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<1・優理>
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世界は理不尽ばかりだ。男子中学生、園部優理は常に思っていた。暴力だけ振りかざす輩が弱い者いじめをして平気で嗤う世界、無能な権力者が金とコネだけで私腹を肥やす世界、トチ狂ったテロリストが狂信を掲げて、無力な一般人に銃を乱射する世界。
おかしいと思うことなんて、この世の中にはいくらでもあだろう。しかし特別な能力もなんでもないただの人間に、出来ることなんて限られている。現実の世界には、漫画やアニメにあるような異能力もないし、都合よく自分を助けてくれる神様も現れない。自分と大切な人を救って世界を変えたいなら、自分自身の力で守る努力をしなければいけないのだ。
例え、己の体がどれほど貧弱であっても。
例え、己に恵まれた環境や、選ばれた能力がなかったとしても。
例えその結果、成そうとした正義の代償が自分に降りかかって来たとしても。
己の信念を曲げて、目の前の過ちから見て見ぬフリをして、俯いて生きるなら。それは、死んでいることとなんの違いがあるだろうか。
「やめなよっ!」
「あ?」
恐怖心がないわけではない。それでも優理が声を張り上げたのは、そんな己の信念に悖る行為などしたくなかったからだ。同じ中学生の少年が一人、校舎裏でカツアゲをされている。お約束すぎる光景だ。なんといっても優理の学校は、不良とそうではない生徒の落差が恐ろしく大きいことでも有名なのである。こんな田舎の学校でイキっている生徒など大したものではないのだろうが、それでもひと昔前を彷彿させるようなガラの悪い連中に、見た目だけで恐怖を感じる生徒は少なくないに違いない。
きっと、目の前の少年もそうだったのだろう。お世辞にも屈強とは言えない体格の優理より、さらに小柄な少年は今、まさに不良達に殴られる寸前であるように思われた。直前の会話は優理も聴いている。どうやら少年はカツアゲされたものの、本気で持ち金がなかったということらしい。それが、不良連中の気に障ったということらしかった。優理は眉を顰める。カツアゲしている側の連中は四人組。うち一人は、なんと女子生徒だったからだ。
「カツアゲなんかやって、恥ずかしくないの。自分がお金に困ってるからって、人を傷つけていい理由にはならないよ」
カッコつけだと言われるかもしれないし、きっとそんな正論が通用する連中ではないだろう。それでも、言うべきことははっきり言うのが優理の流儀だった。当然、相手の少年たちは“なんだテメェ!?”とガンつけてくるわけだが。
バッジを見る限り、全員が二年か三年。そりゃ、体格もいいはずである。まあ、二年生にしては小柄な優理からすれば、平均身長でも十分デカい部類に入りそうだが。
「どこの正義のヒーローかと思ったら、あんたうちのクラスのやつじゃん」
「え」
声を出したのは、その四人組のうちの紅一点だった。ウェーブした明るい色の長髪、吊り上った大きな瞳。普通に高校生くらいに見えそうな、大人びた長身の美少女。確かにどこかで見た覚えがある気がするが、一体誰だっただろうかと優理は首を捻った。生憎、まだ四月でクラス替えをしたばかりである。クラスメートの顔と名前が、まだ半分程度しか一致していないのが現状だった。
「誰だっけ」
思わず正直に口にしたあとで、彼女が名札をつけたままにしていることに気づいた。鮫島るりは。普通に読むなら、“さめじまるりは”であっているだろう、多分。
「あ、さめじま、さん?え、同じクラス?」
「……鮫島さんのこと認識してないとか、どんだけ能天気なんだよオメェ」
男子の一人がドスのきいた声を出した。その生徒は、名札の色からして三年生である。三年生にサンづけされる二年生――どうやら意外にも、この鮫島るりはという少女こそこの集団のリーダーということらしい。
「いいっていいって。まだクラス替えしたばっかりだもん、私のこと知らなくてもしょうがないわよ、ねえ?」
さほど気分を害した様子もなく、鮫島るりはは男子生徒を制した。そしてひらひらと手を振って、親切だから自己紹介してあげる、と言った。
