ジャクタ様と四十九人の生贄

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<5・放送。>

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――陸がヤバイかもしれないって……どういうこと?

 陸。
 恐らくは、クラスメートの南野陸のことだろう。三年生の、元気いっぱいの野球少年。クラスメートの中でも特に亜林を慕っているメンバーの一人だ。きっとメールでも来たのだろう。何か困っている時に、彼が弟を頼るのはよくある話ではあるのだが。

――でも、だからって……こんな朝早い時間に?

 胸の奥がざわついた。じんわりとした嫌な予感はあったが、しかしその正体を掴むには情報が足らな過ぎる。何より、起きたばっかりでまったく頭が回っていない状態。とりあえずこのままぼんやりしていても仕方ない、と花林は洗面所に立った。ひとまず、顔を洗って髪でもとかせば少しは頭もしゃっきりするだろう。

――陸君、そんな非常識な性格じゃないと思うんだけどな。それに、陸君の家、うちから四十分は離れてるんだけど。

 彼の家は学校を通り過ぎてさらに向こうの住宅街にある。ちょっと困った事が起きたから来て!と呼びつけるには少々距離がありすぎるのだが。
 それに、今日も平日で普通に学校はあるのだ。学校で集合してから、頼みごとをするなり相談するなりしてもいいはずなのに、何でそうしないのだろう。自分達の両親が旅行でしばらく留守にしていることは、陸だってよく知っているはずである。そんな時間に呼びつけたら迷惑になる、ということがわからないような少年ではないと思うのだが。

――ていうか、亜林も亜林だよ。こんなメモだけじゃ、何がやばいのかちっともわかりゃしない。ていうか、そんなに困りごとがあるならさっさと私のことも起こせばいいのに……っていうか、家から出るなってどういうこっちゃねん。

 顔を洗い、寝ぼけ眼で髪の毛を溶かす。そして歯を磨きながらぼんやりと鏡を見たところで――花林は気づいた。
 鏡の中には、右手で歯ブラシを持って立つ、ボブカットの冴えない女子高校生が佇んでいる。その右手の甲に、妙なものが映り込んでいるのだ。

「へ?」

 慌てて口をゆすいで、自分の手の甲を見た。そして、ぎょっとさせられるのである。右手の甲に、妙な数字のようなものが刻まれていることに気づいたからだ。まるで、酷い火傷でも負ったような文字。それが、どこかゆらゆらと陽炎のように揺れながら、花林の右手の甲に浮かび上がっているのである。

「な、何これ?え、なにこれえぇ!?」

 思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。タオルでごしごしと擦っても消えない、落ちない。というか、火傷のような数字、が手に刻まれているというよりホログラムのように浮かび上がっているような印象なのだ。痛みはないが、不気味と言うほかない。まるで、何かに呪われでもしたかのように。



『昔の尺汰無理って、ジャクタ様の呪いがかかってるから絶対入っちゃ駄目なんでしょ?そんなところに入って死んじゃうなんて、そんなの呪われたに決まってるっておじーちゃんが!』



『うわぁぁぁん!やっぱり麻耶たち呪われちゃうんだー!死んじゃうんだー!うわぁぁぁん!』



 ジャクタ様の、呪い。
 昨日の麻耶の言葉を思い出し、背筋が泡立った。そんな馬鹿な、と思う。大体、やらかしたユーチューバーとやらが本当に呪われたんだとして。彼等は死んで、神様はもう満足したのではないか。花林たちはただこの村に住んでいただけで、禁域に入ったりなんてしていない。神様に不敬を働いた覚えもない。それなのに呪われるなんてことがあったら、とばっちりにもほどがあるではないか。
 意味がわからない。混乱のまま己の手の甲を睨んでいたその時、ぴーんぽーんぱーんぽーん、という場違いなチャイムの音が聞こえてきた。
 学校のチャイムではない。村で避難訓練やお祭りのお知らせをするときに流す、防災無線の音である。

『皆さんおはようございます。七時になりましたので、重大なお知らせをさせていただきたいと思います』

 無線でよく聴く、若い女性の声ではなかった。しゃがれた老婆の声だ。

『わたくしは、尺汰神社を取り仕切る御堂茅みどうかやでございます。皆さんには、とても残念なことをお伝えしなければいけません。先日、旧尺汰村によその人間が入り込み、ジャクタ様の結界を壊してしまうという事件が起きました。これはまさに由々しき事態にございます。我々は、ジャクタ様の結界を迅速に貼り直さなければいけない、そういう結論に達したのです』

――あの、メロンコップとかいうユーチューバー二人が死んだ事件か……。

 彼女達が何で死んだのか、原因究明を急ぐという話だったが。神社の人は、呪いのせいで死んだという結論をさっさと出していたということであるらしい。しかし、結界を貼り直すとはどういうことだろう。そもそも、ジャクタ様をお祀りしているのは“今の”尺汰村の神社のはず。旧尺汰村に、何のために結界があったというのか?

