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<7・取引>

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 撃たれたと、そう思った。撃たれる覚悟があってものを言ったわけではない。むしろ、なんの考えもなく叫んだだけだった。とにかく感情のまま、人として言わなければいけないことがあると感じたから言ってしまっただけだ。
 死にたくない、と。はっきり考えることができたのは、つまり。
 その一発の銃声で――未花子が死なずにすんだからに、他ならないわけで。

「……え?」

 てっきり一瞬で目の前が真っ暗になるか、あるいは身体のどこかに激痛が走るとばかり思っていたのに。未花子は恐る恐る目蓋を開いた。そして、気づくのである。
 目の前に、自分より少しだけ背の高い少女の背中がある。
 彼女は右腕を突き出すような不思議なポーズで、そこに佇んでいた。少し藍色がかった、長い黒髪――見間違えるはずがない、聖也だ。まさか彼女が、あの一瞬で飛び出してきて自分を庇ったというのか?

「ほう」

 リーダーの白装束が、驚いたように声を漏らした。

「まさか私の銃弾を、ブレスレットで受け止めるとは。……凄まじい身体能力ですね。桜美聖也……転校してきたばかりで、この実験の対象になるのは少々気の毒ではありますが。そこの澤江未花子と、そこまで仲が良かったのですか?」
「仲が良いかどうかは知らねえよ。俺は一方的に好きだけどな。こいつはクラスのムードメーカーだし、みんなのまとめ役としても優秀だ。あと個人的に顔がすげぇ可愛い」
「顔……」

 そんな時でもないのに、未花子は思った。顔って、今それ関係あるのだろうか。褒めてくれるのは純粋に嬉しいけども。

「それに。……俺ぁ今こいつの演説聴いてマジ感動したね。そうとも、俺らはお前らの駒じゃない。こんなところで死んでいい人間なんか一人もいない。その正論を、此処ではっきりお前らに突きつけられる人間ってのがどんだけ貴重かわかるか。死なせるには惜しい人材だ、そうだろう?」

 此処からは、彼女の表情は見えない。それでも、聖也がにやりと笑ったのがわかるようだった。
 そもそも、白装束の男が言うことが正しいなら、聖也は未花子に飛んできた銃弾を、すんでのところで飛び出した上、自らのブレスレットにブチ当てることで防いだというのだ。
 そんな神業、この状況で可能なのか。というか、人間に本当にできるものなのだろうか。ブレスレットが壊れてしまうかもしれないとか、外したら大怪我をするかもしれないとは思わなかったのか。
 それとも、そんなことが過ぎらないほど、本気で自分を助けようと思ってくれたのか。

――なん、で?

 聖也と、話しをしたことがないわけではない。というか、クラス全員彼女と話したことのない人間はないだろう。なんせ彼女ときたらとにかくお喋りなのだ。いろんな人と、ひたすら喋りたがるタイプ。ナンパも激しい。未花子もチャラ男のようなナンパを受けて、その場のお約束で思わず蹴りを入れてしまう、というこをやったものである。ウザいがまあ、悪い奴ではないのだろうとは思っていた。みんな大好き!を公言するだけあって、聖也は困っている人を助けることに非常に熱心でもあったからだ。
 しかし、じゃあ未花子個人とそこまで仲が良かったというと、正直そんなこともないと思うのである。だから何故、と感じたのだ。親友にもなっていないのに、たった三日にも満たない付き合いで、何故そこまで自分を助けようなどと思えたのかと。

「こいつに限ったことじゃねえよ。あんたらが命じてんのは殺し合いじゃない、脱出ゲームだ。ここにいる全員が、生き残るための“大切な仲間”だ。一人も死なせたくないと思って何が悪い、なあ?」

 彼女は振り返ると、それこそ演説するかのように皆を見た。全員が大切な、仲間。その真摯な言葉に、混乱の極みにあった全員が少しずつ落ち着きを取り戻していくのがわかる。じんわりと、少しだけ温かい空気が流れていく。
 自分達は、仲間。そうだ、危うくそんな簡単なことを忘れるところであった。同じクラスで一緒に学び、遊んできた友人達。この恐ろしい状況であっても、だからこそ協力し合うことが必須だというのに。

「俺の最後の記憶は、ホームルームが始まるぞーってところで終わってる。うちの学校はそんな辺鄙なところに立ってるわけでもねえし、他のクラスにも人はいる。近隣住民もいる。修学旅行でバス一台まるごと拉致るのも大変だが、俺らの場合はもっと長い目で見た手回しと面倒がかかってたはずだ。コストもな。それでも選んだ理由が何なのかは知ったこっちゃねえが」
「確かにそうですね、それで?」
「加えてこのブレスレット。すげえ性能いいのは見せてもらってはっきりわかった。この小さなサイズで、人の手首だけしっかり吹っ飛ばし、他の場所には一切被害を齎さない。相当な科学技術、精密機械。しかも魔法に近いような不思議な技まで、声一つで発動できる力も秘めている。脅しの機械でもある以上、簡単にこれを壊されて生徒に逃げられたら意味がない……頑丈じゃない筈がねえと踏んだ。相当一個あたりのコストもかかってるんだ、簡単に壊れるなんてのはあんたらにとっても困るんだろう」

 それは、さっき彼女が“何故ブレスレットで銃弾を受け止められると踏んだのか”という説明だった。ひらひらと振る彼女の右手は、損傷を受けた形跡がない。銃弾が当たったと思しき部分は僅かにヘコんだような形跡が見えるが、ブレスレットが壊れたようには見えなかった。
 銃弾の着弾点を正確に見極めてブチ当てる、なんてことが人間業であるかは別として。それをやろうと思うだけの根拠が、確かに彼女にはあったということらしい。

