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<32・詭弁>
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何故だか漫画やアニメの世界だと、敵が“冥土の土産に”うんたらかんたらと言って、あっさり自分の能力を暴露してきたりするものだが。あれはどう考えても現実的ではないよな、と聖也は思うのである。だって、戦っている相手に、自分の手の内をあっさり見せるメリットが一体何処にあるのだろう?それで相手の心を折る為、というのならかろうじて分からなくもないが。知識を得ることで対策されやすくなりデメリットに勝ることはそう多くはないはずである。
ゆえに。自分の能力を相手に語るとしたらそれは――ブラフか、ミスリード以外に有り得ないと聖也は考えている。ブラフを信じさせるために、あえてそこにリアルを織り交ぜて真実味を持たせるというのは有効だろう。まさに、今回聖也が取ったのはそういう手段だった。戦いは、聖也と美波が言葉を交わしたその時にはもう始まっていたのである。
『“武器”』
聖也はわざと、自分の能力名を明かしてみせた。その二文字を語るだけで、相手が能力の正体を想像しやすくなるとわかっていながら。
否、今回の場合はむしろ、相手に聖也の能力を想像させてミスリードを誘うためにあえて語ったのである。
『俺の能力は武器……実在する武器なら、回数制限つきで何でも呼び出せるってやつなんだけどな。実は、“俺が武器だと認識すれば”一般的に武器に該当しないものであっても呼び出せるんだ。例えばこの“暗幕”とか、な!』
あの時。聖也は大きな暗幕を手にとって、わざわざそんな説明を美波にしてみせた。美波が歴戦の戦士なら、ここで一つ疑問を抱いておくべきであったのである。
聖也ははっきりと“実在の武器でなければ呼び出せない”と口にした。それは、本来ならば隠しておいた方がブラフとして有効である。ファンタジーな魔法の杖、威力が桁外れの魔法バズーカのようなものも創造できるかもしれない――そう考えた方がずっとずっと相手にとって脅威に映るからである。実在の武器と限定した時点で、それらの多くが排除されることになる。一番恐ろしいものとして、精々思い浮かぶのは拳銃くらい。毒ガスやら爆弾やらなんてものは、自分が被害を被ることを考えるなら呼び出せても使えないことくらい簡単に想像がついてしまうことだろう。
では、何故その、本来ならばデメリットとなる情報をあえて公開したか。
簡単なこと。己の説明に、少しでも真実味を持たせるため。実は、聖也はあの台詞の中で嘘は一つも述べていない。武器と認識すれば、一般的に武器に該当しないものでも呼び出せるというのも紛れもない真実である。暗幕を武器として認識し、使用することも当然可能だ。だが。
暗幕を手に持ってその台詞を語ったことイコール、“自分の能力でこいつを召喚した”とは一言も述べていないのである。美波がそう誤認するように仕向けたというだけで。
――そもそも、俺の能力で呼び出した武器は“手を離れてしまうと一分で消滅してしまう”ものだ。俺の能力の弱点をこいつが正しく知っていたならわかったはず。この暗幕が、俺の能力によって召喚されたものではないことくらいはな。
「夏俊、終わったぜ。もう出てきていいぞ」
聖也はよいしょ、と気絶した美波を担ぐと、夏俊に声をかける。彼はひょこり、と入口近くの柱の影から顔を出した。実はこの現場には、聖也一人で来たわけではない。夏俊と二人で増援に駆けつけたのである。全ては夏俊に“通信”してもらい、彼とともに立案した作戦を実行に移すために。