「私はあんたと同じクラスの、鮫島るりは。この学校じゃちょっとした有名人だと思ってるんだけど、知らなかったみたいね?で、この隣にいるのが私の彼氏の雉本光。こっちもあんたと同じクラスなんだけど、認識してないかな園部クンは」
「…………」
雉本光。そう紹介された二年生は、随分ノッポな印象だった。こちらも中学生とは思えない上背である。残る取り巻きの三年生二人と比べたら細身だが、それでも目つきはぎらぎらしているし、相当喧嘩っぱやそうな印象だ。
そして、彼女は今はっきりと、優理のことを“園部クン”と呼んだ。向こうは自分の名前をはっきり覚えていた、ということらしい。
「で、この二人は坂田と安生。私のお仲間」
残る二人の三年生は、下の名前さえ呼ばれなかった。それだけで、この四人の力関係が見えようというものだ。
「まあ、全員喧嘩とか結構強いから、刃向わない方がいいと思うのよねー。でもって、私達はお金がなくて困ってるから、優しそうな岸本君に助けてもらおうと思っただけ。ちゃんと借りたら返すつもりだったのに、岸本君ってば私たちにはお金が貸せないなんていうのよ。酷いと思わない?だからちょっとお仕置きしようかなってなっただけ」
いや絶対返す気ないだろ、と優理はうんざりしてしまう。岸本、と呼ばれてここで初めてカツアゲされていた彼もクラスメートだったことを知った。顔がはっきり見えてなかったので気づかなかったのだ。こちらは認識している。岸本空一きしもとくういち。なんといっても、数少ない、優理よりも背が小さな少年だ。あまり話したことはなかったが、彼がいるなら背の順で一番前にならなそう、みたいなものすごく失礼な感想を抱いた記憶があった。
「私達だってそんな無駄に争いたいわけじゃないし。あ、なんなら園部君が代わりにお金を貸してくれてもいいのよ?それならそれで私達としては大歓迎!二人ともそのまま解放してあげる、悪い話じゃないでしょ」
「あのねえ」
何を言っているのか彼女は。優理は思わず、その言葉尻を遮るように口を開いていた。
「それじゃなんも解決になんないじゃん。それで味をしめたら、また俺や他の人からカツアゲするんだろ。そんなの願い下げなんだけど」
金を払えば無用なトラブルを防げる、なんてことはないのだ、こういう連中の場合。なんといっても過去の経験から、優理はよーく知ってしまっているのである。一度あることは二度あるし、二度あることは三度ある。こいつはいいカモになると思ったらまたやってきて、未来永劫カモられ続けるのは目に見えているのだ。そんなのはごめんだった。自分が標的になっても、誰かが標的にされても。
「欲しいものがあるなら、正しい努力をしなよ。それをしようともしないのに、奪うだけ奪って満足しようとする連中になんか、絶対屈してやるもんかっての!岸本君!」
「へっ」
「行くよ」
呆然としていた彼の手をぐいぐいと引っ張る。自分達が逃げようとしているのを悟ってか、三年生の一人が動く気配があった。さっき真っ先に怒鳴ってきた奴だ。多分そいつが特攻隊長ポジションなのだろう。
こういう時の逃げ方は、よくわかっている。つまり。
――奇襲第一!んでもって……!
「ぶふっ!?」
――三十六計逃げるに如かず!!
突っ込んでこようとした三年生の股間を思いきり蹴り上げると、彼が苦悶の声とともに蹲った隙をついて空一とともに走り出していた。一瞬唖然とした様子だった四人は、すぐにはっとしたように追いかけてくる。
「に、逃げられないってば、園部君!」
「そんなこと喋ってる暇があるなら言う通りにして!」
彼の腕を引っ張って下駄箱へ。当然上履きに履きかえる暇はないので、そのまま靴を持って校舎に駆けこむ。そして二階へ。逃げ足の速さに自信はあったが、今回は空一がいるのでそれだけでは逃げられないとわかっていた。ゆえに行くべきは、二階階段すぐ隣の空き教室だ。机が大量に積み上げられているので、隠れるにはもってこいなのである。空一の体を机の影にぐいぐいと押しこんで、自分は教卓の影へ。しばらくの後、バタバタと追いかけてくる足音が響き渡る。
「くっそ、どこ行きやがった!?」
どの少年かはわからないが、怒り心頭の怒声が廊下に響く。すぐに少女の“やめなさいよ”という窘める声が聞こえた。
「ここで怒鳴らないで。面倒なことになるから」
「けどっ!」
「もういいよ。……どうせ同じクラスなんだもん、明日また探してとっ捕まえてやればいいだけでしょ」
