青春クインテット

はじめアキラ

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<6・馬鹿と天然は紙一重>

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 本当に、どうしてこうトラブル続きなのだろう。自分の日頃の行いは、そんなにも悪いものだっただろうか。半分泣きそうになりながら詩織は考える。
 現在、学校帰りの駅前広場。慣れ慣れしく肩に手を回してくるのは、こんな時間から仕事に精を出しているキャッチの青年だ。まだ夜と呼ぶには早すぎるし、こんな女子高生に声をかけるだなんて明らかにやばすぎるとしか思えないのだが。金髪の青年はへらへら笑いながら、さっきから同じことばかり繰り返してくる。

「ねえねえ、本当にお金いらないの?いい稼ぎ先あるんだけど、やんない?そこの学校てなかなか人気高いんだよ、女子高生ってだけでもいいのにさ、やっぱり頭のいい坊ちゃん嬢ちゃん学校ってのは一種ブランドがあるんだろうねえ。ね、俺が君をしっかりプロデュースしてあげるからさ!」

 これが普通のナンパなら、迷惑なりに“自分が可愛いからだ”なんて鼻高々になることもできなくはなかったかもしれない。
 だが、この青年は自分の顔を見ているようで見ていない。一番最初に声をかけられた時、足元から頭までをさーっと流し見して“まあいっか”と呟いたのは聞こえているのだ。自分の容姿など、その程度なのである。“まあいいか”でギリギリ括れる程度。長身どころかチビで、アイドルにスカウトされるような小顔美人でもなく、スタイルもお世辞にもいいとは言えない。太っているというわけではないが、胸もぺったんこなので出るところが全然出ていない。くびれているほど腰が細いわけでもないというのに。

「自信ないみたいだけどダイジョーブ!俺の手にかかればどんな平凡な子もアイドル顔負けになれるんだから!うちの事務所はみんな優しいし、ウブな子だってちゃんと変身させてあげるからさ!」

 怪しげなアイドル事務所か、あるいはどこかで危ない接客でもやらせたいのか。なんにせよ、絶対ついていってはいけない相手だろう。
 加えて、彼が見ているのはただの“女子高生のブランド”と“この制服の学校の人気”であって、詩織自身の魅力ではない。今までだってそう。詩織自身を見て、ちゃんと評価を下してくれた異性が一体何人いただろうか。



『僕に言われても嬉しくないかもだけど。……長谷川さんは、凄く可愛いし、優しいと思う。もっと、自分に自信もっていいんじゃないかな』



 兄以外なら、彼だけだ。――詩織の眼を見て、本心からそんな言葉をかけてくれたのは。
 詩織にこんな、暖かくて苦しい気持ちを教えてくれたのは。

「……ごめんなさい、私、そういうのをやるつもり、ないから……」

 確かに、お金はあって困らない。バイトもやっていないし、日々のお小遣いは実に微々たるものである。
 けれどだからといってどうして、彼を悲しませるような真似などできようか。どうにか男を振り払おうとした、その時である。

「そこのお兄さん?女子高生に怪しい商売持ちかけるって、まだ明るい時間から一体何してんのよ?」

 え、と思って見つめた先には。仁王立ちする、長身でポニーテールの少女の姿が。
 親友とは言えないまでも、そこそこ話すことの多い友人の一人。なんせ双子の兄の腐れ縁である。クラスメートの岡田璃子。身長こそ高いものの、制服姿では普通の女子高生にしか見えない彼女の登場にキャッチの青年はぽかんと口を開け。

「……あんた美人だねえ!うちに来てくれたら歓迎するよ?」

 性懲りもなくみっともない勧誘をした。どうやら、璃子の眼が全く笑っていないことに気づいていなかったらしい。
 数秒後、まるでコメディのように吹っ飛ぶ青年の姿を見、さすがの詩織も合掌することになったのだった。



 ***



「前から思ってたけど、あんたってほんとトラブルホイホイだよね。何か変な電波出してない?あの兄貴も兄貴だけど、あんたもあんただというか」
「変な電波は、出てないと思う。私ルーターじゃないし」
「あ、いや、そこでそういう返しをされるとこっちも困るんだけども……?」

 なんとなく、一人でいたくない気分だった。流れで一緒にお茶をすることになり、近くのコーヒーショップに入って今に至る。詩織カフェラテ、璃子がカフェオレを頼んでまったりと奥の席に座っている状態だ。詩織と違って璃子はなんでもものをはっきり言うタイプである。それに加えて空手部のホープということもあり、一部男子からは妙に恐れられているところもある彼女だが――詩織からすれば、“言いたいことをはっきり言えて物理的にも強い、かっこいいお姉さん”といったキャラクターだ。実際、陰ながら彼女のファンになっている女子も多いのだとかなんとか。
 それは多分、長身で凛とした美人というのもあるのだろう。あの強面の兄を相手に容赦なくツッコミを入れられるというのもポイントが高い。人間、自分が持っていないものを持っている相手には憧れるものである。

「……多分、私が平凡で、大人しそうに見えるからなんだと思う。実際、自分でもそう見せてるところあるし。……おしとやかに、大人しくしてれば、大抵誰かに嫌われるってことないから。嫌われないようにしてれば、好かれなくても楽だし……」

