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本編
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居丈高に言い切ったエドモンドは、満足げな笑みを作った。
反対にアネモネはそれどころではない。
「……冥府の花嫁、ですか……?」
「おい、発言は許可されていないぞ!」
アネモネにひざまづかせる姿勢を取らせ押さえつけている護衛が言った。
エドモンドはそれを制すると、再びアネモネに向かって口を開いた。
「その通りだ、アネモネ。王妃教育を受けていたお前なら、当然知っているな? 遙か昔にこの王国が冥府の主と交わした盟約のことを。大罪人には過ぎた立場だが、王家からの慈悲だ。光栄に思うといい」
何が慈悲なものかと、アネモネは内心笑うしかなかった。冥府なんてものは実在しないと、子どもだって知っているのに。国内から厄介払いをし、見えないところで死んでいくことを望まれているのだとすぐに気づく。絶望を通り越し、虚無がアネモネを襲った。
これ以上口を開く気にもなれずに俯き黙っていると、ベラが憐れむような顔をして声を上げた。
「元気を出してくださいお姉さま。あたくしお姉さまのためにウエディングドレスを準備しましたのよ。ほら、ご覧になって! 綺麗でしょう?」
ベラが合図をすると、部屋のドアが開き、侍女が二人入ってきた。その手には美しいドレスと装飾品がある。
確かに綺麗だ。ふんだんに布を重ねてふわりとエレガントに広がったスカート。首と腕までしっかり詰まりつつも程よく透けていることで全く着膨れしていないスマートな胴。そこにペタル王国独自の植物を象ったデザインを用いた繊細なレースや刺繍がこれでもかと敷き詰められている。蔦を絡めたようなデザインのハイヒールはよく磨かれて光っていて、豪奢な宝石の代わりに生花を編み込んで作られた花冠のティアラまである。ヴェールにも忘れることなく植物の文様が織り込まれていて、なるほど、これを纏う人間はさぞや美しく見えるだろうと思えた。
ただ、ウェディングドレスとするにはこのドレスは些か趣味が悪い。なぜなら、細部に至るまで余すことなく真っ黒だからだ。白い部分など一糸たりとも存在しない。花冠ですら黒い薔薇を中心に黒っぽい植物を組み合わせて作られている。
アネモネが唖然としていると、ベラが近づいてきて未だひざまづかせられている姉の前にしゃがみ込んだ。顔を覗き込み、花のように微笑む。
「お姉さまにお似合いになるだろうと、あたくしひとつずつ選んだんです! さあ、着て見せてくださいまし」
ひとつずつ選んだ? これら一式を? その言葉でアネモネが密かに抱えていた疑念が確信に変わる。これらの婚姻衣装はとてもではないが昨日一晩で用意できるものではない。真っ白なものならともかく、こんな不吉なウェディングドレスがすぐに準備できる訳がない。
やはり、この婚約破棄は仕組まれている!
……いつから? いつからだ? この妹は……、いや違う。ここにいる全ての者たちは、いつから自分と妹をすげ替えるつもりだった?一体いつから、自分を亡き者にする計画を練っていたのだろう?
悲しみ、怒り、憎しみ、悔しさ、諦念……。いくつもの感情がアネモネを瞬時に渦巻いた。しかし結局この気高い公爵令嬢は、そのどれをも口にも顔にも出さなかった。
黙っているアネモネを良いことに、あれよあれよと言ううちにドレスを持ってきた侍女たちに引きずるように部屋を出され着替えさせられ、メイクやヘアアレンジを施された。手付きは乱暴で、およそ公爵家の使用人とは思えない意地の悪さだったが、王家の人間がいる前に貧相な出来上がりの格好をお出しする訳にもいかないのだろう。その仕上がりは完璧だった。
不吉な衣装の全てを身に付けたアネモネが部屋に戻ってくると、エドモンドたちも同じく正装に着替えていた。
出かける準備は万全のようだ。
何が着て見せて、だ。と自嘲を口の中だけでかすかに吐息と混ぜる。
まさにこの瞬間、アネモネは命を失いかけているというのに、誰一人として悲しむ者はそこにはいなかった。瞳の奥には、ぎらついたアネモネへの殺意が見え隠れしている。
エドモンドがひとつ頷くと、グリンフィンガー公爵がアネモネの前へと進み出た。乱暴に腕を掴み、睨んだ顔のまま部屋の外へと引きずり出す。連れられるままよたよたと玄関を踏み越えると、そこには王家と公爵家の馬車が二台仲良く止まっていた。王家の馬車の扉が御者によって恭しく開かれると、公爵はそのままアネモネを車内に放り込み、自身もその隣へと乗り込んだ。間を置かず、エドモンドもその向かいへと座った。