やはり、るりはがあの集団のリーダーということで間違いないようだ。足音と気配が遠ざかっていく。思った通りだ、と優理は安堵の息をついた。この空き教室、左隣は階段で、右隣は職員室なのである。ここで騒いで先生が飛んできたら面倒くさいと思ったのだろう。事なかれ主義の先生達であっても、さすがに職員室前で不良が騒いでいたら見て見ぬフリをするわけにもいかないだろうからだ。
これが、先生と殴り合うのも辞さないガチもんの不良ならそうはいかなかっただろうが。所詮はこの田舎町でちょっとイキってる程度の連中である。先生相手に警察呼ばれても立ち回るような度胸があったわけではないらしい。ひょっとしたら、あのるりはという少女は表向きは優等生で通っているのかもしれない。不良たちとツルんでいるにしては、妙に身綺麗な印象だったからだ。
「……すごい」
彼等がいなくなったのを確認してから、空一がそろそろと机の影から出てきた。小学生でも通りそうな童顔で、目をまんまるにしてこちらを見ている。
「園部君……わかっててここ逃げ込んだの?」
「まあね。昔から逃げるのと隠れるのだけは苦手なんだー。いじめられてばっかりだったからさ。岸本君もぜひ参考に。ああいう奴らは問答無用で逃げるのが吉だよ。基本は人目につきやすいところがベスト。あいつらレベルだと、先生の目も無視できないくらいだしさ。実際職員室に近いってだけで諦めたじゃん?まあ同じクラスだからいいやーってのもあったんだろうけど」
「よく考えられるな、そんなことまで……」
感心しているのか、あるいはちょっと呆れているのか。彼は複雑そうな顔で頷いた。
「……ありがと、助けてくれて。でも、これで園部君も目つけられたよ。あいつら、自分でも言ってたけどちょっとヤバイので有名だから。特に、鮫島るりはと雉本光。あいつらが去年うちの学校に転校してきてからなんだよ、この学校が荒れてきたの。中学生なのに、なんかワケあって二人揃って一年ダブってるって噂だし……」
ああ、一学年年上だったのか。彼等の大人びた容姿を思い出して、優理は納得してしまった。まあるりはの場合は、十五歳どころかもっと上と言われても遜色ないほどではあったが。
「僕なんて、クラスで大して喋ったこともないのに、なんで助けてくれたの?その様子だと、喧嘩強いわけでもないんでしょ」
本気でわからない。そういう様子でこちらを見る空一に、彼の戸惑った顔の理由を知る。大して仲良しでもなんでもないクラスメートが、喧嘩も強くないのにしゃしゃり出てきてなんのメリットがあるんだろう、と思うのもおかしなことではないかもしれない。ただ。
「いや、申し訳ないんだけど岸本君だってのも気づいてなかった。声かけてから知ったくらい」
優理は正直に答える。
「でも、カツアゲとかいじめとか、見つけたらほっとけないじゃん?お節介かもしれないけど、見て見ぬフリして今夜寝れなくなる方が俺は嫌だからさあ。まあ……それでいっつも余計なとこにクビつっこんで、自分がいじめられる羽目になるんだけど」
逃げ足が早くなったのも、隠れる場所を常に探す癖がついたのもそのためだった。なんせ喧嘩するだけのスキルもないし、人を殴る度胸もない人間である。上手にトラブルを避けたいと思ったら、極力逃げる方法を磨くのがベストなやり方だったのである。まあ、いつも逃げ切れるとも限らないわけだが。
「そこで見て見ぬフリしたら、もう俺が俺じゃない気がする。……そんだけだから、岸本君もあんま気にしないで。ていうか、むしろ俺のせいで余計岸本君が嫌な思いをしちゃったらそっちのが申し訳ないけど」
「そ、そんなことない!そんなことないよ!」
彼はぶんぶんと首を振った。そして、じわり、と涙をにじませる。今になって恐怖が蘇ってきたのだろう。
「ありがとう園部君。おかげで僕、お金取られないですんだ。今日の帰りにさ、母さんの誕生日ケーキ買って帰る予定だったから」
「すごい!孝行息子じゃん!そりゃいいこと聴いた。喜ばせてあげなよー」
「うん!」
園部優理は、いじめられっ子である。
ただし、自分からクビを突っ込んでいっていじめられるという、ある意味自業自得なタイプの。それもそれで仕方ない、と本人としてある程度納得しているというのもある。
ただ、いつも許せないと思うだけのこと。
