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<35・海人>

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――さて、連中はどう出てくるか?

 海人は出口へ歩いていく明日葉を見送りながら思う。勿論、この間も未花子から意識は逸らさない。天都と大毅がそれとなく未花子から離れているのも気にかかるが、とにかく今一番気にするべきが彼女であることに間違いはない。その最大の理由は、未花子がこの面子の中でリーダー的なポジションであるというのもあるが、それ以上に彼女の能力が要警戒レベルであるからだ。

――澤江未花子の能力は“毒薬”だったな。この能力は、強力である割に制限回数は“十回”と比較的ゆるい。しかも、使い方次第では様々な策に応用できる厄介なものだ。

 ちなみに、どのメンバーにどの能力を割り振るか?というのはアランサの使徒の幹部が細かく精査している。当然、そこに属する海人と舞紗も、誰がどんな能力を渡されているかは把握しているわけだ。通信の能力を渡された四人は、それぞれ“指揮官”としての役割を期待された者達である。ゆえに、連携の取りやすく使用回数制限のない通信能力を付与され、能力とは別の役割を期待されていたのだった。残念ながら毒島彩也は少々腰抜けであったようだし、前田南歩は逆に仲間を守ってゲームオーバーしてしまったようだが。それはそれ、今後のデータとして十分参考になるものではあるだろう。
 サポート用能力を渡された者は、サポート役としての役割を。
 攻撃的な能力を渡された者は、攻撃役としての役割を期待されていたというわけだ。
 聖也に関しては転校生ということで情報があまりにも少なかったが(今から思うと、転校前のデータは改竄されたのものだったのだろう。使徒側のセキュリティに引っかかってこない上、未だに彼女の所属する組織とやらが割れないのだがら大したものだが)、それでも体育の授業などで十分その身体能力の高さ、度胸は測れるというものである。彼女なら、“強力だが扱いが難しく、五回しか使えない”武器の力も使いこなせるだろうと判断されていたわけだ。同時に、扱いが難しいといえば、未花子の“毒薬”もそうである。
 彼女は触れたものを毒薬に変換することができる能力。一度に二つ以上のものに触れて能力を使用した場合も、それは“一回”とカウントされる。毒薬は飲ませてもよし、打っても良し。戦闘中でもそのへんにあるものに触って使うことも可能である上、タイムラグが少ないという意味でも強力な力だ。そもそも未花子自身の身体能力も高い。陸上部出身で脚も速い上、上背もあるし筋力も女子としては極めて高い部類になる。だからこそ、能力を使って怪物の一体でも倒してくれないかと期待されていたわけなのだが。
 残念ながら、聖也が頑張りすぎてくれたおかげで、未花子は未だ化け物と一度も戦闘せず、能力も使用してくれなかった。このまま脱出されたのではテストにならない、やむなくここで自分が立ちふさがるのも仕方のないことだろう。

――条件を満たしている久瀬明日葉だけでも安全に脱出させておきたい。そう思うのはまあ、当然だろう。問題は、それだけが目的なら明日葉を置いて、さっさとこいつらは違う鍵を取りに行ってもいいはずなのにそれをしないってことだな。

 未花子は険しい表情でこちらを睨んでいるし、おろおろしている彩也の傍の集も似たような表情だ。天都と大毅の行動も違和感がある。単純に、脱出するまで無事に彩也を見送りたいだけかもしれないが。

――隙を見て、俺と戦うつもりか?だが俺の能力がなんであるか、誰にもわからないはず。アランサの使徒の精鋭であり、未知の能力を持っている俺を相手に戦えると思うのは、いくらなんでも無謀なんじゃないか?