そう、あの大きな複数の黒い布は。いかにも聖也の能力で出現させたように見せかけて、実は全く別の場所から小瀧集の“転移”で転送させたものであったのである。予め、最後の戦いで使えそうな道具を集には一箇所に集めて貰っていた。そのうちの一つが、あの複数枚の大きな黒い布、暗幕というやつであったのだ。ブラインドとして、攪乱に使うのに実に有効。今回はまさにそれで役立ってくれたというわけである。
何故、自らの能力を使ったように美波に見せかけたのか。
それは、美波に“聖也が使用回数制限の厳しそうな能力を使わせた”と油断させるためであると同時に、彼女に聖也の能力を誤解させるために他ならない。聖也は自らの怪力を使って、暗幕数枚を美波に投げつけ、自分は身を隠すという行動を繰り返した。それにより美波が“聖也が言ってもいない能力のキモ”を確信、ミスリードさせたのである。
つまり。“聖也は同じ武器ならば複数個出現させることができ、それが今まさに出ている暗幕である”と。
そして“暗幕を出している間は、他の武器を出現させることができない。聖也はあれに紛れて素手で自分を倒しに来るか、あるいはタイミングを見計らって暗幕を消し、新たな武器を出現させて自分を討つつもりに違いない、と。
あるところまでは、正しい。実際聖也は、一つの武器を出している間、別の武器を出現させることができないからだ。だが、美波は暗幕を聖也の能力によりものだと誤解していて、実際はそうではなかった。聖也は暗幕による攪乱を続け、わざとパターンを作ることによって美波にそれを先読みさせ――そこで生まれた隙を突くことに成功した。暗幕が出現しているのに次の武器が出てくることなどありえない、そう思っていた美波はさぞかし混乱したことだろう。実際は、自分以外の能力で呼び出した暗幕に紛れて聖也自身の能力を発動し、“スタンガン”を召喚したというそれだけのことであるのだが。
最初から、聖也は美波を殺すつもりがなかった。
気絶させることができる武器以外を向けるつもりは毛頭無かったのである。それは、美波に生きる権利を与えたかったとか、殺したくなかったというのとは少し違う理由ではあるのだが。
「……お疲れ様、聖也。作戦通りうまくいってよかったな」
「おう、夏俊がいろいろ考えてくれたおかげだ。ありがとな」
「俺は半分しか考えてないって」
「そんなことねえよ。……それより、篠丸を見に行ってやってくれるか。相当消耗しているみたいだしさ」
聖也が水を向けると、夏俊もようやく思い至ったのかパタパタと篠丸のところへ駆けて行った。彼の下着やズボンはまだコンクリートの上に放置されている。つまり篠丸は、暴力を受けた痛々しい状態のまま半裸で隠れていたのだ。曲りなりにも女の自分に、その痕跡を見せたくはないだろう。――彼に乱暴したのは男性であるから、同じ男性である夏俊に対しては別の恐怖を抱いてしまう可能性もあるが。
――篠丸は……仲間を平気で殺すような連中を、憎悪していた。美波と耕洲を殺すつもりで篠丸から近づいたんだろう。
美波と耕洲に関しては、以前からちょいちょいと悪い噂が聞こえていたようだ。普通の生徒達は“不良と付き合いのある、表向きは優等生のカップル”くらいの認識であったようだが聖也が違う。自分の組織のツテで、クラスメート全員に関してはこの短期間で調べられるだけのことは調べたのだ。特に、唐松美波のおぞましい性癖についてはかなり丁寧に調査してあったのである。正直、最初から要注意人物であったのは間違いない。彼女は自分が追い求める“魔女”に、ある意味とても似た性癖の持ち主であったのだから。
美波は己を天性のサディストであり、生まれ持った支配者だと信じていた。
全ての男は己に傅く為に存在していると、本気で信じて疑わなかったようだ。美波は男をとっかえひっかえにしていたようだが、美波に捨てれたとされる少年達の末路はどれもこれも悲惨なものであったのである。薬物中毒になった者、性器や肛門をズタズタに傷つけられ、普通の生活ができなくなってしまったもの。あるいは、性欲が抑えきれなくなり、病院から出られなくなってしまった者もいるのだとか。