理不尽があると思うなら、それに怒りをため込むだけはいけない。
どんな小さなことでも自分の力で変えていかなければいけない――それが、優理のモットーであり、生きる意味そのものであったのだった。
おかしいと思うことなんて、この世の中にはいくらでもあだろう。しかし特別な能力もなんでもないただの人間に、出来ることなんて限られている。現実の世界には、漫画やアニメにあるような異能力もないし、都合よく自分を助けてくれる神様も現れない。自分と大切な人を救って世界を変えたいなら、自分自身の力で守る努力をしなければいけないのだ。
例え、己の体がどれほど貧弱であっても。
例え、己に恵まれた環境や、選ばれた能力がなかったとしても。
例えその結果、成そうとした正義の代償が自分に降りかかって来たとしても。
己の信念を曲げて、目の前の過ちから見て見ぬフリをして、俯いて生きるなら。それは、死んでいることとなんの違いがあるだろうか。
「やめなよっ!」
「あ?」
恐怖心がないわけではない。それでも優理が声を張り上げたのは、そんな己の信念に悖る行為などしたくなかったからだ。同じ中学生の少年が一人、校舎裏でカツアゲをされている。お約束すぎる光景だ。なんといっても優理の学校は、不良とそうではない生徒の落差が恐ろしく大きいことでも有名なのである。こんな田舎の学校でイキっている生徒など大したものではないのだろうが、それでもひと昔前を彷彿させるようなガラの悪い連中に、見た目だけで恐怖を感じる生徒は少なくないに違いない。
きっと、目の前の少年もそうだったのだろう。お世辞にも屈強とは言えない体格の優理より、さらに小柄な少年は今、まさに不良達に殴られる寸前であるように思われた。直前の会話は優理も聴いている。どうやら少年はカツアゲされたものの、本気で持ち金がなかったということらしい。それが、不良連中の気に障ったということらしかった。優理は眉を顰める。カツアゲしている側の連中は四人組。うち一人は、なんと女子生徒だったからだ。
「カツアゲなんかやって、恥ずかしくないの。自分がお金に困ってるからって、人を傷つけていい理由にはならないよ」
カッコつけだと言われるかもしれないし、きっとそんな正論が通用する連中ではないだろう。それでも、言うべきことははっきり言うのが優理の流儀だった。当然、相手の少年たちは“なんだテメェ!?”とガンつけてくるわけだが。
バッジを見る限り、全員が二年か三年。そりゃ、体格もいいはずである。まあ、二年生にしては小柄な優理からすれば、平均身長でも十分デカい部類に入りそうだが。
「どこの正義のヒーローかと思ったら、あんたうちのクラスのやつじゃん」
「え」
声を出したのは、その四人組のうちの紅一点だった。ウェーブした明るい色の長髪、吊り上った大きな瞳。普通に高校生くらいに見えそうな、大人びた長身の美少女。確かにどこかで見た覚えがある気がするが、一体誰だっただろうかと優理は首を捻った。生憎、まだ四月でクラス替えをしたばかりである。クラスメートの顔と名前が、まだ半分程度しか一致していないのが現状だった。
「誰だっけ」
思わず正直に口にしたあとで、彼女が名札をつけたままにしていることに気づいた。鮫島るりは。普通に読むなら、“さめじまるりは”であっているだろう、多分。
「あ、さめじま、さん?え、同じクラス?」
「……鮫島さんのこと認識してないとか、どんだけ能天気なんだよオメェ」
男子の一人がドスのきいた声を出した。その生徒は、名札の色からして三年生である。三年生にサンづけされる二年生――どうやら意外にも、この鮫島るりはという少女こそこの集団のリーダーということらしい。
「いいっていいって。まだクラス替えしたばっかりだもん、私のこと知らなくてもしょうがないわよ、ねえ?」
さほど気分を害した様子もなく、鮫島るりはは男子生徒を制した。そしてひらひらと手を振って、親切だから自己紹介してあげる、と言った。
「私はあんたと同じクラスの、鮫島るりは。この学校じゃちょっとした有名人だと思ってるんだけど、知らなかったみたいね?で、この隣にいるのが私の彼氏の雉本光。こっちもあんたと同じクラスなんだけど、認識してないかな園部クンは」
「…………」
雉本光。そう紹介された二年生は、随分ノッポな印象だった。こちらも中学生とは思えない上背である。残る取り巻きの三年生二人と比べたら細身だが、それでも目つきはぎらぎらしているし、相当喧嘩っぱやそうな印象だ。