 あるいは、聖也達の合流を待っている可能性もあるだろう。何にせよ、未花子達がこの部屋を出て行くまで、警戒を怠るべきではない。
 自分の味方として舞紗もいるが、彼女は今回の戦いには手を出さないと判断を下していた。単純な話、舞紗はテストの“結果”を確認する相手として見守ってもらった方がいいことと、そのために記録を詳細につけてほしいからというのがある。同時に、舞紗の力は少々強力すぎる。できれば生き残って欲しい者達を、一瞬でミンチにしてしまうのは自分達としても避けたいところなのだ。勘違いされがちだが、自分達とて何も望んで生徒達を殺害しているわけではないのだから。

「あ、あれ?」

 出口に鍵を差し込み、回そうとする明日葉。しかし、不器用なのか少々手間度っている様子だ。
 自分達が用意した特殊な鍵は、一見すると物理的な“普通の鍵”にしか見えないが。実はかなり精巧な作りになっているのである。華奢に見えてそう簡単に折れたり、塗装が禿げたりもしない。化け物の体液まみれにしても大丈夫というあたりでお察しなのである。
 鍵穴にはぴったり嵌る筈なのだが、焦っているとそういかないこともあるのが人間というものだ。あまりにももたついているので、流石に気になってしまう。手を貸してやる道理はこちらにはないが――。

「“二択”」

 その時。ぼそり、と小さな声が聞こえた。え、と海人は振り返る。明日葉が能力を使ったらしい。何かをぼそぼそと呟いている。小さすぎて聞き取れないが、鍵があまりにも開かないからどうすればいいかを、最後に残った能力で問いかけているのだろうか。あるいは、他に何か目的があるのか?

「おい、久瀬明日葉。お前何して……」

 海人がそう言いかけた時、がちゃりと鍵が回る音がした。明日葉の目の前で、出口のシャッターが開いたらしい。シャッター状態になっている出口は、上に一度押し上げれば一人が通過するまでは開いたままになる。手で抑えている必要はない。明日葉は安堵したように息を一つ吐くと、そして。

「!」

 話しかけるために近づいてきていた海人の腕を掴んで、思い切り引っ張ってきたのである。突然の行動に、海人の思考が一瞬フリーズする。
 その刹那に、明日葉が声をかけてきた。

「みんな聞け!屑霧海人の能力は“敵の攻撃を反射するもの”ではない!“射程距離は十メートル以上”でもない!」
「こいつっ!」

 まずい、と海人は焦った。明日葉は海人を強引に、出口に引っ張り込む気でいる。この場合海人が出口に投げ込まれて離脱を余儀なくされるのはまずい、が。一番最悪なのは、海人が“出口を通る二人目”と判断されることである。
 この出口にはルールがある。一度に通れるのは、一人目に通った者のみ。二人目以降が通ろうとした場合は、強制的に仕掛けが作動してその人物を処刑しようと働くのだ。例えば一人目が通ったところで、シャッターが強引にしまり、二人目の人間を押しつぶして殺害する――といった類である。
 明日葉の方が出口側にいる。このままでは、高い確率で海人の方が“二人目”と見なされるだろう。なんとか振り払わなければならない。ただ、片腕を掴まれた状態でブレスレットのスイッチを押すのは、あまりにも困難極まることだった。
 幸い、明日葉の腕力は聖也や未花子と比べれば大したことがないらしい。こうなったら、素手で殴りつけてでも、と海人が拳を振り上げた瞬間。

