月は羊に日は花に -守銭奴なあたしと不眠の皇子様-

紺原つむぎ

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第一章 行運流水、金花楼の夜

牡丹姐さん 3

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(優しい羊さんだと思ってたけど。初対面の人間に容赦なく薬を盛れちゃう人だったのね)

 人間、誰しも裏と表を使い分けている。
 皇子様であってもそうらしい。もっと話ができたら、あのふわふわの彼の違った一面が暴けたかもしれないのに。もったいないことをした。

 ──また会えたら良いな。
 そう思う一方で、きっと彼は二度と現れないだろうなと、そんな確信もあった。

「実はね。昨晩、私の大事な指輪が無くなったの」

 なるほどこれが本題らしい。
 つまり牡丹姐さんも金梅も、さっさと消えた公羊たちを疑っていると。

(ふぅん……その三人ならたしかに公羊様が頭だろうけど)

 あたしは慎重に言葉を選んだ。
 だって、共犯だと思われたら?
 答えによっては今日限りで、ついにここを追い出されるかもしれない。

「……公羊様は、宴会の終わりから蘭の間まではずっと私と居た。床入りしたのは丑の刻を回ってたと思うけど……そこからの記憶はないの。だってぐっすり寝てしまったんだもの。出て行った時間はわからない。盗むとしたら、そのときじゃない?」
「いいえ、たぶん実行犯は彼じゃないわ。護衛か、もしくは白陽様……それとも、たぶらかされた花の誰かかもね」
「姐さん、私を疑ってるの?」
「そうじゃないわ、そうじゃないのよ」

 牡丹は客にするように、あたしの膝に手を乗せて枝垂れかかってきた。なめらかな頬、けぶるような長い睫毛が、吐息のかかる距離にある。

「あなた、鈴蘭と仲が良いわよね。私、あの娘に嫌われているから。代わりに、ちょっとお話ししてきてくれない?」
「……鈴蘭がやったっていうの?」
「あの子、白陽様のお気に入りでしょう?」
「鈴蘭は盗みなんてしない」
「そう、そうねえ。でも、盗みと知らずに手伝わされてるかもしれないわね。そうでしょう?」
「姐さん……」
「あなたになら話すと思うの。ね、お願い」

 この人はこんなにもあどけない笑顔で、あたしに同僚を疑えと言う。ぞくりとした。
 反抗せず、けど簡単には従わない。そんな目で彼女を見返す。

「そこまで大事なものなの? 妹分の鈴蘭を疑うほどの?」
「そりゃそうさ。あれがなきゃ、牡丹を後宮に推せんだろう」
「え? 後宮? 姐さん、皇帝陛下のお妃になるの?」

 あたしはいよいよ好奇心を抑えられなくなって身を乗り出した。

「その指輪って、まさか陛下から賜ったものってこと!?」

 牡丹はほんのり頬を染め、けれど口元は誇らしげに笑みを浮かべてうなずいた。

(皇帝って、そんな人、うちで遊んでたっけ!? いや私が知らないだけか! 下っ端だもんね! さ、さすが牡丹姐さん……客の地位レベルが違いすぎる……!)

 金花楼の妓女とはいえ、将来を考えれば後宮にあがるというのは悪くない選択肢だ。とくに牡丹ほどの教養と美貌があれば下働きの宮女ではなく、妃嬪の地位を得られる可能性もあるわけだし。

 花盛りのすぎた妓女の先はあまりに暗い。年季が明けたとき、商才のある者は自分の店を持つかもしれないが、多くの女たちはそこまでの気概を持てない。良くて誰かの愛人、悪くてそこらで野垂れ死に。それよりも前に、若くして枯れる花の方が多いのだ。

 ──あたしは、どうだろう。
 きっと長くないだろうなとは思う。いい年ではあるけれど、蓄えもなく、二胡以外に誇れるものもない……。

(だからって、みすみす死にはしないけどね)

 あたしは生きなくてはいけない。お腹を空かせた家族が、幼い妹たちが、故郷にいるから。
 なによりお金が必要だ。あたしにとっても、離れた家族にとっても。

 ──たとえば牡丹姐さんみたいに、あたしが皇帝陛下の側室になれたなら。
 家族を都に呼び寄せることも、立派な屋敷に住まわせてあげることも可能になるのだろうか……。

(それ、いいな)

 急に、目の前がひらけた気持ちになる。
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