 苦笑気味に言うと、璃子は眉をひそめる。わかっている、彼女はきっと“そんな生き方していて楽しいの?”とでお言いたいのだろう。それは紛れもなく正論だ。自分だって、そうやって振舞っていて楽しいと思ったことなど一度もない。楽に生きようとしてそう振舞って、自分を誤魔化して、演じているはずなのに――そんな当たり障りのない己に、時折首を絞められているのも事実である。
 中学時代の友人に、引き立て役として体よく利用されたのも。
 電車の中で、自分も座っているくせに都合よく善意のふりをして席を譲れとオバサンに強要されたのも。
 そして今、可愛い顔でもないのにキャッチに捕まって、怪しげな仕事に勧誘されるのも。
 自分がおとなしくて、利用しやすそうで、それでいて自分に自信がないタイプであるのが透けて見えるからだろう。そういう人間は、おだててやれば簡単に木に登るし、少し強い言葉で追い詰めてやれば簡単に折れるはずだと知っている。だから、自分は弱い人間を探している者に標的にされ、トラブルに巻き込まれては誰かに迷惑をかけてしまうのだ。――現実は、そのたび救ってくれる都合の良い救世主などけして現れやしないというのに。

「王子様が選ぶのは、お淑やかで上品なお姫様。そう思ってるんだっけ?」

 璃子の言葉に、詩織は下を向くしかない。きっと、自分が誰に恋をしているかなんて、敏い彼女にはバレバレなのだろう。それでいて、詩織が全く自分から動き出そうとしないということも。
 彼女のように自分を強く持っている人間には、何故待ち一辺倒なんだと思われても仕方あるまい。実際詩織は、こんなにも順平のことが好きになっていながら――己から積極的な行動など一切起こそうとはしていないのである。
 全ては、押しが強すぎてドン引かれたり、嫌われたりするのが恐ろしいがゆえに。
 そして、心のどこかで――ご都合主義の、少女漫画のような展開を期待してしまっているがゆえに。
 少女漫画で、ヒロインから押しに押して告白展開などそうそうない。基本的には、かっこいいヒーローがプロポーズしてくれて、それに涙ながら応える展開の方が多いはずだ。まあ、自分が読んだ漫画がたまたまそういうものばっかりだった、という可能性もないわけではないけれど。
 ヒーローが好きなのは、過剰に自己主張してくる悪役のライバルではない。
 可憐で、おしとやかで、それでいて自分の誇りをしっかり持ち続けられる主人公。――そんなものに本当に自分がなれるだなんて、馬鹿げた夢を心底信じているわけでもないというのに。

「だから、好きな人にも自分からは絶対告白しない。それはむしろ、みっともないことだと思ってるって?」
「みっともない、というか。……大人しく待っている女の子の方が、男の子だって好きだと思うし。それに、男の子は自分から告白したいものだっていうし……それに」
「呆れた!一体いつの時代の話よそれ。時代錯誤なこと言ってるの、自分でもわかってる?今はね、お姫様の方から白馬にまたがって王子様を迎えに行く時代よ?」

 本当に、わかりやすいほどはっきりものを言ってくれる璃子である。それが彼女の良いところであると知っているので、嫌な気持ちになったりはしない。ただ。

「それができるのも、やって許されるのも……可愛い女の子だけだよ」

 璃子のように、強くて可愛い女の子にはできることでも。自分には到底無理だ、というだけで。

「私がやっても、ウザいだけだけだもん……」

 ああ、もん、なんて。何カワイコぶった言い方をしているんだか。言った直後から自己嫌悪である。本当の自分を晒すこともできず、誰かに想いを伝える勇気もない。だから兄も、自分に対してあんな約束をしてしまったのだろう。

『すまない、詩織。俺は兄だから、お前の恋人になることはできんのだ』

 侍ぶった、古風な喋り方を好む彼は。その強面に、少し寂しそうな笑みを浮かべて言ったのだ。ああ、まだ彼も自分も小学生であったというのに。その約束を、彼は今でも律儀に守りつづけているのである。

『だから、代わりに。俺が責任を持って……お前が本当に好きになれる相手を見繕ってやる。お前が本気で恋をした時、全力で応援してやる。俺はいつだって、お前の一番の味方だ』

 自分の初恋が、兄であったがゆえに。そして、余計な想いを伝えてしまったがゆえに。彼を縛り、無茶な約束をさせてしまったのだ。自分の幸せも自分の恋も、何もかもを完全に二の次にして。
 押しの強い女は嫌われる。大好きな人ほど嫌われたくない。同時に――また、自分から伝えたせいで、愛する人を縛るような真似をしたくない。それが、璃子が告白を躊躇いつづけている理由である。

「……わかってないのね」

 はあ、と。目の前の空手少女は、盛大にため息を吐いた。

「そもそも“可愛い”の基準って何よ。それって誰が決めるの。あんたが可愛いかどうか、決めるのはあんたが好きなその人じゃないの」
「……だから」
「だから!その結論をあんたが決め付ける権利はないわけ。……そもそも、電車であんたを助けてくれたあの子はどうしてあんたを助けてくれたの?いつも手を振ってくれるのは、何か義理を感じてのこと?本気で好きなら、そういうの真剣に向き合って考えないとあっちにも失礼でしょ」

 第一、誤解してるから、と璃子。

「シンデレラは、禁じられているのを承知で舞踏会に行き、王子様と踊ることを選んだ。そのまま過ごせば平穏無事に過ごせるところを、勇気を出して踏み出したから運命を変えることができたのよ。……待ってるだけで何の行動も起こさないお姫様が報われる御伽噺って、あんたが思ってるほど多くはないと思うけど」
「!」

 思わず目を見開く詩織に、彼女は何を思ったのだろう。素知らぬ顔でアイスカフェオレを吸い込みながら、続けるのである。

「誰だって、人に嫌われないようにしたい。でも、誰も彼もに嫌われないなんて、そんなの絶対無理なんだから。そんな無駄なことにソース割くくらいなら……好きなものに正直に生きた方が絶対楽しいって、あたしはそう思うけどね」
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