暁に散る前に

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<25・エイコ。>

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「花舞台も、いよいよ最後の演目となりました!」

 司会進行役の男が、朗々と声を張り上げる。

「第一妃、蓮花様。曲目は、『満月奇譚』です」

 いよいよだ。一礼し、蓮花と共に舞台へ上がる映子。女官としての面接時、帝の前で舞ったこともあったし、後宮に入る前にも人前で舞を披露したことはあった。それなのに、今日の緊張はその時の非ではない。たとえこの曲で良い成果が上げられなくても死ぬわけではないし、そもそも優勝できなかったとて蓮花の名誉が地に落ちるというわけでもない。恐らくあの帝は、秀花の方が良い舞を魅せたくらいでは、妃の順位を変動させないであろうということも予想がついている。
 だから、何が何でも秀花に勝たなければいけない理由はない。本来なら。ただ。

――これが、蓮花様と踊れる最後の舞になるかもしれないのだから。

 意地があるだけだ。
 蓮花と共に、最高の舞台を魅せたい。あの秀花の腐った性根を、実力で叩きのめして思い知らせてやりたいという意地が。
 それゆえに、花舞台の本番である今日まで、計画を先延ばしにさせたのである。蓮花本人の体の為には、一刻も早く実行した方が良かったかもしれないにも関わらず。

「映子」
「!」

 緊張している映子に気づいたのだろう。舞台に上がったところで、蓮花が小声で囁いてきた。

「いいのか、本当に。今ならまだ、引き返せるのだぞ。お前の当初の望み通り、妃として幸せになる道も探せるというのに」

 まだ、そんなことを言おうとは。この土壇場になっても、なお。
 それは映子が緊張しているのが、単にこの舞台で良い演技ができるかどうかのみならず、この後の計画を踏まえてのことだとも知っている。そう、この舞台が終わったあと、自分は命を賭けなければいけない。自ら、そう決めたのだ。蓮花と生きていく、そのために。もし映子に迷いがあるのならば、それをやめてもいいのだと蓮花は言っているのだ。
 本当は、辛くてたまらないくせに。
 誰より助けて欲しいと、そう言いたかったくせに。

「本当に、いいのか」

 彼がそのようなことを言う理由はわかっている。何故なら数日前に、映子は蓮花に告白されたからだ――帝が探していた秘術が完成してしまったことを。
 彼は、男性にはなかったはずのふくよかな胸をつけた体を晒し、涙ぐみながら言ったのである。

『この通り、見た目はもう……俺は完全に、両性の体となってしまった。否、もう女性の方に近いかもしれぬ。そして、昨夜から始まり、これからずっと俺は……帝の欲に晒され、種をつけられ続けるだろう。もう既に帝の子を身ごもっているかもしれぬし、そうなる確率は日々高くなっていくであろう。……もう、貴様を愛するに相応しい身ではなくなってしまった。このような醜い体では、もう……』
『関係ありません』

 もっと早く、助け出せればそれが一番だったのだろう。
 それでも映子はもう心を決めていた。蓮花が両性になっても、あるいは完全に女性になってしまっても関係ない。彼の心は男性であり、彼の心は彼だけのもので何も変わらない。
 ならば、それ以上のことがあるだろうか。

『どのようなお姿になっても、貴方様が男性であっても女性であっても両性であっても。わたくしは、貴方様を愛しております』

 もしも子が産まれたならば、共に育てていこう。自分達の子供として、愛を注ごう。
 ああ、今なら分かる。これこそが、真の恋であるということが。

「蓮花様」

 追憶から戻ってくる。蓮花の自分を気遣う心が、言葉が。映子の背中を、かえって押してくれたのだった。

「参りましょう。わたくしの決意は変わりません」
「……ああ」

 こくり、と頷く蓮花。

「ありがとう」

 もう、迷うことは何も無かった。今はただ、この場所で最高の歌を舞を披露することに終始すればいい。秀花に、他の妃達に、全てに、運命に打ち勝つ。ただただ魂を賭けて、全力で。

「いざ」

 蓮花が舞台の端まで行き、借りうけた太刀を抜いて顔を隠す。映子は舞台の中央で扇子を広げて顔を覆った。それが最初の立ち位置。兄と妹の愛と絆を描く、今この瞬間この場所は、月を映す泉となった。
 ひゅろろろろ、と甲高い笛の音が鳴り始める。映子は慟哭を漏らす妹姫として、おいおいと泣きながら歌い始めた。

「あいや、愛し、兄様。なにゆえ、私を置いて身罷られたのか……!」

 行ける、と思った。腹が決まった途端、体からいい具合に力が抜けたのだ。練習の時よりも、声がひっくり返らずに飛んでいる。あの凄まじい音痴ぶりから、よくぞここまでまともになったものだと自画自賛せざるをえない。

「月よ、月よ、我が涙を流し……月よ、月よ、此の聲を彼の人に。月よ、月よ、祈りは彼方……月よ、月よ、あまりに無力と……」

 勿論、油断は禁物。やや強く踏み込み、扇子を閉じて前へ。練習した通りに力強く舞えばいい。思えば、この満月奇譚を蓮花が選んだのは、この娘の性格が映子に似ていたからかもしれない。気が強く、剣を振るうのも好きな勇ましい姫。自分が男であったならば兄を守れたのにと、そのような後悔が尽きぬ娘。