そして、彼女は今はっきりと、優理のことを“園部クン”と呼んだ。向こうは自分の名前をはっきり覚えていた、ということらしい。
「で、この二人は坂田と安生。私のお仲間」
残る二人の三年生は、下の名前さえ呼ばれなかった。それだけで、この四人の力関係が見えようというものだ。
「まあ、全員喧嘩とか結構強いから、刃向わない方がいいと思うのよねー。でもって、私達はお金がなくて困ってるから、優しそうな岸本君に助けてもらおうと思っただけ。ちゃんと借りたら返すつもりだったのに、岸本君ってば私たちにはお金が貸せないなんていうのよ。酷いと思わない?だからちょっとお仕置きしようかなってなっただけ」
いや絶対返す気ないだろ、と優理はうんざりしてしまう。岸本、と呼ばれてここで初めてカツアゲされていた彼もクラスメートだったことを知った。顔がはっきり見えてなかったので気づかなかったのだ。こちらは認識している。岸本空一きしもとくういち。なんといっても、数少ない、優理よりも背が小さな少年だ。あまり話したことはなかったが、彼がいるなら背の順で一番前にならなそう、みたいなものすごく失礼な感想を抱いた記憶があった。
「私達だってそんな無駄に争いたいわけじゃないし。あ、なんなら園部君が代わりにお金を貸してくれてもいいのよ?それならそれで私達としては大歓迎!二人ともそのまま解放してあげる、悪い話じゃないでしょ」
「あのねえ」
何を言っているのか彼女は。優理は思わず、その言葉尻を遮るように口を開いていた。
「それじゃなんも解決になんないじゃん。それで味をしめたら、また俺や他の人からカツアゲするんだろ。そんなの願い下げなんだけど」
金を払えば無用なトラブルを防げる、なんてことはないのだ、こういう連中の場合。なんといっても過去の経験から、優理はよーく知ってしまっているのである。一度あることは二度あるし、二度あることは三度ある。こいつはいいカモになると思ったらまたやってきて、未来永劫カモられ続けるのは目に見えているのだ。そんなのはごめんだった。自分が標的になっても、誰かが標的にされても。
「欲しいものがあるなら、正しい努力をしなよ。それをしようともしないのに、奪うだけ奪って満足しようとする連中になんか、絶対屈してやるもんかっての!岸本君!」
「へっ」
「行くよ」
呆然としていた彼の手をぐいぐいと引っ張る。自分達が逃げようとしているのを悟ってか、三年生の一人が動く気配があった。さっき真っ先に怒鳴ってきた奴だ。多分そいつが特攻隊長ポジションなのだろう。
こういう時の逃げ方は、よくわかっている。つまり。
――奇襲第一!んでもって……!
「ぶふっ!?」
――三十六計逃げるに如かず!!
突っ込んでこようとした三年生の股間を思いきり蹴り上げると、彼が苦悶の声とともに蹲った隙をついて空一とともに走り出していた。一瞬唖然とした様子だった四人は、すぐにはっとしたように追いかけてくる。
「に、逃げられないってば、園部君!」
「そんなこと喋ってる暇があるなら言う通りにして!」
彼の腕を引っ張って下駄箱へ。当然上履きに履きかえる暇はないので、そのまま靴を持って校舎に駆けこむ。そして二階へ。逃げ足の速さに自信はあったが、今回は空一がいるのでそれだけでは逃げられないとわかっていた。ゆえに行くべきは、二階階段すぐ隣の空き教室だ。机が大量に積み上げられているので、隠れるにはもってこいなのである。空一の体を机の影にぐいぐいと押しこんで、自分は教卓の影へ。しばらくの後、バタバタと追いかけてくる足音が響き渡る。
「くっそ、どこ行きやがった!?」
どの少年かはわからないが、怒り心頭の怒声が廊下に響く。すぐに少女の“やめなさいよ”という窘める声が聞こえた。
「ここで怒鳴らないで。面倒なことになるから」
「けどっ!」
「もういいよ。……どうせ同じクラスなんだもん、明日また探してとっ捕まえてやればいいだけでしょ」
やはり、るりはがあの集団のリーダーということで間違いないようだ。足音と気配が遠ざかっていく。思った通りだ、と優理は安堵の息をついた。この空き教室、左隣は階段で、右隣は職員室なのである。ここで騒いで先生が飛んできたら面倒くさいと思ったのだろう。事なかれ主義の先生達であっても、さすがに職員室前で不良が騒いでいたら見て見ぬフリをするわけにもいかないだろうからだ。
