夜明けのエンジェル

はじめアキラ

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<第一話>

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『結局のところ、世界を支配してるのは人間なんだよ。
 善も悪も、人間サマの都合だけで回っていくもんなんだから』



――ある機械人形の言葉より。




 ***



 昨晩の自分を心底殴りたい。朝一番に、高橋雄大が思ったことはそれだった。
 目の前には、無情に時間を告げる目覚まし時計がある。――目覚まし時計だったはずなのに、ちっとも今回役に立ってくれなかったソレが。雄大は、全身から血の気が引くのを感じていた。始業時間を、とっくにすぎている。いくらここが社員寮で、住み込みで働いているようなものだといっても、これは確定的な遅刻と言うものだ。どうしてこうなったのか。理由は簡単。昨日、酒をたらふくかっくらってベッドにダイブしたせいだ。

――あああああ俺のバカバカバカバカ!!先輩に殺されるっ!!

 こういう時、すぐに会社に電話して、急いで支度して、迷惑をかけた職場の皆さんに平謝りするのが当然なのだが。悲しいかな、人間の頭と体はそう理想通りには動いてくれないもので。認めたくない現実を前にしてしばしフリーズを起こし、いかにしてミスを誤魔化すか――なんてことを考えてしまうわけである。確定的な遅刻を前にしてそんなこと、考えるだけ無駄というものなのだが。
 暫く凍りついたあと、雄大は無理矢理現実を受け止めて――ダッシュで着替えを始めたのだった。寝癖を直しながら会社に電話をかける――が、誰も出ない。内線だとわかっているから放置されてるのだろうか。はたまたキレられてるせいで無視されているのか。いやいやいくらフリーダムな職場であってもそれはないと信じたいが。

――ああもうっ!謙二の奴覚えてろよ!ぜってー後でブン殴る!

 雄大は昨晩半ば強引に飲み会に誘ってきた同僚のことを考えた。等々力謙二は、同じ会社に勤める同期であり、ついでに同じ大学の出身だった。エンジニア一筋の雄大と違い、コミュニケーション能力の愛想が命の営業マンである。普段はいい奴だ。いい奴なのである。――酒と女が絡まなければ。
 彼は恋多き男だった。同時に、フラれ大魔人としても有名だった。迷惑を被るのは毎回雄大で、そのたびに居酒屋に呼び出されては愚痴をきかされるのである。雄大も酒には弱いが、謙二の場合は弱いというより酒癖が悪い、の方向だった。ひたすら愚痴る、絡む、泣きじゃくる、人に酒を勧めまくる。毎回律儀に付き合ってやる自分もどうなんだとは思うけれど、毎度それで醜態を晒して後悔するくせに進歩しないお前もどうなんだと言いたいところだ。
 まあ、奴のことはいい。いや、良くないが。雄大の遅刻の元凶なので全く良くはないのだが。今肝心なのは、謙二をいかにふんじばるか、を考えることではないはずである。
 雄大の仕事は朝が早い。そして、この国の中枢を担うと言っても過言ではない――責任重大な仕事でもある。今日は特に大きなイベントはないとはいえ、本来遅刻なんてもっての他なのだ。
 『ホープ・コード』プロジェクト。発案者にして開発者。齢三十二歳にして、生体アンドロイド『ホープ・コード』を開発し、マカデミー賞にもノミネートされた鬼才。
 それが、自分――高橋雄大である。実際、鬼才だなんて自分で思っているわけではないが。少なくとも世間は己をそう評価していることを、雄大は知っている。

 ホープ・コードとは。
 正式名称を『次世代型少子化対策用万能ロボット、ホープ・コード・アンドロイド』という。

 このアンドロイドが発明された背景には、この国の深刻な少子化という問題がある。結婚しない人が増え、子供を持たない夫婦が増え、むしろその子供が作れる若者そのものが深刻な減少を辿るようになってしまった22XX年初頭。このままではこの国は滅んでしまう。政府は少子化に歯止めをかけるべくあらゆる対策を講じたものの、そのどれも成果を上げることなく終わっていた。
 少子化が進む最大の理由は、出産と育児の負担が大きいことである。子供は欲しいが、出産の費用と環境を考えるとなかなか踏み切れない――そしてどうにか子供を作ることができても、今度は育児に追われてしまう。産休と育休は広まったものの、そのために仕事を休んでしまうと生活できない貧困層が増え、また子供を預けられる保育園の不足、保育士の不足も大きな課題となっていた。
 さらに、養育費の負担。度重なる増税は国民の生活を圧迫し続けており、仕事は休めないしお金もない時間もない、という若者たちにとって子供を作ることそのものが至難の業となってしまったのである。政府がバックアップをするには金が必要。しかし、政府にもその金がない。子供たちのための給付金を支給するためには増税するしかないという悪循環。――そんな中、救世主のごとく注目されたのが、高橋が開発した『ホープ・コード』というアンドロイドだったのである。
 ホープ・コードは今までのロボット達より遥かに人間に近く――むしろ、人間と変わらない姿を再現し、細かくプログラムを組むことで人間のような感情表現とコミュニケーションを可能にしたアンドロイドである。が、それだけならば凄いまでも、ここ近年のロボット研究の延長として、ここまで脚光を浴びることもなかったことだろう。
 ホープ・コードの最も画期的な点は――彼らが、人間と交配し、子供を作ることが出来るという点である。
 彼らの体は人間と同じような消化や排泄はしないものの、人間と同じように食事をとって、それを体内で全て燃料エネルギーに変換することができるように作られている。そして予め人間と同じ配列の遺伝子を組み込むことで、人間との間に子供を作ることが可能になった。――そう、政府が着目したのはそこである。彼らは、子供を作れない、世話ができない、金銭面が辛い――そういう若者たちに、このアンドロイドを宛がって子作りをさせてはどうか?と考えたのだった。
 恋人が既にいる(この場合、恋人が同性か異性かなどは問わない)場合などは申請すれば免除されるが。そうではない若者達は、二十歳になると一様にこのホープ・コードと番になる義務が課せられるようになった。二十歳になった若者達はホープ・コードたちを生産しているこの企業にやって来て、自分の好みの容姿や性格のアンドロイドを一体選び、連れていく。そのアンドロイドを、仮の伴侶として子作りを行うというわけである。
 といっても、アンドロイドを選んだからといってすぐに子供を作らなければならないわけではない。物事にはタイミングがある。アンドロイドとはいえ、人間そっくりで喋りもするし個性もある存在だ。なるべく相手のことをよく理解して、それなりに好意を持って、恋人のような関係を築いてからと考える者は少なくない。政府も、最終的に子供を作ってくれるのであれば、いつまでに交配を行え、などという指示は一切出してはこないのである。便宜上子供を作ることが“義務”であると定めるような、強制力のある法律はないのも事実だった。
 また、アンドロイドを引き取ったあとで人間の恋人が出来てもそれはそれで構わない。アンドロイドたちは、家事が完璧にできるようにインプットされているし、引き取った“ご主人様”のボディーガードも努められるよう戦闘訓練もこなしている。実際のところ子供を作るための存在とはいえ、“ご主人様”とアンドロイドがどのような関係を築くのかは、“ご主人様”次第というわけなのだった。