そんな彼女の荒れた素行が、少しでも落ち着いたのは――守村耕洲と出会ってからのことである。耕洲も耕洲で、親に相当酷い虐待を受けていたらしく。そうして無理矢理に植えつけられた被虐嗜好が、美波の加虐嗜好とぴったりマッチしたということであったらしい。美波は耕洲を彼氏にして以来、ぴったりと男漁りを止めたという話である。
『ていうか、私達よりタチ悪いのよこいつ!私達は生き残るためにやむなく人を殺してきただけ!こいつは、自分が殺されそうになったわけでもないのに、人を悪魔呼ばわりして最初から殺しに来てる!悪魔はどっちだってのよ、同じ人殺しでも雲泥の差だわ!こいつだけは絶対に殺す殺す殺す殺すのよ!耕洲君が生きてたら、もっとぐちゃぐちゃに孕むくらい犯して潰して、地獄を味あわせてやることもできたっていうのに!!ああああクソ、クソ、ほんとクソ!!』
どれほど歪んでいても、おぞましくても。
美波が耕洲を愛していたのもまた、事実ではあったのだろう。だからあれほどまでに奪われて怒り狂ったのだ。それが、悲しみと呼ばれるものであると本人がどこまで自覚していたのかはわからないが。
ただ、覚悟が足らなかった。
誰かから奪い続けるということはつまり、いずれそのしっぺ返しを己が食らうということに他ならなかったというのに。
――そんな美波だからこそ、自分より圧倒的弱者である篠丸が……戦うための能力さえも持たず、使わず、自分に牙を剥くだなんて思ってもみなかったんだろうな。
ちらり、と倒れて動かない耕洲を見る。下半身を露出させたままの男は、信じられないといった様子で目を見開いたまま絶命していた。
彼も彼で、歪みを抱えたまま、救われぬまま命を失った。それとも美波と共にあることで、彼は唯一といっていいほどの幸福を享受できていたのだろうか。いずれにせよ、美波にどれほど心酔していたとはいえ――罪もないクラスメートの命を理不尽に奪った事実は消えないが。
――耕洲を失ったことで、美波もいつか気づくんだろうか。この世界にいるのは、奪う者と奪われる者なんかじゃない。奪う者はいつか必ず、奪われる者に落とされる。奪うことなく何かを与えて欲しいなら、自分もまた誰かに何かを与えられる人間になるしかないんだ。
そのまま出口に向かおうとした、その時。
「何を、する気なの……」
後ろから、声がかかった。振り向けたば、夏俊に肩を貸してもらった状態の篠丸が、青ざめた顔でこちらを見ている。
恐らく、内臓に酷い損傷を負っているのだろう。さっきから、その足を鮮血が伝い続けている。発熱もしているのか、息も随分荒い。
どこまで無理をしたんだ、と聖也は苦しくてたまらなくなる。確かに、特別な能力を持たない篠丸が美波と耕洲に一矢報いるには、それこそ色仕掛けでもなんでも駆使するしかなかったのかもしれないが。だとしても高校生の、恐らくまだ女の子と寝たこともないような男の子が。好きでもない男に犯されてでも、その使命は果たさなければならないものであったのだろうか。そうまでしなければいけないほど、彼は追い詰められていたのか。
「まさか、唐松美波を殺さない気?それどころか、脱出させるつもりとか言ってるんじゃないよね?」
篠丸は。明らかな苦痛をにじませながらも、それでも射殺さんばかりの強い目で聖也を睨みつけてきた。
「そいつの話、聞いてたでしょ。生かしておいたらろくなことにならない。僕だって、このまま出口から脱出できて、そのまま解放されるとは思ってないけど……なんにせよ、野放しにしていい相手でもない。生かしておくべきでもない。死んで償わせるのが、一番の道理だと思うけど?結局守村耕洲と組んで何人殺したと思ってるのさ」