「このまま冥府と我が王国の境の谷へと向かう。貴様が途中で逃げ出すことのないように監視させてもらうぞ。ああそれと……」
エドモンドは馬車の外にいる護衛に合図を送った。護衛はすぐさま王子の意図を察し腰から何かを取り外して渡した。エドモンドの手に握られたそれは、どうやら細い縄のようだった。
「両手を拘束する。危険物など持てないように着替えさせたが、やぶれかぶれで襲いかかってこないとも言いきれないからな」
グリンフィンガー公爵がアネモネの腕を掴み、その華奢な手首をエドモンドの前に突き出させた。エドモンドは広げた縄をアネモネの手首に数周巻き付けるときつく縛り上げる。
麻だろうか、毛羽立った繊維が肌に擦れて痛い。
「これで良し。馬車を出せ!」
エドモンドが一声命じると馬車は走り出した。後ろからは公爵家の馬車に乗った夫人とベラが着いてきているのだろう。だろう、というのは馬車の窓には厚い目隠しがかけられて、外の様子を伺うことが出来ないからだ。
視線の置き場がなく、ただひたすらにじっと俯き沈黙をやり過ごす。時折下がったアネモネの頭越しに公爵と王子がアネモネのダメさ加減やベラの素晴らしさについて語り合い、その度に殺意の籠った視線を投げてきたが、今更そんなことで動じるような繊細な神経は生憎と持ち合わせていない。もう全てがどうでもいい気持ちになって馬車の揺れだけを感じていた。
どのくらい走っただろうか、馬車が止まった。
馬車の扉が開けられるのとほとんど同時に、エドモンドに腕を掴まれ引きずり出された。
拓けたその場所は緑豊かな王国には珍しく、切り立った岩や崖が大半を占めている。荒涼とした大地にはカラカラに乾いた草木が点在していて、冷たい雰囲気を醸し出す。
アネモネの乗っていた馬車に続いて、ベラたちが姿を現した。嫌な笑い方をして、ベラがアネモネに近づいてくる。エドモンドがアネモネの手首を更に強く握った。愛するベラに危害を加えるとでも思ったのだろう。肝心のベラはエドモンドに嬉しそうに微笑んでから、アネモネに勝ち誇って口を開いた。
「さて、あたくしはここでお別れですわ。もうお姉さまのお顔を見ずに済むと思うと胸がすっといたします。それではお姉さま、『冥府の花嫁』のお役目、どうかしっかり頑張ってくださいませね。エドモンド王子とこの国は、お姉さまに代わってあたくしが支えていきますのでご心配なく。あっははは! ごきげんよう!」
可愛らしくドレスの裾を摘みにっこり笑うとベラは一歩下がった。その前にグリンフィンガー公爵と夫人……すなわちアネモネの両親が立ち、アネモネに向き直る。公爵は冷ややかな顔で睨みつけ、夫人は哀れむような疲れたような表情で、ため息をついた。
「……もはや言うべきことはない。これ以上父を失望させるな、アネモネ。王家が与えてくださったお前の価値を全うしてみせろ」
「一体どうしてこうなってしまったのかしらね。……貴女に期待するのはもうやめています。『冥府の花嫁』のお務めを果たしなさい。それだけが、貴女がこの母の憂いをすすぐたった一つの方法です。それではね、アネモネ」
グリンフィンガー公爵家の面々の別れの挨拶、いや最悪の送別の言葉が終わる。アネモネは何かを言い返そうと思って、そしてやめた。ただ両親に向かって黙って頭を下げた。アネモネが頭を上げると、すぐさまエドモンドは緩やかな坂のようになった斜面をアネモネを引きずるようにして降りていく。ベラが笑って手を振るのが目の端に映ったが、高いヒールがゴツゴツした地面で安定する訳もなく、アネモネは転ばないように必死にもつれそうになる足を動かすことに集中せざるを得なかった。
そのまま数百歩ほど進むと景色は斜面の上とは様変わりした。降りてきた崖下には鬱蒼とした木々が生い茂り、人の姿を覆い隠してしまう。ふと来た方向を振り向くと道は森の中に消えていた。方向感覚を麻痺させるようなその景色を見て、さっき通った坂道は比較的安全な斜面であったと気付いた。それでもなおエドモンドの足は止まらない。ずんずんと進み行く。どうやら目的地があるようだ。
「……着いた。ここだ」
エドモンドが声を上げたことでアネモネははっと正気に返った。ふわふわしたドレスとヒールを木々に引っ掛けないことに全神経を払っていたからだ。この森の中でそうなってしまっては、遭難の危険性がある。
