフェルトの学院を卒業したということかと、令名が高い飛竜の大隊に所属しているということかと、鮮明に印象づけられた。




 それから数日、ビシュラは何の問題も無く初期教育カリキュラムの消化を進めていった。
 何の問題も生じなかったのは、ビシュラだけが別メニューだったからだ。新兵たちが一様に日に日に疲労困憊の顔に変わってゆくなか、ビシュラは彼らほど過酷なメニューを課されなかった。他の男性新兵と比較して明らかに肉体的負荷は半分以下だった。それでもビシュラにとっては今までの人生で最も過酷なトレーニングであったことは言うまでもない。もしも他の新兵と同様のメニューを課されたなら、間違いなく初日で音を上げている。
 その上、すべての訓練に於いてロスワルトが監督として目を光らせていた。おはようからおやすみまで、演習場ではほとんどの時間をロスワルトと過ごしている。専属指導教官という名目の護衛という話だったが、実態は護衛という名目の監視ではないか。

 シュヴューリンゲン演習場・食堂。
 朝食時、兵士たちで賑やかな食堂内の一角、ビシュラとロスワルトはテーブルを挟んで向き合って食事を摂っていた。朝のみならず、毎食こうしてふたりきりで食事をしている。
 ビシュラは自分の前に朝食が載ったトレイを置いていた。メニューは温かいスープとサラダとパン。左手に丸いパンを、右手にパンを小さく引き千切った欠片を持ち、船を漕いでいた。ロスワルトが「准尉、准尉」と何度か声をかけているが届いてはいない。一向に覚醒する様子はなかった。いくらか筋力トレーニングをこなしているとはいえ、酷使することに慣れていない肉体には、昨日の午後の野外訓練が相当堪えたと見える。

「ビシュラ准尉!」

 とうとうビシュラが顔面から朝食に突っこみそうになり、寸前ロスワルトは手を伸ばしてトレイをサッと横へ避けた。ビシュラはベチャッとテーブルに鼻を打ちつけた。
 あいたた、とビシュラは鼻を押さえて顔を上げた。

「お目覚めですか、准尉」

Jaヤー! お、お手数をおかけしましたッ」

 ビシュラはロスワルトが避けてくれたトレイを自分の前に引き寄せた。

「お恥ずかしいところをお目にかけたあとで説得力がありませんが、毎朝迎えにいらっしゃらなくても大丈夫ですよ。訓練後に部屋まで送ってくださるのもお手間でしょう。ここの生活リズムにだいぶ慣れましたし」

 そう、まさにおはようからおやすみまでなのだ。ロスワルトは毎朝決まった時間にビシュラの部屋をノックし、決まった時間に「それではまた明日」と部屋のドアの前で分かれる。
 ビシュラにとって規律正しく生活することは然程難しいことではない。朝起きて支度を済まして定刻に指定の場所に集合する程度のことはひとりで難なくできるつもりだ。他者の手を借りなければいけないような、間違っても教官を煩わせるほどのことではない。
 ハハハ、とロスワルトは笑った。

「ここはイーダフェルトとは違います。新兵であろうとなかろうとここの連中はあまり品がよくないですから。万が一、准尉に間違いがあっては困ります」

「間違い、とは?」

「准尉は年頃の女性ということです。若い兵士たちにとって大変魅力的な」

 はあ……、とビシュラはよく分かっていない生返事をした。
 兵士の割合からして女性は男性と比較して圧倒的に少ない。今次の新兵初期教育カリキュラムに於いては奇しくも紅一点。ましてや、妙齢かつ容姿は清楚で可憐、性情は順良で清純とくれば、男性新兵諸君に見るなというのも、ビシュラ本人に目立つなというのも、土台無理な話だ。
 護衛を命じられたロスワルトとしては、ビシュラ自身が自覚してくれればまだやりやすいのだが、彼女は場違いなほど稀有な存在でありながら、他の者たちの目に自分がどのように映っているかなど想像もできない有様だ。最初こそ庇護が過ぎると思ったものだが、数日間傍にいて、所属部隊の上官の気持ちも理解できるような気がした。

「内心、所属部隊の長から直々に通達が来るなど、どんな貴族のお坊ちゃんがやって来るのかと思っていました。ですが、准尉を見て納得しました。こんな若いお嬢さんなら歴戦の将校でも心配して然りだと」

 ロスワルトは「おっと失礼」と食事の手を停めた。

「准尉に対してお嬢さんは無礼でした」

「そんなに畏まらないでください。わたしはただの新兵です」

「いいえ、小官よりも准尉のほうが階級が上であることは事実です。みだりに階級を無視しては規律が乱れます」

 ビシュラは眉尻を下げて少々弱ったような表情をした。自身は階級にそぐわないが、ロスワルトの心情も理解できる。若い教官は自分よりも何倍も軍人らしい軍人で、確かに新兵の手本たり得る人物だ。

「わたしのような者は肩書き准尉と呼ばれるそうですね」

「ご存知でしたか。……まあ、あまり気にされないことです。階級が何であれ、大戦を経験していない者は若造扱い。上からの目は似たり寄ったりですよ」

 大戦と聞いてビシュラの脳裏には愛妻家の老中将が浮かんだ。ついでに褐色肌の歩兵長も。両者ともに大戦を生き抜いた経験豊富な軍人であることは事実だが、あまりにも為人ひととなりが異なる。ロスワルトは長じれば、老中将のように部下を思い遣り、人徳のある軍人になるのだろうなと勝手に想像した。

「教官とわたしが似たり寄ったりだなんて身に余ります」

「ハハハ、何を仰有います。准尉はこれからバンバン功績をあげて偉くなられるかもしれません」

「わたしが偉く、ですか……。考えたこともありませんでした」

 ビシュラは目を丸くしてしまった。ロスワルトは笑いながら冗談のつもりで言ったのだろうが、本当に一瞬たりとも頭を掠めたことさえもなかったから。
 あまり呆気に取られているのも真に受けているようで恥ずかしい。ビシュラはせかせかと食事を再開した。
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