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第1章 日本
プロローグ
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『悪辣』・・・という言葉が、これ程しっくりくる2人もいないだろう。
男は、有名財閥の嫡男。
異例の早さで会長職に就き、経済界に顔を利かせている若手のホープ。
女は、大手弁護士事務所の所長。
自身は、歴代総理大臣を何人も輩出した、政治家一族の生まれだ。
並んで歩けば老若男女の誰もが振り返り、頬を染め、感嘆の息をこぼす程に見目麗しい2人は、政略結婚の末に結ばれた年若い夫婦であった。
しかし、結婚して半年という2人の間に、もはや新婚の甘やかさは皆無だ。
目的の為なら手段を選ばない冷酷さと、何者にも興味、関心、同情心を持たない冷淡さといった共通点を合わせ持つ似た者夫婦は、互いの利害関係のみで結ばれた、とても合理的な夫婦であった。
たった今も、ランチを済ませたレストランから、少し離れた駐車場へ向かう道程、目の前でつまずき転びうずくまる老人を、少しの動揺もなく華麗にスルーした2人である。
今日は、親戚の寄り合いの食事会であった。
彼らの親族は定期的にこうして集まっては、互いに情報交換をしていた。
情報交換などと言っても、2人にとっての有意義な話などごくごくわずかで、くせもの揃いの年配者を中心とした長い時間、そのほとんどは無駄話で終わる。
それでも都合を付けてまで参加するのは、まだまだ侮れない先達者の謀略的に光る目を牽制するためでもあった。
不躾なジジイが新婚夫婦に、早く子供を作れと急かしてくる。
そこは当たり障りなくはぐらかす夫婦であるが、正直2人は子供なんてどうでも良いと思っていた。
むしろ、面倒臭い懸念が増えるだけだと。
後継者なんてものは、いくらでも融通が利く。
実力のある奴が、昇りつめればいい。
血筋に執着する人々を利用しながらも、2人は今までそうして来た。
あらゆる手を尽くし・・・。
そんなことを、なんとなしに考えていたからだろうか。
女は人通りの少ない住宅街の道端で、側から聞こえる子供達の声に誘われるように目を向けた。
元々子供嫌いな彼女である。
普段であれば歯牙にも掛けないことであったはずが、何か抗いがたい引力の様な物が彼女を無意識に引き付けている様だった。
そして、それは一瞬のことであった。
理解や戸惑いなんてものをすっ飛ばし、あまりにすんなりと彼女の心は囚われていた。
まるで意思を無くした傀儡の様に、女の口からは知らず言葉が溢れでた。
「・・・天使がいる・・」
振り返った男は、立ち止まる女を不審に思う。
気でも狂ったか?
そう思うほど、彼女のつぶやきは違和感を抱くものだった。
『天使がいる』
男は、妻のことをそれほど知っているわけではないが、それでもその言葉が彼女らしくない、なんとも夢見がちな妄言だと思った。
確かにすぐ側には、原寸大ほどの幼児の姿をした、羽を広げて座る天使像がシンボリックに建っていた。
銅像の周りには、小さな白い雫のような花が咲き、何処か幻想的な世界を演出している。
開かれた門の柱には、『あいのて児童園』と書かれた表札。
どうやら、ここは孤児院のようだ。
しかし、女はその銅像には見向きもせず、なんとも恍惚とした表情で一点を見つめていた。
女の視線の先では、子供達が孤児院の庭で無邪気に遊んでいる。
男が注意深くその行方を辿ると、1人の幼い男の子に行き着いた。
その瞬間、男は息を呑んだ。
周りの幼児と楽しげに遊んで、輝かんばかりの笑顔を見せる1人の男の子。
男の五感は研ぎ済まされ、たった1人の幼児を除くあらゆる雑音、色彩を排除した異空間を体験していた。
それは、至福と言って良いような時間であった。
幼児に釘付けとなった男が、無意識に呟いた言葉がある。
「天使がいる・・・」