エドモンドが指し示したところは、森の中でも一際異彩を放っていた。洞窟だろうか、森の中にぽっかりと大きな横穴が開いている。大人が立ったまま余裕で進める大きさの穴だ。暗くひんやりした土壁の入口を数歩歩くと、少し先には削り取られたようにすべらかな大岩がそびえている。暗くて見えにくいが、岩は縦に切れ目が入っていることが分かる。その上からツタ植物が岩の表面に這い沿わされ、洞窟の先へ進むことを防いでいる。岩の向こう側に光は見えず、どうやら洞窟の入口をこの岩が完全に塞いでいるようだ。
エドモンドが大岩の端に寄りふとしゃがむ。その側には土を抉り固めたような窪みがある。エドモンドはどこからか手紙のようなものを取り出すと、その窪みに置いた。と、突然その手紙が白く発光し掻き消えた。それを確認すると、エドモンドは立ち上がる。そして大岩に手を添え、口の中で何事か呟いた。途端、地鳴りのような音が辺りを包んだ。大岩の切れ目が広がっていく。切れ目から横開きに岩が動く。ほんの数十秒でまるで元から岩など無かったかのように洞窟がその口を開けた。
「さあ、お別れだ。アネモネ」
エドモンドが強く握っていたアネモネの手首を離す。両手首を前に縛られたままのアネモネを、そのまま洞窟の奥へと突き飛ばした。耐えられず膝をつく。すると再び地鳴りが始まった。岩より奥にいるアネモネと洞窟の入り口に立つエドモンドを隔てるかのように、再び岩が動き始める。驚いてアネモネがエドモンドを見上げると、侮蔑を顔いっぱいに浮かべて見下ろしているのが目に入った。
「エドモンド様……!?」
「そこから奥が冥府と呼ばれる場所だ、アネモネ。貴様の終の住処には相応しいだろう? さようなら、元婚約者殿。恨むなら無能な自分を恨め」
ずしー……ん。大きな音を立てて岩は元通り閉まった。瞬間完全な暗闇と静寂が辺りを支配する。アネモネはそのただ中に独り、取り残されてしまった。
反対にアネモネはそれどころではない。
「……冥府の花嫁、ですか……?」
「おい、発言は許可されていないぞ!」
アネモネにひざまづかせる姿勢を取らせ押さえつけている護衛が言った。
エドモンドはそれを制すると、再びアネモネに向かって口を開いた。
「その通りだ、アネモネ。王妃教育を受けていたお前なら、当然知っているな? 遙か昔にこの王国が冥府の主と交わした盟約のことを。大罪人には過ぎた立場だが、王家からの慈悲だ。光栄に思うといい」
何が慈悲なものかと、アネモネは内心笑うしかなかった。冥府なんてものは実在しないと、子どもだって知っているのに。国内から厄介払いをし、見えないところで死んでいくことを望まれているのだとすぐに気づく。絶望を通り越し、虚無がアネモネを襲った。
これ以上口を開く気にもなれずに俯き黙っていると、ベラが憐れむような顔をして声を上げた。
「元気を出してくださいお姉さま。あたくしお姉さまのためにウエディングドレスを準備しましたのよ。ほら、ご覧になって! 綺麗でしょう?」
ベラが合図をすると、部屋のドアが開き、侍女が二人入ってきた。その手には美しいドレスと装飾品がある。
確かに綺麗だ。ふんだんに布を重ねてふわりとエレガントに広がったスカート。首と腕までしっかり詰まりつつも程よく透けていることで全く着膨れしていないスマートな胴。そこにペタル王国独自の植物を象ったデザインを用いた繊細なレースや刺繍がこれでもかと敷き詰められている。蔦を絡めたようなデザインのハイヒールはよく磨かれて光っていて、豪奢な宝石の代わりに生花を編み込んで作られた花冠のティアラまである。ヴェールにも忘れることなく植物の文様が織り込まれていて、なるほど、これを纏う人間はさぞや美しく見えるだろうと思えた。
ただ、ウェディングドレスとするにはこのドレスは些か趣味が悪い。なぜなら、細部に至るまで余すことなく真っ黒だからだ。白い部分など一糸たりとも存在しない。花冠ですら黒い薔薇を中心に黒っぽい植物を組み合わせて作られている。
アネモネが唖然としていると、ベラが近づいてきて未だひざまづかせられている姉の前にしゃがみ込んだ。顔を覗き込み、花のように微笑む。
「お姉さまにお似合いになるだろうと、あたくしひとつずつ選んだんです! さあ、着て見せてくださいまし」
ひとつずつ選んだ? これら一式を? その言葉でアネモネが密かに抱えていた疑念が確信に変わる。これらの婚姻衣装はとてもではないが昨日一晩で用意できるものではない。真っ白なものならともかく、こんな不吉なウェディングドレスがすぐに準備できる訳がない。
やはり、この婚約破棄は仕組まれている!