「そこの麗しい姫よ。なにゆえ、そのように嘆くのか。そなたの涙はまるで星屑のよう、このままでは美しい瞳ごと川へと流れ落ちてしまおうぞ」

 その娘の後ろにかけられる声。映子は振り返る。その場に立つ、美しい御人を。
 ああ、なんてよく似合っている。紺色の袴、烏帽子帽。本当は、かのように男らしい衣装をずっと身に纏いたかったのだろう、蓮花。

「嗚呼、あなた様は……」

 悲しい、とはもう思わなかった。
 ただただこみ上げるのは、愛しさだ。

「なんと、美しいお人。まるで、月から舞い降りてきた、人あらざる国の高貴なお方であるような。そのようなお方が、なにゆえここに?」

 もう歌も台詞も飛ぶことはなかった。この人を、守りたい。その万感の想いを込めて、映子は歌い上げるのだ。
 自分が持てる、全ての情熱を傾けて。



 ***



 完全に、“入って”いる。
 演じながら蓮花は感激に打ち震えていた。やはり、映子と共に踊ることを選んで良かった。元々素質はあったが、歌の技術が身についたことが自信となり、そして自分自身の演技に没入する余裕を身に着けたということらしかった。
 今の映子は、完全に『月の精霊に心奪われた姫君』そのもの。
 濡れたその瞳に、今映っているのは蓮花だけなのだ。その、なんと幸福なものであるか。ああ、今すぐ抱きしめて、愛を囁いてしまいたい。そんな衝動を、何度押しとどめたかしれない。

――ああ、貴様は知らないであろう、映子。

「何度も言おうぞ、我が姫。私の名は、秋津島公義あきつしまきみよし。そなたの兄である。……そして今は、死して月に住まう身。そなたと永遠を誓うことはできぬ。愛しいそなたのことが心配で、月から降りてきてしまったのだ」

――俺が、貴様が思っているよりずっとずっとずっと……貴様のことを愛していることを。奪ってしまいたいと願っていることを。

「どうか、生きて欲しい。亡き兄のことを忘れてくれとも、覚えていてくれとも言わぬ。ただただ、新しき幸せを見つけて欲しいのだ。それが今の、兄の願いであるぞ」

 そして、兄を演じる蓮花はくるりと踵を返して立ち去ろうとする。ここまでの演技は、完璧に近いものであったはずだ。あとはこの最終幕を演じ切れば終わり――蓮花はそう思っていた。しかし、その瞬間。

「!?」

 舞台の右端に、きらりと何か光るものが見えた。さっきまで全く気づいていなかったが、あれは何か。板と板の隙間から、僅かに突き立っているのは――。

――ま、まさか、針!?

 ここにきて。蓮花は、秀花の妨害のことが完全に頭から抜けていた。そうだ、あの女は自分達の直前に演技をしていたのだ。何かを仕掛けていない保障などどこにもなかったではないか!

――映子!

 嫌な予感は、敵中した。予定通り、こちらに駆け寄って来ようとした映子の左足が、その針を思いきり踏んでしまったのである。

「――っ!」

 痛みに一瞬強張る映子の顔。掲げていたその右手から、するりと扇子が滑り落ちるのが見えた。

――駄目だ、あれが落ちたら大きな減点に……!

 次の瞬間。蓮花は思いきり床を蹴り、彼女に駆け寄っていた。扇子が床に落ちる寸前に掴み取り、倒れそうになった映子の体を抱き寄せる。
 ふわり、と。映子の匂いが広がった。胸が熱くなる。まるで、普通の男女になれたかのようではないか、と。

「あ、兄、様……」

 相当痛かったはずだ。しかし、映子は冷や汗をかきながらも、しっかりと演技を続けてきた。

「私を、抱き寄せてくださった……その温もりと、想い。それだけで、私は充分でございます」
「!」

 扇子を拾うのも、抱き寄せるのも、予定にない演技だった。しかし映子はとっさにそれを、予定にない台詞を独自に考え出すことで、“予定調和にして、自分達の独自の改変”に見せようというのである。
 その心に、自分は答えなければいけない。
 蓮花はそっと彼女の体を離すと、そっと前に跪き――受け取った扇子をうやうやしく差し出してみせた。映子も頷き、それをそっと受け取ってみせる。これが、最初から予定された演出だと示すように。

「私達は、生と死に分たれた存在。まるで、月と泉。しかしそれでも泉には、あの美しい月が映るのです」
「ええ、その通り」

 なんて、覚悟。感激に打ち震えながらも、蓮花は告げる。

「例え、どれほど運命が二人を分かつとも。心は永遠に、おそばにおります」

 しゃん!と三味線が鳴る。その音に合わせて、映子は頷いた。予定通り定められた、最後の台詞を。

「ええ、兄様。お慕い申し上げております。……生きていきましょう、共に。新しき朝日の元へ」

 その台詞と共に、三味線がかき鳴らされ、波打つ湖面のように笛がその音色を飾りたてる。
 そして、幕。
 湧き上がった拍手は、今まで聞いたことがないほどに大きなものとなっていた。
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