暁に散る前に

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<6・エンカ。>

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「このような時間に散歩をしたがるなど、私くらいなものだと思っていました」

 映子の呼びかけに、縁花はやや疲れたような顔で笑った。

「これも何かの縁です。少しお話しませんか。えっと貴女は確か、蓮花様の御付の……」
「映子と申します、縁花様」
「ああ、そういった名前でしたね」

 手摺に寄りかかり、中庭を覗き込むようにして眺めれば――そよそよと月明かりにヒナ草の花が揺れるのが見えた。秋頃の短い期間にだけ、白くて小さな花をつけるのだ。この中庭には何種類もの花が植えられていて、季節ごとに違うものが開き、此処に住む女性達の眼を楽しませてくれるのである。
 ヒナ草の白い花を見ると、夏が終わったことを実感するのよね、なんてことを少し前に康子が話していた記憶があった。青い月明かりに照らされ、華奢で可憐な花はうっすらと白く、まるで星屑のように光って見える。

「……えっと、その」

 人と話すのは嫌いではない。それでもいざお話しましょうと言われると、とっさに何を話せばいいのやらと迷ってしまう。なんせ、自分はまだこの場所に来て一週間程度の女官。まだまだ後宮で知らないことはあまりにも多いし、縁花とだって話したのは初めてなのだから。
 結果、見つけられる話題は限られたものとなっていた。

「縁花様は……どういった経緯で、後宮に?」

 口にしてしまってから、これは失敗だったかもしれないと気づいた。そもそも、自ら望んで試験を突破してくる女官と違って、妃になる人間が後宮入りする経緯は多種多様に及ぶと知っているからである。それこそ、蓮花のように貧しい身分の人間が北郷に見初められて入ってくることもあるし、貴族の娘が嫁入りしてくることもある。
 文字通り、縁花については何も知らない。あまり好ましくない経緯で此処にいる、なんてこともあるのかもしれない。その場合、よく知りもしない赤の他人にほいほいと話したいことではないだろう。

「そうですね、どこから話せばいいのやら」

 縁花はどこか遠い目をして言った。

「元々、私は下級貴族の家柄でした。裕福な庶民よりも、お金のない生活をしていたと言ってもいいほどの……名ばかりの貴族です。両親が事業に失敗して、日々の生活もギリギリでしたから。……軽蔑しますか?」
「い、いえ。私の家も……先代帝の不興を買って没落しかかった家でしたから、似たようなものです」
「あら、そうだったの。……親の罪は子の罪ではないはずなのに、同じ家に生まれてしまうとその咎を子が背負わなければいけないこともある。……血のつながりとは時に、そのような負担を強いるものです。貴女も苦労されたのでしょうね」
「い、いえ……」

 こう言ってはなんだが、自分は苦労というほどの苦労を経験したことはない。確かに先代帝の代、軍師として大きな失敗をした責任と問われて都を追われたが、だからといって貴族の地位や特権を剥奪されたわけではない。ただ少し、政から遠ざけられたというくらいだ。あの家は名のある軍師の一族だったのに、とひそひそと陰口を言われることがあったくらいで、お金にそこまで困っていたというわけでもない。
 と、ここまで考えたところで映子は思い出した。確か北郷は春になると、毎年ある恒例行事を行っていたのではないか、と。

「ひょっとして縁花様は、『春舞台』で……帝に目をかけられたのでしょうか?」

 春舞台。
 それは貴族達にとって、一世一代の出世の好機でもある。
 都に住む貴族達がそれぞれ一族の中から選りすぐった美しい娘を選抜し、帝や高官達の前で歌と舞を披露するのだ。既存の曲を提出する家もあれば、なんとこの春舞台のためにわざわざ楽士を雇って曲を作らせ、独自の曲と振りつけを披露する家もある。北郷は美人が好きでしょっちゅう花街に出入りすることのある色好みの人物であるが、同じだけ美人が披露する歌や舞にも熱心だという噂だった。ゆえに、この春舞台は忙しい帝の心を慰める一大行事であり、同時に娘たちが帝の眼に止まる絶好の機会でもあるのである。
 ここで帝の覚えがめでたければ、そのまま嫁入りが許されることも多いのだ。実は、貴族の娘で嫁入りしてくる場合は、この春舞台をきっかけに声をかけられるという件が非常に多いのだと聞いている。勿論、例外がないわけではないが。

