マインハールⅢ ――屈強男×しっかり者JKの歳の差ファンタジー恋愛物語

熒閂

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Kapitel 06

普通の子 01

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 久峩城ヶ嵜クガジョーガサキ虎子トラコ私邸・特別警備隊専用トレーニング施設。
 数多くいる久峩城ヶ嵜家のガードマンのなかでも、虎子の身辺を護衛する職務を与えられた生え抜きの人員をさらに教育、訓練することを目的とした施設である。
 あらゆる事態に対応可能な人材を育成する訓練は勿論、身命を賭して護るべき主人・虎子への服従、令嬢の護衛として必要な品位ある振る舞いを徹底して教育される。世界の名だたるガードマン派遣会社に劣らない高水準の能力と、固い忠誠心を持った人材を輩出している。

 トレーニング施設内にある広間のひとつ、四方を壁に囲まれ窓はなくクッション材が敷かれた空間。そこにいくつかのリングがある。床の上に一辺10メートルほどの正方形が描かれている。剣道の試合場のようであった。
 リングの中央に霜髪の長躯がひとり、立っていた。両手を提げてリラックスした状態で、自分の正面に居並ぶ集団を見据えていた。
 集団――――十人程度の男たちが拳を握りしっかりと構え、ヘッドギアやボディプロテクターを装備し、まんじりと対峙していた。霜髪長躯の男と比較して明らかに緊張していた。
 男たちのなかでも緊張と警戒の度合いには差があった。霜髪長躯の人ならざる所業を知っている者と未だ知らない者との差だ。

「あんな化け物とスパーなんて冗談がキツイ」

「せめて相手が人間ならな……。虎子お嬢様の命令じゃなきゃこんなこと……」

「襲撃に行った連中が人間じゃないと言っていたがどういう意味だ。確かに体格はいい。よく鍛えているようだ。この人数に対してあの余裕、何か囓っているんだろう。だが、所詮素人だろうが」

 霜髪長躯の襲撃現場を知らない者たちは怪訝そうにする。知る者から、すぐに分かるさ、と余裕のない声が返ってきた。説明している余裕さえないという雰囲気だった。
 行くぞ、と誰かが号令をかけた。男たちは雄叫びを上げて霜髪長躯に襲いかかった。

 数分後、リング上で立っている者は霜髪長躯だけだった。
 男たちは一様に気絶するか戦意喪失して床に平伏していた。

「ティエンゾン様。そこまでに」

 虎子の護衛・国頭クニガミがラインを割ってリング内に入ってきた。天尊ティエンゾンに近づいてタオルを手渡した。
 天尊は床に突っ伏している男たちを一瞥した。

「これはここの精鋭か?」

「お恥ずかしながら」

「トップは誰だ?」

「私です」

 天尊は国頭に目線を移動した。口許に笑みを湛えてはいるが眼光は挑戦的だった。国頭もそれを感じ取ったが、敢えて取り合わなかった。

「お前はスパーしないのか」

「私の使命は虎子お嬢様の護衛です。ご容赦を」

 だからお前のトレーニング程度に付き合っていられない、と天尊は国頭の言葉をそう解釈した。それはそうだろうなと納得した。この手の人種が何よりも優先することは主人に尽くすことだ。虎子の命令が無ければ、仲間の仇討ち程度でリスクを負うことはしまい。

 リングの外では、虎子が観察していた。チェアが2つだけのこぢんまりとしたテーブルセット。腕組みをして集中して天尊を観察し、その様子を目に焼きつけているようだった。
 国頭が天尊の傍から離れて虎子の許へ戻ってきた。腰を屈めて虎子の耳に口を近づけて小声で話しかける。

「見たところ、昨日銃撃を受けた影響はすでにほぼないようです。撃たれた箇所を庇っている素振りもありません。それにうちの徒手の精鋭を相手にして汗ひとつかいていません。やはり人間とは思えません」