彼の怒りは、本来なら半分は水車恭二に向けられるべきものであったのだろう。だが、彼はもういない。篠丸にとっては、恭二を殺したところで、その“悪”を滅ぼしたとは認められなかったというわけだ。それを考えると、八つ当たりの要素がないとは言い切れないだろう。そう考えると多少、美波と耕洲が不憫であるとも思わなくはない。
だが。それでも彼に、復讐の権利がないと言えばきっとそんなことはなくて。
彼の行動を、完全な間違いと断定することも、正義と認めることも、きっと他の誰かにはとてもとても難しいことなのだ。何故ならそんな善悪論など、ほんの少し違う角度で見ればひっくり返るものであるのだから。
ゆえに、聖也は。
「……そうだな。こいつは、野放しにしておいていい相手じゃない。本来なら無力化するためには、殺しちまうのが一番安全なのかもしれないさ」
でもな、と。聖也は真正面から篠丸を見る。
「でもな。……死んだら、終わりだ。本当の罪を償わせたいなら、生かして償わせなきゃ意味がないと俺は思う。こいつには罰が必要だ。耕洲がいない世界で、独りぼっちで、苦しんで生きるっていう罰が。そして、自分がした罪と向き合って本気で後悔でもしなきゃ……死んだ奴らも浮かばれねえよ。それでも足らなけりゃ、その時殺すことを考えればいい。それが、相手を楽にしてしまわないのならな」
「詭弁だよ、そんなのは。救いようのない悪なんていくらでもいる」
「そうだな、それは確かだ。こいつのやったことは屑だしな。でも……」
聖也は美波を小脇に抱えてスタスタと出口に歩み寄ると、その鍵穴に――一本だけ持っていた鍵を差し込んだ。そしてかちゃり、と回す。
鍵を使ったのが聖也でも、そこを通るのが別人ではいけないなんて決まりはないだろう。一人しか通らないなら、ルール違反にはならないはずだ。聖也はガラガラとシャッター型の扉を持ち上げ、美波の身体を放り込む。
「屑でも……人間だ。人間の余地がないわけじゃない。だからこそ、悪魔になったんだから」
これで、生きて残っている人間は十一人。
物語の決着は近い。聖也はそっと、斜め上――もうひとつの出口の方を見上げたのだった。
ゆえに。自分の能力を相手に語るとしたらそれは――ブラフか、ミスリード以外に有り得ないと聖也は考えている。ブラフを信じさせるために、あえてそこにリアルを織り交ぜて真実味を持たせるというのは有効だろう。まさに、今回聖也が取ったのはそういう手段だった。戦いは、聖也と美波が言葉を交わしたその時にはもう始まっていたのである。
『“武器”』
聖也はわざと、自分の能力名を明かしてみせた。その二文字を語るだけで、相手が能力の正体を想像しやすくなるとわかっていながら。
否、今回の場合はむしろ、相手に聖也の能力を想像させてミスリードを誘うためにあえて語ったのである。
『俺の能力は武器……実在する武器なら、回数制限つきで何でも呼び出せるってやつなんだけどな。実は、“俺が武器だと認識すれば”一般的に武器に該当しないものであっても呼び出せるんだ。例えばこの“暗幕”とか、な!』
あの時。聖也は大きな暗幕を手にとって、わざわざそんな説明を美波にしてみせた。美波が歴戦の戦士なら、ここで一つ疑問を抱いておくべきであったのである。
聖也ははっきりと“実在の武器でなければ呼び出せない”と口にした。それは、本来ならば隠しておいた方がブラフとして有効である。ファンタジーな魔法の杖、威力が桁外れの魔法バズーカのようなものも創造できるかもしれない――そう考えた方がずっとずっと相手にとって脅威に映るからである。実在の武器と限定した時点で、それらの多くが排除されることになる。一番恐ろしいものとして、精々思い浮かぶのは拳銃くらい。毒ガスやら爆弾やらなんてものは、自分が被害を被ることを考えるなら呼び出せても使えないことくらい簡単に想像がついてしまうことだろう。