「そうです。貴族の娘にとって、帝の妻となれる数少ない機会の一つ。上級貴族の娘であればそれ以外にも好機はあるでしょうが、私の身分ではとてもとてもといったところでしたから」

 縁花はどこか苦しげに頷く。

「これはどうか……どうか映子、貴女の胸にだけ留めて欲しいのですが。実は私には当時他に、お慕い申し上げている方がいたのです」
「まあ。どのような方で?」
「……実は、とある商家の次男の方でいらっしゃいました。少し大きな反物屋を営んでらっしゃったのです」
「!」

 商家、大きな反物屋。つまり、貴族ではないということだ。勿論、庶民の中ではかなり裕福な家になるのだろうが。

「……身分の低い殿方などとなぜ恋を、と思われることでしょうけど」

 貴族以外の者は、人間にあらず。同じ存在として扱ってはならない、と多くの貴族達は当然のように教えられる。それは映子も例外ではない。ゆえに、例え帝と結婚するなどという夢が叶わずとも、婚姻する機会があるのならば絶対貴族以外にはありえないとそう考えてきた。ゆえに。
 妃になるような美しい女性が。そして、貴族が。そう思ってしまったのは否定できなかった。縁花にもそれは見抜かれていたのだろう。

「貴族以外の者は、人間ではない。同じ人間として扱えば貴族の格が下がる。……この国ではそのような教育を受けますから、仕方のないことでしょう」
「え、えっと……その……」
「いいのです、映子。貴族として生まれたのなら、そのような認識を植え付けられるのも仕様のないこと。実際、私も同じように考えていましたから」
「え、縁花様……」
「でもね」

 縁花がやや強く、手摺を握りしめたのが見えた。

「それがどれほど愚かで浅ましい考えだったのか、私は思い知ることになるのです。本当の人の価値は、身分などで決まるものではない。何故なら身分なんてものは、その人が努力などせず、ただ偶然その親の家に生まれついただけで与えられるもの。そんなものが……その人が努力して身に就けた気品や素養、知識、そして心根の優しさにどれほど勝るというのでしょう?恋をして、私は自分がどれほど醜い考えに囚われていたのか気づかされたのです。私が恋をしたあの方は、そのあたりの貴族よりもよほど高い志と、人の気持ちを明るくしてくれる素晴らしい話術、そして思いやり深い心を持ち合わせていたのですから」

 彼女いわく――家にしょっちゅう反物を売りに来るその青年は、けして派手な身なりをしているわけでもなかったのだという。最初は、やけに声が大きい人だなという印象しか持たなかった。ただ、売りに来た屋敷の前でいつも母と楽しそうに会話を弾ませているものだから、ついつい気になってしまいこっそりとその様子を眺めるようになってしまったのだという。
 町人達の間で流行しているという独楽遊びの話、どこぞの菓子屋の夫婦が大喧嘩をして旦那が家から追い出されそうになった話、心中しようと橋の上に向かった恋人たちが、川沿いのイコザクラの美しさに心惹かれて死ぬのを思いとどまった話――などなど。彼はとにかく情報通で、紙の上だけではわからない多くの知識を持ち、話す相手を楽しませる天才であっただという。
 ある日、窓から顔を覗かせているところを見つかってしまい、それ以来母も交えて三人で語らうようになり。気づけば、縁花はその青年に完全に惚れてしまっていたのだそうだ。
 相手も縁花のことを気にかけてくれていて、何度もお忍びで茶菓子屋に足を運んだり、町を案内して貰ったりということをしていたのだという。

