暁に散る前に

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<8・トックン。>

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「思うに、貴様はきちんと初歩を教わっていないからそのような有様となったのではないか」

 蓮花は相変わらず、歯に衣着せぬ物言いをする。

「大方、舞の方が比較的苦労せずに一足飛びで出来てしまったから、歌の方も基礎訓練を怠っていきなり楽曲を歌い始めたのではないか?で、やってみたら思ったとおりにちっとも歌えなくて不貞腐れた、と」
「ぐぬぬぬぬぬぬ」

 悔しいが図星だった。映子は呻くしかない。
 舞は、兄や母が踊るのを見ていたらわりと簡単に覚えてしまったクチだった。振り付けを覚えるのが得意だったと言えばいいか。あとは日頃の鍛錬を重ねれば、硬かった体も柔らかくなって足も上がるようになるし、ぺったりと足を開いて座ったり、重たい飾りを持ち上げ続けることも可能だった。きっと映には素晴らしい舞の才能があるのだわ、と母は非常に喜んだものである――それも、歌を始めるまでのことであったが。
 幼い頃は、子供ゆえ大きな声で楽しく歌えればそれだけである程度褒められたものである。が、十代も半ばも過ぎればそういうわけにはいかない。十六になっても子供の時のように、とにかく声を張って歌ってしまう癖が抜けないのだ。そして声を張り上げるわりに遠くに飛ばないし、音程も派手に外してしまうときた。これが舞いながらともなれば、拍子もおかしくなるのだから始末に負えない。
 舞と歌は、ほぼほぼ二つ合わせて完成を見るものである。いかに舞の技術があっても、歌がこのザマでは魅力も半減というもの。――なんてこと、蓮花に言われずともわかりきっている話なのである。

「そもそも声を張り上げたところで、喉だけで叫んでいてはまったく話にならんのだ」

 ここだ、と蓮花は映子の腹――胃袋がありそうなあたりをつんつんとつついて言う。

「喉だけで声を出すな。腹筋を使うのだ。腹から、いつもより低い声で……そう、湧き出すように歌うのである」
「は、腹から声を?」
「そうだ。……まずは呼吸かな。そのあたりに手を当てて、大きく息を吸ってみるのだ。この時、腹も膨らませるように気をつけてみる。……そうそう、そこで一度止めてみろ」

 言われるがまま、腹に右手を当てて息を吸う。確かに、胸だけが膨らむ呼吸も、腹も膨らむ呼吸があるようだ。そこで少し息を止める。ちょっとだけ苦しいが、我慢だ。

「その状態で、腹の息を底から吐き出すようにしてみるといい。……その調子だ。慣れてきたなら、今度は声を出してみるといいぞ。あー、と言ってみろ、あー、っと」
「あ、あー!」

 確かに、なんだかいつもと声が違うような気がする。音が普段より、低く響くような感覚。慣れるまでが大変そうだが、いつもよりよく飛ぶ声に変わったのはよくわかった。

「貴様、筋は悪くないようだな。教える側としても助かる」

 蓮花は少し嬉しそうに言う。

「では今度は長く伸ばすのみならず、あ、あ、あ、あ、と何度か短く繰り返してみよ。それに少し慣れたら、今度は音を少しずつ高くしていってみるのだ。何、いきなり『はにほへといろは』を歌えと言ってはいないから安心せい。というか、貴様にはすぐにできんだろう、音痴だからな」
「要らんこと言わなくてもいーです!」

 ぷんすこしながらも、映子は指示に従う。時々余計な茶々を入れてくるものの、彼女の指示は的確であるようだった。少し声の出し方を教えてもらっただけで、響きがまるで違う。勿論、ずっと喉の奥だけで歌うのに慣れていた映子だ。いきなり腹から声を出して歌えと言っても難しいのは事実。はにほへをやれと言われてもきっとできなかったことだろう。
 そしてもう一つ、はっきりしたことがある。――自分のもとに来た家庭教師も両親も、ちっとも基礎を教えてくれていなかったんだなということが。多分、本人たちは親や師の歌を聞いて、聞くだけで自然と出来てしまったことなのだろう。教わらずにするっと出来るようになってしまったことを、他人に教えるのは大層難しい。そう思うと、あながち責められた話でもない。
 そういえば、こんな話を聞いたことがある。何かを学びたいなら凡才から教わりなさい、と。きちんと教わらなくても出来たような天才は、人に教えることに関しては素人以下である。努力して積み重ねてものを持つ凡人のほうが、同じ凡人の辿る道筋をよく理解しているのだから、と。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ!」

 はにほへといろは、の音階を意識しなくていいたけで、気楽に声を出すことができる。この呼吸、発声法をきちんと我が物とするだけで、驚くほど上達が見込めそうである。

「ふむ、よろしい。では音階も少しずつ慣らしていこうか」

 恐らく書庫から借りてきたのであろう。花吹雪心中の譜面を持ってきて、どさりの机の上に置く蓮花。

「私が最初に歌を習った時は、譜面どころか文字も読めなかったから苦労した。が、貴様には教養がある。文字と繋げて音を記憶することも出来るはずだ。私よりも覚えは早いだろうさ」
「あ……」

 その言葉に、映子は彼女の生まれを実感するのだ。そうだ、彼女は貧しい家から売られてきた娘であったはず。貴族の子ならば、文字は勿論幅広い勉学を学ぶのも当然のことだが――彼女は幼い頃、それさえ与えられずして花街にやってきて、男を悦ばせる術ばかりを叩き込まれたのだろう。
 あまりにも想像がつかない、未知の世界。今の凛とした美しい女性からは想像もつかない。

