抗う二人に祝福を

はじめアキラ

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<抗う二人に祝福を>

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 今度は何のお小言が始まるんだろう、とアーサーは思った。広い屋敷の廊下を進む足取りは重い。
 自分がモンタナ家のお荷物、なんて言われていることは知っている。名家の次男坊として産まれたのに、勉強は出来ないし体力もない。これでアルファの男子なのか、と何度も陰口を言われていたことを知っている。本当はベータなんじゃないの、検査で間違えられただけなんじゃないの――と。
 腹立たしいと思うのと同時に、諦めていたのも事実だった。勉強が苦手なのは、その実何をやってもちっとも興味を持てず、やる気が持続しない性格ゆえである。何をやっても“面白い”と思うことができない。だって、少し得意なことがあっても、自分より上手い奴らなんてどこにでもいるのだ。何を頑張ったところでどうせ一番になれないなら、やるだけやっても意味などないではないか。ただでさえ、優秀な兄と比較されることは免れられないというのに。
 残念ながら、その兄が事故で死んでしまったせいで――そのように諦めていることもできなくなってしまったわけだが。
 長男がいなくなってしまった以上、名家・モンタナ家の跡継ぎはもう十五歳の次男であるアーサーしかいないのである。例え、それが今まで散々無能と罵られてきた少年であるとしても、だ。

――本当に。せめて……アルファやらベータやらオメガやら、そんな面倒な性別がなければ良かったのに。だから余計な期待されるんだ。いっそ、みんなベータなら、こんな差別なんかなかったってのに。

 この世界にある、男女とはまた別枠に存在する性別。
 それがアルファ、ベータ、オメガの三種だった。勉強をサボりまくっていたアーサーには、あまり詳しいことがわからない。ただ大多数の人はベータというもので、それがいわゆる“基準”“普通”であるということ。アルファと呼ばれる人は、全体的に能力が優秀であり、なるべくその子孫を残すように求められる傾向にあるということ。
 そして、オメガは――極めて少数。男性であっても子供を産むことができ、アルファと番になることでより優秀な子孫を残せる存在、であるらしい。あと、一定期間ごとに“発情期”というものがあって、それの時期はとにかく身体がだるくなったり性欲が旺盛になってしまって身動きがとれなくなるので、抑制剤が欠かせなくなってしまうのだとかなんとか。それゆえ、三種の性別の中で最も差別されやすく、場合によっては性奴隷として売り買いされてしまうこともあるのだという。はっきり言って、一番生きていくのに難儀する性別であるのは間違いないだろう。

――まあ、スクールでもいたもんなあ、オメガの人。時々学校休んでたけど、あれそういうことなんだろうなあ。

 はあ、と廊下を歩きながら窓ガラスを見るアーサー。ガラスに写っているのは、とても凡庸な顔立ちをした十五歳の茶髪の少年である。アルファとして産まれたはずなのに、ちっともその才能を開花させる気配がない。母親に似て美形に生まれることさえなかった。それはもう、失望されたことだろう。

「どうして死んじゃったのさ、兄さん。……兄さんが生きてれば、みんな安心できたのに」

 生きていた頃はあんなに比較されるのが嫌だった兄が、今は恋しくてたまらない。彼が家を継ぐのであれば、弟はいくら凡庸でも許されたというのに。自分と違ってカッコよくて何でもできた兄が、よもや落馬によって命を落とすだなんてどうして予想できただろう。
 世の中は、想像できないことばかりだ。だってそうだろう。

「ああ、アーサー。突然で悪いんだがな」

 応接室にやって来たアーサーが目にしたのは、いつも通り厳格な性格そのまんまの険しい顔をした父と。

「今日から、こいつがお前のパートナーになる。こいつとの間に、たくさん子供を作って父さん達を安心させなさい」
「……は!?」

 その父が連れてきた、銀髪の少年を前に。そのような事を言われるなどと、一体誰が予想できただろうか。




 ***




「マリオン・クォース。……好きなように呼んでくれて構わない」

 セミロングの銀髪の少年は、アーサーが今まで見たことのないほど美しい顔立ちをしていた。女性的、というのとは少し違うかもしれないが。髪と同じ色の睫毛は驚くほど長く、その奥の瞳は蒼と緑が混じったような独特の色合いをしている。まるで神様の絵から這い出して来た天使様、のような美貌だった。だからこそ――彼がいわゆる“娼婦”の類であることが、信じられないと思うのである。

