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<26・使命>

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 慣れていることと、好んでいることは別である。血の臭いも飛び散る肉片にも内臓にも慣れてはいるが、だからといって何度も見て気持ちがいいものかどうかは別だ。舞紗は自分がたった今作った二つの死体をちらりと見る。さっきまで生きて泣き叫んでいた緑は、もう物言わぬ肉塊と貸している。
 舞紗はただ、能力を解除して彼女達を天井から床に落としただけではない。二階、三階程度の高さからただ落ちただけならば、人間は必ず死ぬとは限らないからである(勿論当たり所が悪かったり、落ちた場所が悪ければ話は別だが)。二階と少し程度の高さにも関わらず、緑と和泉の二人が体中の骨を砕かれて死ぬ羽目になったのは。単に、重力をゼロから一気に“通常の十倍”以上に引き上げたからだ。
 和泉はまだマシだが、緑は下手にもがいてしまったせいか悲惨なことになっている。手足がおかしな方向にねじ曲がっているだけではない。折れた肋骨が胸や腹を突き破り、肉と腹膜を引き裂いたためか内臓がどっさり溢れ出してしまっている状態である。蜷局を巻いたような血まみれの腸がなんともグロテスクで酷い臭いだ。首も一気にへし折れて頭がぐるんと上向いているから、そういった苦痛を感じる前に死ねたであろうことが唯一の救いであるが。

――さっさと片付けてくれないかな。臭いが酷いわ。

 自分はただ、宇崎舞紗というキャラクターを演じていただけ。柏木高校一年二組のメンバーに、特に愛着など持っていたつもりはない。そもそも今までいろんなやり方で人の死に関わってきて、直接的にも間接的にも多くの人間を死に至らしめて来たのだ。ほんの少し一緒に過ごした程度の者達が死んだから、それを自分が行ったからというだけで罪悪感を感じたりはしないのである。緑は本気で和泉という一人の少年を助けようとしていて、その気概だけは買ってもいいとは思っていたけれど。
 大事なことは一つ。悪魔を倒す戦士になりうるかどうか、それだけだ。
 そもそも、このクラスの連中はみんな勘違いをしているのではなかろうか。アランサの使徒の幹部は、一番最初にきちんと説明したはずである。



『おお、気づかれましたね、そこのお嬢さん。そうこのブレスレットはまだ完成していないのです。現在は実証実験を繰り返している最中とでも言えばいいでしょうか。もうお分かりですね?皆さんにはこのブレスレットの性能と有効活用法を見出すための実験に協力していただきたいのですよ』



『最終的には、若い青少年にこれを使い、悪魔と戦う勇敢な戦士として育っていただきたいのです。だから我々は実験対象として、皆様高校生を選びました』



『説明を続けますね。まず大前提として、この実験にご協力頂いているのは皆さんだけではありません!数多くの、様々な年代の方にご協力いただいております。最年少では小学生から、上は中高年の方々まで様々。できればお話した上で進んでご協力頂きたいのですが……我々もまだ知名度の低い組織ですし、なかなか真摯に話を受け止めていただくことができません。ですので、このようにやむなく“強制的に”ご招待させていただいているわけです』



『我々としては、ブレスレットの性能のテストをすると同時に……今回のゲームで生き残ることのできる優秀な人材をも求めています。説明したように、我々がこのブレスレットを開発して皆さんに実験をお願いしているのは、悪魔と戦うための手段を得るため。そのブレスレットを使いこなし、悪魔を倒すことのできる人材は積極的に採用したいのです。ですので……我々としても、ひとりでも多くの方々に生き残って下さった方が有難いのですがね……』



 誰も。
 このゲームをクリアして、脱出できたなら――無事に家に返してやるなどと、一言も言っていないのである。ゲームをクリアできるだけの力を持った人間は、そのままアランサの使徒の戦士候補生として施設に送られることになるのだ。当然、命は一旦保証されてもそのまま自宅になど帰れるはずがないのである。
 自分達はあくまで、ブレスレットの性能テストをし、それを使いこなして化物や罠を回避し、頭を使って鍵を入手できるような優秀な人材のスカウトがしたいのだ。ならば、その条件を明らかにクリアできていなさそうなのに、鍵だけ持って出口から出てこようとする人間がいたらどうするか?当然、戦士として使えそうにないからテストをやり直す、あるいは続行させることになる。最初にこちらの意図はきちんと説明しているのに、何故彼らは“鍵だけ持ってこれば脱出できる”なんてことを当然のように考えるのだろうか。

「頭が空っぽな人間は、本当に困ります」

 舞紗は、緑が出口の鍵穴に突っ込んだままの鍵を引き抜いた。結局扉は開かれていないので、これはまだ使えるだろう。とりあえず自らのスカートのポケットに突っ込んでおくことに決める。

「貴方もそうは思いませんか……屑霧君」

 緑は、舞紗と出口しか目に入っていなかったので全く気づいていなかったが。実のところ、この部屋にはもう一人人間が待機していたのである。
 屑霧海人。長身で端正な顔立ちの少年は、うっすらと笑みを浮かべて闇の中から姿を現した。彼もまた、舞紗と同じ。アランサの使徒の中から、このクラスに潜入するように命じられた“戦士”の一人である。