「どうした、映子?」

 突然黙り込んだ映子を不思議に思ってか、声をかけてくる蓮花。いえ、と誤魔化すように視線を逸らした。少し前の自分ならば、教養もなく春を売るような身分だったと、それだけを見て蓮花を見下していたことだろう。実際まだ、差別意識が完全に消えたと言えば嘘になる。
 しかし。



『そういうことではなく。……本当の恋というものをまだご存知ないということです。本気の恋をすればきっと、貴女にも分かることでしょう。……本当の人の魅力は、輝きは、身分やどのような栄誉よりもずっと素晴らしいものであるということを』



 思い出したのは、縁花の言葉。結局、彼女が何故蓮花を庇うようなことを言ったのかはわかっていない。尋ねる機会も逃してしまっている。ただ。

――元の生まれが卑しくても、文字さえ読めない人であっても。……努力で、あれだけ見事な舞と歌が披露できるようになるのだわ。

 多少、認めざるを得ない。自分の目が、身分に囚われて曇っていた点があったことを。

「……蓮花様は、苦労なされたのだと、そう思って」

 どうにか口にできたのはそれだけだった。蓮花はそんな映子に、苦労など皆しているさ、と笑った。

「しかし、貴様は望んでここに来た。努力して女官になった。……そういう者をいつか、帝が認めて下さればいいとは思う。子が産めぬ私のような者に執着するよりも、な」
「蓮花様……」

 少しずつ、ほんの少しずつだけれど変わっていく関係。
 本当は優しい人なのだ、という縁花の話は事実なのかもしれない。そんなことを思った映子であった。



 ***



 そんな蓮花との練習が始まって三日後の大浴場。掃除を始めた途端、映子は康子にあっさりと言われた。

「映子さん、大変ね。蓮花様と花舞台に出られるのでしょう?」
「……あのー、康子さん?どなたにもそんな話誰にもしてないんですけど、なんでバレてるんですかね?」

 練習は音が出ることもあり、基本朝昼にしか行えない。ゆえに、映子は特別に配膳や片付け、掃除などの多くを一時的に免除されていた。女官全体の仕事よりも妃である蓮花の命令が優先されるのは皆わかっているので咎められることはない。また、映子が彼女の部屋に詰めている事実そのものは周知のものであっただろうが。
 それでも、何をしているかは誰にも話していないはずなのに。なんで康子がしれっと知っているのだろう。

「私が何年ここに勤めてると思っているの!蓮花様がたまーに、女官を花舞台に誘うのはよく知っているのよね」

 ふふーん、と康子はその立派な胸を張って言う。

「つまり、どの女官も誘うわけではないということね。映子さん、何か蓮花さんに気にいられるようなことでもしたの?」
「え?……うーん、まったく覚えがないですが……あれ、ここのカビはどうすれば」
「そこは取れないから、細い棒を使ってゴミをほじるしかないのよね。ゴミはまとめたらこっちに寄せて」
「はい」

 妃達の部屋には、それぞれ専用の湯殿が設けられている。好きな時に好きなように入ることもできるし、女官も世話をしながら一緒に入ることもあるという。が、当然映子は最初に言いつけられた通り、蓮花と一緒に風呂など入ったこともない。着替えを手伝ったことさえない。よほど他人に肌を晒すのが嫌だと見える。――やっぱり、信頼関係が深まるような機会なんかなかったよなぁ、と思ってしまう映子である。
 確かに今回、花舞台で共に練習するようになって、彼女との距離も縮まった印象ではあるが。それはあくまで、花舞台の共演を誘われてからのこと。それ以前には、ワガママを言いまくる妃とそれにうんざりしてる女官という組み合わせでしかなかったと思うのだが。

「そういえば」

 女官筆頭である康子なら、知っていることもあるかもしれない。桶に水を組みながら、それとなく話題を向けてみる映子である。

「第九妃の縁花様って、蓮花様と仲が悪かったりしますか?」

 縁花は、妙に蓮花を庇うようなことを言っていたが。実際は、縁花は他の妃たちに嫌われているし、特に第二妃と蓮花には虐められていると専ら噂だったはずである。康子はどう認識しているのだろうか。

「悪いなんてもんじゃないはずよ……うっわ、排水溝が髪の毛だらけじゃないの!」

 洗い場の隅を覗き込み、悲鳴を上げる康子。

「これ取り除くのは大変そうだわ。……ああ、縁花様なのだけどね。当時の第八妃と入れ替わりで入った上、春舞台で大失態をしたのに帝に見初められたものだから……残った他の妃からも印象が悪くてね。特に第二妃の秀花しゅうか様には派手に嫌われてたようなんだけど。蓮花様が、その秀花様よりもしつこく蓮花様をイビるようになったせいで、秀花様からのイジメは大分大人しくなったみたいね」
「え?そ、そうなのですか?」
「そうよ。それこそ夕方やら夜中やらに呼び出してねちねち説教されてるみたい。第九妃が、遥か格上の第一妃の命令に逆らえるはずがないものね。少々気の毒だなといつも思ってるわ」
「…………」

 本当に、そうなのだろうか。何だか腑に落ちないと思ってしまう映子である。
 そんな風に扱われているならば、もっと恨み言の一つでも漏らしそうだというのに。



『あの方はとても不器用で素直ではないけれど……本当は誰よりも心が美しく、綺麗な方でいらっしゃるから』



 縁花の言葉を反芻する。
 何度思い返しても、あの時の縁花が嘘を言っていたようには思えない自分が確かにいるのだった。
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