青春クインテット

はじめアキラ

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<3・劣等感はめんどくさい>

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 恋は突然に、だの。理屈で図れるものではない、などと昔から多くの歌の歌詞や小説で言われているものだが。順平にとって恋と言うものは一種、恐怖に近いものだったと言っても過言ではない。
 己が誰かに恋をされる――なんてことは天地がひっくり返ってもまずないだろうと考えていたからそれはいい。己が、誰かに恋をしてしまうことが問題なのだった。正確には、恋をしてしまうことによって、大切な人に迷惑をかけてしまうことである。
 昔から小説を書いたり、絵を描いたりするのが好きだった。物語を考え、広げていくことがライフワークだったと言っても過言ではない。小柄で体力もなく、スポーツでヒーローになれるわけでもなく。勉強をしても、平均より少し上の成績が精々の自分。人より勝るもの、人に誇れるものが他に何もなかったからというのが最大の理由だろう。
 物語を書いて、それを誰かに読んでもらって楽しんでもらう。それができれば、それだけで幸せだったのである。勿論作家になって食べていけたら楽しいとは思うが、そこまで大きな野望を抱いていたわけでもない。いくら得意なことがあっても、上にはいくらでも上がいることくらい、幼いうちにはもうわかりきっていたことであったから。
 そう、わかっていたつもりだったのに。
 順平が酷く自信をなくした出来事が、ひとつ。小学生の時だ。

『順平また漫画描いてるー。見せて見せてー!』
『いいよ、どうぞ』

 当時は絵も物語も、という理由から、小説よりも漫画を描くことが多かった順平。真っ白な自由帳に書いていたのは壮大な少年達のファンタジーである。友人達に声をかけられ、見せてほしいとせびられるたび、特に躊躇うこともなくそれらを見せて感想を聞いていた。
 彼らは順平の作品を見ると笑顔になり、続きが楽しみだと口々に述べてくれたのである。認められるために書いている物語ではないが、それでもそうやって評価を受け、楽しんでもらえるのは十分嬉しい出来事だ。そんなことを繰り返していた、ある日のことである。
 一度帰りかけて、忘れ物に気付いて教室に取りに戻った放課後。まだ残っていた友人達数名が、順平の漫画について話しているのを聞いてしまったのだ。

『順平も恥ずかしくないのかねー。あんなヘタクソな漫画人に読ませてさ!あんまりヘタクソだから、いっつも笑いが止まんないんだよなぁ』

 へらへらと笑いながら言っていた少年は、順平が当時一番仲良しだと信じていた人物だった。

『あのレベルの漫画堂々と描いてるのも恥ずかしいし、それを見せられるのもマジありえねー。俺らが持ち上げてやってるからってちょっと調子に乗っちゃってんじゃね?』
『本気で楽しんで貰えてると思ってるんだよ、頭カワイソーだもん、あいつ』
『ちげーねー!はははっ』
『自分の漫画が本気で面白くて、絵が上手いとでも思ってるんだろ。それをわざわざ誉めてやる俺ら、超優しくね?』

 作品で、彼らを笑顔にできているとばかり思っていたのに。実際はただ影で笑われていただけなんて、なんとも情けない喜劇だろうか。
 
――ああ、僕には、何かの才能なんてなかったんだ。

 順平は思い知った。自分は、傲慢になどなってはいけない、そんな力など微塵もない人間であったのだと。分も弁えずに調子に乗る人間が、端から見て滑稽であるのは当然のことだ。笑った彼らがいけないのではない。笑われていることにも気付かず、調子に乗った自分に罰が下ったのだ。順平はそう思い――以来己を、強く戒めるようになったのである。
 自分は何かに選ばれた特別な存在などではない。
 平凡の中の平凡、何の取り柄もなく、けして図に乗ってなどいけない人間である。
 生まれてきた意味はあるのかもしれないが、それは人に迷惑をかけることなく、人の邪魔にならないように生きて初めて意味をなすものであるはずだ。順平はそう考え、己に強く課すようになったのである。
 ならば恋が、己にとって禁忌になるのも然りだろう。
 恋愛は愛する者同士、対等でなければならない関係である。
 だが誰よりも格下である自分に、どれだけ素晴らしいものを貰っても返しきる術がない自分に――そんな対等な関係などあまりにも恐れ多い。ゆえに、恋をするのは恐ろしいことだった。それは己が最も恐れる“傲慢”以外の何物でもないからだ。自分ごときが、他人と対等になりたい、隣を歩きたいなんて願う資格などないはずだというのに。