 ホープ・コードには、いくつか共通している特徴がある。

 ひとつ。彼らは総じて両性具有である。これは、引き取ったご主人様、が男性であっても女性であっても対応できるようにするためだ。全員が美しく中性的な容姿であり、どちらともとれるような体格をしているが――ご主人様に引き取られたあとで、“男役”をこなすのか“女役”をこなすかが決定され、それにあわせて体を変型させることができるのである。
 ふたつ。彼ら(便宜上こう呼ぶが)は全員、精神面でも両性体である。若干男性的な性格の者や女性的な性格の者はいるものの、どのアンドロイドも精神的にどちらかの性別に寄っているわけではなく、男性とも女性とも恋愛が可能となっている。生まれつきバイセクシャルな存在とでも言えばいいのだろうか。個性こそあれど、それはどの個体にも共通している言えることである。
 みっつ。彼らは妊娠する能力も、妊娠させる能力も極めて高い。子供を作るために作られたアンドロイドなのだから当然と言えば当然である。生体部品が老朽化することはあるが交換は可能であるし、“ご主人様”が望めば何人でも子供を作ることが可能だ。
 よっつ。ただし――ホープ・コード同士での交配は禁止されている。これは、ホープ・コードの疑似遺伝子が、この国民の遺伝子にとって変わられることを防ぐためだ。ホープ・コードの持つ遺伝子の多くは総じて劣勢遺伝のため、人間と交配する分には普通の人間しか生まれないが、ホープ・コード同士となると話が別である。奇形が生まれる可能性もあれば、人間より遥かに優秀な“新たなる人類”が生まれてしまわないとも限らないのだ。理論上は。それは人類としては避けるべき事態なのである。
 だから、ホープ・コードたちは限りなく人間に近い精神と心を持ちながらも――ふたつのことが、絶対的に許されていない。
 それは“ご主人様”に逆らうこと。
 そして――ホープ・コード同士で、恋をするということだ。

――勝手だよな、人間って。

 考えるたび、雄大は複雑な気分になるのである。この国を悩ます少子化問題に、自分の研究が役に立つと聞いた時は嬉しかったし――好きなことで飯が食えるのも本当に有り難いことではあったのだが。
  人間の都合で作られ、人間の都合に振り回され、支配されるアンドロイドたちが――不憫でならないと思うのも確かなことだった。
 雄大は、機械人形とはいえ――自らが産み出した彼らをとても愛しているのだ。それこそ、親が子供を思うかのごとく。――だからいつも、願っているのである。せめて可愛い子供たちが、少しでも良い“ご主人様”の元に行けますように、と。
 ホープ・コードに主人を選ぶ権利はない。
 まるで人間の恋人や親友のように幸せになった者もいれば――欲望の捌け口にされるだけされて、無惨に壊されてしまったホープ・コードもいることを、雄大は知っているのである。ホープ・コードは高価だ。“ご主人様”が死ねばリサイクルされる。人間の“ご主人様”は事実上、政府からアンドロイドを借りている状態なわけである。壊したら器物破損が適用される。――心がある存在なのに、アンドロイドだからという理由だけでけして、殺人罪は適用されないのである。
 ホープ・コードに人権はない。
 だから、彼らが裁判を受けることはできない。
 万が一にも“ご主人様”に仇なすようなことがあれば――彼らに待つのは廃棄処分の未来のみである。

――やめよう。嫌なことばっか、朝から考えても仕方ねぇな。

 準備を終えて、鞄をひっつかみ、雄大は沈んだ気持ちで部屋を飛び出したのだった。
 今、自分はとても心配している――二人のホープ・コードがいる。
 一人の名前を、シェル。
 もう一人の名前を、ミリーと言う。
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