「ちっ……!」

 引っ張り込むのは無理と判断してか、明日葉は突然手を離した。そしてそのまま己は出口へ滑り込んでいく。

「みんな、ごめん!あとは頼んだ!」
「くそっ!」

 追撃しようとブレスレットに触るも、既に時遅し。明日葉の姿は、シャッターの向こうに消えてしまった。直後、がちゃんと降りる戸。最初からこのつもりだったのか、と海人は舌打ちした。
 そうだ、忘れていたが――久瀬明日葉の能力は“二択”。二択を提示して、必ず正解を導ける能力である。残り回数が二回しかないことを知っていたので油断していたが、情報収集を行うならうってつけの能力ではないか。土壇場でそれを、海人の能力を知らせるために使ったらしい。質問は恐らく“屑霧海人の能力は敵の攻撃を反射するものか?”“屑霧海人の能力の射程範囲は十メートルを超えるか?”だ。なんてピンポイントで嫌な質問をしてくるのだろう。
 逃げられた明日葉はもう仕方ない。そう思って未花子の方を振り向いた海人は再度苛立つことになる。集が、彩也の手を引っ張って部屋から出て行くのが見えたのだ。小瀧集の能力を考えるなら、彼こそさっさと脱出してくれた方が楽だった。能力を使って何度も聖也をサポートしたことを見込んで合格ラインには入れていたが、それはつまり“これ以上サポートされると厄介になるから”ということでもあったのである。
 しかも通信役の彩也を連れて逃げられた。これは面倒なことになるかもしれない。

――澤江未花子はまだそこに立っているが、久喜天都と刈谷大毅もいない……奴らはどこに消えた!?

 辺りを見回して、気づいた。四角い部屋の壁二枚。真正面の壁二枚に張り付くような形で、天都と大毅が移動していることを。

――くそっ……しまった。この出口の部屋は、他の部屋よりも用意してある“仕掛”が多い!

 大毅の能力は“仕掛”。あらゆる罠を自由に見抜くことが可能であるはずだ。同時に、その安全な作動方法も。しかも彼の能力は“それだけ”である分、回数制限も無しで設定されている。

「くらえええええ!」

 大毅が壁に隠されていたレバーを思い切り押し込んだ。すると、出口の前に立っていた海人の足元が思い切り揺れる。まずい、と思った瞬間足元がばかりと開いて、落とし穴が出現した。

――まずい……!

 此処にある仕掛がなんであるのか、当然海人はよく知っている。この落とし穴の下は剣山だ。落ちたらひとたまりもない。

「くそがっ!“繭糸”!」

 迷っている暇はなかった。海人は自分のブレスレットを起動し、能力を発動させる。海人の“繭糸”は、ブレスレットから粘着性の糸を出現させ、それを自在に操って攻防を行うというもの。蜘蛛の糸、にイメージは近いかもしれない。それを発動させることで、どうにか落下を防いだ。穴の中にぶらさがり、思わず息を吐く。下の方にキラキラと光る針山が見えたから尚更だ。

――能力を使わされた……!知られてないってのがアドバンテージだったというのに!

 そのまま糸を収縮させ、地上に這い上がる。だが。

「せやっ!」

 どうにか上に登った海人のところに、何かが飛んでくるのが見えた。海人はとっさに前転することで飛来物を避ける。体制を立て直すと、逃げていく天都の姿が見えた。

――今、何をした……!?

 さっきまで自分がいたところには、ペンらしきものが落ちている。問題は、そのペン先が刺さった床部分が、どろどろと溶けていっているのが見えるということだろうか。
 ペンの中に“毒薬”を仕込んであったのだろう。誰の仕業であるかなど明白である。未花子は能力を使って毒入りペンを作り、天都に渡して投擲させたということであるらしい。
 なるほど、ただ投げられるだけなら大した殺傷能力などない道具でも――毒入りにされると非常に危険な武器に早変わりするということらしかった。つまり、今後は何気ない投擲物全てに死ぬ気で警戒していかなければならないということである。

――面白い。作戦を考えたのは誰だ?今の打ち合わせを、この短時間でこなしてみせたということか!?

 にやり、と海人は思った。アランサの使徒に敵対する組織を潰すため、今まで幾度となく戦いに身を投じてきたが。無力な一般人達が、ここまで面白いやり方で攻めてくるというのは今までになかったことである。
 久しぶりに楽しい体験ができそうだ。そもそも自分がこの組織にいるのは神を心から信じているわけではなく――生きている実感をくれる場所が欲しいから、に他ならないのである。戦っている時だけは、自分が生きていることを理解できる。生きることを楽しいと思えるのだ。それは、命そのものよりもずっと海人にとっては大切なものであったのである。

――いいだろう、かかってこい!全力で迎え撃ってやる……!
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