「そう言ってやるな。普通の高校生がいきなりこんなゲームに巻き込まれたんだ。ブレスレットの能力だって、お試しで練習できる時間があったわけでもない。それなのにここまで生き残って、どんな形であれ鍵を手に入れて出口まで到達した。個人的には、十分賞賛に値すると思うが?」

 クールな一匹狼と、頼れる学級委員長。この二人が組んでゲームをコントロールしようとしていたなど、あの桜美聖也さえも予想していなかったことだろう。
 まあ実際には、まだ海人は一人も殺していないはずだし、舞紗も殺したのは緑と和泉の二人だけである。自分達が引っ掻き回さなくても、想像以上に生徒達は自滅して数を減らしていってくれた。普通の生徒に見えて、実はトチ狂っていたサイコパスが三人もいたというのはなかなかの僥倖だろう。一時は二十二人も団結してしまって、このまま誰も死なず、能力も殆ど使わず、聖也の力だけで順当に鍵を手に入れていってしまうのではないかと危惧していたのだが。

「貴方は少し評価が甘すぎます。……まあ、見立てが甘かったのは私も同じですけど。正直、水車恭二があそこでリタイアするのは意外でした。彼は能力をとても上手に使いこなしていましたし、我流で学んだ喧嘩の腕も一流でした。戦士として鍛えれば、素晴らしい戦力として期待できたでしょうに……とても残念です」
「そうだな、だが掘り出し物もあった、そうだろう?」
「まあ、そうですね」

 小倉篠丸。仲間を傷つける者を狩る者として、目覚めた少年。果たして通信能力しか持たない“悪魔狩り”は、残る悪魔である唐松美波と守村耕洲の二人を狩ることができるのだろうか?
 そもそも、自分達が“通信できるだけ”の能力を四人もの人間に渡したのには訳があるのだ。その力を渡した彼らは、指揮官や策士としての活躍が期待できそうなメンバーばかりであったのである。実際、その“通信係”をリーダーとして班分けされたチームは、あるところまではうまく機能していた。少々、毒島彩也だけは期待はずれであったが――小倉篠丸は仲間の能力をうまく活用して鍵の多くの在り処を確定させたし、鏑木夏俊は聖也の能力を作戦によって温存させた上で化物を狩り続けている。前田南歩も、彼女のチームが唯一ゲットできた鍵は、彼女の機転に寄るものだったと言っても過言ではない。
 彼らは能力を大して使わずとも、その作戦で仲間を勝利に導ければ、評価を与えて脱出を許していいということになっていた。そういう意味では、今回はなかなかの豊作であったと言っていい。ほとんどの者達が、立派に役目を果たしたのだから。特に小倉篠丸は、もしこのままあの悪魔のカップルを作戦だけで刈り取ることができたとしたら――今後の“戦い”においても大きな戦果を期待できる逸材となるだろう。

――もう随分生徒も減った。残るは……十三人。

 鏑木夏俊。刈谷大毅。澤江未花子。久喜天都。
 毒島彩也。小瀧集。
 小倉篠丸。久瀬明日葉。
 唐松美波。守村耕洲。

 そして、自分達宇崎舞紗と、屑霧海人。あの桜美聖也、だ。

「鏑木夏俊のチームは鍵を三つ入手している。久瀬明日葉も鍵を持った状態で合流するだろう。そのチームのメンバーから、数名脱出させようと考えてもおかしくはないな。桜美聖也は最後まで残るし、恐らく鏑木夏俊もまだ残りたがるだろう。その二人が鍵を持ってくるなら、すぐに脱出させてやっても問題ないんだが……問題はそれ以外の連中だな」

 どうする?と海人が告げる。

「四人、脱出するためにそろそろ出口に向かうはず。だが、正直なところ“貢献度”の高いメンバーは多くはない。二択、の実力を示した久瀬明日葉はそのまま脱出させてやってもいいが、それ以外の連中はほとんど桜美聖也に守られて化物とろくに戦ってもいないぞ。脱出させていいラインを超えている、とは思えないが?」

 それは、ほぼほぼ舞紗と同意見だった。このまま出口に鍵を持ってきて、すんなり通していいと思えるのは鏑木夏俊、小倉篠丸、久瀬明日葉、桜美聖也くらいなものだろう。いや、このまま普通に生き延びてこられたら、唐松美波と守村耕洲も脱出させていい。問題は、それ以外の者達が鍵を持ってきた場合だ。
 なんとかして、自分達で追い返さなければなるまい。裏を返せば極端な話、自分達をチームプレーで撃退できるような奴らなら、そのまま脱出させても戦力として十分期待できるということだ。

「上からの情報通りなら、このままだとこの出口に久瀬明日葉をはじめとしたメンバーがぞろぞろ向かいそうですね。……テストをしますか?」

 舞紗が尋ねると、そうだな、と海人も頷く。が、スパイに特別に配布されたタブレットを操作していた彼は、ちょっと待て、とすぐに制止の声を上げた。

「その前に、面白いものが見られるかもしれないぞ。下の方の出口に、唐松美波と守村耕洲が向かってる。そして、そこに小倉篠丸も接近中だ。唐松美波と守村耕洲は、まだ鍵を手に入れられていないはずだが……どうするつもりなんだろうな?」

 クールな彼が、久しぶりに心底楽しそうに笑っている。それほどまでに、小倉篠丸の活躍に期待しているということなのだろう。

「まだこっちは時間がありそうだ。……この面白いものの行方を見守ってから、にしても……遅くはあるまい?」
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