では、何故その、本来ならばデメリットとなる情報をあえて公開したか。
簡単なこと。己の説明に、少しでも真実味を持たせるため。実は、聖也はあの台詞の中で嘘は一つも述べていない。武器と認識すれば、一般的に武器に該当しないものでも呼び出せるというのも紛れもない真実である。暗幕を武器として認識し、使用することも当然可能だ。だが。
暗幕を手に持ってその台詞を語ったことイコール、“自分の能力でこいつを召喚した”とは一言も述べていないのである。美波がそう誤認するように仕向けたというだけで。
――そもそも、俺の能力で呼び出した武器は“手を離れてしまうと一分で消滅してしまう”ものだ。俺の能力の弱点をこいつが正しく知っていたならわかったはず。この暗幕が、俺の能力によって召喚されたものではないことくらいはな。
「夏俊、終わったぜ。もう出てきていいぞ」
聖也はよいしょ、と気絶した美波を担ぐと、夏俊に声をかける。彼はひょこり、と入口近くの柱の影から顔を出した。実はこの現場には、聖也一人で来たわけではない。夏俊と二人で増援に駆けつけたのである。全ては夏俊に“通信”してもらい、彼とともに立案した作戦を実行に移すために。
そう、あの大きな複数の黒い布は。いかにも聖也の能力で出現させたように見せかけて、実は全く別の場所から小瀧集の“転移”で転送させたものであったのである。予め、最後の戦いで使えそうな道具を集には一箇所に集めて貰っていた。そのうちの一つが、あの複数枚の大きな黒い布、暗幕というやつであったのだ。ブラインドとして、攪乱に使うのに実に有効。今回はまさにそれで役立ってくれたというわけである。
何故、自らの能力を使ったように美波に見せかけたのか。
それは、美波に“聖也が使用回数制限の厳しそうな能力を使わせた”と油断させるためであると同時に、彼女に聖也の能力を誤解させるために他ならない。聖也は自らの怪力を使って、暗幕数枚を美波に投げつけ、自分は身を隠すという行動を繰り返した。それにより美波が“聖也が言ってもいない能力のキモ”を確信、ミスリードさせたのである。
つまり。“聖也は同じ武器ならば複数個出現させることができ、それが今まさに出ている暗幕である”と。
そして“暗幕を出している間は、他の武器を出現させることができない。聖也はあれに紛れて素手で自分を倒しに来るか、あるいはタイミングを見計らって暗幕を消し、新たな武器を出現させて自分を討つつもりに違いない、と。
あるところまでは、正しい。実際聖也は、一つの武器を出している間、別の武器を出現させることができないからだ。だが、美波は暗幕を聖也の能力によりものだと誤解していて、実際はそうではなかった。聖也は暗幕による攪乱を続け、わざとパターンを作ることによって美波にそれを先読みさせ――そこで生まれた隙を突くことに成功した。暗幕が出現しているのに次の武器が出てくることなどありえない、そう思っていた美波はさぞかし混乱したことだろう。実際は、自分以外の能力で呼び出した暗幕に紛れて聖也自身の能力を発動し、“スタンガン”を召喚したというそれだけのことであるのだが。
最初から、聖也は美波を殺すつもりがなかった。
気絶させることができる武器以外を向けるつもりは毛頭無かったのである。それは、美波に生きる権利を与えたかったとか、殺したくなかったというのとは少し違う理由ではあるのだが。
「……お疲れ様、聖也。作戦通りうまくいってよかったな」
「おう、夏俊がいろいろ考えてくれたおかげだ。ありがとな」
「俺は半分しか考えてないって」
「そんなことねえよ。……それより、篠丸を見に行ってやってくれるか。相当消耗しているみたいだしさ」
