ジャクタ様と四十九人の生贄

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<9・変化。>

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 もはや、花村真奈美が助からないことは明白である。背中の皮と頭の皮を生きたまま剥がされ、骨と肉を咀嚼される光景は絶望以外の何者でもあるまい。あんな死に方は絶対にごめんだ――そう思いながら、花林はガタガタと震えるしか術がなかった。
 しかし、反射的に耳を塞ごうとした手は、雫によって阻止される。

「音は聞いておけ。……思いがけない脅威が迫っている時に、気がつけないのは問題だ」
「あ、貴方は……平気、なの?あんな光景を見て」
「平気じゃない。君より少しだけ慣れているだけだ」

 そうは言うものの、雫の顔は冷静そのものだった。真奈美、それから紀子の死にも動じている様子がない。
 御堂家の人間だからなのか、それとも本当に何も感じていないのかどっちだろう。最初に助けて守らった事実がなければ、彼を信じられなくなっていたかもしれなかった。

「!」

 突然、どこからともなく奇妙な音が聞こえてくる。キューイ、ともキューウ、ともつかない奇妙な鳴き声だ。何かの動物だろうか。少し離れた場所から聞こえてくる。

「あ、あれ?」

 音を聞いておけ。そんな雫のアドバイス通りに耳をすませていた花林は、ふと怪物が食い散らかす音が聞こえなくなっていることに気がついた。何故だろう、と思って覗いてみれば、まだ辛うじて息がある真奈美をほっといて怪物はキョロキョロと辺りを見回している。
 あの音が聞こえてくる方向を探すかのように。

「ちっ……このタイミングでか」

 雫が嫌そうに顔を顰める。

「きちんと喰ってから行けばいいものを」
「え、え?」

 どういうことだろう、と思っているうちに怪物がこちらに向かって走ってきた。慌てて花林は繁みの中に頭を引っ込める。まさか、自分達に気付かれたのだろうか。一瞬心臓が軋むほど派手に鳴ったが、幸いにして使者は自分達を察知したわけではないようだった。
 二人が隠れている雑木林を素通りして、自分達がやってきた方向――つまり、花林たちの自宅がある方へと駆けていく。

「今の音は、使者が使者を呼ぶ時の声なんだ。ジャクタ様からお告げがあった時や、異常事態が発覚した時に仲間に集合をかける。そして、情報を共有するんだ。奴等はそれだけの知能を持っている。ちなみに、箱庭に閉じ込められた人間を喰うのもジャクタ様の命令によるものだな。本人達が栄養を取るためではない」

 あんなに美味しそうに人間を食べておいて、栄養のためではないとは。嫌なことを考えてしまい、花林は苦い気持ちになった。神様とやらの影響力はそこまで強いということなのか――本来食べ物ではないものを食べることも厭わないほどに。

「異常事態というのは、多くが“使者が死んた場合”だな。……恐らく、私が殺した使者の死体を別の使者が見つけたんだろう。それで、仲間に集合をかけて、対策を練ろうとしているわけだ」
「そ、そんなにヤバい事なんですか!?」
「基本的に使者とは、ジャクタ様への捧げ物。常世の存在であるため、本来死ぬことなど有り得ない。殺すことができるのは同じ常世の存在のみ……我々御堂家は数少ない、その力を使うことができる存在だ。要するに、使者が死ぬということはつまり、常世の存在が自分たちを裏切ったことの証明でもある。ゆえに、奴等にとっては由々しき事態。可能な限り優先的に裏切り者を排除しにかかることだろう」

 雫はそう語ると、ポーチから拳銃を取り出した。一見すると(というか、花林に銃の知識がまったくないからとも言う)普通の拳銃とさほど変わらない形状に見える。だが、彼の言葉から推察するに、普通の銃ではないということなのだろう。
 あの化け物は、ニンゲンの武器では殺せない。それが真実であるならば、あまりにも恐ろしい話ではないか。

「……あの場をすぐに離れろって貴方が言ってたのは、そういうことだったんだ?」
「ああ」

 花林の言葉に、こくりと頷く雫。

「確実に使者が集まってくるし、なんなら死体のそばにいて嫌疑がかかるだけでもまずい。……私はこの銃を使って自分の気を発射し、それによって使者を殺すことができるが……見た通り一発で殺すのは一体が限界だ。多数の使者に群がられたら勝ち目がない。だから、私が殺したとバレるのは非常にまずいし、簡単にこの銃を使って使者を殺すのも問題がある。さっきの使者を撃たなかったのはそういう事情だ」

 それに、と彼は死にかけている真奈美の方を指差す。

「君に、現実を見て覚悟を決めて欲しかった。見ろ」

 何だろう、と花林は再び、紀子に覆いかぶさるようにして倒れている真奈美の方を見る。彼女は頭皮ごと髪の毛を剥がされ、背中の肉と皮を引っ剥がされるという凄まじい有様で全身を痙攣させていた。伸ばした指先ががくがくと意味不明に蠕き、血走った目はもはや現実を見ていない。
 濁った呻きが響くたび、口元は泡をぶくぶくと吹いていた。もほや助からないことは明白である。それでもまだ生きている――地獄の苦しみの中で。
 友人を殺して生き残ろうとした者への罰だとでも言うかのように。