「えっと、その……マリオン。どういうことなのか、もう一度説明して欲しい。父さんに説明は受けたけど、正直全然頭が追いついてないんだ」

 アーサーは頭を抱えるしかなかった。何がどうして、こういうことになったのだろう。
 目の前の、まだたった十四歳の少年を前に。いきなり“子供をたくさん作れ”なんて無茶なことを言われたのである。婚約者、でさえない。彼は、子供を作るためだけに買われて此処にいるのだ。しかも本人がそれを承諾しているときた。いくらアーサーがアルファで、目の前のマリオンがオメガ。現実問題、子供を作ることが可能なのであるとしても、だ。

「混乱するのも無理はないだろう。君のようなまだ若い少年なら無理もない」
「若いってあのね、マリオンの方が一個年下でしょーが」
「俺は慣れてる、問題ない。十一歳からもうこの仕事をしている」
「嘘でしょ……」

 つまり。オメガである彼はその性別を利用して娼婦――正確には“一時的に貴族の愛人になって子供を産む”ということを仕事にしているというのだ。
 確かに、アーサーの兄はまだ十八歳だというのに不慮の事故で命を落とした。次男のアーサーはもっと若いとはいえ、凡庸である上こちらもいつ同じようなことになるかはわからない。そうなれば、家は跡継ぎがいなくなって血が途絶えてしまうことになる。それだけはあってはならない、早急に次の跡継ぎを作っておかなければ――と父は考えたらしいのだ。
 とはいえ、残念ながら残った跡継ぎのアーサーはまだ十五歳であるし、恋人も婚約者もいない。ゆえに一時の愛人でもなんでもいい、という滅茶苦茶なことを彼らは考えてしまったようなのだ。見目が良く、オメガであればまだ十四歳の下層階級の少年でもいい――なんて理屈が通らないどころの話ではないが。

「お前、それでいいのか?だって身体を売るってことだし……子供を産むって、それすっごく痛くて苦しいことじゃないか。しかも、君だって男だし。死ぬかもしれないんだし。好きでもない人との間に子供を作るなんて、そんなの……」

 アーサーは尻込みをする。確かにマリオンは美しいが、男だ。はっきり言ってそういう趣味があるわけではない。いくらアルファ・オメガの性別が見つかって、宗教的にも倫理観的にも同性間の結婚や恋愛への認識が緩和されたと言ってもだ。今まで、女の子相手にしか淡い感情を抱いたこともないアーサーに、いきなり男を抱けというのは無茶がすぎることなのである。
 それに、彼はお金のために此処にいるだけで、アーサーのことが好きというわけでもない。本当にそんなことでいいのか、と疑問に思うのは当然のことだ。

「問題ないと言っている。この家で雇われている間、俺は此処に住ませて貰えるしまともな食事も貰える。家族へ高額な仕送りもすることができる。お金がない下層階級の子供に、選べる仕事なんかない。なんせ、俺よりもっと酷い生活や仕事をしている子供なんかいくらでもいる」

 マリオンの眼は、青い湖面を覗き込むように澄んでいる。けれどその瞳の奥に、ほんのすこしだけ漣のようなものが広がるのを俺は見逃さなかった。

「それに比べたら、俺の心などどうでもいいことだ。違うか」

 その時。何故だかわからないが――アーサーは、とても苦い気持ちを感じたのである。初めて出会った筈の少年であり、一時“愛人ごっこ”をするだけの相手だというのに。
 世界に対し、理不尽に思っているのは、自分も彼も同じなのだ。
 まるで産まれて初めて、仲間を見つけたような気分であったのである。



 ***



 マリオンに与えられた期間は、半年。ひとまず半年の間に何か成果を見せなければ、彼は解雇されてしまう可能性が高いのだという。身籠ることができさえすれば、ひとまず子供を産むまでは此処で養って貰えるのだそうだ。つまり、彼の仕事を考えるならば、早急にでもアーサーはマリオンを抱いてやるべきとも言えるのである。発情期が一番妊娠しやすいとされているが、何も平時であっても子供ができる可能性はゼロではないのだから。
 しかし、アーサーはどうしても“親に言われて仕方なく関係を結ぶ”のは嫌だったのである。それを、心の奥ではマリオンも嫌がっていると感じていたから尚更だ。ゆえにアーサーが最初にしたことは、とにかくマリオンのことを知ってみるということだったのである。
 初めてだったのかもしれない。自分から能動的に“何かをやってみたい”と思うようになったのは。