聖也が水を向けると、夏俊もようやく思い至ったのかパタパタと篠丸のところへ駆けて行った。彼の下着やズボンはまだコンクリートの上に放置されている。つまり篠丸は、暴力を受けた痛々しい状態のまま半裸で隠れていたのだ。曲りなりにも女の自分に、その痕跡を見せたくはないだろう。――彼に乱暴したのは男性であるから、同じ男性である夏俊に対しては別の恐怖を抱いてしまう可能性もあるが。
――篠丸は……仲間を平気で殺すような連中を、憎悪していた。美波と耕洲を殺すつもりで篠丸から近づいたんだろう。
美波と耕洲に関しては、以前からちょいちょいと悪い噂が聞こえていたようだ。普通の生徒達は“不良と付き合いのある、表向きは優等生のカップル”くらいの認識であったようだが聖也が違う。自分の組織のツテで、クラスメート全員に関してはこの短期間で調べられるだけのことは調べたのだ。特に、唐松美波のおぞましい性癖についてはかなり丁寧に調査してあったのである。正直、最初から要注意人物であったのは間違いない。彼女は自分が追い求める“魔女”に、ある意味とても似た性癖の持ち主であったのだから。
美波は己を天性のサディストであり、生まれ持った支配者だと信じていた。
全ての男は己に傅く為に存在していると、本気で信じて疑わなかったようだ。美波は男をとっかえひっかえにしていたようだが、美波に捨てれたとされる少年達の末路はどれもこれも悲惨なものであったのである。薬物中毒になった者、性器や肛門をズタズタに傷つけられ、普通の生活ができなくなってしまったもの。あるいは、性欲が抑えきれなくなり、病院から出られなくなってしまった者もいるのだとか。
そんな彼女の荒れた素行が、少しでも落ち着いたのは――守村耕洲と出会ってからのことである。耕洲も耕洲で、親に相当酷い虐待を受けていたらしく。そうして無理矢理に植えつけられた被虐嗜好が、美波の加虐嗜好とぴったりマッチしたということであったらしい。美波は耕洲を彼氏にして以来、ぴったりと男漁りを止めたという話である。
『ていうか、私達よりタチ悪いのよこいつ!私達は生き残るためにやむなく人を殺してきただけ!こいつは、自分が殺されそうになったわけでもないのに、人を悪魔呼ばわりして最初から殺しに来てる!悪魔はどっちだってのよ、同じ人殺しでも雲泥の差だわ!こいつだけは絶対に殺す殺す殺す殺すのよ!耕洲君が生きてたら、もっとぐちゃぐちゃに孕むくらい犯して潰して、地獄を味あわせてやることもできたっていうのに!!ああああクソ、クソ、ほんとクソ!!』
どれほど歪んでいても、おぞましくても。
美波が耕洲を愛していたのもまた、事実ではあったのだろう。だからあれほどまでに奪われて怒り狂ったのだ。それが、悲しみと呼ばれるものであると本人がどこまで自覚していたのかはわからないが。
ただ、覚悟が足らなかった。
誰かから奪い続けるということはつまり、いずれそのしっぺ返しを己が食らうということに他ならなかったというのに。
――そんな美波だからこそ、自分より圧倒的弱者である篠丸が……戦うための能力さえも持たず、使わず、自分に牙を剥くだなんて思ってもみなかったんだろうな。
ちらり、と倒れて動かない耕洲を見る。下半身を露出させたままの男は、信じられないといった様子で目を見開いたまま絶命していた。
彼も彼で、歪みを抱えたまま、救われぬまま命を失った。それとも美波と共にあることで、彼は唯一といっていいほどの幸福を享受できていたのだろうか。いずれにせよ、美波にどれほど心酔していたとはいえ――罪もないクラスメートの命を理不尽に奪った事実は消えないが。
――耕洲を失ったことで、美波もいつか気づくんだろうか。この世界にいるのは、奪う者と奪われる者なんかじゃない。奪う者はいつか必ず、奪われる者に落とされる。奪うことなく何かを与えて欲しいなら、自分もまた誰かに何かを与えられる人間になるしかないんだ。