『結界を修復するためには、正規の手順を踏む必要がございます。即ち、慣例に倣って四十九人の生贄を捧げる必要がある、ということです。今から村全体を箱庭とし、四十九人の生贄を捧げる儀式を始めたいと思います。既に、ジャクタ様が“使者様”を放ってらっしゃいます。生贄は、この箱庭の中で死んだ物全てが数えられます。使者様に殺されるのも、他殺も自殺も事故死も全てが含まれます』
「いけ、にえ……?」
『四十九人が死んだ時点で、儀式は終了となります。それまで、この村は外界から隔絶されますので、外に出ることはできません。それでは、皆様の幸運を、心よりお祈り申し上げます……』
「ちょ、ちょっと待って、それだけ!?い、意味がわかんないんですけど!?」

 思わず叫んだものの、そこでぶつっと音声は途絶えてしまった。これで放送は終わりですと言わんばかりに、間抜けなチャイムが再び鳴り響く。

「生贄って……人が死ぬって、こと?何で?」

 花林は再び、自分の手の甲を見た。
 やはり、何度見ても間違いない。49、その数字が、自分の手には浮かび上がっている。

――まさか、これ……カウントなの?これがゼロになるまで、誰かが死ぬってこと!?

 にわかには信じがたかった。誰かが神社の名前を騙って、村人たちに混乱を齎そうとしているのではないか。その方がよほど現実的ではある――大迷惑であるとしても。
 そう、この放送だけなら自分も、すぐにはいそうですかと現実を受け止めることはできなかったことだろう。自分の手の甲に、こんな数字が浮かび上がっていなければ。

――四十九人の生贄?結界の修復?……そ、それに、使者って何?




『姉貴へ

 陸がヤバイかもしれないから、助けに行く。
 姉貴は、俺が戻るまで絶対外に出ないで。

 亜林』



「そうだ、亜林!」

 ひょっとして、亜林は陸から何かを聴いたのではないか。陸には信心深い祖母がいるし、有りうる話だ。本当にそんな大がかりな儀式を行うというのなら、昨夜から準備されていてもおかしくはない。神社の人間達に親しい者や、村の中枢部にいる人間ほど早い段階で事情を知らされている可能性は十分あるだろう。場合によっては、一部の人間は儀式の前に村から逃げ出しているなんてこともあり得るはずだ。
 両親はまだ村には帰ってきていないし、彼等の心配はしなくていいだろう。今花林が真っ先にしなければいけないのは、弟と合流することであるはずだ。家で待っていろとは言われたが、流石に自分だけ家に閉じこもっているわけにもいかない。彼が危ない目に遭っているかもしれないなら、助けに行くのは己の責務だ。

――多分、陸君の家に行ったはず。……とりあえず、途中に学校もあるから学校の様子も見られる。今の放送が何処まで本当かどうかも、先生にちゃんと確認したいし……!

 いつものように弁当を作っている時間はない。二人分の水筒にお茶をつめて、カロリーメイトやお菓子をバッグに詰め込んで。スマホ、財布、充電器にハンカチにティッシュに文房具。思いつく限り必要そうなものだけをぱっぱと投入すると、花林は家を出ることにした。
 履いていくのはもちろん、一番走りやすい運動靴だ。

――これが何かのドッキリだったりイベントだったりしたら、後で騙された―って笑えばいい。……万が一、ガチだった時が問題だ。

 ドアを開けて、深呼吸。灰色の空を見て、一応傘も必要かと折り畳み傘を二つバッグに突っ込んだ。少々重たくなってしまったが、亜林が慌てて出て行ったなら持っていない可能性が高いだろう。自分より体力がないから、風邪でもひいたら問題である。

――よ、よし。ちょっとだけ落ち着いてきた。

 雨が降らないといい、なんて日常的なことを考えられるようになったあたり、自分の頭も少しばかり冷えてきたはずだ。再び玄関から外に出て、ばっちり家の鍵をかけた――まさにそのタイミングである。

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 すぐ近所から、つんざくような悲鳴が聞こえた。

――な、何!?

 慌てて、声がした方へ顔を向ける。自分達の家は、尺汰村の住宅密集地からはかなり離れている。ご近所には、数軒家があるばかり。目の前は広大な田んぼだ。村田さん、というおばちゃんがよく草刈りをやっており、学校に行く時間に顔を合わせることも珍しくない。
 花林たち平塚家の右隣に家はないが、左隣には何軒か家が立ち並んでいる。一番近い家は、茂木さんという中年の男性が一人暮らしをしている家だった。無口なおじさんだが、お祭りなど村のイベントには積極的であるし、去年ハロウィンでお菓子を貰いに行ったら笑顔でおまんじゅうをくれたのは記憶に新しい。
 悲鳴はその、茂木家の方から聞こえてきたように思えた。

――まさか、茂木さんに何かあったの……!?

 もし襲われているなら、助けないという手はない。それに、恐ろしい存在の正体を確かめなければという使命感もある。
 花林は震える足を叱咤し、そちらに走っていったのだった。
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