「身体能力だけでなく回復力も人間とは比較にならないほど高いというわけですか。昨夜ペラペラとお話していらしたのは痩せ我慢かとも思いましたけれど」

 天尊が此方へ近づいてきた。涼しい顔をしており、虎子の目にも彼が苦痛に耐えているようには見えなかった。そもそも邸宅に護衛たちの訓練施設が併設していると知り、使いたいと言い出したのは天尊のほうだ。

「トレーニングルームを使わせてくれて感謝する」

「こちらもデータを取らせていただいていますから。申し上げずともお分かりかと思いますが」

「好きにすればいい。ギブアンドテイクだ。パチンコに行くより有意義に時間を潰せる」

 虎子護衛部隊の精鋭を集団で相手にして、世俗の球遊と同程度の意義しかないとは随分な言われようだ。聞いているのが虎子と国頭だけでよかった。

「国頭。わたくしの客人としてお兄様にここを可能な限り自由に使わせて差し上げてください」

「俺のことが嫌いだろうにデータ取りの為にそこまでしてくれるとは」

「わたくしは別段、お兄様のことを嫌っていませんわ」

「アキラに係わらなければ俺のことなどどうでもいいか」

 虎子はゆっくりと天尊を見上げた。

「そうだろう?」と天尊はやや首を傾げて見せた。

「物事を適正な価値で判断しようとする。人でも物でも好きやら嫌いやら特に感情が湧かない。反面、関心を持ったものへの反応は顕著。気に入ったものには執着し、気に入らないものは徹底的に排除する。執着心の最たるものがアキラだ」

「わたくしの分析ですか」

「イヤ、直感だ。俺も似たようなものだ」

 虎子は若干気分を害した声音になった。気に入らない相手に無遠慮に分析されるのはよい気分ではない。
 そうですね、と虎子は同意しながら嘆息を零した。

「正直なところ、お兄様が只の人間でなかろうと然程関心はありません。アキラを守って、幸せにしてくださるなら何者でも構いません。お兄様がアキラを傷つけたりなさらなければ、むしろ――……」

 虎子の言葉が途切れ、天尊は虎子を見下ろした。むしろの先に肯定的な言葉を期待した。
 数秒後、虎子は「いいえ」と確言した。

「もしもの話など意味のないことですわ。お兄様がアキラを置いて消えた事実はなくなりはしないのですから」

「ココには一生赦される気がせんな」

 虎子は情や雰囲気に流されて誤魔化されてやらない確固たる意思がある手強い相手だ。顔面の造形は申し分なく美しいのだが、天尊は惚れた欲目を差し引いたとて白のほうが何倍も可愛らしく思える。優しい白ならばいくらか真剣に謝ればやがて絆されてくれるのだが、と甘えた思考が頭を巡った。

「ココはいつからアキラを想っている」

「お兄様よりは長く」

 天尊としてはいくらか意表を突いたつもりだったが、虎子の返答は速かった。そして動揺もなかった。

以祇モチマサにしてもお兄様よりは長くアキラに想いを寄せていましてよ。ですが、こういうものは早い者勝ちというわけでもありません。アキラの言うように傍にいるから好きになるという単純なものでもありません。ですから、わたくしがいつからアキラを大切に想っているかなんてお兄様には関係のないことです。お兄様もわたくし自身にそこまでのご興味はございませんでしょう」

 そうでもない、と天尊はとすぐさま断言した。

「俺を殺そうとまでする執念だ。経緯に興味くらいはある」




  § § §




 ――「虎子はよいわね」――

 久峩城ヶ嵜にはたくさんの親類縁者がおり、そのお姉様方の多くは、事ある毎に口癖のようにそう繰り返した。

 ――「お祖父様が最高のお相手を決めてくださって虎子は幸せだわ。愛嬌を振りまいて、控えめに振る舞って、笑いたくないときにも笑って、男性のご機嫌伺なんてしなくてよいもの」――