『運命』という言葉すら認識していない男女が、後に運命だったと言わしめたのは、その瞬間であった・・・。
男は、有名財閥の嫡男。
異例の早さで会長職に就き、経済界に顔を利かせている若手のホープ。
女は、大手弁護士事務所の所長。
自身は、歴代総理大臣を何人も輩出した、政治家一族の生まれだ。
並んで歩けば老若男女の誰もが振り返り、頬を染め、感嘆の息をこぼす程に見目麗しい2人は、政略結婚の末に結ばれた年若い夫婦であった。
しかし、結婚して半年という2人の間に、もはや新婚の甘やかさは皆無だ。
目的の為なら手段を選ばない冷酷さと、何者にも興味、関心、同情心を持たない冷淡さといった共通点を合わせ持つ似た者夫婦は、互いの利害関係のみで結ばれた、とても合理的な夫婦であった。
たった今も、ランチを済ませたレストランから、少し離れた駐車場へ向かう道程、目の前でつまずき転びうずくまる老人を、少しの動揺もなく華麗にスルーした2人である。
今日は、親戚の寄り合いの食事会であった。
彼らの親族は定期的にこうして集まっては、互いに情報交換をしていた。
情報交換などと言っても、2人にとっての有意義な話などごくごくわずかで、くせもの揃いの年配者を中心とした長い時間、そのほとんどは無駄話で終わる。
それでも都合を付けてまで参加するのは、まだまだ侮れない先達者の謀略的に光る目を牽制するためでもあった。
不躾なジジイが新婚夫婦に、早く子供を作れと急かしてくる。
そこは当たり障りなくはぐらかす夫婦であるが、正直2人は子供なんてどうでも良いと思っていた。
むしろ、面倒臭い懸念が増えるだけだと。
後継者なんてものは、いくらでも融通が利く。
実力のある奴が、昇りつめればいい。
血筋に執着する人々を利用しながらも、2人は今までそうして来た。
あらゆる手を尽くし・・・。
そんなことを、なんとなしに考えていたからだろうか。
女は人通りの少ない住宅街の道端で、側から聞こえる子供達の声に誘われるように目を向けた。
元々子供嫌いな彼女である。
普段であれば歯牙にも掛けないことであったはずが、何か抗いがたい引力の様な物が彼女を無意識に引き付けている様だった。
そして、それは一瞬のことであった。
理解や戸惑いなんてものをすっ飛ばし、あまりにすんなりと彼女の心は囚われていた。
まるで意思を無くした傀儡の様に、女の口からは知らず言葉が溢れでた。
「・・・天使がいる・・」
振り返った男は、立ち止まる女を不審に思う。
気でも狂ったか?
そう思うほど、彼女のつぶやきは違和感を抱くものだった。
『天使がいる』
男は、妻のことをそれほど知っているわけではないが、それでもその言葉が彼女らしくない、なんとも夢見がちな妄言だと思った。
確かにすぐ側には、原寸大ほどの幼児の姿をした、羽を広げて座る天使像がシンボリックに建っていた。
銅像の周りには、小さな白い雫のような花が咲き、何処か幻想的な世界を演出している。
開かれた門の柱には、『あいのて児童園』と書かれた表札。
どうやら、ここは孤児院のようだ。
しかし、女はその銅像には見向きもせず、なんとも恍惚とした表情で一点を見つめていた。
女の視線の先では、子供達が孤児院の庭で無邪気に遊んでいる。
男が注意深くその行方を辿ると、1人の幼い男の子に行き着いた。
その瞬間、男は息を呑んだ。
周りの幼児と楽しげに遊んで、輝かんばかりの笑顔を見せる1人の男の子。
男の五感は研ぎ済まされ、たった1人の幼児を除くあらゆる雑音、色彩を排除した異空間を体験していた。
それは、至福と言って良いような時間であった。
幼児に釘付けとなった男が、無意識に呟いた言葉がある。
「天使がいる・・・」
『運命』という言葉すら認識していない男女が、後に運命だったと言わしめたのは、その瞬間であった・・・。
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