……いつから? いつからだ? この妹は……、いや違う。ここにいる全ての者たちは、いつから自分と妹をすげ替えるつもりだった?一体いつから、自分を亡き者にする計画を練っていたのだろう?
悲しみ、怒り、憎しみ、悔しさ、諦念……。いくつもの感情がアネモネを瞬時に渦巻いた。しかし結局この気高い公爵令嬢は、そのどれをも口にも顔にも出さなかった。
黙っているアネモネを良いことに、あれよあれよと言ううちにドレスを持ってきた侍女たちに引きずるように部屋を出され着替えさせられ、メイクやヘアアレンジを施された。手付きは乱暴で、およそ公爵家の使用人とは思えない意地の悪さだったが、王家の人間がいる前に貧相な出来上がりの格好をお出しする訳にもいかないのだろう。その仕上がりは完璧だった。
不吉な衣装の全てを身に付けたアネモネが部屋に戻ってくると、エドモンドたちも同じく正装に着替えていた。
出かける準備は万全のようだ。
何が着て見せて、だ。と自嘲を口の中だけでかすかに吐息と混ぜる。
まさにこの瞬間、アネモネは命を失いかけているというのに、誰一人として悲しむ者はそこにはいなかった。瞳の奥には、ぎらついたアネモネへの殺意が見え隠れしている。
エドモンドがひとつ頷くと、グリンフィンガー公爵がアネモネの前へと進み出た。乱暴に腕を掴み、睨んだ顔のまま部屋の外へと引きずり出す。連れられるままよたよたと玄関を踏み越えると、そこには王家と公爵家の馬車が二台仲良く止まっていた。王家の馬車の扉が御者によって恭しく開かれると、公爵はそのままアネモネを車内に放り込み、自身もその隣へと乗り込んだ。間を置かず、エドモンドもその向かいへと座った。
「このまま冥府と我が王国の境の谷へと向かう。貴様が途中で逃げ出すことのないように監視させてもらうぞ。ああそれと……」
エドモンドは馬車の外にいる護衛に合図を送った。護衛はすぐさま王子の意図を察し腰から何かを取り外して渡した。エドモンドの手に握られたそれは、どうやら細い縄のようだった。
「両手を拘束する。危険物など持てないように着替えさせたが、やぶれかぶれで襲いかかってこないとも言いきれないからな」
グリンフィンガー公爵がアネモネの腕を掴み、その華奢な手首をエドモンドの前に突き出させた。エドモンドは広げた縄をアネモネの手首に数周巻き付けるときつく縛り上げる。
麻だろうか、毛羽立った繊維が肌に擦れて痛い。
「これで良し。馬車を出せ!」
エドモンドが一声命じると馬車は走り出した。後ろからは公爵家の馬車に乗った夫人とベラが着いてきているのだろう。だろう、というのは馬車の窓には厚い目隠しがかけられて、外の様子を伺うことが出来ないからだ。
視線の置き場がなく、ただひたすらにじっと俯き沈黙をやり過ごす。時折下がったアネモネの頭越しに公爵と王子がアネモネのダメさ加減やベラの素晴らしさについて語り合い、その度に殺意の籠った視線を投げてきたが、今更そんなことで動じるような繊細な神経は生憎と持ち合わせていない。もう全てがどうでもいい気持ちになって馬車の揺れだけを感じていた。
どのくらい走っただろうか、馬車が止まった。
馬車の扉が開けられるのとほとんど同時に、エドモンドに腕を掴まれ引きずり出された。
拓けたその場所は緑豊かな王国には珍しく、切り立った岩や崖が大半を占めている。荒涼とした大地にはカラカラに乾いた草木が点在していて、冷たい雰囲気を醸し出す。
アネモネの乗っていた馬車に続いて、ベラたちが姿を現した。嫌な笑い方をして、ベラがアネモネに近づいてくる。エドモンドがアネモネの手首を更に強く握った。愛するベラに危害を加えるとでも思ったのだろう。肝心のベラはエドモンドに嬉しそうに微笑んでから、アネモネに勝ち誇って口を開いた。
「さて、あたくしはここでお別れですわ。もうお姉さまのお顔を見ずに済むと思うと胸がすっといたします。それではお姉さま、『冥府の花嫁』のお役目、どうかしっかり頑張ってくださいませね。エドモンド王子とこの国は、お姉さまに代わってあたくしが支えていきますのでご心配なく。あっははは! ごきげんよう!」