そのまま出口に向かおうとした、その時。
「何を、する気なの……」
後ろから、声がかかった。振り向けたば、夏俊に肩を貸してもらった状態の篠丸が、青ざめた顔でこちらを見ている。
恐らく、内臓に酷い損傷を負っているのだろう。さっきから、その足を鮮血が伝い続けている。発熱もしているのか、息も随分荒い。
どこまで無理をしたんだ、と聖也は苦しくてたまらなくなる。確かに、特別な能力を持たない篠丸が美波と耕洲に一矢報いるには、それこそ色仕掛けでもなんでも駆使するしかなかったのかもしれないが。だとしても高校生の、恐らくまだ女の子と寝たこともないような男の子が。好きでもない男に犯されてでも、その使命は果たさなければならないものであったのだろうか。そうまでしなければいけないほど、彼は追い詰められていたのか。
「まさか、唐松美波を殺さない気?それどころか、脱出させるつもりとか言ってるんじゃないよね?」
篠丸は。明らかな苦痛をにじませながらも、それでも射殺さんばかりの強い目で聖也を睨みつけてきた。
「そいつの話、聞いてたでしょ。生かしておいたらろくなことにならない。僕だって、このまま出口から脱出できて、そのまま解放されるとは思ってないけど……なんにせよ、野放しにしていい相手でもない。生かしておくべきでもない。死んで償わせるのが、一番の道理だと思うけど?結局守村耕洲と組んで何人殺したと思ってるのさ」
彼の怒りは、本来なら半分は水車恭二に向けられるべきものであったのだろう。だが、彼はもういない。篠丸にとっては、恭二を殺したところで、その“悪”を滅ぼしたとは認められなかったというわけだ。それを考えると、八つ当たりの要素がないとは言い切れないだろう。そう考えると多少、美波と耕洲が不憫であるとも思わなくはない。
だが。それでも彼に、復讐の権利がないと言えばきっとそんなことはなくて。
彼の行動を、完全な間違いと断定することも、正義と認めることも、きっと他の誰かにはとてもとても難しいことなのだ。何故ならそんな善悪論など、ほんの少し違う角度で見ればひっくり返るものであるのだから。
ゆえに、聖也は。
「……そうだな。こいつは、野放しにしておいていい相手じゃない。本来なら無力化するためには、殺しちまうのが一番安全なのかもしれないさ」
でもな、と。聖也は真正面から篠丸を見る。
「でもな。……死んだら、終わりだ。本当の罪を償わせたいなら、生かして償わせなきゃ意味がないと俺は思う。こいつには罰が必要だ。耕洲がいない世界で、独りぼっちで、苦しんで生きるっていう罰が。そして、自分がした罪と向き合って本気で後悔でもしなきゃ……死んだ奴らも浮かばれねえよ。それでも足らなけりゃ、その時殺すことを考えればいい。それが、相手を楽にしてしまわないのならな」
「詭弁だよ、そんなのは。救いようのない悪なんていくらでもいる」
「そうだな、それは確かだ。こいつのやったことは屑だしな。でも……」
聖也は美波を小脇に抱えてスタスタと出口に歩み寄ると、その鍵穴に――一本だけ持っていた鍵を差し込んだ。そしてかちゃり、と回す。
鍵を使ったのが聖也でも、そこを通るのが別人ではいけないなんて決まりはないだろう。一人しか通らないなら、ルール違反にはならないはずだ。聖也はガラガラとシャッター型の扉を持ち上げ、美波の身体を放り込む。
「屑でも……人間だ。人間の余地がないわけじゃない。だからこそ、悪魔になったんだから」
これで、生きて残っている人間は十一人。
物語の決着は近い。聖也はそっと、斜め上――もうひとつの出口の方を見上げたのだった。
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