――あんな状態でまだ生きてるなんて……惨すぎる。

 いっそ、トドメを刺してあげたほうが慈悲なのかとさえ思う。勿論、それが花林に出来るかどうかは別としてだが。

「!?」

 そんなことを考えた矢先。突然、死にかけていた真奈美の体に異変が起きた。

「オ」

 びくん!とその体が大きく跳ね上がる。そして血走った目が、ぐるんと裏返って白目を剥いた。そして。



「オ、オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」



 獣のような鳥のような、あるいは人間のような。そのどれともつかぬような、奇妙な雄叫びが上がった。
 小柄な主婦の首が、腕が、しゅしゅうと煙を上げ始める。さらにはどんどんと黒く変色し始めた。黒い髪がボサボサに伸び始め、灰色に染まり、やがて茫々と生える鬣になる。
 全身が黒く染まると同時に、裏返った眼球が再度ぐるんとひっくり返った。そしてその時にはもう、白目のない真っ赤な眼球に変化していたのである。

「あ、あああ、ま、ま、まさか」

 疑いようもない、現実。たった今、花村真奈美の体が――使者と同じものに、変化してしまった。彼女が彼女だったとわかる名残はもはや、その身に辛うじて張り付いている彼女の衣服のみだ。
 からん、と彼女の両手から握りしめていた包丁が落ちる。剥がされた背中の肉はそのままに、新たに誕生した使者はのっそりと立ち上がったのだった。

「使者に傷をつけられ、それでいてトドメを刺されなかった者もまた……使者になってしまうんだ。どれくらいの傷で使者になるか、その時間はどれほどなのかは個人差がある。が、致命傷に近い傷であるほど早く使者に転じることはわかっている」

 悔しげに言う雫。だから彼は先程“トドメを刺してから行け”と苦言を呈していたのだと気がついた。

「ゾンビのようだと思うかもしれないが、正確には違う。傷をつけられることは、細菌やウイルス感染ではない。奴等にマーキングされるようなものだと思ってくれればいい」
「ま、マーキング?」
「そうだ。奴等の生きた縄張り、目印になるようなもの。だからワクチンのようなものでは防げない。稀に使者に変わらずにいられる人間もいるが、基本的には小さなキズでもアウトだと思っておいた方が良い。……そして、使者に転じたニンゲンは、既に生命体としての活動は終了している。カウントも減っているはすだ」

 そう言われて手の甲を見れば、確かにカウントは44に減っている。真奈美が死んだと見なされたということだろう。

「使者にしないためには、傷をつけられて人間が使者になる前に殺すしかない。使者になる前なら、普通の人間の武器でも殺せるからな。……ここまでで、何か質問は?」

 質問。花林からすれば、気になることは山程あった。
 御堂家の人間とはいえ、彼の外見からすれば年齢は二十歳そこそこ。前回の結界修復について見ているはずもないのに、何故そんなに使者について詳しいのか、とか。
 あと何発、あの銃を使うことができるのか、とか。
 この儀式を終わらせる方法が、果たして四十九人の生贄を差し出すこと以外にあるのか、とか。
 考えれば考えるだけ疑問は噴出する。だが、その中でも一番気になったことは一つだった。

「どう、して」

 掠れた声で、彼に問いかける。

「どうして、私を……助けてくれたの?」

 使者を殺せば、使者に目をつけられる。雫であっても、使者を多数相手にできるだけの戦闘能力はない。つまり、花林を助けて使者を射殺する行為は、雫にとってもかなりのリスクを伴うものであったはず。
 それなのに、何故?彼は花林を助ける選択をしたのだろう。実際に、茂木や真奈美、紀子といった者達は見殺しにしたと言われても仕方ない状況だというのに。

「……私は、聖人じゃない」

 彼は少し沈黙した後に、そう口を開いた。

「だから、誰も彼も助けられないとわかっている以上、命の取捨選択はする。助けたい者だけ選んで助ける。無理に手を伸ばしたら、守りたい者も守れなくなるから」
「何で、私?私達、初めて会ったんですよね?」
「その通りだ。それでも私は、君を前から知っていた」
「え」

 目を瞬かせる花林に。どこか眩しそうな瞳で、雫は言ったのである。

「弟を守ろうとする兄や姉に、悪いやつはいない。だから助けたかった、それだけだ。……私は妹を、救えなかったから」

 罪悪感に塗れた声に、花林はそれ以上何も言えなくなった。
 彼の過去に、一体何があったのだろう。それは、今の自分にはまだ訊いてはいけないのとなのではないかと、なんとなくそう思ったのである。
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