可愛らしくドレスの裾を摘みにっこり笑うとベラは一歩下がった。その前にグリンフィンガー公爵と夫人……すなわちアネモネの両親が立ち、アネモネに向き直る。公爵は冷ややかな顔で睨みつけ、夫人は哀れむような疲れたような表情で、ため息をついた。
「……もはや言うべきことはない。これ以上父を失望させるな、アネモネ。王家が与えてくださったお前の価値を全うしてみせろ」
「一体どうしてこうなってしまったのかしらね。……貴女に期待するのはもうやめています。『冥府の花嫁』のお務めを果たしなさい。それだけが、貴女がこの母の憂いをすすぐたった一つの方法です。それではね、アネモネ」
グリンフィンガー公爵家の面々の別れの挨拶、いや最悪の送別の言葉が終わる。アネモネは何かを言い返そうと思って、そしてやめた。ただ両親に向かって黙って頭を下げた。アネモネが頭を上げると、すぐさまエドモンドは緩やかな坂のようになった斜面をアネモネを引きずるようにして降りていく。ベラが笑って手を振るのが目の端に映ったが、高いヒールがゴツゴツした地面で安定する訳もなく、アネモネは転ばないように必死にもつれそうになる足を動かすことに集中せざるを得なかった。
そのまま数百歩ほど進むと景色は斜面の上とは様変わりした。降りてきた崖下には鬱蒼とした木々が生い茂り、人の姿を覆い隠してしまう。ふと来た方向を振り向くと道は森の中に消えていた。方向感覚を麻痺させるようなその景色を見て、さっき通った坂道は比較的安全な斜面であったと気付いた。それでもなおエドモンドの足は止まらない。ずんずんと進み行く。どうやら目的地があるようだ。
「……着いた。ここだ」
エドモンドが声を上げたことでアネモネははっと正気に返った。ふわふわしたドレスとヒールを木々に引っ掛けないことに全神経を払っていたからだ。この森の中でそうなってしまっては、遭難の危険性がある。
エドモンドが指し示したところは、森の中でも一際異彩を放っていた。洞窟だろうか、森の中にぽっかりと大きな横穴が開いている。大人が立ったまま余裕で進める大きさの穴だ。暗くひんやりした土壁の入口を数歩歩くと、少し先には削り取られたようにすべらかな大岩がそびえている。暗くて見えにくいが、岩は縦に切れ目が入っていることが分かる。その上からツタ植物が岩の表面に這い沿わされ、洞窟の先へ進むことを防いでいる。岩の向こう側に光は見えず、どうやら洞窟の入口をこの岩が完全に塞いでいるようだ。
エドモンドが大岩の端に寄りふとしゃがむ。その側には土を抉り固めたような窪みがある。エドモンドはどこからか手紙のようなものを取り出すと、その窪みに置いた。と、突然その手紙が白く発光し掻き消えた。それを確認すると、エドモンドは立ち上がる。そして大岩に手を添え、口の中で何事か呟いた。途端、地鳴りのような音が辺りを包んだ。大岩の切れ目が広がっていく。切れ目から横開きに岩が動く。ほんの数十秒でまるで元から岩など無かったかのように洞窟がその口を開けた。
「さあ、お別れだ。アネモネ」
エドモンドが強く握っていたアネモネの手首を離す。両手首を前に縛られたままのアネモネを、そのまま洞窟の奥へと突き飛ばした。耐えられず膝をつく。すると再び地鳴りが始まった。岩より奥にいるアネモネと洞窟の入り口に立つエドモンドを隔てるかのように、再び岩が動き始める。驚いてアネモネがエドモンドを見上げると、侮蔑を顔いっぱいに浮かべて見下ろしているのが目に入った。
「エドモンド様……!?」
「そこから奥が冥府と呼ばれる場所だ、アネモネ。貴様の終の住処には相応しいだろう? さようなら、元婚約者殿。恨むなら無能な自分を恨め」
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