 その言葉を、無理に笑わずに済むのはよいことなのだと受け止めればよかったのだけれど、わたくしは簡単に笑顔を振りまく真似はよくないことなのだと思ってしまった。

 久峩城ヶ嵜の実権を握っているのは今も昔もお祖父様。
 此國で久峩城ヶ嵜に対抗できる者は数えるほどしかなく、一族内にもお祖父様に逆らう者はなかった。お祖父様の言うことは何に於いても絶対。その決定は覆すことのできないもの。
 わたくしはそのお祖父様に特に目をかけていただいている。顔を合わせれば何をおいてもお呼びになり、さまざまなところへ連れて行ってくださり、欲しいと言ったものはすぐに手に入れてくださった。お祖父様はわたくしを我が子よりも可愛がってくださる。
 名家の令嬢にとってよりよき伴侶を得ることは最大の命題のひとつ。自身も両親も親戚一同までも、その命題の為に多大なる時間と労力を費やす。関係者が多ければ多いほど問題の大きさも増す。久峩城ヶ嵜もその例に漏れない。
 お祖父様はわたくしがそのような労に時間を無為にしないよう、生まれたときには、考え得る最良のお相手を決めてくださっていた。それがお祖父様の最大限の思い遣りと愛情表現であることはわたくしも理解していた。
 わたくしは何の苦労も苦悩も知ること無く、お祖父様が最良と認める伴侶を得たのだから、お姉様方が「よいわね」と仰有るのも無理はない。




 時季は春、瑠璃瑛ルリエー学園初等部。
 久峩城ヶ嵜クガジョーガサキ虎子トラコ・六歳――――。
 初等部に進学したばかりの初々しい新一年生たち。春麗らかな陽気の下、どの教室も当然に浮き足立っていた。
 虎子のクラスもまた浮かれた雰囲気は充満していたものの、虎子は自席に静かに座していた。すぐ傍に黒いスーツに身を包んだ護衛・国頭を従えて。
 この学園では護衛をつけて登校する生徒は珍しくはない。故に、身体の大きな国頭が多少厳めしい顔面の造形をしていても、それを理由にクラスメイトから敬遠されることはそうない。虎子がクラスメイトに遠巻きにされているのは、自身の出自によるものだ。
 全国から名だたる名家や財閥の子女が集まる瑠璃瑛学園、石を投げればお金持ちに当たる瑠璃瑛学園、そこにあっても久峩城ヶ嵜家は別格だった。

「久峩城ヶ嵜さんと同じクラスになれるなんて!」

「よくそんな軽率に喜べるな。うち程度では久峩城ヶ嵜家とは釣り合わない。それよりも失礼があったらどうしようかと……」

「久峩城ヶ嵜さんに失礼の無いように気をつけなさいって、僕もお母様からのきつく言い付けられたよ」

「失礼があるといけないから話しかけないほうがいいかな」

 男子生徒たちは虎子が気にならないはずがなかった。久峩城ヶ嵜の家名がなくとも、虎子ほどの美少女は注目を集める。純粋に惹かれるし好奇心もある。しかし、なまじ良家の跡取りであるが故、家人の言い付けを無視するわけにもいかなかった。
 虎子は聞こえない振りをして黙って座していた。あの手合いは好き勝手に評価したり噂話をしたりするだけで、実際に接近する度胸はないと幼心に学んでしまった。いちいち気にするより何も聞かなかったことにしたほうが楽だ。彼女は誰にも愛嬌を振りまいたり愛想よくしたりする必要はない。
 隣の席に誰かが座った気配がして、虎子はそちらに目線を移動した。
 くりくりの大きな黒い瞳と目が合った。この人が隣の席か、とそれ以上の感想は特になかった。

「はじめまして。疋堂ヒキドーアキラです」

「はじめまして。久峩城ヶ嵜クガジョーガサキ虎子トラコと申します」

 はじめましてくらいは誰でもする。最低限のマナーだ。
 だから、そこから先があったのは虎子は予想外だった。

「虎子ちゃん、かわいいね」

「ええ、ありがとう」

 予想外だったけれど、虎子は冷静に謝辞を返した。可愛い、美しい、は言われ慣れた賛辞だった。
 隣の席になった初対面の同級生――ショートカットの黒髪――白は、教室の一角を指差した。