「今、俺がこいつを助けるためにブレスレットで防御したのは、一種パフォーマンスでもある。俺の身体能力は、今のであんたらにも十分わかってもらえただろうさ。先に言っておく。俺は、素手でも人を殺すくらいのスキルはある。つか、あんたら俺らの所持品検査まではしてないみたいだしな」

 その上でだ、と。聖也は両手を広げて、アピールした。

「交渉しようぜ、アランサの使徒とやら。……ゲームのルール外で、澤江未花子を始めとした他の生徒を殺すのをやめてもらおうか。その約束が出来ないなら、俺はこのゲームを滅茶苦茶にして、あんたらの苦労を水の泡にしてやる」
「ほう?具体的には」
「ここにいる全員を殺して俺も自殺するってのはどうだ?ブレスレットの効果のテストもできないまま、拉致った莫大な費用だけかさんで終わるってのはやめたいはずだぜ。そもそもあんたらは、ブレスレット一個無駄に自爆させるのも本当は避けたいんだろ。さっき先生に使ったのは見せしめのために仕方ないとしても……未花子のブレスレットを爆破しようとしないで、拳銃で射殺しようとしたってのは、そういうことじゃねえのか?」

 なんてことを言うのだ、と未花子は恐れおののく。ここにいる全員を仲間だ、死なせたくないと言った上で。それでも仲間を一人殺すというのなら、全員で心中させると聖也は脅しているのである。
 勿論、そんなのはクラス全員ごめんだが。聖也なら、やるかどうかはともかく“できるのではないか”とたった今思わされたのも事実だろう。銃弾さえも見切って躱すことができる人間。しかも、転校初日から彼女の頑丈さと怪力は全員が見ているはずなのだ。

――この子、一体何者なの……?

 同時に。この、圧倒的に自分達の方が不利に見える状況で、全員を救う為に全員を人質にしてテロリストを脅そうというのだ。今もなお、銃口は聖也に向いているにも関わらず――なんという度胸と、頭の回転の速さだろう?

「……ふっ」

 やがて。どういう結論を出したのか――リーダーはゆっくりと銃口を下ろした。

「いいでしょう。私達とて、そのような結果となるのは本位ではありません。何より、貴女の正体にはとても興味がある。先ほど言ったように、私達が最終的に求めているのは、ブレスレットを使って悪魔と戦ってくれる優秀な人材です。貴女はなかなか、見込みがありそうだ」
「そりゃどーも」
「では、最後にルールをまとめましょう。ブレスレットにも同じデータを転送しておきますから、迷ったらもう一度見ておくように。ちなみにこの建物の中に地図のようなものはありませんので、マッピングは自分達で頑張ってしてくださいね。全員がこの部屋から出るとすぐ、この部屋は侵入禁止エリアとなります。所持品は持っていっていいですから、忘れ物などしないように気をつけてください」

 忘れ物、という妙に日常に慣れ親しんだ言葉がかえって滑稽に聞こえてくる。どうやら、危機はひとまず去ったらしい。その瞬間、未花子はどっと力が抜けてへたりこんでしまった。

「未花子、無理すんなって!」

 大毅が彼らしからぬ厳しい声で告げる。

「お前が言った言葉は正しいけど、死んだら元も子もない!今は大人しく従っておけ。それこそ、生徒同士で殺し合いしろと言われたわけでもない。ルールさえ守れば、全員で助かる可能性もあるんだ」

 元々同じ中学出身であったということもあって、彼とは下の名前で呼び合う程度には仲が良い。心配してくれたのはわかっていた。だからこそ、自分も危ないかもしれないのに必死で止めてくれたのだろう。うん、とどうにか未花子は頷くに止めた。そう。
 心の中に、もやもやと蟠るものを感じながらも。

――聖也は、全員が仲間だって言った。それは正しいしあたしもそう思う。みんなで生きて帰ることができるなら、それが一番いい。でも。

 アランサの使徒、とかいう頭のイカレた連中は――一言も言っていないのだ。鍵が、人数分あるなどということは。
 そして。



『鍵は複数ありますが、一つの鍵で出口が開くのは一度のみ。出口から外に出ることが許されるのは一人のみ。一つの鍵で二人以上の人間が出ようとすると、必ず二人目の人間はその場で“処刑”されることになりますのでご注意ください。他にも、我々“運営”に刃を向けた者も処刑となります。処刑方法はいくらでもありますが、そのうちの一つは……今この場で、お見せすることにしましょう』



 一つの鍵では一度しか出口が開かない。出口から外に出ることができるのは一人のみ。何故そんなことをわざわざ彼は告げたのか。
 それは、一度開いた鍵で二人以上が出なければならないと思うような状況が、発生しうるということではないのか?
 そういう試みでもしなければ、全員で生き残ることができないからではないのか?

――どうしよう……友達同士で、鍵を奪い合うことになったなら。

 ぎゅっと、不安を胸の内に閉じ込める。唯一希望があるとしたら、聖也の存在だ。彼女は説明を聴く前から、この状況を把握していた。説明が終わったら外で待っているといったのは、少なくとも数人以上はグループを作って行動しないとどうにもならなくなることを知っていたからではないのか?
 もし、彼女がこのデス・ゲームの発生を知った上で、転校してきたのだとしたら。
 此処から出るための方法も、作戦もあるのかもしれない。他力本願ではあるけれど。

――賭けるしかない。……彼女に。

 恐怖はある。絶望もある。怒りもある。それでも、確かなことは一つ。

――確かにあたしは今、聖也に命を救われたんだから。
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