――だから、可愛い子を見かけても、そういう対象として絶対見ないようにしようって、そう思ってたのに。

 きっかけは、高校の入学式の帰りの電車でのこと。今から思うと長谷川詩織という少女は、不運なほどトラブルを引き寄せてしまう体質だったのだろう。可愛らしく、小柄で、大人しそうな外見。男性の後ろに控えるのが当たり前であるかのような、昔の大和撫子に当てはまりそうなほど奥ゆかしい少女。その彼女は、電車の席に座ってぐったりとしていたのである。顔色が良くない。きっと、熱でもあったのだろう。
 その彼女の隣には太ったおばさんが座っていて、その前には杖をついたおじいさんが立っていた。ぐったりとしている詩織はおじいさんの存在に気づいていない様子で下を向いている。おばさんとおじいさんは知り合いだったのか、ぺちゃくちゃと座席のあたりでお喋りをしていた。ちなみに順平は手摺に捕まって立ち、その光景を傍観していた一人であったわけなのだが。
 何を思ったか、おばさんがいきなり寝ていた詩織の肩を掴んで揺さぶったのである。そして、慌てて跳ね起きた詩織に対してこう言ったのだ。

『ちょっとあんた!若いんだから、年配者に席を譲りなさいよ!ここ優先席なのに堂々と座って恥ずかしくないわけ?』

 何言ってるんだコイツ、と端から見ていて呆れたのは順平だけではなかったことだろう。
 確かにそこは優先席だったが、優先席に若い人や健常者が座ってはいけないなんてルールはない。譲るべきというのなら、優先席以外でも譲るべきであるのだし、空いている時に一般的な若者が座ることだって別段珍しいことではない。普通に見える人が内部障害持ちなんてこともあるし、今みたいに眠っていて気づかなければ責められるいわれもないだろう。
 何より、詩織は具合が悪いのだ。どうしても立っていられなくてやむなく優先席に座った、それの何がいけないのだろう。そんなことを言うのなら同じように席に座っているアンタが譲ればいいじゃないか、と順平は思う。何故おばさんは、自分も座っているのに、眠っている具合の悪そうな女子高生を叩き起こして席を譲らせようとしているのか。

――そりゃ、年配者に譲った方がいいってのはわかるけど!あんた自分が譲りたくないのを人に押し付けてるだけじゃんか!

 おじいさんはといえば、流石に申し訳ないと思ったのかしきりに断っている。しかしおばさんは一歩も引く様子がない。詩織の背中を押して、ぐいぐいと強引に席を立たせようとしている始末だ。

『いいのよ、遠慮しないで!若い人が立ってお年寄りが席を座るのは当然でしょ?ここは優先席なんだもの!』

 だったらあんたが譲れやこの野郎!とさすがの順平も怒りの声を上げかけた、その時だ。

『す、すみません。私、立ちますから……』

 半泣きになって、詩織が席から立ち上がってしまったのである。おばさんは満足げに笑い、さっさとそうすればいいのよ!とまだ不満を口にしている。明らかに、隣に座っておじいさんとお喋りをしたいだけなのが透けて見えていた。
 そしてすぐに到着する、次の駅。立っているのがしんどかったらしい彼女は、そのままふらつきながらホームへと降りていった。そして順平も――自分が降りる駅でないのを承知で、後を追って降りてしまったのである。
 彼女のことがあまりにも心配で――助けてあげたくて。
 同じ学校で、同じクラス。しかしきちんと話したこともない相手に話しかけられ、ふらついたところを支えられ、彼女はどう思っただろうか。迷惑ではなかっただろうか。そうだといい。

『あんなの、ひどいよ……!声かけようと思ったけど、勇気が出なくて。助けてあげられなくてごめん……』

 思わず謝罪した順平に驚き、笑いかけてくれた彼女の顔は。まるでその場に、白百合が咲き誇ったのかと思うほど可憐なものであったのだから。

『いいの。……ありがとう、心配してくれて。……それだけで、私すっごく嬉しかったから』

 殆ど、一目惚れにも近かったことだろう。
 気付いた時にはもうどうしようもなく、彼女から目が離せなくなっている自分に気がついてしまったのだから。
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