「あっちでみんな虎子ちゃんがかわいいって言ってたよ」

 虎子は白が指し示した方向にチラリと目線を遣った。
 明らかに自分を話題にする声が聞こえてきたのもあの辺だ。クラスメイトの男子生徒たち数人が固まっており、彼らは虎子の視界に入り、逃れるようにあらぬ方角へサッと顔を向けた。
 疋堂さん、と虎子は白のほうへ目線を引き戻して声を掛けた。

「どうぞお気を遣わないでください」

「気をつかう?」

「お世辞は要りませんという意味です」

 キョトンとした白に対し、虎子は淡々と答えた。
 白は「おせじ……おせじ……」と何度か反芻したのち、何かに思い当たり、ああ、と声を漏らした。それからアハハと子どもらしく無邪気に破顔した。

「おせじじゃないよ。虎子ちゃんすっごいかわいいもん」

 虎子にとって可愛い、美しい、は言われ慣れた賛辞。虎子と初めて顔を合わせた大人も子どもも大抵そう言う。それが心から出た純粋な賛辞ではなく、挨拶の一部と化しているからだ。人間関係や利害関係を保持する為の悪意のない処世術なのだから、お世辞ではないなどと繕わずとも構わないのに。そのようなことは虎子もとうに理解している。
 それなのに、何故だか、嘘ではないような気がした。偶然隣の席になった隣人は、打算なく己の心持ちを披露してくれたような気がした。大きなくりくりの黒い瞳を逸らすなどせず、真っ直ぐに向けてくるからだろうか。




  § § §




 帰宅した虎子は和室にいた。縁側の障子は開放されており日本庭園は初春の初々しい緑一色。鹿威ししおどしが一定間隔で高らかに鳴った。
 大きなテーブルに座布団がひとつ、そこにちょこんと座っていた。目の前にはメードが用意してくれたお茶と和菓子。鹿威しの音が響く静穏な空間でおやつをいただくのが虎子の日常だ。

(あら、今日のおやつは山桜のきんとん。お気に入りだわ。あとでメードにお礼を言いましょう)

 虎子が黒文字でおやつを切って小さな口に運ぶ。
 おやつを味わっていると、国頭が書類を片手に和室に入ってきた。彼は畳の上に正座をして口を開いた。

「この度、お隣の席になったご学友について調査結果が届きました」

 虎子は黒文字を手許に置き、揃えた両膝を国頭のほうへ向けた。
 護衛にとって令嬢に接近する人物の素性を明確にすることは重要だ。虎子自身はそこまでの興味を抱いてはいないのだが、わざわざ調査したというなら聞いてやらないわけにもいくまい。

「一般家庭の子女です。瑠璃瑛学園には幼稚園から在籍しています。父親が経営コンサルタントをしていますが、政財界との強いコネクションは取り立てて見つけられず――」

 虎子から「国頭」と声を挟まれ、彼は書類から顔を上げて虎子を見た。
 虎子は変わらず人形のように端正な顔で、小首を傾げた。

「一般家庭とは、わたくしと何が違うのかしら?」

 虎子にはそれが何を意味しているかは識っていても、実際にどのようなものであるかは識らなかった。此國で有数の名家の令嬢として生まれ、一族を統べる祖父から掌中の珠の如く愛され、政財界の御曹司や上流階級の人間にばかり囲まれて持て囃され、〝一般〟とは隔絶された世界で育った。

「虎子お嬢様は、久峩城ヶ嵜の令嬢ですから……」

 国頭は上手く説明できなかった。虎子が大人並みの会話をしても理解するほど聡明であることは承知しているのだけれど。
 そう……、とだけ虎子は返した。両膝の方向を元へ戻し、黒文字を手に取り、おやつの時間を再開した。
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