「マリー、次はこっち書いてみろ。林檎だ」
「えっと、a……pp……le?こうか?」
「そうだ。マリーは字が綺麗だな、俺とは全然違う!」

 彼は、字の読み書きが出来なかった。誰にも教わってこなかったし、教えて貰う機会もなかったのだろう。アーサーの部屋にあるたくさんの本を見て寂しそうにしているので、試しに字を教えてやったらとても喜ばれた。その時初めてマリオンの笑顔を見て、アーサーは胸の中が熱くなるのを感じたのである。それは、無表情がテンプレートのマリオンでも笑えるのだと発見したというのもあるし――自分がしたことで誰かに喜んで貰える、という経験が初めてであったというのもある。
 人のために何かをする、それによって喜んで貰える。それがこんなに、楽しいことだとは思ってもみなかった。
 成績が悪いアーサーであっても、貴族である以上一般的な教育は受けているので当然簡単な読み書きや計算などは問題なくできる。いつの間にか、家にいる時はアーサーがマリオンの先生をやるようになっていた。無表情で冷たい印象ばかりだったマリオンが、字を書けるようになるたび顔を輝かせて自分に報告してくるのである。いつの間にか、それを見るのがアーサーのひそかな楽しみになるようになっていたのだった。
 まるで、雛鳥が親に懐くようなものだった。きっと誰にも優しくして貰ったことなどなかったのだろう。いつの間にか、斜めに構えた性格のせいか友達が殆どいなかったアーサーの、唯一無二の友人となっていたのだった。親からは相変わらず“子供はまだか”なんて事を言われていたけれど。アーサーには、そんな事よりもずっと大事な時間がマリオンとの間に生まれつつあったのである。
 教えたこと、遊ぶようになったことは家の中だけに留まらなかった。広い庭で、二人でサッカーをするようになったのである。といっても二人だけなので、ボールの奪い合いをしたり、シュートの練習をしたりということが精々だったけれど、それでも楽しいことには変わりなかった。初めて出来る、階級も立場も飛び越えた友達。今まで色がなかったアーサーの世界が、キラキラと輝き出すようになったのである。

「アート!いいもの見つけたんだ、来てくれ!」

 出会った頃よりもずっと大きな声ではしゃぐようになったマリオン。大きな木の下で彼が呼んでいるので、アーサーが走っていくと。彼はとびきりの笑顔で、小さな草を渡して来たのである。

「この間読んだ本に書いてあったんだ。四葉のクローバーを見つけると、幸せになれるらしい。だからアートにやる!」
「マリー……」

 多分、その時だろう。その手元の四葉のクローバーより、青い青い空の色より。マリオンの笑顔に釘づけになって、眼が離せなくなったのは。
 男の子に、興味なんかないはずだった。でも。
 その時初めて、アーサーはマリオンというひとりの存在に、恋心を自覚したのである。



 ***



 わかりきっていた、事。
 彼に与えられた期限は、半年。その期限が近づけば、いつまでも子供ができないマリオンに、アーサーの父が業を煮やすのは当然のことだった。二人の関係が、まるで対等な“友達”であるように見えたのも不満であったのだろう。
 ある日、スクールから帰って来たアーサーは。マリオンが父に叩かれている現場を目撃してしまう。

『お前の仕事は、息子の跡継ぎを産むことだけだ、わかっていないのか!さっさと抱かれて来い、さっさと孕め!なんのためにお前のような薄汚いアンダークラスを家に招き入れていると思っているんだ!!』

 一ヶ月に一度の、発情期とやらを。マリオンが薬を飲むことによって抑えていることを、アーサーは知っていた。それがアーサーの望みでもあったからだ。あくまで、二人で“そうしてもいい”と思う時が来るまで、そういう行為に至りかねないものは抑えこもうと決めたのである。
 発情期は、残酷だ。マリオンと接するようになってきちんと調べて知ったのである。とにかく、無作為にアルファを誘ってしまうし、オメガ側もまるで抵抗できなくなってしまう。人の尊厳が、平然と踏みにじられる、その危険性があるタイミング。いくら生理現象のようなものとはいえ、そんなものに流されて関係を結ぶのだけはごめんだった。マリオンが素直にそれを受け入れたのはつまり、彼とて本心は同じことを望んでいたからということだろう。
 それでも、アーサーは名家の跡継ぎ。彼はそれにあてがわれたオメガ。いつまでも、自分達の理屈を押し通すことなどできない。なんせ、自分達はまだ子供に過ぎないのだから。
 その暫くの後。マリオンに、発情期が来てしまった。部屋のドアを開けた途端漂った甘ったるい匂いに、アーサーは膝から力が抜けそうになってしまう。
 理解してしまった。今回、マリオンが抑制剤を飲まなかったということを。

「あ、アート……」

 彼は。アーサーの部屋のベッドで、頬を真っ赤に染めて震えていた。

「ごめん、約束、破ってしまった……」
「ま、マリー……」
「お願いだ。……これしか、ないんだ。俺は、それしか、価値がないんだから……!」
「ふ、ふざけた事言うんじゃねえ、馬鹿が!」