「……母はともかく、父があの方との婚約を反対することは分かりきっていました。向こうは次男ですから、あちらの婿入りに問題はなかったでしょうが……庶民など人間ではないと私に教えこんできたような人です。ただでさえ、貧しい下級貴族の家。もっと高い身分の方のところに嫁入りしなければ家の存続も危うい、という父の考えもわからないことではありません……」

 ゆえに、彼女は春舞台へ出るように命じられてしまったのだという。
 好きな方がいるのに、何故帝とのお見合いがわりの舞台に自分が出なければいけないのか。そう思ったら、到底歌も舞も練習に身が入るものではなかった。結果、縁花は本番で、舞の途中に扇子を落としてしまうという大失態を犯してしまったという。

「羞恥心と同時に、安堵もしていました。これできっと、帝はこのようなみっともない娘は選ばないでくださると。……しかし、何故かその年の春舞台では、私一人だけが帝に見初められて後宮に入ることとなったのです。どれほど絶望したかなど、言うまでもありません……」

 愛する人がいるのに、帝とはいえ別の男性に嫁がなければいけない。しかも、恐ろしい恥を晒した娘が何故選ばれるのか。父は喜んだが、他の貴族達の反発は大きく――同時に、後宮の妃たちの眼も非常に冷たいものがあったのだという。何故ならば、一人新しい妃が増えることはつまり、最も帝に愛されていない妃の一人が暇を出される=離縁される可能性があることを示していたからだ。
 法律の上では、帝の妃は何人いてもいいことにはなっている。しかし、後宮の建物に住める人間の数にも、そして国の予算にも限界があるのは事実なのだ。そして帝はいつでも自分の気に食わない官僚をクビにできると同時に、妻を一方的に離縁する権利が与えられている唯一の存在なのである。
 実際、その当時の第八妃が離縁を命じられている。
 他の妃たちから歓迎されないのも、当然と言えば当然のことだっただろう。

「元より、貴族としては低い身分。そして、春舞台の失態。……私がこの後宮で皆様に嫌われるのも当然なのです」
「そういうことだったんですか……」
「そういうこと、とは?」
「あ、い。いえ。他の妃の皆様と縁花様は折り合いが悪いという話を聴いていたので……」

 いけない。女官の間で飛び交っている噂に関して、妃の前で口にするのは半ば禁忌にも近いのだ。映子は慌てて話題を逸らしにかかった。

「そ、その。……わたくしはまだ縁花様のように、本気の恋というものをしたことがなく。ですので、帝に見初められる名誉よりも……ともにいたいと願う人というのが、どのようなものなのか想像がつかなくて。そもそも、申し訳ないながら貴族ではない相手にそこまでの魅力を感じたというのも、あまりわからないというか、その……」

 駄目だ、こんな言い方ではますます不快にさせてしまう。映子が内心で頭を抱えていると、意外にも縁花はふふふ、と笑って見せたのだった。

「映子、貴女はまだ若いのですね」
「へ!?え、あ、いやその、確かにまだ十六ではありますが……!」
「そういうことではなく。……本当の恋というものをまだご存知ないということです。本気の恋をすればきっと、貴女にも分かることでしょう。……本当の人の魅力は、輝きは、身分やどのような栄誉よりもずっと素晴らしいものであるということを」

 あの方に出逢わなければ、私も知ることができませんでした――縁花は、その人に想いを馳せるように月を見上げて呟いた。

「それから……たった一人、私の理解者となってくれた……蓮花様にも」
「え」

 どういうことなのだ。映子は、さっきとは別の意味で混乱することとなった。縁花に、他の妃たちに嫌われてしまう理由があるというのはわかった。が、それは蓮花にとっても同じではなかったのか。というか、第二妃と同じだけ、蓮花が縁花を苛めている筆頭なのかとばかり思っていたが。

「どうか、蓮花様をよろしくね」

 微笑む縁花が、嘘をついているようには見えなかった。

「あの方はとても不器用で素直ではないけれど……本当は誰よりも心が美しく、綺麗な方でいらっしゃるから」
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