これが、先生と殴り合うのも辞さないガチもんの不良ならそうはいかなかっただろうが。所詮はこの田舎町でちょっとイキってる程度の連中である。先生相手に警察呼ばれても立ち回るような度胸があったわけではないらしい。ひょっとしたら、あのるりはという少女は表向きは優等生で通っているのかもしれない。不良たちとツルんでいるにしては、妙に身綺麗な印象だったからだ。
「……すごい」
彼等がいなくなったのを確認してから、空一がそろそろと机の影から出てきた。小学生でも通りそうな童顔で、目をまんまるにしてこちらを見ている。
「園部君……わかっててここ逃げ込んだの?」
「まあね。昔から逃げるのと隠れるのだけは苦手なんだー。いじめられてばっかりだったからさ。岸本君もぜひ参考に。ああいう奴らは問答無用で逃げるのが吉だよ。基本は人目につきやすいところがベスト。あいつらレベルだと、先生の目も無視できないくらいだしさ。実際職員室に近いってだけで諦めたじゃん?まあ同じクラスだからいいやーってのもあったんだろうけど」
「よく考えられるな、そんなことまで……」
感心しているのか、あるいはちょっと呆れているのか。彼は複雑そうな顔で頷いた。
「……ありがと、助けてくれて。でも、これで園部君も目つけられたよ。あいつら、自分でも言ってたけどちょっとヤバイので有名だから。特に、鮫島るりはと雉本光。あいつらが去年うちの学校に転校してきてからなんだよ、この学校が荒れてきたの。中学生なのに、なんかワケあって二人揃って一年ダブってるって噂だし……」
ああ、一学年年上だったのか。彼等の大人びた容姿を思い出して、優理は納得してしまった。まあるりはの場合は、十五歳どころかもっと上と言われても遜色ないほどではあったが。
「僕なんて、クラスで大して喋ったこともないのに、なんで助けてくれたの?その様子だと、喧嘩強いわけでもないんでしょ」
本気でわからない。そういう様子でこちらを見る空一に、彼の戸惑った顔の理由を知る。大して仲良しでもなんでもないクラスメートが、喧嘩も強くないのにしゃしゃり出てきてなんのメリットがあるんだろう、と思うのもおかしなことではないかもしれない。ただ。
「いや、申し訳ないんだけど岸本君だってのも気づいてなかった。声かけてから知ったくらい」
優理は正直に答える。
「でも、カツアゲとかいじめとか、見つけたらほっとけないじゃん?お節介かもしれないけど、見て見ぬフリして今夜寝れなくなる方が俺は嫌だからさあ。まあ……それでいっつも余計なとこにクビつっこんで、自分がいじめられる羽目になるんだけど」
逃げ足が早くなったのも、隠れる場所を常に探す癖がついたのもそのためだった。なんせ喧嘩するだけのスキルもないし、人を殴る度胸もない人間である。上手にトラブルを避けたいと思ったら、極力逃げる方法を磨くのがベストなやり方だったのである。まあ、いつも逃げ切れるとも限らないわけだが。
「そこで見て見ぬフリしたら、もう俺が俺じゃない気がする。……そんだけだから、岸本君もあんま気にしないで。ていうか、むしろ俺のせいで余計岸本君が嫌な思いをしちゃったらそっちのが申し訳ないけど」
「そ、そんなことない!そんなことないよ!」
彼はぶんぶんと首を振った。そして、じわり、と涙をにじませる。今になって恐怖が蘇ってきたのだろう。
「ありがとう園部君。おかげで僕、お金取られないですんだ。今日の帰りにさ、母さんの誕生日ケーキ買って帰る予定だったから」
「すごい!孝行息子じゃん!そりゃいいこと聴いた。喜ばせてあげなよー」
「うん!」
園部優理は、いじめられっ子である。
ただし、自分からクビを突っ込んでいっていじめられるという、ある意味自業自得なタイプの。それもそれで仕方ない、と本人としてある程度納得しているというのもある。
ただ、いつも許せないと思うだけのこと。
理不尽があると思うなら、それに怒りをため込むだけはいけない。
どんな小さなことでも自分の力で変えていかなければいけない――それが、優理のモットーであり、生きる意味そのものであったのだった。
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