 ふらつき、足は勝手にベッドへと向かおうとする。このままマリオンに近づいてはいけない、と本能がわかっていた。オメガの発情期の匂いに完全にあてられてしまえば、いくら抗おうとしても身体はあっさり心を裏切る。それだけはあってはならない。下半身が熱い。いますぐ、猛りきったものを刷り上げてしまいたい。俺は前かがみになって、歯を食いしばって耐えながら――必死で部屋中を探していた。
 マリオンは、父に言われて発情期を強引に押さえ込まず、自分との関係を持とうとしている。そうやって子供を産まなければ、追い出すぞと脅されているせいだ。それはアーサーもわかっていた。でも。

――いつか、そういう関係を、本当に持つ日が来ても。

 転びながら、情けなく呻きながら。それでもアーサーは、衣装箪笥をひっくり返し、机の下を覗き込んだ。

――その初めてが、こんな形で……今日であっていいはずがねえ!ああいうことは、本当に好きな相手同士が……そうしたいと願ってするべきだ。こんな流されるように、誰かに無理やり押し付けられてするべきことじゃねえよ!クソ!

 どこだ。なんだかんだで慎重なところのあるマリオンである。部屋のどこかに、こっそりいつもの抑制剤を隠したはず。それを探して飲ませれば、事後対応であっても一定の効果はあるはず。少なくとも、こんな脳が霞むほどの欲情から、お互い脱することもできるはずなのだ。
 アーサーがしていることに気づいたのだろう。マリーは眼は掠れた声で、なんで、と告げた。

「何でだ、アート……確かに、約束はした、けど。君だって……辛いはずだろう。さっさと俺を抱いてしまえば、開放……されるのに」
「ふざけんな!俺達の……俺達の初めてが、こんな形でいいもんか!お前だって、こんなの本当は嫌なんだろ!だから、発情期に頼って……無理にでもやっちまおうって、そう思ったんじゃないのかよ!」
「!」

 きつく握った拳から、血が流れる。ひっくり返した本棚。落ちた辞書の裏側に、見覚えのあるものを発見した。茶色の、ピルケース。マリオンのだ。

「俺は……俺は、お前が、好きだから!」

 きっと、苦しさのせいで滲んだ涙やらなんやらで、自分の顔は酷いことになっていただろう。
 それでも、アーサーは叫び、マリオンにピルケースを投げたのである。自分の、精一杯の想いと共に。

「だから……お前と、そういうことすんのは!お前が俺をそういう意味で好きになってくれてっ……こんなんじゃ、なくて!お前が、俺の……恋人ってやつに、なってからにすんだよ!悪いか、こんちくしょう!!」

 その時。どういう気持ちで、彼はケースをキャッチしたのだろう。
 彼が俯いて言った言葉に。先程までとは違う涙が流れたのは、きっとお互い様に違いない。




 ***




 窓の向こう。星が、どこかで聞いた歌のようにキラキラと瞬いている。もうすぐ有名なナントカ流星群が見られる時間帯らしい。ランプの火を一つだけつけて、こっそり起きている二人である。両親や執事にバレたら大目玉だが、一緒に怒られると思えば怖いものなど何もなかった。
 あの事件から、二週間過ぎた夜のことである。

「なあ、アート」

 ベッドでごろんと横になって、本を読んでいると。ぽふ、っとそんなアーサーの傍に座ったマリオンが、声をかけてきた。

「そろそろ時間だから、本から顔を上げた方がいいと思うのだけど。ここ最近、前よりもずっと難しい本を読むようになったみたいだけれど、どうしてなんだ」
「ん」

 本から顔を上げると。アーサーは、そっとマリオンの髪を撫でながら、言うのである。

「政治の本。俺、決めたんだ。偉い政治家になって、この国を変えるんだって。階級差別と、それからオメガへの差別をなくすんだ」



『俺も、アートが、好き……!アートの子なら、欲しい……でも、それは……それは、やっぱり、こんなんじゃ嫌だ……っ』



「俺みたいなお馬鹿が、真面目に勉強やりたいと思うようになるとは思ってもみなかったよ。……まあ、元が頭空っぽだから、どこまで上手く行くかわかねーけどさ。でも、やりたいことが決まったから、それにだけは嘘つかないで頑張りたいんだ」
「やりたいこと?」
「そうだ。……お前を、幸せにするんだ。家とか階級とか、そんなの関係ない……平和な国にして」

 そう告げた途端。そっと、アーサーの手から本が払い除けられた。え、と思った瞬間、唇に甘い感覚。
 キスをされたのだ、と気づいたのは。真っ赤になったマリオンの顔が、離れていってからのことだった。

「それじゃあ、ダメだな」

 彼は微笑んで、告げた。

「俺を幸せにするんじゃない。“俺達が”幸せになるんだろう?二人で、一緒に」




 二人が、初めて結ばれるのは。
 この後、約一週間後。同じように星が綺麗な夜のことであったという。
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